タリン到着、翌日。
時差のせいなのか、
年齢のせいなのか、
判然としないものの、
早朝に目が覚めてしまった。
同室者も同様だったらしく、
二人して、早朝散歩に繰り出した。
タリンの見所は、何といっても旧市街。
ここが世界文化遺産に登録されているヨーロッパ屈指の街並み(らしい)。
幸い、泊まったホテルから旧市街までは歩いて数分のため、当然旧市街を目指した。
まず目に入ったのが、カールリ教会。
まだ朝早かったため、中には入れなかった。
そのあと、カールリ大通りというところを通り、旧市街へ。
我々は南から旧市街に入り、
基本的にそのまま北上していくというルートをとった。
ちなみに、旧市街の一番北は「ふとっちょマルガレータ」という建物。
これはもともとは砲塔なのだが、その後、倉庫・兵舎・監獄などに使われ、
1917年のロシア革命の混乱時に火災に遭い、廃墟となったもの。
現在は海洋博物館となっている。
(なお、ここの近くの広場には、
1994年のフェリー事故の被害者たちの慰霊碑が建てられている。
エストニアの悲しい記憶に満ちた場所でもある。)
それにしても、朝の旧市街は人がいなくて、もう最高!
本当に本当に美しい。
もちろん、道はレンガでできています。
私の持つヨーロッパのイメージ通りの作り。
なんだか、心の底から楽しくなっていた。
街の中心部である旧市庁舎前の広場も、
朝早くはまだ閑散としていて、
市場の準備をしているところだった。
我々は、そんな中をぶらぶらぶらぶらと人のいない街を眺めながら歩いていたわけだ。
時折、ガタガタのレンガ道を果敢にも進んでいく自転車を横目に見て。
ありゃ絶対におしり痛いぞ。
しかも、かなり。
さて、一つそんな街の通りを紹介しておこう。
写真がそれ。
ここは、ドミニコ修道院の横の通りで、カタリーナの通路という。
本通りからは少し外れた脇道で、距離もさほどない。
だけど、『地球の歩き方』によると、旧市街で最も美しい通りと言われているらしい。
一体誰が言っているのかは定かではないが、確かに、美しかった。
ちなみに、後日、この通路にある飲み屋で閉店まで飲んでいた。
もちろん、外で。
少々寒さに震えながら。
(あとからこの写真を見て気付いたが、たぶん右側の緑色の扉の箇所が飲み屋さん)
結局、我々は1時間半くらい歩き回っていた。
翌日、私のふくらはぎの筋肉は痛みを訴えていた。
果たして、それが年齢のせいなのか、
はたまた、時差のせいなのかは、
依然、闇の中である。
*夜も当然美しいです、タリン。
でも、何故か、夜の街を歩いているときに、この曲が、グルグルと頭の中を回っていた。
イギリスの曲なのに。
時差のせいなのか、
年齢のせいなのか、
判然としないものの、
早朝に目が覚めてしまった。
同室者も同様だったらしく、
二人して、早朝散歩に繰り出した。
タリンの見所は、何といっても旧市街。
ここが世界文化遺産に登録されているヨーロッパ屈指の街並み(らしい)。
幸い、泊まったホテルから旧市街までは歩いて数分のため、当然旧市街を目指した。
まず目に入ったのが、カールリ教会。
まだ朝早かったため、中には入れなかった。
そのあと、カールリ大通りというところを通り、旧市街へ。
我々は南から旧市街に入り、
基本的にそのまま北上していくというルートをとった。
ちなみに、旧市街の一番北は「ふとっちょマルガレータ」という建物。
これはもともとは砲塔なのだが、その後、倉庫・兵舎・監獄などに使われ、
1917年のロシア革命の混乱時に火災に遭い、廃墟となったもの。
現在は海洋博物館となっている。
(なお、ここの近くの広場には、
1994年のフェリー事故の被害者たちの慰霊碑が建てられている。
エストニアの悲しい記憶に満ちた場所でもある。)
それにしても、朝の旧市街は人がいなくて、もう最高!
本当に本当に美しい。
もちろん、道はレンガでできています。
私の持つヨーロッパのイメージ通りの作り。
なんだか、心の底から楽しくなっていた。
街の中心部である旧市庁舎前の広場も、
朝早くはまだ閑散としていて、
市場の準備をしているところだった。
我々は、そんな中をぶらぶらぶらぶらと人のいない街を眺めながら歩いていたわけだ。
時折、ガタガタのレンガ道を果敢にも進んでいく自転車を横目に見て。
ありゃ絶対におしり痛いぞ。
しかも、かなり。
さて、一つそんな街の通りを紹介しておこう。
写真がそれ。
ここは、ドミニコ修道院の横の通りで、カタリーナの通路という。
本通りからは少し外れた脇道で、距離もさほどない。
だけど、『地球の歩き方』によると、旧市街で最も美しい通りと言われているらしい。
一体誰が言っているのかは定かではないが、確かに、美しかった。
ちなみに、後日、この通路にある飲み屋で閉店まで飲んでいた。
もちろん、外で。
少々寒さに震えながら。
(あとからこの写真を見て気付いたが、たぶん右側の緑色の扉の箇所が飲み屋さん)
結局、我々は1時間半くらい歩き回っていた。
翌日、私のふくらはぎの筋肉は痛みを訴えていた。
果たして、それが年齢のせいなのか、
はたまた、時差のせいなのかは、
依然、闇の中である。
*夜も当然美しいです、タリン。
でも、何故か、夜の街を歩いているときに、この曲が、グルグルと頭の中を回っていた。
イギリスの曲なのに。
ヨーロッパってなんだか、店の看板が素敵なイメージ。
これもそう。
立体感のあるウサギが軒先に飾られていた。
同行者は、「ハリーポッターみたい」と言っていたが、
私は、ハリーポッターをまるで知らないので同意できず。
ちなみに、レストランの看板。
ウサギ肉でも出すのかしら?
これもそう。
立体感のあるウサギが軒先に飾られていた。
同行者は、「ハリーポッターみたい」と言っていたが、
私は、ハリーポッターをまるで知らないので同意できず。
ちなみに、レストランの看板。
ウサギ肉でも出すのかしら?
しばらく書いていないからさ。
なんだか、一度書かなくなるとめんどくさくなる。
じつは、密かに「つぶやき」も始めたんだけど、
これまためんどくさくなって、あんまりつぶやかないし。
人間、めんどくさがりにだけは生まれたくないもんだねえ。
さて、久しぶりに書きましょう。
いろいろと忘れてしまわないうちに。
8月末に、エストニアに行ったので、そのことを。
あの、念のために言っておきますが、
一応、仕事で。
一応ね、一応。
エストニアとは、どこぞ?
と思った方もおることでせう。
かくいう私も知らない土地だった。
まずはその説明から。
エストニアは、バルト三国の一つ。
まあ、旧ソ連ね。
なので、今でも何となくソ連の面影があったりする。
他の二国は、リトアニア・ラトヴィア。
地球の歩き方は、この三国を「バルトの国々」ってまとめて一冊にしている。
首都のタリンは、世界遺産に指定されていて、結構観光客が来る場所。
関取の把瑠都(バルト)の出身国でもあり、エストニアでは相撲中継もあるんだって。
日本からは直通便はなく、ヘルシンキ(フィンランド)で乗り換える必要がある。
というわけで、我々もまずはヘルシンキに向かう。
値段と日程の都合から、名古屋の中部国際空港から出発した。
片仮名名がなんだっけなあ、エクレアみたいな名前。
新しい空港だけあって、大変綺麗でした。
正直、関空よりも活気があるように感じたけど。
飛行時間は10時間くらい。
なので、
食事して、
映画見て、
一寝入りして、
本読んで、
数独して、
軽食食べて(なんと、ソース焼きそば。斬新)、
ぼんやりして、
それでも手持ち豚さんになってしまうくらいの時間。
最近、中国線ばっかりだから、時間をもてあましてしまった。
そんなこんなで、ヘルシンキ到着。
我々は、先にヘルシンキに来ている人たちと合流し、
そこから船に乗ってエストニアへ向かうため、ここで降りた。
しかし、どうやらヘルシンキ空港は、
いろいろなヨーロッパ諸国への玄関口みたいになっているようで、
多くの人がここで乗り換えるため、
ヘルシンキで降りる人は少ない模様。
我々も、一瞬で通関し、
なんと荷物は、すでにベルトコンベアーの上に置いてあった。
流れていない荷物、初めて見た。
結構、衝撃の映像。
ヘルシンキ空港で先発組と合流し、
バスとトラムを乗り継ぎ、港へ。
いやあ、港のチケット売り場のお姉さんの美しかったこと。
なんて幸先のいいスタートだったのだと、今でも思う。
北欧は美人さんの産地だとはいえ、道中、私の中ではこの人がナンバーワン。
ああ、北欧に来てよかったと思った瞬間ですよ。
ヘルシンキでタリン行きの飛行機に乗り換えなくてよかったと心の底から思った。
(ヘルシンキで乗り換えた人に後で聞いたが、荷物がタリンに届かなかったそうだ。
これもまた幸運。)
ヘルシンキ港のマーケットで食事をし、いざ出発。
ヘルシンキからタリンへは、高速船でだいたい1時間半くらい。
この高速船は、乗り心地もよく、全く船酔いなどしない。
そんなこんなでタリンに到着。
で、翌日からタリンの散策が始まる。
いや、一応、仕事で行ったんですからね。
観光は、まあ、時間つぶしかな。
念のため。
*写真はタリン港の夕陽。といっても、もう夜8時くらい。
なんだか、一度書かなくなるとめんどくさくなる。
じつは、密かに「つぶやき」も始めたんだけど、
これまためんどくさくなって、あんまりつぶやかないし。
人間、めんどくさがりにだけは生まれたくないもんだねえ。
さて、久しぶりに書きましょう。
いろいろと忘れてしまわないうちに。
8月末に、エストニアに行ったので、そのことを。
あの、念のために言っておきますが、
一応、仕事で。
一応ね、一応。
エストニアとは、どこぞ?
と思った方もおることでせう。
かくいう私も知らない土地だった。
まずはその説明から。
エストニアは、バルト三国の一つ。
まあ、旧ソ連ね。
なので、今でも何となくソ連の面影があったりする。
他の二国は、リトアニア・ラトヴィア。
地球の歩き方は、この三国を「バルトの国々」ってまとめて一冊にしている。
首都のタリンは、世界遺産に指定されていて、結構観光客が来る場所。
関取の把瑠都(バルト)の出身国でもあり、エストニアでは相撲中継もあるんだって。
日本からは直通便はなく、ヘルシンキ(フィンランド)で乗り換える必要がある。
というわけで、我々もまずはヘルシンキに向かう。
値段と日程の都合から、名古屋の中部国際空港から出発した。
片仮名名がなんだっけなあ、エクレアみたいな名前。
新しい空港だけあって、大変綺麗でした。
正直、関空よりも活気があるように感じたけど。
飛行時間は10時間くらい。
なので、
食事して、
映画見て、
一寝入りして、
本読んで、
数独して、
軽食食べて(なんと、ソース焼きそば。斬新)、
ぼんやりして、
それでも手持ち豚さんになってしまうくらいの時間。
最近、中国線ばっかりだから、時間をもてあましてしまった。
そんなこんなで、ヘルシンキ到着。
我々は、先にヘルシンキに来ている人たちと合流し、
そこから船に乗ってエストニアへ向かうため、ここで降りた。
しかし、どうやらヘルシンキ空港は、
いろいろなヨーロッパ諸国への玄関口みたいになっているようで、
多くの人がここで乗り換えるため、
ヘルシンキで降りる人は少ない模様。
我々も、一瞬で通関し、
なんと荷物は、すでにベルトコンベアーの上に置いてあった。
流れていない荷物、初めて見た。
結構、衝撃の映像。
ヘルシンキ空港で先発組と合流し、
バスとトラムを乗り継ぎ、港へ。
いやあ、港のチケット売り場のお姉さんの美しかったこと。
なんて幸先のいいスタートだったのだと、今でも思う。
北欧は美人さんの産地だとはいえ、道中、私の中ではこの人がナンバーワン。
ああ、北欧に来てよかったと思った瞬間ですよ。
ヘルシンキでタリン行きの飛行機に乗り換えなくてよかったと心の底から思った。
(ヘルシンキで乗り換えた人に後で聞いたが、荷物がタリンに届かなかったそうだ。
これもまた幸運。)
ヘルシンキ港のマーケットで食事をし、いざ出発。
ヘルシンキからタリンへは、高速船でだいたい1時間半くらい。
この高速船は、乗り心地もよく、全く船酔いなどしない。
そんなこんなでタリンに到着。
で、翌日からタリンの散策が始まる。
いや、一応、仕事で行ったんですからね。
観光は、まあ、時間つぶしかな。
念のため。
*写真はタリン港の夕陽。といっても、もう夜8時くらい。
どうも筆無精。
ずいぶんと間隔があいてしまった。
しかし、そんなこともあろうかと、
行き先をすべて一応手帳にメモしておいたのだ。
言い方を変えれば、全く自分の記憶力を信用していない、ともいえる。
現に、このメモがなければ、このブログは成立しなかった。
だって、具体的にどこ行ったかわからないんだもの。
さて、閑話休題。
ハロン湾を偵察した翌日、
我々は、ハノイ市内視察へと出た。
この日は、二日酔いではなかったため、
朝食を食べ(フォー、めちゃくちゃ旨い!)、
ばっちりの体調で出かけた。
まず出かけたのが、ホーチミン博物館。
ベトナムの英雄、ホーチミンの様々が展示されている場所。
ベトナムについて何も知らない私は、見るものすべてが新しい。
まず、ここで、簡単ながらホーチミンの偉大さを知った。
次いで、歩いてすぐのところにある一柱寺へ。
一本の柱の上に、拝殿があるという構造。
その後、鎮国寺へ。
このお寺、湖の畔にある。
その名も「西湖」。
私の第二の故郷である杭州にあるのも「西湖」。
なんだか、ものすごい親近感がわいた。
それにしても、一柱寺にせよ、鎮国寺にせよ、
観光客は仏殿の中の仏像の写真をバシバシ撮っていた。
それに対して寺側は何も言っていなかったので、
それはそれでオッケーということなんだろうけど、
なんだか私は少々気が引けてしまっていた。
聞くと、一緒に行った人も同様に、感じていたようだ。
敬虔な仏教徒でも何でもないのに、不思議なもんだ。
おそらく、日本人が西洋に行き、
キリスト教関連の建築物や聖像などをバシバシ撮っていたら、
地元の人は、なんだかなあ、と感じるのかもしれない。
ともあれ、ベトナム仏教建築を続けて見学した後は、
真武観という名の、道観へ。
目当ての呪符がどこにもなかったのが、ちと残念だった。
昼ご飯を挟み、後半戦へ。
そしてここで、サプライズ。
予定になかったタンロン遺跡を見学することに。
タンロンは漢字で書くと「昇龍」で、ハノイの旧名。
その中心である宮殿遺跡群が、2003年から発掘が続けられ、
今年、ようやく一部が期間限定で公開されていたのであった。
わずか3週間という公開期間にもかかわず、
我々は運良くそのときに訪れていたのであった。
なんて、ラッキーな。
しかも、午後からは、
現在ハノイの大学で教鞭を執っている私の後輩が案内してくれることになったのもついている。
彼は歴史学を専攻しているため、遺跡の解説が大変詳細。
1300年にもわたるベトナムの宮殿の歴史をわかりやすく解説してくれたのであった。
特にここでの収穫が、「江西塼」と刻印されたレンガ(写真)。
説明によると、7世紀から8世紀に作成されたもので、
つまり、そこが唐の安南都護府に関連する施設であったことがわかるんだとか。
それを聞いて、興奮状態がピークに。
だって、唐代の安南都護府といえば、あーた、
あの阿倍仲麻呂が赴任していたところじゃ、あ~りませんか。
帰国をあきらめた仲麻呂が6年間も赴任していた場所じゃ、あ~りませんか。
ものすごく貴重なものを見させていただきました。
いやあ、ほんとにどうもありがとう、って感じ。
どうしていいかわからないぐらい、舞い上がっちゃいました。
もちろん、図録も速攻で購入。
その後、文廟(孔子廟)へ行き、
ハノイの歴史博物館へ向かった。
この博物館にもいいもの(たとえば、隋代の石碑とか)があり、
大変興味深かったのだが、タンロンの衝撃が大きく、霞んでしまった。
それにしても、有意義だった。
ハノイどうもありがとう。
後輩もどうもありがとう。
また、是非行きたいものだ。
ずいぶんと間隔があいてしまった。
しかし、そんなこともあろうかと、
行き先をすべて一応手帳にメモしておいたのだ。
言い方を変えれば、全く自分の記憶力を信用していない、ともいえる。
現に、このメモがなければ、このブログは成立しなかった。
だって、具体的にどこ行ったかわからないんだもの。
さて、閑話休題。
ハロン湾を偵察した翌日、
我々は、ハノイ市内視察へと出た。
この日は、二日酔いではなかったため、
朝食を食べ(フォー、めちゃくちゃ旨い!)、
ばっちりの体調で出かけた。
まず出かけたのが、ホーチミン博物館。
ベトナムの英雄、ホーチミンの様々が展示されている場所。
ベトナムについて何も知らない私は、見るものすべてが新しい。
まず、ここで、簡単ながらホーチミンの偉大さを知った。
次いで、歩いてすぐのところにある一柱寺へ。
一本の柱の上に、拝殿があるという構造。
その後、鎮国寺へ。
このお寺、湖の畔にある。
その名も「西湖」。
私の第二の故郷である杭州にあるのも「西湖」。
なんだか、ものすごい親近感がわいた。
それにしても、一柱寺にせよ、鎮国寺にせよ、
観光客は仏殿の中の仏像の写真をバシバシ撮っていた。
それに対して寺側は何も言っていなかったので、
それはそれでオッケーということなんだろうけど、
なんだか私は少々気が引けてしまっていた。
聞くと、一緒に行った人も同様に、感じていたようだ。
敬虔な仏教徒でも何でもないのに、不思議なもんだ。
おそらく、日本人が西洋に行き、
キリスト教関連の建築物や聖像などをバシバシ撮っていたら、
地元の人は、なんだかなあ、と感じるのかもしれない。
ともあれ、ベトナム仏教建築を続けて見学した後は、
真武観という名の、道観へ。
目当ての呪符がどこにもなかったのが、ちと残念だった。
昼ご飯を挟み、後半戦へ。
そしてここで、サプライズ。
予定になかったタンロン遺跡を見学することに。
タンロンは漢字で書くと「昇龍」で、ハノイの旧名。
その中心である宮殿遺跡群が、2003年から発掘が続けられ、
今年、ようやく一部が期間限定で公開されていたのであった。
わずか3週間という公開期間にもかかわず、
我々は運良くそのときに訪れていたのであった。
なんて、ラッキーな。
しかも、午後からは、
現在ハノイの大学で教鞭を執っている私の後輩が案内してくれることになったのもついている。
彼は歴史学を専攻しているため、遺跡の解説が大変詳細。
1300年にもわたるベトナムの宮殿の歴史をわかりやすく解説してくれたのであった。
特にここでの収穫が、「江西塼」と刻印されたレンガ(写真)。
説明によると、7世紀から8世紀に作成されたもので、
つまり、そこが唐の安南都護府に関連する施設であったことがわかるんだとか。
それを聞いて、興奮状態がピークに。
だって、唐代の安南都護府といえば、あーた、
あの阿倍仲麻呂が赴任していたところじゃ、あ~りませんか。
帰国をあきらめた仲麻呂が6年間も赴任していた場所じゃ、あ~りませんか。
ものすごく貴重なものを見させていただきました。
いやあ、ほんとにどうもありがとう、って感じ。
どうしていいかわからないぐらい、舞い上がっちゃいました。
もちろん、図録も速攻で購入。
その後、文廟(孔子廟)へ行き、
ハノイの歴史博物館へ向かった。
この博物館にもいいもの(たとえば、隋代の石碑とか)があり、
大変興味深かったのだが、タンロンの衝撃が大きく、霞んでしまった。
それにしても、有意義だった。
ハノイどうもありがとう。
後輩もどうもありがとう。
また、是非行きたいものだ。
おやじギャグからはじまるこのブログ。
だって、スタートが二日酔いだったのですもの。
頭がガンガンする中での出発だったのですもの。
ベトナム二日目。
朝7時半にハノイのホテルを出発。
目指すは、世界自然遺産「ハロン湾」。
風光明媚で世界中から人々が訪れるベトナム屈指の観光スポット。
そこに行かない手はない。
だけど、遠い。
ハノイから車で片道4時間。
途中、こういった旅行ではありがちなトイレ休憩兼土産物屋によりながら。
でも、この土産物屋でいろんなもの買っちゃったけど。
さて、ハロン湾。
名前ハロンの由来は、「下龍」。
現代中国語だと「xia long」(シアロン)と発音するが、
ベトナムには古い時代の中国音が残っていてそのため「ハロン」となっているらしい。
なんか龍が降りてきて、いろいろやったという伝説が残っている場所(ちょーいい加減な説明)。
*詳細はこちら。
とにかく、めっぽう美しい場所。
そんな場所へ我々一行約10名は、船を一台チャーターし、湾内へいざ出発!
海上には我々と同様の船があちらこちらにあり、
まさに海賊船が次々と出発しているかのような様相。
すると、そういった海賊船とは趣の異なる船が近づいてきた。
乗組員はわずか4名。
大人二人と子供二人。
一人の子供は舳先に立っている。
手には、バナナを抱え込んで。
その船が我々の船に近づいてきた。
我々の船と平行になり、わずかのところまでくると、
舳先に立っていた少女が我々の船に飛び乗ってきた。
手には、バナナを抱え込んで。
そう、彼らによる車内販売ならぬ海上販売。
彼らはそうやって生計を立てているようだ。
中国同様、その4人が本当の家族かどうかは甚だ疑わしいが。
結局、1ドルでバナナ一房を買った。
彼女はやや不満げな顔をしながら、また元の船に飛び移って帰って行った。
さて、この船。
中に厨房がついている。
そうなのです。
船の中で食事ができるのです。
出航前にたくさんの食材と、
たくさんのビール・コーラ等を積み込んでいる姿は確認していたが、
さらにわれわれは取れたての魚を求め、
海上に浮かぶ、水上生活者が経営する「いけす」へと向かった。
いやあ、いろんな魚がいるよ。
見たこともなく、「これ食えるんかい?」っていうのもいるし、
カニだけをとっても、なんだか数種類のものがいた。
我々は、名前がよくわからない魚を一匹買い求め、
それを、船内でさばいて刺身にしてもらうことにした。
もうこうなってくると景色なんてどうでもいい。
船内では新鮮な魚をメインにした酒盛りが盛大に始まった。
そのころには、二日酔いもすっかり醒め、
朝食抜きであった私は腹もぺこぺこで、
次々と出てくる食事をバクバクと食べていた。
もちろん、ビールとワインをお供にして。
その後、ほろ酔い気分の一行は、酔い覚ましも兼ね、
ある島に上陸して、そこで鍾乳洞を見学した。
まあ、立派な鍾乳洞で、そんな場所がそこかしこにあるらしい。
その島にも観光客がたくさんいたが、
その中に、韓国ドラマにも出ていたことがあるというベトナムの女優がいた。
とはいえ、韓国ドラマをほとんど見ない私にはさっぱりわからなかったが。
島見学を終え、我々は出港地へ戻った。
かなり長い間船に乗っていた感じがする。
でも、覚えているのは景色ではなく、食事なんだけど。
*おやじギャグのわからなかった人は、ここから推測。
だって、スタートが二日酔いだったのですもの。
頭がガンガンする中での出発だったのですもの。
ベトナム二日目。
朝7時半にハノイのホテルを出発。
目指すは、世界自然遺産「ハロン湾」。
風光明媚で世界中から人々が訪れるベトナム屈指の観光スポット。
そこに行かない手はない。
だけど、遠い。
ハノイから車で片道4時間。
途中、こういった旅行ではありがちなトイレ休憩兼土産物屋によりながら。
でも、この土産物屋でいろんなもの買っちゃったけど。
さて、ハロン湾。
名前ハロンの由来は、「下龍」。
現代中国語だと「xia long」(シアロン)と発音するが、
ベトナムには古い時代の中国音が残っていてそのため「ハロン」となっているらしい。
なんか龍が降りてきて、いろいろやったという伝説が残っている場所(ちょーいい加減な説明)。
*詳細はこちら。
とにかく、めっぽう美しい場所。
そんな場所へ我々一行約10名は、船を一台チャーターし、湾内へいざ出発!
海上には我々と同様の船があちらこちらにあり、
まさに海賊船が次々と出発しているかのような様相。
すると、そういった海賊船とは趣の異なる船が近づいてきた。
乗組員はわずか4名。
大人二人と子供二人。
一人の子供は舳先に立っている。
手には、バナナを抱え込んで。
その船が我々の船に近づいてきた。
我々の船と平行になり、わずかのところまでくると、
舳先に立っていた少女が我々の船に飛び乗ってきた。
手には、バナナを抱え込んで。
そう、彼らによる車内販売ならぬ海上販売。
彼らはそうやって生計を立てているようだ。
中国同様、その4人が本当の家族かどうかは甚だ疑わしいが。
結局、1ドルでバナナ一房を買った。
彼女はやや不満げな顔をしながら、また元の船に飛び移って帰って行った。
さて、この船。
中に厨房がついている。
そうなのです。
船の中で食事ができるのです。
出航前にたくさんの食材と、
たくさんのビール・コーラ等を積み込んでいる姿は確認していたが、
さらにわれわれは取れたての魚を求め、
海上に浮かぶ、水上生活者が経営する「いけす」へと向かった。
いやあ、いろんな魚がいるよ。
見たこともなく、「これ食えるんかい?」っていうのもいるし、
カニだけをとっても、なんだか数種類のものがいた。
我々は、名前がよくわからない魚を一匹買い求め、
それを、船内でさばいて刺身にしてもらうことにした。
もうこうなってくると景色なんてどうでもいい。
船内では新鮮な魚をメインにした酒盛りが盛大に始まった。
そのころには、二日酔いもすっかり醒め、
朝食抜きであった私は腹もぺこぺこで、
次々と出てくる食事をバクバクと食べていた。
もちろん、ビールとワインをお供にして。
その後、ほろ酔い気分の一行は、酔い覚ましも兼ね、
ある島に上陸して、そこで鍾乳洞を見学した。
まあ、立派な鍾乳洞で、そんな場所がそこかしこにあるらしい。
その島にも観光客がたくさんいたが、
その中に、韓国ドラマにも出ていたことがあるというベトナムの女優がいた。
とはいえ、韓国ドラマをほとんど見ない私にはさっぱりわからなかったが。
島見学を終え、我々は出港地へ戻った。
かなり長い間船に乗っていた感じがする。
でも、覚えているのは景色ではなく、食事なんだけど。
*おやじギャグのわからなかった人は、ここから推測。
ベトナムといえば、これ。
というわけで、ベトナムに行ってきた。
もちろん、初。
成田から約5時間半でハノイに到着。
時差は2時間。
さほど気になる時差ではない。
空港からホテルまで移動し、
ホアビンホテル(和平飯店)にチェックイン。
フロントの人がアオザイを着ており、早くもベトナム感満載。
チェックインとともに、両替(単位はドン)も済ませた。
なかなかいいレートで両替できた。
それは、円高ということもあったが、
ベトナムにいる間大変お世話になった方が、
フロントの女性に思いっきりプレッシャーをかけて、レートをよくしてくれたからだ。
そんなことができるもんなんだねえ。
その後、荷物を片付けてからみんなで夕食に出た。
紹介してもらったホテル近くのレストランで食事をしたが、
いやあ、うまいうまい。
いやがおうにも翌日からのベトナム探査への期待が高まる。
レストランでは、食事だけではなく、
女性たちがベトナムの民族楽器を使って演奏をしていた。
弦楽器ばかりの3人編成であったが、なかなか妙なる響き。
そして、われわれが日本人であることを知ってか、
突然、「北国の春」を演奏し始めた。
なんともはやの、サービスである。
BBGM(ベトナムBGM)を聞きながら、
様々な味を楽しみ、数種のお酒も楽しんだ。
しかし、飲み過ぎた。
調子に乗りすぎた。
なんといっても、ベトナムは旧フランス領。
なので、フランスワインが安く、そしておいしい。
気がついたら、赤・白とりまぜて、結構飲んでいたようだ。
さらに、ホテルに戻ってからも、
成田空港で買ってきたスコッチを私の部屋で飲んでいた。
ここで一つ弁明しておくと、
私はそれほど酒が強いわけではなく、
飲まなくてはやっていけないような酒好きでもない。
自宅ではほとんど飲まないくらいだ。
なのに、なぜこれほどまでに飲んだのかというと、
成田空港でスコッチ代金を払い、
さらに飛行機出発までのわずかな時間にビールを飲み、
ベトナムのレストランで注文を一手に引き受けていたMさんがいたからだ。
これまで私はMさんに多大なる恩恵を受けてきた。
ある夏の日には、Mさんに浅草でごちそうになったこともある。
2時間で4件の店を回るという超ハード飲みスケジュールだったが。
そんなMさんの意向を無碍にできるはずがない。
以後、毎晩、食後は私の部屋で酒盛りとなっていったのだった・・・・・。
そして、案の定、翌日は二日酔いに。
一度早めに起きたものの、すぐに二度寝。
朝食を食べられなかった・・・・。
さて、どうなることやら。
というわけで、ベトナムに行ってきた。
もちろん、初。
成田から約5時間半でハノイに到着。
時差は2時間。
さほど気になる時差ではない。
空港からホテルまで移動し、
ホアビンホテル(和平飯店)にチェックイン。
フロントの人がアオザイを着ており、早くもベトナム感満載。
チェックインとともに、両替(単位はドン)も済ませた。
なかなかいいレートで両替できた。
それは、円高ということもあったが、
ベトナムにいる間大変お世話になった方が、
フロントの女性に思いっきりプレッシャーをかけて、レートをよくしてくれたからだ。
そんなことができるもんなんだねえ。
その後、荷物を片付けてからみんなで夕食に出た。
紹介してもらったホテル近くのレストランで食事をしたが、
いやあ、うまいうまい。
いやがおうにも翌日からのベトナム探査への期待が高まる。
レストランでは、食事だけではなく、
女性たちがベトナムの民族楽器を使って演奏をしていた。
弦楽器ばかりの3人編成であったが、なかなか妙なる響き。
そして、われわれが日本人であることを知ってか、
突然、「北国の春」を演奏し始めた。
なんともはやの、サービスである。
BBGM(ベトナムBGM)を聞きながら、
様々な味を楽しみ、数種のお酒も楽しんだ。
しかし、飲み過ぎた。
調子に乗りすぎた。
なんといっても、ベトナムは旧フランス領。
なので、フランスワインが安く、そしておいしい。
気がついたら、赤・白とりまぜて、結構飲んでいたようだ。
さらに、ホテルに戻ってからも、
成田空港で買ってきたスコッチを私の部屋で飲んでいた。
ここで一つ弁明しておくと、
私はそれほど酒が強いわけではなく、
飲まなくてはやっていけないような酒好きでもない。
自宅ではほとんど飲まないくらいだ。
なのに、なぜこれほどまでに飲んだのかというと、
成田空港でスコッチ代金を払い、
さらに飛行機出発までのわずかな時間にビールを飲み、
ベトナムのレストランで注文を一手に引き受けていたMさんがいたからだ。
これまで私はMさんに多大なる恩恵を受けてきた。
ある夏の日には、Mさんに浅草でごちそうになったこともある。
2時間で4件の店を回るという超ハード飲みスケジュールだったが。
そんなMさんの意向を無碍にできるはずがない。
以後、毎晩、食後は私の部屋で酒盛りとなっていったのだった・・・・・。
そして、案の定、翌日は二日酔いに。
一度早めに起きたものの、すぐに二度寝。
朝食を食べられなかった・・・・。
さて、どうなることやら。
不思議なものである。
こうして、ブログを更新しないでいる日々が続いているのに、
なぜか、常時、このブログを覗いている人たちがいる。
みんな何を期待しているのであろうか。
年度末だというのに、どれほど暇なのであろうか。
覗いてくれている人たちには悪いが、
みな、暇人ばかりに違いない。
社会性の著しく欠如した暇人ばかりに違いない。
ところで、
巷では「つぶやき」が流行っているらしい。
この間、新宿の天ぷら屋さんで
土方風の装束を纏ったお仲間に、
「つぶやき」とは何なのか、を教えてもらった。
いたってアナログな私であるが、
お仲間の説明はわかりやすく、
わかったつもりではある。
でも、超無精な私にとっては、
なんだかめんどくさそうなので、
とりあえずは「つぶやかない」。
と、ブログでちょっと、つぶやいてみた。
こうして、ブログを更新しないでいる日々が続いているのに、
なぜか、常時、このブログを覗いている人たちがいる。
みんな何を期待しているのであろうか。
年度末だというのに、どれほど暇なのであろうか。
覗いてくれている人たちには悪いが、
みな、暇人ばかりに違いない。
社会性の著しく欠如した暇人ばかりに違いない。
ところで、
巷では「つぶやき」が流行っているらしい。
この間、新宿の天ぷら屋さんで
土方風の装束を纏ったお仲間に、
「つぶやき」とは何なのか、を教えてもらった。
いたってアナログな私であるが、
お仲間の説明はわかりやすく、
わかったつもりではある。
でも、超無精な私にとっては、
なんだかめんどくさそうなので、
とりあえずは「つぶやかない」。
と、ブログでちょっと、つぶやいてみた。
まったく更新していないのに、
覗いてくださる方がたくさんいるようで、
感謝しております。
現在、大変忙しく、
更新している余裕がございません。
余裕ができ、
かつ、更新する気になったら、します。
申し訳ないですが、そんな状況です。
とりあえず、報告まで。
覗いてくださる方がたくさんいるようで、
感謝しております。
現在、大変忙しく、
更新している余裕がございません。
余裕ができ、
かつ、更新する気になったら、します。
申し訳ないですが、そんな状況です。
とりあえず、報告まで。