蛇口が取れた

4年半の杭州生活を終え、ついに帰国。現在、中国人化後遺症に悩まされ、好評リハビリ中。

第9回 バップルカフェの巻

2009-09-27 00:27:20 | 杭州カフェ探訪
以前、我が家の近くのMAKYというパン屋を紹介した。
そこは台湾資本のパン屋で、なかなか旨いという話をした。

しかし、そこはなくなってしまった。
代わりにできたのが、Bapple。
これはBig Appleの意味のよう。

ここはコーヒーも当然飲めるのだが、
メインはドーナツ(多拿滋)である。
カフェと言うよりはドーナツ屋さん。
そう、ついに我が家の近くにもドーナツ屋ができたのである。
う~ん、ホントに進歩が早いなあ。

試しに行ってみた。
店内は非常に明るく、
清潔感があり好感が持てる。

まず、ドーナツがいくつ欲しいか言う。
ひとつ5.5元。
2つセットだと11元。
ここまで割引なし。
しかし、4つになると20元とちょっと安くなる。

ってなかんじで、注文をする。
ドーナツの種類は至って豊富。
ジム帰りに寄ったので、売り切れているのもあった。
早い時間に来れば、それこそ選択肢が多く困るだろう。

写真は、別の日に持ち帰ったもの。
それぞれ名前がついていて、
左が「加州之王」で
右が「冬季恋歌」。

少々甘ったるいが、普通に旨い。
生地も柔らかく、食感も悪くない。

コーヒーはいつも通りラテを注文。
ラテも普通に飲める味。
1杯14元だから、スタバなんかより全然安い。

難点を言うと、一人ではいると落ち着けないところか。
だから、本を読んだり、仕事したりっていう雰囲気にはならない。

小腹がすいた時にちょうどいいカフェかな。

意外としっかりとしたメダルだ

2009-09-24 15:19:54 | 杭州・杭州周辺
今日、お呼ばれして出かけて行った。
はじめは、人民大会堂って聞いていたのに、
ホテルの大講堂だったので、ちょっとがっかり。
でもまあ、それなりに盛大で面白かった。

今日は浙江省の中の外国人30名弱が集まって、
浙江省から、メダルだの賞状だのをもらう日だった。
なので、会場には外国人や省政府関係者が集まっていた。

ボクの隣に座ったのは、紹興に住むイギリス人男性。
彼はどうやら奥さんが中国人のようで中国語が話せる。
なので、ボク等は中国語を使って意思疎通を図っていた。

壇上に上がってメダルを首からかけてもらい、
花束と賞状を手渡してもらい、
さらには、浙江省副省長と握手して写真を撮られる。

そんな一連の動きがあったのだが、
案内をしてくれるのが、チャイナドレスの女性。
いやあ、みなさんとてもお美しい。
一人は神田うの似で、とてもおきれいな人でした。
さすが省レベルの催し物。

その後、集合写真を撮り、食事と相成った。

食事は期待していたほどではなかったが、
同席した人々と色々な話をした。
杭州市内だけではなく、温州や東陽の人もいた。
まあ、こんな機会は滅多にないので、楽しめた。

それもこれもみなさんのおかげです。
どうも、ありがとうございました!
そして、これからも宜しくお願いします。

で~たで~た菌が~♪

2009-09-21 18:23:19 | 杭州・杭州周辺
いやあ、ついに出ました。
うちの職場にも例のやつが。

今日、バスから降り門を通り抜けようとした時、
突然、警備員のお兄ちゃんが近づいてきて、
おでこにバーコードをはかるような機械で、
「ピッ!」とあててきました。

おっ!
と思ったまま、
門を抜けると、
その先に立て看がでており、
「うちもついに出ました。
みんな気を付けてねえ。」
なんて書いてありました。

ついに出たんですねえ。
突如として身近に感じますねえ。
気を付けないといけませんねえ。

でも、体温を測っている横から、
人がガンガン通り抜けていっていたけど、
あれは大丈夫なのかい?

第8回 アソックカフェの巻

2009-09-15 10:46:18 | 杭州カフェ探訪
杭州は急速に高層マンションが増えている。
古い街並みが消え、4年前とは全く違う景色となっている。

高層マンションの1階には
テナントが入ることが多い。
服屋であったり、
銀行であったり、
食堂であったり。

カフェもその一つ。
最近近所を歩いていて、
新たにカフェができているのを発見。
昼食ついでにそのカフェに行ってみた。

アソックカフェ。
それがカフェの名前。

外観の写真を撮って中に入ろうとしたら、
外で電話をしていた店員が、
「どうした?」と聞いてきた。

いや、どうしたも何も客だがな。

すると店員は、
「ああ、じゃあ、クーラー付けるね」
と言って、おもむろにスイッチを入れた。

もうすでに1時近くなっているのに
客が一人もいないってのはどうなっている?
少々不安になりながらも席に着いた。

店内はそれほど広くはなく、
4人座り(全て二人掛けソファーが二組ずつ)のテーブルが4つ。
それと、カウンター席が少々。
内観は壁一面に絵が描かれていたりして、悪くはない。

店員の第一印象はよくなかったが、
色々と話してみると、気のいいあんちゃん。
さっきは写真を撮っていたので不審に思ったのだろう。

昼食はカレーを頼んでみた。
なんか、日本の喫茶店みたいだ。
味はそこそこおいしい。

食後には定番となったラテを注文。
表面にはちゃんと絵が描かれている。
(これって、カフェアートって言うんだっけ?)
これも杭州では常識になりつつあるのか。

ラテの味も、まあいける。
客がいなくても、いける。

次回は気が向いたら行こう。
それにしても、杭州のカフェ水準は急速に上がっている気がする。

もはや妖怪状態

2009-09-12 11:33:48 | 杭州・杭州周辺
もしかしたら気になっている人もいるかもしれない。
あの、我が家の水漏れの行方を。

中原へ旅立つ前に、壁に線を引いた。
この線より出ていなければ、オッケー。
出ていれば、まだ修理し切れていない。

杭州へ戻るのはドキドキだった。
願わくば、線を越えていませんように。
きちんと修理されていますように。

部屋に入った。
願いは虚しかった。
シミは線を遙かに超え、
壁一面に広がっていた。
なにかの妖怪みたいになっていた。

ボクはうんざりしながら電話を取った。
相手はもちろん、上の階の大家。
「やっぱりだめだよ。
壁一面にひろがっちまっているよ。」

大家は大変恐縮していた。
謝らない中国人ですらペコペコだ。
それぐらいの破壊力がある。

それどころか、下の階にも達していた。
突然、ドアが叩かれ、
「水漏れしているぞ!」と下の階の住人に言われた。

翌日の朝、早速2度目の修理が行われた。
今度は「ドンドンドンドン」と大きな音が聞こえてきた。
朝っぱらから大音量で工事がはじまっていた。

「2・3日様子を見て下さい」
そう、大家は言った。

2・3日様子を見た。
シミは広がっていない。
どうやらようやく水漏れが止まったようだ。

あとは乾くのを待ち、
再び連絡をして、
壁を塗り直してもらうだけだ。

それにしても、時間がかかりすぎだよ~。

実はみなそう願っているのです

2009-09-10 00:12:55 | 中国・その他地域
中原シリーズ最終回。

最終日、杭州へ戻る前に、
鄭州にある河南省博物院へ。

三角形の非常にユニークな形をした博物館。
ピラミッド形といったほうがいいのかな。
とにかく、街中でも非常に目立つ感じがする。

入場料は無料。
中国は無料の博物館が多く助かる。
日本の博物館は、致し方ないところもあるが高い。
特に特別展なんて、べらぼうに高いものもある。
横浜の「海のエジプト展」なんて一人2300円だったし。
あれには、ちょっとビックリしたねえ。

さすが、中原。
いいものをたくさん持っている。
見ているだけで、楽しくなってくる。
則天武后が除罪をするために作成した金簡(金で作った札)なんてのが展示されていた。
しっかりと、則天文字も使用されていて、思わず食いついてしまった。
(ご存じだと思うけど、水戸光圀の「圀」って則天文字なんだよね)

なんか、中国の遺物を見ているとよく思うんだけど、
古い時代の遺物の紋様や造形って、愛敬あるよね。
怪獣を描いていても、どこか愛くるしかったりして。
写真のもの(尊=酒器)も、なんかヤッターワンみたいだなあって。

ちょっと残念だったのが、
現在修理中で二部屋しか見られなかったこと。
郭守敬の天文関係の展示なんて、
非常に興味があったんだけど。

さて、空港へ向かう前に寄ったので、
当然、大きい荷物を持っていた。
しかし、博物館には持って入れないので、
先にロッカーに預けなくては行けない。

ロッカールームには、管理人としておばちゃんがいた。
ロッカーに荷物を入れ、鍵を取り、ノートに記帳する。
名前、出身、電話番号、鍵番号を記す。
当然、ボクは出身欄に「日本」と書いた。

ボクが博物館に行ったのは、先の衆院選の二日後。
つまり、民主党が政権交代を果たした選挙の直後。
中国のテレビでも長々と特集が組まれたり、
新聞では一面でそのことが報道されていた。
中国の一般人も大変そのことに興味があるのであった。

なので、おばちゃん、食いついてきた。
選挙のことを一生懸命聞いてきた。
「自民党と民主党はどこが違うのか」なんて、
一言じゃ話せませんよ、っていうような質問までする始末。

そして、こう言った。
「日本人は羨ましい。
だって、自分たちの意志で政権を変えられるんだから。
一人一人の力が、もの凄い力を持っている。
私たちは、リーダーたちの言うことを聞いて、
静かに安寧に暮らす以外できないんだよ。」と。

選挙に興味ない、とか、
どうせ何も変わらない、とか、
そんなこと言って、
投票する権利をむざむざと無駄にするのはどうなんでしょう、
と考えさせられた。

贅沢なはなしなんだよねえ、
「投票しない権利」って。

常に権力争いの中心であった中原にて、
自国の政治について考えさせられた一瞬だった。

筋肉痛にご用心

2009-09-06 10:15:14 | 中国・その他地域
前回からの続き。

食事を終えた我々は延慶観という道教寺院へ。
元代にできたようだが、
残念ながら現在は修繕中で何ともがっかりな感じだった。
中にあった塔が800年前のものだと言っていたけど、
ホントか?って感じだったし。

次に向かったのは鉄塔公園
ここはもともとは開宝寺という寺院であった場所。
やはり北宋では有数の大寺で、
成尋の記録によるとここで訳経作業が行われていたという。
その成尋(写真)が死んだとされる場所でもある。

現在はその名残として鉄塔があり、
そこが公園になっているのである。

ここに向かう時、延慶観からは三輪車に乗った。
無事、鉄塔公園にはたどり着いたんだが、
この運転手がしつこい。
「やれ、オレが説明してやる」とか、
「次の移動もオレの三輪車に乗れ」とか。

もう勝手に見るから仕事に戻れ、
といっても、微妙に後を着いてくる。
うざいったらありゃしない。

しかし、そんな彼を無視して、
我々は鉄塔の内部へ侵入した。
登れるものは全て登る。
今までだっていろんな塔に登ってきた。
だから、今回も登らないわけにはいかないのだ。

それにしても、狭い。
そして、暗い。
人一人がようやく通れるくらいで、
慎重に上り下りしないと足を踏み外す危険あり。

なので、無駄に神経を使う。
そして、無駄に体力も使う。
泰山でもならなかった筋肉痛。
鉄塔を登っただけでなってしまった。
恐るべし、鉄塔。

鉄塔公園を出て、
次は繁塔へ向かう。
塔から塔へ。
体力の限界へ。

繁塔は開封駅の南東付近にある。
そして、行ってみてびっくり。
だって、普通のしかもちょっと貧しい感じの住宅地にいきなりあるんだもん。
ちっとも観光地ではない。
繁塔までの案内表示だって、
「←繁塔」って壁に直接書いてあるし。

当然、我々の他に客はなし。
入り口では近所のじじばばが雑談中。
なんとものどかな繁塔。

塔自体はそれほど高くないので、
登るのも苦ではなかった。
にしても、みなさん落書きしすぎ。
中国人が主だったけど、
日本人も結構いたよ。
「岐阜県~」とか「栃木県~」とか。
文化財に落書きするのは、ホントにやめましょう。

これで、結構いい時間に。
当然帰りも7元のバスで鄭州へ戻りましたよ。
疲れて寝ていたので、あっという間でしたが。

中原攻めまくり

2009-09-04 18:03:15 | 中国・その他地域
中原編、第二弾!

折角鄭州まで行ったので、
すぐ近所の開封に行かない手はない。
というわけで、洛陽にいった翌日開封へ行った。

まず鄭州駅前にある長距離バスターミナルへ行った。
そこで開封行きの切符を買ったのだが、なんと7元。
安さに驚き、少しいぶかりながらバス乗り場に行くと、
まず、普通の公共バスに乗せられ、別のターミナルへ移動させられた。

さらに、切符には時間が書いてあったのものの、
全くそういうことには関係なく、開封行きの列に並ばなくてはならない。
しかもバスが外来者の不安を誘う、いかにも普通の公共バス。
本当にこれでいいのか、と思いながら乗車。

案の定、普通の公共バスらしく停留所で止まったりする。
しかもスピードはめっちゃおそい。
どんどんどんどん、いろんな車に追い抜かれていく。

こりゃ、3時間くらいかかるのか??と諦めていたが、
鄭州市内を抜けてしまうと、あとはノンストップで開封まで。
開封市内でいくつかの停留所に止まったものの、
まあ、何とか1時間半で開封までたどりついた。
そこで私を待つ弟子と合流し、市内観光へ出かけた。

開封は北宋の首都だった場所。
なので、北宋ゆかりの場所がいくつか残る。

まずは、大相国寺へ向かう。
この寺は北宋でも有数の大寺で様々な仏教儀式が行われた場所。
昼近くに行ったもんで、丁度僧たちが昼前の勤行を大雄殿で行っていた。
人数も多く、なかなか勇壮な景観だった。

寺を出た後、第一楼という地元の名店で食事。
ここは包子が有名というので2種類注文。
しかし、名店というだけあって、店員の態度は悪い。
まるで杭州の名店、「楼○楼」のよう。
まあ、味はよかったのでいいけど。

あ、長くなってきた。
とりあえず、前半戦終了ということで。
つづきはまた次回!


*写真は大相国寺にあった武僧団募集の看板

久々に「いや~んさん」を見に行った

2009-09-02 17:47:00 | 中国・その他地域
会議出席のために中原に行った。
もちろん武蔵中原ではない。
中原(ちゅうげん)地域である。

鄭州で行われた会議は無事終了。
翌日は出席者みんなと仲良く洛陽へ。

洛陽は久しぶりだ。
約15年前に友人達と北京から寝台に乗って訪れて以来。
ボクの中国初体験の一つが洛陽だっただけに感慨深いものがある。

鄭州からバスに乗り約2時間半。
途中休憩を挟みながらの旅となった。

それにしても今回のガイドさんは素晴らしかった。
日本語が流暢なだけでなく歴史・文化に対する知識が豊富。
バスに乗っている間中、彼はしゃべり続けていた。

おかげで杜甫の故居もバスの中から確認できたし、
遠くの方であったが、黄河もしっかりと見た。
彼がいなかったら、ただぼんやりと通り過ぎていただろう。

さて、第一の目的地は白馬寺
ここは中国で最初の寺院とされていて、
まさに中国仏教発祥の地とも言える場所。

伽藍・仏像自体は残念ながら当時のものはなく、
再建されたものや移管されてきたものばかり。
特にここは文革の時に、破壊されて燃やされてしまったらしい。
一瞬にして隋唐時代の写本なんかが焼失したんだそうだ。
う~ん、非常に残念なことだ。

白馬寺見学の後に、食事をし、
次の目的地、龍門石窟へ向かった。
言わずと知れた世界文化遺産。

白馬寺もだが、ここも以前訪れた場所。
それにしても、全く印象が変わっている。
やっぱりこの15年間にもの凄く整備されたんだね。
出口あたりで、おっちゃんが輪投げの店を開いていた頃とは大違い。
しかも、輪投げの対象商品が、馬の唐三彩(偽物)だったのに。

やはり大きく見所満載だった。
一部、立ち入り禁止の所まで行って見学もした。
そして、久々に「いや~んさん」とも再会した。
「いや~んさん」とは写真の彼。
もちろん、ボクが勝手にそう呼んでいるだけだが。

龍門石窟の対面には、白園という場所がある。
この「白」は白居易の「白」のこと。
ここには、白居易の墓がある。
いろいろと関係がこれからもありそうなのでとりあえずお参りをしておいた。

そんなこんなであっという間に2時間近くが経っていた。
それでも、多少急ぎ足で見学していたんだから、
本気で見ていこうと思ったら、半日は必要だろうね。

結局、洛陽見学はこの2箇所で終了。
当初の予定に入っていた洛陽博物館に行けなかったのが心残りだが、
まあ、現在リニューアル中だというので、また次回を楽しみにしておこう。

ちなみにオープンは今年10月とのこと。
それ以降に訪れる人は是非行ってみて下さい。
収蔵品ももの凄く多種多彩だそうなので。