蛇口が取れた

4年半の杭州生活を終え、ついに帰国。現在、中国人化後遺症に悩まされ、好評リハビリ中。

お詫びと訂正

2007-08-31 23:59:59 | 歴史・文学
他に書くところがないので、ここに書かせて頂きます。

先日、手前味噌ながら紹介させて頂きましたが、
大正時代の名著、齋藤励『王朝時代の陰陽道』が名著刊行会より再版されました。
再版にあたり、私が僭越ながら解説を書かせて頂いたのですが、
既にお気づきの方もいらっしゃると思いますが、
この中に、根本的なミスがあることが発覚いたしました。

P197に鳥羽藩(現三重県)が鳥羽伏見の戦いの主戦場になったという記述がございますが、両者は全くの無関係です。
なぜ、このような記述をしたのか、執筆当時の状況を思い出せないのではっきりとはわかりませんが、ともかく、恥ずかしい限りの単純な思い違いによるものです。
穴があったら入りたい・・・・・。

この点、読者の皆様にはお詫びすると同時に、訂正いたしたいと思います。
なお、以上の他は、鳥羽藩に関しては三重県の鳥羽藩についての記述ですので、ご安心(?)下さい。

ここは佐賀県かっ。

2007-08-30 01:07:02 | 中国・その他地域
S・A・G・A さがぁ~♪
S・A・G・A さがぁ~♪

いえ、ここは確かに無錫

南京を離れ、一人無錫へ。
南京からバスで約2時間の所。

夕方に無錫に着き、翌日の杭州行き切符を購入後、街を探索。
最近の中国の街は、どこも段々と似通ってきている感じがする。
それなりに高級店が軒を連ね、ピザハットやスターバックスなどが建ち並ぶ。

無錫でもそれは例外ではない。
でも、ちょっと風変わり。

無錫の中心はどうやら崇安寺ショッピングアーケード街。
名前から分かるように、崇安寺というお寺を中心に街が形成されている。
だから、マクドナルドやケンタッキーなどと並んで伽藍がある。
しかも夜にはライトアップされてしまったりする。

時間的にちょうどよかったので、ここで夕食をとることにした。
ショッピングアーケード内をプラプラしていると、
見つけてしまったのです、これを。

「吉田屋」

ああ、これがそうなのか。
まさか中国で、しかも無錫で発見するとは。

迷わず、この店に決定。
もちろん、頼むは牛丼。

味はまあまあかな。
特に変わった点はなかったな。
でも、牛丼の入れ物は四角いものだったけど。
じゃあ、牛重じゃん。


ただ、実はこの日、
あまりきちんと食事を取っていなかったため、
吉田屋の牛丼だけではものたりず、
なぜか、マックでダブルチーズバーガーを食べてしまった。

お腹一杯。

数の問題ではない

2007-08-28 01:00:20 | 中国・その他地域
現在、中国ではアメリカ製映画『南京』が話題を集めている。
もちろん、内容は「南京大虐殺」について。
8月15日に封切られ、杭州地域だけでもかなりの観客が押し寄せているという。
なぜ、アメリカが作ったんだ、ということはさておき。

そんな中、南京に行ったのである。
過剰な反応があるかと思ったが、別にこれといって何もなかった。
過剰な心配であったようで、ひとまず安心。

かといって、この問題に触れないわけにはいかないのも事実。
なので、全ての日程が終了した後、単独行動をとった。
目指すは、「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館」。
(ちなみに中国では「大虐殺」は「大」と言います)
しかし、残念ながら現在は修復中で見ることができなかった。
何せ今年は「南京大虐殺」からちょうど70周年なもんで。

がっかりしたが、仕方がない。
目的地を変更して、中山陵へ。
名前から分かるように、革命の父・孫文さんのお墓。

タクシーを降りると、いきなり人が寄ってきた。
「100元で、説明付きでここら辺の案内をしてやるから」というもの。
明らかに怪しい。
普段なら絶対に無視する。
でも、なぜかつい乗ってしまった。
あとで考えるとこれも何かの縁だったと思う。

ガイドは運転手さん。
彼がまず「おまえはどこの人だ」というから、
「日本人だ」と正直に答えた。
「オレは日本人の客もよく乗せるぞ」なんていう。
「でも、みんな言葉が分からないけどな」と笑って言う。

今度は、
「じゃあ、お前はどこの人だ」とこちらが問いかけると、
「南京出身だ」ときた。

そこで、
「本当は南京大虐殺の記念館に行きたかったけど、修理中だった」と、話を振ってみた。
そこから、話は南京大虐殺の話に。

彼は話し始めた。
「南京大虐殺では36万人が殺された。あのときオレの一族は4人が殺された。今でも87歳になる祖母は日本人を恨んでいる。多くの南京の老人たちは日本人のことが嫌いだ。今でも南京大虐殺のあった12月13日と清明節(中国のお彼岸みたいなもの。4月にあります)には、必ず3分間の黙祷を南京市民は行う。だけど、それはお前の責任ではない。過去の話だし、若い人たちは日本人を恨んではいないから大丈夫だ。」

このとき、ボクは「ありがとう」とのみ答えた。
「一族の4人が殺された」と聞いたとき、一瞬泣きそうになった。
36万人(何を根拠としているか不明)という数字より、
4人という数の方が、実感が湧いたからかもしれない。
彼があまりにも淡々とさらっと言ったからかもしれない。

彼が本当のことを言っているかどうかはわからない。
日本人が来たときのための「物語」かもしれない。
だけど、彼が嘘を言う理由も見あたらない。
そもそも、「物語」を語っても、理解できる人は今までいなかったようだから。
「お前ほど中国語を理解している日本人は乗せたことない」と言っていたし。

見学途中、老婆が飲み物を売っていた。
彼はその老婆を指し、
「あの人は日本人が嫌いだ」と言った。
その後続けて、老婆に向かって「こいつは日本人だ」と言った。
再びボクに向かって「だけど大丈夫。きちんと話してあるから」と言った。
彼が一体何を目的としていたのかはわからないけど、
ボクはその老婆に軽く会釈する以外の行動は思いつかなかった。

よく日本人は謝罪すべきだという。
もちろん、まずは謝罪すべきだとは思う。
だけど、このとき、ボクには「謝罪」という選択肢はなかった。
(霊場や記念館に行ったら、心の中で「謝罪」はしたかもしれないが)
目の前にいる運転手や老婆に対して、謝罪をする意味がないと思った。
運転手に対して「ありがとう」という感謝の言葉を述べるのが最良だと思った。

恐らく、単なる日本からの観光客として来ていたら、こうは感じなかったかもしれない。
中国に住んでいて、日本を距離を持って眺めていたからそう思ったのかもしれない。
でも、それも定かかどうかよくわからない。

実は、ボクはまだ映画『南京』は見ていない。
見る必要があるかもしれない。
それも、他の中国人に混じって映画館で。


*写真の奥の橋みたいのが「中山門」。
ここから日本軍が南京に入城してきたらしい。
よく写真で見るあの門がここなんだってさ。

電子辞書の正しい使い方講座

2007-08-27 12:40:19 | 中国・その他地域
さて、揚州からの帰りのバスの中、
ボクはなぜかちっとも眠くなく、
隣の日本人とくっちゃべっていた。
そのとき、ひょんな事から電子辞書の正しい使い方を発見。

電子辞書には中日・日中などのほかに、
一般的には百科事典なんかがついている。
ボクのには「マイペディア」がついている。
そして、これには用語説明のあとに「関連項目」というのがある。
ジャンプ機能を使えば、調べたい用語と関連する項目も調べられるという優れもの。

で、これがめっぽう面白い。
例えば、「ワークショップ」で引くと、関連項目は「シェパード」とくる。
そこで、「シェパード」にジャンプすると、関連項目は「アルトマン」。
「アルトマン」の関連項目は、「ローレン」。
「ローレン」には関連項目が無く、ここで打ち止め。
「ワークショップ」から3手で「ローレン」にたどり着くことになる。
(ちなみに、シェパードはアメリカの劇作家・演出家でワークショップ式の演出を考案した人で、アルトマンは、映画監督のロバートアルトマン。先日、お亡くなりになりましたね、残念ながら。ローレンはイタリアの女優さん。)

暇なので、これでしばらく遊んでいた。
しかし、なかなか上手くいかない。
なかなか続かないもんだったりする。

しかし、ついに、すごいことに。
「毛沢東」から始まり、日本を経由して、ついにアメリカ上陸。
打ち止め用語は、「WASP」。
「毛沢東」から「WASP」ですよ。
想像もつかない展開で、大笑いの大満足。
ちなみに、最短で6手でたどり着きます。
興味のある人は、試してみて。


*写真は南京博物院に展示されていた春秋の越国のもの。なんか「エルマーと龍」みたいでしょ。鳳凰なんだけど、ホントは。

不思議なものを見つけてしまった

2007-08-26 01:03:38 | 中国・その他地域
南京からみんなで仲良く揚州へ日帰り旅行。
南京からバスで約2時間ってところかな。

揚州と言えば、日本にもゆかりの深い土地。
特に、盲目になりながら日本にやってきた鑑真さんとの関係が深い。
というわけで、まずは鑑真も身を寄せていた大明寺から見学。
ここには今、鑑真記念堂なんてものもあって、外見は全くもって唐招提寺講堂。
ただし、ここはそれほど感動はしなかったのも事実。
ふ~ん、って感じだった。

続いて、天山漢墓博物館へ。
ここには前漢中期の地宮が目玉。
非常に興味深かったけど、展示品が模刻品が多く、しかも暗かったのが残念。
木簡なんかもあったし、「如律令」の文字もみられただけに。

そして、揚州唐城遺跡博物館へ移動。
さすがに唐代のものが盛りだくさんで、面白いことは面白かった。
でもね、石碑なんかも雨ざらしで文字がほとんど見えなくなってきていたりする。
そうそう、ここは新羅の崔致遠ゆかりの場所。
現在、記念館を建造中なので、興味のある方はどうぞ。

昼食は、揚州の名店、富春茶社
なかなかおいしかったです。
にしても、量多すぎ。
もういい加減お腹一杯と思った頃に、
まんじゅうが二種類に野菜に魚がでてきたりして。

昼食後は、新しくできた揚州双博館
名称の由来は、印刷博物館と博物館新館の二つがつながっているから。
ちょっと街の中心地からは離れた場所にあるため、あまり期待はしていなかった。

ところがどっこい。(久しぶりに使った、このフレーズ)
なかなかどうして。(あ、これも久しぶりだ)
良品揃い。
個人的には呉王夫差が使用していたという銅剣(本物)に大興奮。
あの、「臥薪嘗胆」という用語に関係する人です。
それ以外にも実際にその場で版木を作成していたり、
紙漉を行っていたり、
金字写経を行っていたりと、
見所が盛りだくさん。

目一杯、見学しまくったわけです。
帰りのバスの中は、みなさんお疲れモードで静か~でした。


*写真の謎の物体は、揚州唐城遺跡博物館の中の崔致遠記念館建造中の横に放置されていたもの。
一緒にいた日本人と検討した結果、これの口の中に子供が入って、「おきあがりこぼし」みたいにゆらゆらと揺らして遊ぶ遊具である、という結論に。
でも、なんでこんなところにあるのかは、全くもって不明。

ついマネをしてしまう、悪い癖。

2007-08-25 00:47:05 | 中国・その他地域
南京の夜。
伝統芸能を堪能。
世界文化遺産にも指定されている昆曲を観覧。

中国の伝統芸能というとまず京劇が思い浮かぶけど、それ以外にも多々ある。
杭州地域では越劇というものが有名。
そして、南京で行った昆曲もそう。
パンフによると、
昆曲は元末明初の江蘇省昆山地区が発祥であるという。

この日は都合4曲を観覧。
通常は3曲らしいのだが、特別に4曲も演じてくれた。

演目は
『雅観楼』『西廂記・佳期』『幽閨記・踏傘』『雷峰塔・断橋』。
それぞれ、国家一級演員だの、優秀青年演員だのといった肩書きを持った役者が歌い舞い演じる。
中には、昆曲新生代なんていう肩書きもあった。

でも、この日の目玉は、
最後の曲で登場した胡錦芳さんなんでしょうね。
(写真の真ん中にいる白い人)
この方、国家一級演員であるばかりでなく、
なんと、「文華賞」「梅花賞」の受賞者なんです。

といっても、今一つピンと来ないけど。
でも、中国人に聞いたらとても有名な演劇賞だそうで。

さすがというか、贔屓目というか、
やはり素晴らしかったんじゃないかと思いますよ。
美しかったし、表情も豊かだったし。

何だか、濃密な2時間強。
最後は舞台に上がらせてもらって記念撮影大会まで。

なかなか、伝統芸能もいいですな。
でも、つい、まねしちゃうんだよね、あの独特の声を。

隙を見つけすぎ

2007-08-24 00:57:15 | 中国・その他地域
先日、所用で南京に。
杭州から電車で揺られること約5時間半。
電車の中は相変わらず子供たちの大運動会。
相変わらず、チケットと一致しない席に座る羽目になるし。
もう、慣れまくったけど。

さて、南京では一応所用があるので、
外出は難しいのだけれども、
それはそれ。

隙を見つけて、南京市内観光へ。

まずは、夫子廟(孔子廟)。
ここは南京市内でも有数の観光スポット。
船なんかにも乗れて、全くの観光スポット。

ボクはとりあえず、夫子廟見学。
う~ん、あれで25元は高くないか。
廟内は工事中だったし。

そういえば、別の時、
今中国では孔子廟は全く流行っていないという話になった。
その理由が至極納得できるものだった。
事実かどうかは定かではないけど。
それは、「孔子は結局貧乏だったから!!」というもの。
うん、確かに納得できる。
商売の神様、関帝廟は大流行だし。
全ての価値観はお金だからね、この社会主義国家は。

それよりも、見物だったのは、
夫子廟の近くにあった江南貢院
ここは何と実際に科挙を行っていた場所。
写真が科挙の試験場。
しきりがあり、その小さな一つ一つの部屋にある板が机。
ここで、みな試験を受けていたんですね。
もう、耐えられなさそう。
気が狂いそうな気がする。
昔の人はすごいよ、やっぱり。

その他、隙を見つけて見に行ったのは、
中華門(夜間はライトアップされている)・
南京博物院(すごくいいものがたくさんあります)・
南京大学(歴史を感じさせる大学ですね)といったところ。

結構、隙を見つけたな。


*なお、これからしばらく旅日記になるので、よろしく。

できちゃった

2007-08-23 08:42:56 | 中国・その他地域
南京市内で見かけた至る所のゴミ箱についていた広告。

こんな国です、中国は。
一人っ子政策の歪みなのでしょうか。


テレビでも年末などになると、病院のCMを見ます。
内容はこんな感じ。

「今なら通常価格の3割引」

腕も3割引じゃなければいいのですが・・・・・。

おとなりさん、喧嘩中

2007-08-16 15:21:35 | 杭州・杭州周辺
ボクの住んでいる団地は中国人ばかり。
当然、おとなりさんも中国人。
おとなりさんは女性一人で暮らしている。

で、この人、
一見、かわいいのですが、どうも性格に難があるみたい。
しょっちゅう、大声で喧嘩している。
しかも、業者らしき人たちと。

今もなんだか業者ともめている。
何かを修理してもらっているらしいのだが、もめている。
原因はお金のよう。
「20元」を払うか払わないかでもめている。
業者は「20元」じゃやらないといい、
おとなりさんは、こんな簡単なのは「20元」で十分だという。

先日も団地の管理費を払うか払わないかでもめていた。
ボクは当然だけどあっさりと管理費をおばちゃんに払ったのに。
なんで、そんなものを払わないですまそうとするんだろう。

中国の女性は怖い。

豊作でした。

2007-08-13 00:18:16 | 歴史・文学
感謝です。
今回の日本滞在で本当に色々な方から抜刷等を頂戴致しました。
ここで紹介させて頂いて、感謝に変えさせて頂きます。

武田時昌氏からは、麥谷邦夫編『中国中世社会と宗教』(氏の「中世の数学と術数学」を含む。道気社、2002年)、
新川登亀男氏からは、『週刊仏教新発見 1 法隆寺』(氏の「仏教に求めた王家一族の結束」「虚実入り交じった知られざる太子の原像」を含む。朝日新聞社、2007年)、
金容天氏からは、金・崔賢華編『天地瑞祥志』(2007年)、
河野貴美子氏からは、倉石武四郎講義ノート整理刊行会編『本邦における支那学の発達』(汲古書院、2007年)、「奈良・平安期における漢籍受容の一考察」(『国文学研究』151、2007年)、「鬼之董狐」(早稲田大学比較文学研究室『比較文学年誌』43、2007年)、

虎尾俊哉氏からは、「三代式と神祇史研究」(『皇學館大學神道研究所紀要』16、2000年)、
坂出祥伸氏からは、「中国古典、特に思想を学ぶための工具書・入門書(試稿本)」(『種智院大学研究紀要』7、2006年)、
小倉慈司氏からは、「東山御文庫本『斎王記』について」(義江彰夫編『古代中世の史料と文学』、吉川弘文館、2005年)、「「高松宮家伝来禁裏本」の来歴とその資料価値」(国立歴史民俗博物館編『和歌と貴族の世界 うたのちから』、塙書房、2007年)、
斎藤融氏からは、「舒明即位前紀小考」(『史聚』39/40合併号、2007年)、斎藤・吉村稔子「三千院蔵宮中御懺法講絵巻について」(『神田外語大学紀要』19、2007年)
浜田久美子氏からは、『日本社会史研究』71(氏の「図書館員が見た『大宰府古代史年表』」を含む。2007年)、
菊地照夫氏からは、菊地・山岡邦章「島根県内玉作遺跡より出土する紅簾石片岩製内磨砥石の石材産出地の検討」(島根県古代文化センター『古代文化研究』15、2007年)、
大川原竜一氏からは、「大化以前の国造制の構造とその本質」(『歴史学研究』829、2007年)、
有富純也氏からは、「摂関期の地方支配理念と天皇」(『歴史学研究』825、2007年)、
廣瀬憲雄氏からは、「倭国・日本の隋使・唐使に対する外交儀礼」(『ヒストリア』197、2005年)、「書儀と外交文書」(『続日本紀研究』360、2006年)、「日本の対新羅・渤海名分関係の検討」(『史学雑誌』116-3、2007年)、「古代東アジア地域の外交秩序と書状」(『歴史評論』686、2007年)、「古代倭国・日本の外交儀礼と服属思想」(『歴史学研究』824、2007年)

をそれぞれ頂きました。
ありがとうございました。


また、ちょっと宣伝です。
齋藤勵著『王朝時代の陰陽道』が名著刊行会より再刊されました。
定価は2800円です。
ちょっと「解説」を書かせてもらいましたので、もしよろしかったら手にとって下さい。