蛇口が取れた

4年半の杭州生活を終え、ついに帰国。現在、中国人化後遺症に悩まされ、好評リハビリ中。

不安定な空の下

2008-08-31 15:16:18 | 杭州・杭州周辺
杭州での生活を再開しました。
昨日、杭州へ戻ってきました。
日本では様々な人たちにお世話になり、改めてお礼申し上げます。

帰国の度に会って一緒に飲んだくれる人、
「親バカ」っぷりを存分に発揮している人、
久しぶりにお会いした人、
初めてお会いした人、
などなど、様々な出会いがあり、感謝しております。

どうやら疲れていたようで、
成田へ向かう電車の中、
飛行機の中で爆睡し、
杭州に着いてからも荷物をほどいた後、すかさず昼寝をし、
さらには、あんだけ寝たのに、夜もぐっすりという有様。
どんだけ寝れば気が済むんだ、ってぐらいで、我ながらビックリ。

ついに4年目に突入した杭州生活。
のんべんだらりと無理せず生きていこうと、改めて思ったのでした。
皆様、今後とも宜しくお願いいたします。


*写真は、新宿・有楽町などにある行列のできるドーナッツ屋さんのドーナッツ。まあまあおいしかったですよ。ふんわりしていて。

御礼申し上げます

2008-08-26 13:44:07 | 歴史・文学
様々な方からご論考等を頂戴いたしました。
以下に紹介し、お礼に代えさせて頂きたいと思います。


高松寿夫氏から、同『上代和歌史の研究』、新典社、2007年
木本好信氏から、同『万葉時代の人びとと政争』(おうふう、2008年)、
北條勝貴氏から、上智大学文学部史学科編『歴史家の散歩道』(氏の「〈積善藤家〉の歴史叙述-『周易』をめぐる中臣鎌足/藤原仲麻呂-」を含む;上智大学出版、2008年)、同「歴史学をめぐるサブ・カルチャーの現状」(『歴史評論』701、2008年)、
竹林舎様から、仁平道明編『王朝文学と東アジアの宮廷文学』(竹林舎、2008年)、
遠藤慶太氏から、同著『平安勅撰史書研究』2刷り(皇學館大学出版部、2008年)、皇學館大學史料編纂所報『史料』200~214(211号に氏の「聖武太上天皇の御葬-法師天皇と黄金の観世音菩薩-」が所収。2005~2008年)、小倉慈司「遠藤慶太著『平安勅撰史書研究』」(『市大日本史』11、2008年)、「祢布ケ森遺跡第41次調査 出土木簡(抄)」(2008年)、


近藤一成氏から、同「鄞県知事王安石と明州士人社会」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』53-4、2008年)
葛継勇氏から、同「鑑真東渡前的弘法活動与法進的出家受戒」(『揚州大学学報』11-4、2007年)、同「20世紀以来的鑑真研究及今後的構想」(『仏学研究』16、2007年)、同「鑑真弟子法進的出身考論」(『信陽師範学院学報』27-6、2007年)、同「『漢人』、『韓人』与『唐人』-日本古典文献中的「唐人」用語探析-」(『外語研究』107、2008年)、同「『続日本紀・鑑真卒伝』考釈-兼与『唐大和上東征伝』比較」(『図書館雑誌』27-203、2008年)
佐藤真人氏から、同「神仏隔離の要因をめぐる考察」(『宗教研究』353、2007年)、同「『延暦寺護国縁起』の考察-成立事情および記家との関係を中心に-」(『季刊日本思想史』64、2003年)、
三橋正氏から、同「平安時代の古記録と『小右記』長元四年条」(『明星大学研究紀要-日本文化学部-言語文化学科』16、2008年)、同「日本的信仰構造の成立と陰陽道」(鈴木靖民編『古代日本の異文化交流』、勉誠出版、2008年)、同「蔵王権現と黄不動-日本の山岳宗教における神の出現-」(明星大学日本文化学部編『言語と芸術』、2007年)、
矢羽野隆男氏から、同「黄遵憲『日本国志』の宗教観-清末外交官の見た神国-」(『東方宗教』109、2007年)、
後藤昭雄氏から、同「坤元録屏風詩をめぐって」(『成城国文学』24、2008年)、同「早稲田大学図書館蔵『小野僧正祈雨之間賀雨贈答詩』をめぐって」(『成城文芸』201、2007年)、
河野貴美子氏から、同「『河海抄』の『源氏物語』注-和漢の先蹤計ふるに勝ふべからず」(小林保治監修『中世文学の回廊』、勉誠出版、2008年)、同「渤海詩と平安時代の宮廷文学」(仁平道明編『王朝文学と東アジアの宮廷文学』、竹林舎、2008年)、
中村璋八氏から、インタビュー「文学博士・中村璋八氏を訪ねて」(『たいまつ通信』37、2008年)、
中島楽章氏から、同「封倭と通貢-一五九四年の寧波開貢問題をめぐって-」(『東洋史研究』66-2、2007年)、
榎本渉氏から、同「『板渡の墨蹟』から見た日宋交流」(『東京大学日本史学研究室紀要』12、2008年)
榊佳子氏から、同「古代における天皇大葬管掌司について」(『国立歴史民俗博物館研究報告』141、2008年)、
新川登亀男氏から、同「遣唐使と文物の移入」(古橋信孝編『万葉集を読む』、吉川弘文館、2008年)、
角南聡一郎氏から、同「瓦鍾馗の研究-研究史と現代-」(『志学台考古』8、2008年)
をそれぞれご恵与頂きました。

ありがとうございました。

昭和は遠くなりにけり

2008-08-18 23:47:07 | 日本・東京
うちには犬が一匹いる。
黒いラブラドルレトリバー。
もう結構いい加減いい年。
なのに、散歩は相変わらず大好きだったりする。
「散歩」という単語に敏感に反応したりする。

ボクはもっぱら夕方の散歩担当。
朝は起きられるはずがないから。

コースは何パターンかある。
今日は、雲行きが怪しかったので線路越えをしないコースを選択。

近くの川沿いをぶらぶら、
くんくんしながらゆったりと散歩。

母校の小学校を前を通った。
ふと、校門の上を見ると、
横断幕がかかっていた。
そこには、

「祝!80周年」

と書いてあった。

衝撃。
もう80周年なのか、わが母校。
ボクが在校していたときに50周年だったはず。
校庭に並んで航空写真をとり、それが下敷きになっていたはず。
あれから30年も経ったのかあ。

そりゃ、ペット検査もするわけだ。

へたれ王子

2008-08-16 13:34:24 | 日本・東京
男たるもの、か弱い姫を勇敢に守らなくてはならない。

古今東西の童話は、そう子供たちに語りかけている。
ピュアな心を持った男の子たちはそれを信じて大人になっていく。

しかし、誰も彼もがそんなお伽話ライフを送れるはずもなく、
多くの男どもは、途中で、いや場合によっては初っ端から挫けてしまう。
しかもそれどころか、
「白馬の王子」の到来を待ちわびる乙女たちを鼻でせせら笑うという、
初志は何処のまことに救いがたい行動をとる存在になっていく。

これが世の定めとはいえ、
この情けなくもやるせない感じは、
「ギャフン」と並び、日常生活では決して口にしない台詞「トホホ」と思わず言ってしまいたくなるほどである。
言わないけど。


それはさておき。

日本に帰ってきて私は検査に行った。
中国生活もあっという間に3年がすぎなんとしている。
こりゃひとまず身体全体を隅々まで調べないといかん、
という気持ちが方々から沸き起こってきた。

で、今回はペット検査なるものを受けた。
にしても、なにゆえ身体検査は寵愛動物風味なんだろうか。
ペット検査だの、人間ドックだの。
うなぎいぬでもあるまいし。

話はそれたが、ペット検査だ。
これは人間ドックよりもはるかに楽ちん。
わずか3時間くらいですべての検査が終了する。
バリウムも飲まなくてもいいし、
検査開始5時間前まで食事もオッケー。
水とお茶ならば、検査直前まで飲んでもかまわないという優れもの。

しかし、私は検査に慣れていない。
痩せまくっているくせに体は意外と丈夫。
中国での3年間、一度も病院に行くことなく無事に過ごせた。
日本でも大病を患うこともなく、大怪我もせず、病院のお世話になることは少ない。
これは丈夫な体に生んでくれた親に感謝すべきであろう。

しかし、検査慣れをしていないのも明らかな事実。
余裕をかましながらもちょっとドキドキしていた。
すでにその時点で、へたれ感が漂っていた。

特に苦手なのが、血液検査。
心にやましさがあるからではない。
血を抜かれると、ふにゃーとなってしまうのだ。
血を抜かれると、文字通り血の気が引いて、立てなくなってしまう。

すでにこれを2度経験している。
なので、あらかじめ先生に、「ふにゃーとなるんです」とやんわり、
しかし、いささかの威厳をもって伝えておいた。
すると、「じゃあ、そのまま移動できるように車つきのイスにしましょう」と、
すでにへたれ対策は万全であったよう。

それでも、実力どおりのへたれぶりを発揮していた私は安心できず、
針を入れ血を抜き、さらに別の薬を体内に注入している間、
決して針の場所は見ずに、極力別のことを考えようと努力していた。
それでも、ふにゃーとなりかけると、
「姫助けて、姫助けて」と勇敢さのかけらもない騎士さながらの必死さをキープ。

さらに初体験のMRIでも。
わずか10分程度の時間拘束され、耳をふさがれるだけ。
しかし、このわずかな拘束も拘束慣れしていない私には気持ちが悪い。
普段はえらそうにしている私も、自分の自由が利かなくなった途端、
それまでの余裕は消えうせ、挙動不審者同様の落ち着きのなさを獲得してしまう。

始まるときには、心拍数はえらいことに。
心象風景はM.N.シャラマンの映画のよう。
外から見たら、単に静かに拘束されているおっさんなんだけど。
何度、ギブアップしそうになったか。
そのたびに心の中の小人たちが「姫ヘルプミー!」の大合唱。


そんなこんなで、検査は終了。
へたれ王子は姫を救出するどころか姫に助けられるという体たらく。
へたれ王子は姫なしでは生きていけないことを確認するという物語に。

やはり、古今東西の童話は嘘つきだ。


*写真は韓国の寺院、通度寺。

かんじをつかってくれたらたすかるのですが

2008-08-13 21:55:05 | 日本・中国以外
初手から完全アウェーであった。

上海発釜山行きの大韓航空機。
案の定、客は韓国人が大半の状況。
しかしながら、それでも上海発。
まだまだ中国語支配圏のはずだ。

機内の放送を聞いてびっくりした。
機内アナウンスは韓国語と英語のみ。

韓国語は「イッポヨ」と「サランヘヨ」のみを習得して入国を目論んでいた私。
正直言って「カムサムニダ」と「アンニョンハシムニカ」の違いも微妙なままに。
はやいはなしが、韓国語はまったくもって読めず話せず歌えず踊れず。

ならば、英語はどうか。
英語はすでに闇の彼方。
悪夢探偵ですら探しだせない状況。
中国語を一つ覚えると英語を一つ忘却するという、
いたってシンプルな作りの私の脳内言語記憶装置。

機内は中途半端に寒かった。
毛布をもらおうとおもった私は客室乗務員に声を掛けようと思った。
そこで、はたと思った。

「毛布は英語で何だっけ?」

中国語ではなんとか思い出す。
日本語でもとうぜん思い出す。
しかし、英語が出てこない。
枕はあっさりと思い出したのに、毛布が出てこない。

まごうことなきバカである。
我ながらあっぱれなバカである。
休み休みいってもバカである。
かくもの名将野村克也監督ですら再生を諦めるくらいのバカである。


そんなお馬鹿さんが韓国進入。
それにしても街中はハングルばかり。
一体何のお店なのかさっぱりわからない。
時には漢字や日本語が見受けられるが、
基本的にはハングルハングルである。

何故、漢字を使わないのだあ、と叫びたくなる。
それとともに韓国語ができない悔しさも滲み出てくる。
英語もできなきゃ、韓国語もできない。

ああ、なんだかなあ、と強く感じた韓国初体験であった。


*写真は釜山の繁華街西面。

断定力

2008-08-09 12:46:14 | 上海
断定すること。
それは、自信がなくてはできない。
しかも、かなり強固な自信が必要。

上海浦東空港でのこと。
上海浦東空港はさすが大都市国際空港だけあり、でかい。
つまり、おみやげ屋さんも多数存在する。
杭州の田舎国際空港とは比べものにならない。

やや早めに通関し、時間も少し残っていたから、ぷらっと覗いてみた。
すると向こうから店員が一人スススと寄ってきた。
一人でゆっくりと見ていたい私は何気なく距離を置いてみた。

しかし、彼女は諦めず話しかけてきた。
いきなり日本語で。

確かに中国人から見れば明らかに日本人かもしれない。
最近中国人っぽくなってきているとはいえ、わかるかもしれない。
だけど、韓国人という可能性もありはしないのか?
もしかしたら中国人という可能性はありはしないのか?
万が一にも米国人という可能性はありはしないのかい?

しかし、彼女は迷わなかった。
一点の迷いもなく日本語限定で話しかけてきた。
あっぱれな自信っぷりである。
思わずほれぼれするくらいの自信満々ぶりである。

ああ、プロだなあ。
ただたんに何にも考えてないだけかもしれないけど。


*写真は釜山の博物館の庭にあった塔。統一新羅時代のもの。

上海に蛍は棲まない

2008-08-01 00:36:11 | 上海
明日、韓国へ向けて出発するため、
現在、上海浦東空港付近のホテルに投宿中。

杭州からバスに乗り空港まで。
3時間半はかかるのではないか、と言われたが、
結局は3時間で到着。

それにしても、空いてたなバス。
なんと、ボクを含め2名。
おかげで、冷房が寒かった。
ま、大半は睡眠時間だったからいいけど。

6時頃ホテルに到着し、すぐに食事へ。
ホテル近辺は何もないので、ホテルのレストランで。

そのとき、お茶を出されたのだが、
これが信じられないくらい不味い。
恐らく水道水を沸騰させたのだろうが、飲めたもんじゃない。
杭州では水道水を沸騰させれば、飲むことはできるが、
上海はまずもって無理だ。
シャワーを浴びても水が臭い。

上海生活には憧れるが、
この水問題だけはどうにもならないだろう。
一体、みんなこんなんで我慢しているんだろうか?