2011年10月28日午後、友が死んだ。
享年43歳。
膵臓癌だった。
その日、職場にいると別の友人Nから電話があった。
「今、目の前で○が死んでいるよ。。。。」
Nが病院に見舞いに行った時にはすでに息をしていなかった。
私は、急いで病院に駆けつけようとしたが、すでに友は見送られており、そこにはいなかった。
友の病気が発覚したのは、7月末。
以前から腰が痛いと言っており、針治療などを行っていた。
彼は体重が重く、そのために腰痛になったのだと思っており、
まさか癌だとは彼をはじめ誰も疑っていなかった。
癌が発覚してからも、彼は治癒する気満々だった。
私もNもそれを信じた。
いや、信じようとした。
しかし、病魔の進行は予想以上に早かった。
9月の末に会ったときには、少し歩くと息が上がってしゃがみ込むようになっていた。
恐らくこのときには癌はすでに肺に転移していたのであろう。
彼と会食したのは、それが最後となってしまった。
それから約1ヶ月。
彼は逝ってしまった。
我々を残して、さっさと逝ってしまった。
死ぬ前最後の日曜日に、Nとお見舞いに行ったときが最後の面会となった。
3人で話ができてよかった、と心から思う。
と同時に、もっともっと話がしたかった、と更に強く思う。
彼との思い出は、数限りなくある。
何かあったときには必ず彼がいた。
初めて中国に行ったとき、一緒に行ったのは彼だった。
私が女性関係で悩んでいるときも、彼が話を聞いてくれた。
帰るのがめんどくさくて、彼の家で下らない話ばかりをして、飲み明かしたことも数知れず。
どんなときも、彼がいた。
今年の春先には天気がいいのに暇だからという理由で彼に電話すると、
「何じゃそれ」といいながらも、笑いながら気軽に応じてくれて、
目黒川沿いをビールを片手に二人で花見をした。
あるゴルフ選手の発言を取り上げ、「我々も今年の獲得賞金を全額寄付しよう!」と宣言したのもそのときだった。
ま、二人とも獲得賞金はゼロだったが。
来年から、桜を見るのがつらい。
彼の分まで生きなくてはとも思うが、
彼は彼の分を全うして生きたのならば、
それはそれで余計なお世話であって、
私は私の分を精一杯全うして生きるべきなのだろう。
それが、彼の分を生きることになるのかもしれない、と思う。
だけど、つらい。
今はまだつらくてつらくてたまらない。
私は彼に甘えて生きてきた。
彼がいない世界をこれから生き続けなくてはならないことが、嫌で嫌でたまらない。
葬儀も終わった。
骨も拾わせてもらった。
何か、あっけない。
でも、どこかにぽっかり穴が空いている。
ふいにその穴に、寂しさが侵入してくる。
スーパーで巻物の前を通りかかり、不意に涙がこみ上げてくる。
彼は、死ぬ前のメールで「カッパ巻き」が食べたいと言っていた。
缶コーヒーを飲むたびに、苦い思いをするかもしれない。
彼は、死ぬ前のメールでお見舞いの時に缶コーヒーを持ってきて欲しいと言っていた。
こんなことがこれからきっと頻繁に起こるんだろう。
そのたびに私は独り立ち止まり、涙ぐむのだろう。
だけど、それは悲しくはない。
いや、悲しいが悲しくはない。
それだけ、私たちが一緒にいられたという記憶なのだから。
Nは、彼のことを思い出すことが供養になると言った。
私もそう思う。
私たちは、きっと彼のことを忘れない。
忘れられるはずがない。
だから、精一杯生き続けなくてはならない。
彼のためにも精一杯日常を送らなくてはならない。
だけど今は、
今だけは、悲しみとともにいることを許して欲しい。
享年43歳。
膵臓癌だった。
その日、職場にいると別の友人Nから電話があった。
「今、目の前で○が死んでいるよ。。。。」
Nが病院に見舞いに行った時にはすでに息をしていなかった。
私は、急いで病院に駆けつけようとしたが、すでに友は見送られており、そこにはいなかった。
友の病気が発覚したのは、7月末。
以前から腰が痛いと言っており、針治療などを行っていた。
彼は体重が重く、そのために腰痛になったのだと思っており、
まさか癌だとは彼をはじめ誰も疑っていなかった。
癌が発覚してからも、彼は治癒する気満々だった。
私もNもそれを信じた。
いや、信じようとした。
しかし、病魔の進行は予想以上に早かった。
9月の末に会ったときには、少し歩くと息が上がってしゃがみ込むようになっていた。
恐らくこのときには癌はすでに肺に転移していたのであろう。
彼と会食したのは、それが最後となってしまった。
それから約1ヶ月。
彼は逝ってしまった。
我々を残して、さっさと逝ってしまった。
死ぬ前最後の日曜日に、Nとお見舞いに行ったときが最後の面会となった。
3人で話ができてよかった、と心から思う。
と同時に、もっともっと話がしたかった、と更に強く思う。
彼との思い出は、数限りなくある。
何かあったときには必ず彼がいた。
初めて中国に行ったとき、一緒に行ったのは彼だった。
私が女性関係で悩んでいるときも、彼が話を聞いてくれた。
帰るのがめんどくさくて、彼の家で下らない話ばかりをして、飲み明かしたことも数知れず。
どんなときも、彼がいた。
今年の春先には天気がいいのに暇だからという理由で彼に電話すると、
「何じゃそれ」といいながらも、笑いながら気軽に応じてくれて、
目黒川沿いをビールを片手に二人で花見をした。
あるゴルフ選手の発言を取り上げ、「我々も今年の獲得賞金を全額寄付しよう!」と宣言したのもそのときだった。
ま、二人とも獲得賞金はゼロだったが。
来年から、桜を見るのがつらい。
彼の分まで生きなくてはとも思うが、
彼は彼の分を全うして生きたのならば、
それはそれで余計なお世話であって、
私は私の分を精一杯全うして生きるべきなのだろう。
それが、彼の分を生きることになるのかもしれない、と思う。
だけど、つらい。
今はまだつらくてつらくてたまらない。
私は彼に甘えて生きてきた。
彼がいない世界をこれから生き続けなくてはならないことが、嫌で嫌でたまらない。
葬儀も終わった。
骨も拾わせてもらった。
何か、あっけない。
でも、どこかにぽっかり穴が空いている。
ふいにその穴に、寂しさが侵入してくる。
スーパーで巻物の前を通りかかり、不意に涙がこみ上げてくる。
彼は、死ぬ前のメールで「カッパ巻き」が食べたいと言っていた。
缶コーヒーを飲むたびに、苦い思いをするかもしれない。
彼は、死ぬ前のメールでお見舞いの時に缶コーヒーを持ってきて欲しいと言っていた。
こんなことがこれからきっと頻繁に起こるんだろう。
そのたびに私は独り立ち止まり、涙ぐむのだろう。
だけど、それは悲しくはない。
いや、悲しいが悲しくはない。
それだけ、私たちが一緒にいられたという記憶なのだから。
Nは、彼のことを思い出すことが供養になると言った。
私もそう思う。
私たちは、きっと彼のことを忘れない。
忘れられるはずがない。
だから、精一杯生き続けなくてはならない。
彼のためにも精一杯日常を送らなくてはならない。
だけど今は、
今だけは、悲しみとともにいることを許して欲しい。