詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

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自民党憲法改正草案再読(38)

2021-11-14 11:21:10 |  自民党改憲草案再読

自民党憲法改正草案再読(38)

(改正草案)
第九章 緊急事態
第98条(緊急事態の宣言)
1 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
4 第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。

 重複するが、もう一度引用しておく。きのうは茂木の発言に引っ張られすぎた。
 「緊急事態条項」のいちばんの問題点は、「主語」が「内閣総理大臣」であることだ。主語、テーマの視点からこれまで読んできた憲法を振り返ってみる。
 「前文」は、現行憲法は「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」と始まる。「国民」が主語。そして、国というのは「国会(国民の代表者)」を通して動くという「テーマ」が語られる。「テーマ」を遂行するよりどころが「憲法」である。改正草案は「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち」と「日本国」がテーマ。国民は「脇役」になっている。
 「第一章 天皇」は、現行憲法も改正草案も「天皇は」で始まる。これは「主語」というよりも「テーマ」である。
 「第三章 国民の権利及び義務」は現行憲法「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」、改正草案「日本国民の要件は、法律で定める」。このときの「日本国民(たる要件)」は「テーマ」である。「主語」にみえるが、「主語」であることを明確にするために、「テーマ」を掲げる。「テーマ」を隠すために、改正草案は「これを」を削除している。
 「第四章 国会」は、現行憲法、改正草案とも表記に一部違いはあるが「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」。ここでも「国会」が「テーマ」でるあることを明示している。
 「第五章 内閣」は、現行憲法が「行政権は、内閣に属する」、改憲草案が「行政権は、この憲法に特別の定めのある場合を除き、内閣に属する」。書き方は違うが「行政権=内閣(内閣=行政権)」と「内閣」を定義している。「主語」ではなく、ここでも「内閣」は「テーマ」である。
 「第六章 司法」は、表記が一部違うが現行憲法、改正草案とも「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」である。ここでも「司法権」とはどういうものか定義される。この定義によって「司法」が「テーマ」であることが明確になる。
 「第七章 財政」は現行憲法、改正草案とも「国の財政を処理する権限は」とはじまる。これも「テーマ」が何であるかをしめしている。
 「第八章 地方自治」は、現行憲法が「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて」ではじまる。改憲草案は「地方自治体は、基礎地方自治体及びこれを包括する広域地方自治体とすることを基本とし」とはじまる。やりは「地方自治」が「テーマ」であることが提示される。「主語」にみえるが「テーマ」である。
 憲法は、まず、「テーマ」を掲げ、それを定義し、それから細部をつめていくという構造になっている。
 ところが「緊急事態」は違うのだ。
 「内閣総理大臣は」とはじまる。「主語」が先にくる。「緊急事態」とは何か、という「テーマ」の定義がない。これでは、この章は「内閣」の章のなかに組み込まなければならないことになる。なぜ、内閣の章に組み込まなかったのか。内閣の章に組み込めば、内閣の「独裁指向」が鮮明になりすぎるから、それを避けたということである。
 つまり。
 言いなおせば、この「緊急事態条項」というのは「内閣独裁」を推進するためにつくられた特別のものなのだ。
 「内閣」は何をするのか。「緊急事態」とは何なのか。

内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは

 「認めるときは」の主語は「内閣」である。「内閣が必要と認めるときは」である。

法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる

 「法律の定めるところにより」と断り書きがあるが、「閣議にかけて、緊急事態の宣言を発する」の「主語」は「内閣」である。
 つまり「内閣」が独断で、今起きていることは緊急事態であると認め(判断し)、閣議にかけて緊急事態と「宣言する」。「内閣」という「主語」で貫かれた条項なのである。
 「安倍昭恵は私人である」とか、なんとかかんとか(忘れてしまった)の意味はこれこれであるというどうでもいいことが(安倍昭恵はどうでもいい問題ではないかもしれないが)、「閣議決定」されている。いずれも安倍の「発言」が問題になったときである。そのレベルで「緊急事態」であるかどうかが判断され、閣議で宣言されるのである。つまり、内閣総理大臣の思いのままに、「緊急事態」が発令されるということである。
 安倍昭恵問題もそうだが、すでに戦争法制定のとき、国会周辺に押し寄せたデモを取り締まるために地下鉄の出入り口まで操作するということが起きている。「緊急事態」ということばはつかわれていないが、それは安倍の私的に「緊急事態」を宣言し、それに警察、機動隊が同調したということだろう。
 こういうことがあったあとで、2項で、「国会」を持ち出してきても、「国会」は主語でもなんでもない。お飾りである。
 2項は、よくみると、奇妙な文体である。

緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない

 最初にあらわれた(そして3項でもあらわれる)「内閣総理大臣は」という「主語」が隠され「緊急事態(の宣言)」という「テーマ」が冒頭にあらわれる。この文章は、内閣総理大臣を「主語」にすると、どうなるか。

内閣総理大臣は、法律の定めるところにより、緊急事態の宣言について、事前又は事後に国会の承認を得なければならない

 である。こう書いてしまうと、やはり内閣総理大臣の独断が目立ってしまうので、それを隠すために「緊急事態の宣言は」と書き始めているのだ。
 こういう「文体の罠」にもっと私たちは注意しないといけない。
 新型コロナのようなことが起きたとき、「緊急事態宣言」が必要なのかどうかということと同時に、それを定めたことばがどのように書かれているか、その「文体」にまで踏み込んで、そのことばの狙いをつかみ取らないといけない。
 2項で消えたはずの「内閣総理大臣」が3項で復活してきている。「内閣総理大臣は」「閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない」と内閣総理大臣の独断に拘束をかけているようにみえるが、先日書いたように、「百日」の運用次第で、どうとでもなる。
 4項は、国会を登場させることで、内閣総理大臣の「独断」を解消しようとしている。4項によって、内閣総理大臣の「独断」が否定されるわけではない。

 

 


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