詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

やまもとあつこ『つきにうたって』

2019-07-06 21:44:31 | 詩集
やまもとあつこ『つきにうたって』(空とぶキリン社、2109年06月01日発行)

 やまもとあつこ『つきにうたって』は認知症の母との交流を描いている。以前、ある作品の感想を書いたことがあるが、感想は書かずにただ全行を紹介すればいいのかもしれない。
 「お花見」という作品。

母の車椅子をおして
お花見に行く

満開の桜を見上げながら
「ここに アッコが 来てたらなあ
 なんて言うやろなあ」
と 母

「あつこ ここにいてるよ
 ずっと 後ろにおるやん」
と わたし

そう言ったあとで
気づいた

母が言ったのは「あつこ」ではなく「アッコ」
小さい頃わたしは「アッコ」と呼ばれていた

風が

吹いてきた

「ここに アッコが 来てたらなあ」

かあちゃんの声



アッコに届いたよ

花びらと

いっしょに

 「かあちゃんの声//今//アッコに届いたよ」のぼつん、ほつんと書かれた三行が好きだ。
 「アッコ」と呼ぶ声が「あつこ」を「アッコ」に生まれ変わらせる。母は「アッコ」と呼んだ時代を生きていて、「あつこ」はその時代をいまに呼び戻す。二人の時間が、新しく重なり合う。いっしょに生きる。
 「いっしょに」ということばが、最終行に宝物のように書かれている。




*

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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(48)

2019-07-06 15:49:01 | 嵯峨信之/動詞
* (未完のぼくを慰めよ)

未完のぼくを慰めよ
きみたちは集まつて広い余白になつてくれ

 「ぼく」は嵯峨であると仮定できる。だが「きみたち」は誰か。「きみたち」も嵯峨であろう。
 「未完のぼく」とは「未完のことば」、まだ「ことば」になりきれていない「ぼくのことば」と読む。「きみたち」は「未完のことば以前のぼくのことば」。「ことば」になるための運動がはじまっていない無意識の「領域」。しかし、いったん「未完のことば」が「完成」を目指して動くとき、それをささえることばがつぎつぎにうれまてくる領域。
 「未完のことば」は「余白」というよりも「空白」を必要としている。「未完のことば」がどこまでも自由に広がっていける「空間」が必要だ。「未完のことば」が自由に動き「ことば」として生まれるためには、何も書かれていない「空白/余白」が必要だ。













*

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