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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(92)

2019-03-21 08:03:37 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
92 シドンの若者たち(紀元四〇〇年)

 俳優が「アイキュロスが自分のために書いておいたとされる墓碑銘(池澤の註釈)」を朗唱する。すると、

文学に熱をあげている一人の元気な若者が
さっと立ちあがって大声で言った、

《その四行詩はぼくは好きではない。
その表現にはどこか気のぬけたところがある。
あえて言えば、自分の仕事に力のすべてを投入し
関心をすべて集中すべきなのだ。そして苦しい時にも
非力に思われる時にも、仕事を忘れてはいけない。

 この詩の構造は複雑だ。
 カヴァフィスは若者にアイキュロスの墓碑銘を批判させている。そしてそれはアイキュロスを評価するが故である。アイキュロスが自分で書いた墓碑銘は、彼の悲劇に劣る。好きではない。カヴァフィスの代弁なのだろう。
 自分の意見を誰に主張させるというのは、特に複雑な構造とは言えないかもしれないが、その主張が批判するための主張ではなく、むしろ他に評価するものがあると主張するためというところが複雑である。
 なぜ、こんな面倒くさいことをしたのだろうか。
 「複雑さ」を詩だとカヴァフィスが考えているということだろう。
 これは逆に言えば、「単純」に書かれているように見える詩も、奥には複雑な構造があるということだ。
 この詩でもタイトルは「若者たち」なのに、本文の中は「一人の元気な若者」である。なぜタイトルは複数なのか。同じような批判をするひとが複数いたからこそアイキュロスは古典として生き残った、引き継がれてきた、と言える。しかし、そういうことは、言わなくてもわかる。カヴァフィスは、そのひとりに、いま、なりたいと言っているのだ。紀元四〇〇年ではなく、現在、同じ批判をしたいと言っているのだ。
 それは、アイキュロスの墓碑銘批判というよりも、「若者」を支持するためのものであり、アイキュロスの悲劇賞賛なのである。

 池澤はの註釈は、こう書いている。

文学至上主義というほどのことではないが、あれらの傑作が無視されるのはやはりおかしな話で、たしかにこの墓碑銘は妙に力んでいるわりに気が抜けている。





カヴァフィス全詩
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池澤夏樹のカヴァフィス(91)

2019-03-20 09:09:39 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
91 まことみまかられしや

フィロストラトスの著述にかかる
「ティアナのアポロニオス伝」を読んだ後、
みすぼらしい家の中でこう夢想したのは
数少ない異教徒の一人、
残ったほんの数人のうちの一人。しかも(この地味な
気の弱い男)、公式にはキリスト教徒で、
教会にもきちんと通うのだ。

 「こう夢想した」の「こう」の内容は、引用から省略した詩の前半部分。
 ひとはなぜ夢想するか。
 あるいは逆に考えるべきか。
 なぜ、夢想だけを書いて終わりにできないのか。
 カヴァフィスは「夢想する人間」を描写している。夢想するとき、ひとは「いまある自分」と「夢想」に分裂するが、この詩のなかでその夢想するひとは「自分を偽装している」。「偽装された自分」と「偽装する自分」に分裂する。
 キリスト教徒を装う、異教徒。
 この不思議な分裂は、さらにつづく。

ユスティヌス帝の信仰篤い統治が
その極に達し、アレクサンドリアという
神の都がみじめな偶像崇拝者を
忌み嫌っていた時代のことである。

 夢想するひとはカヴァフィスではない。カヴァフヘスは夢想するひとを想像して書いている。虚構でしか語れない自己を書いているとも言える。そして、そういう人間を書くのは、人間を書くためというよりも、理想のアレクサンドリア、アレクサンドリアの理想を描くためだ。
 詩の最後が、そう語っている。

 池澤は、こう註釈している。

 ティアナのアポロニオスにはイエス・キリストと共通する面が多い。これは偶然ではなく、キリスト教の隆盛に対して意識的にアポロニオスを立てた人々がいたからで、彼の伝記は反福音書として読まれた。この詩がユスティヌスの時代に設定されているのは重要な伏線である。
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池澤夏樹のカヴァフィス(90)

2019-03-19 08:50:05 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
90 デーメートリオス・ソーテール(前一六二~一五〇)

ああ、シリアへ行きさえすれば!
彼はあまり幼くして国を離れたので
国のさまはおぼろげにしか憶えていない。
けれども彼の思いの中では祖国はいつも
神聖にして、畏敬の念をもって近づくところ、
とりわけ美しい場所、ギリシャの町と
ギリシャの港の光景のように、映っていた--

 ギリシャの町、港を直接「美しい光景」として描くのではなく、主人公の「想像」として描いている。「美しい光景」ではなく、美しい光景を「想像する」という精神の動きに焦点があたっている。
 実際の光景ではなく、想像する精神。そこにカヴァフィスは、自分自身を重ねているのだろう。
 カヴァフィスはいつでも「対象」ではなく、対象を思い出す(想像する)精神の美しさを書いている。それは「想像する力」を描くということになる。
 「ギリシャ」を繰り返すことで、想像力を駆り立てている。そこに切なさというか、切実さを感じる。

 池澤の註釈。

カヴァフィスは一つのもくろみが結局は失敗に帰した場合をくりかえし扱っている。本質的なところで敗者への共感のようなものがある。

 好みの問題だが、私は「敗者への共感」というものは「理性的(論理的)すぎる」と思う。「抒情的すぎる」と思う。
 私は、センチメンタルよりも、ロマンチックなものが好きだ。「理性/論理」でことばを整えるよりも、美しいものを美しいという理由だけでつかみとる視線が好きだ。美しものなど思い出している場合ではないのに、美しいものを思い出す、という理不尽な精神の動きの方を信じる。
 思うに、感情を「理性/論理」で整えるのは、精神の衰弱である。無軌道に突き進んで言って、たどり着いてみれば「荒々しい道(強い道)」が後ろに残っていた、という感じが好きだなあ。


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池澤夏樹のカヴァフィス(89)

2019-03-18 00:00:00 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
89 船の上で

もちろんこれも彼に似ている、
この鉛筆で描いた小さな肖像も。

 とはじまる詩の三連目。

似ている。けれども記憶にある彼はもっと美しい。
病的と見えるまでに繊細で、
それが彼の表情をエロティックなものにした。
今わたしの魂が、時の奥から、呼びおこす
その姿はこれよりずっと美しい。

 こう書くとき「病的と見える」のは実際のそのときの彼の姿なのか、「わたしの魂が、時の奥から、呼びおこ」したものなのか。
 「記憶にある彼はもっと美しい」が「わたしの魂が、時の奥から、呼びおこす/その姿はこれよりずっと美しい」と言いなおされるとき、ことばの重心は「彼」よりも「記憶」である。「記憶」が「彼」を美しくしている。「記憶」は「彼」を変形させている。
 実際に「病的に見える」のかもしれないが、「記憶」が「病的」にしたのかもしれない。「記憶」は「記憶」であるよりも、いつでも「理想」がまじっているだろう。
 そして、この詩の「病的」は「88 イメノス」の「不健康な衰弱的な快楽」ということばを思い出させる。それはこの詩では「繊細」とも言いなおされている。
 ギリシャ彫刻が健康な人間の姿をしていたのは遠い昔。九世紀にはすでに「不健康」が魅力になっていた。いま、カヴァフィスは、再びそのことを書いていると言えないだろうか。

 池澤は「肖像画」について註釈している。

写真以前の時代に肖像画は恋の小道具としてずいぶん大事な役をしていたのだろう。



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池澤夏樹のカヴァフィス(88)

2019-03-17 09:05:32 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
88 イメノス

《……不健康な衰弱的な快楽が
もっともっと求められるべきだ。
その快楽が欲するものを感じとれる肉体は少ない--
不健康で衰弱的な方法によってのみ得られる
健全とは無縁なエロスの強度がある……》

 池澤は一連目と二連目の発表された時間が違うことを根拠に、こう註釈している。

 第一聯は詩人そのひとの考えで、それをイメノスという架空の人物に託して、最もそれにふさわしい時代の背景の前に置いたということになろう。この詩的技法による主張の緩和は興味深い。これは二十世紀初頭より九世紀の方に似つかわしい官能主義なのだ。

 逆に読むこともできる。ここに書かれている官能主義は、いま(二十世紀初頭)はじまったものではなく、すでに九世紀に存在した。長い歴史を生き抜いてきた官能主義である、と強調したいのかもしれない。
 カヴァフィスはシェイクスピアのように「慣用句」を自分のものとしてつかっているのではないか、ということを以前書いたが、それを流用すれば、カヴァフィスは慣用的エロスを詩に持ち込んでいる。エロスに「異質」なものはない。あらゆるエロスが「慣用的」である、と主張していると、私は読む。

健全とは無縁なエロスの強度がある……》

 「強度」ということばが強い。「不健康」「衰弱」しているものも、「強度」に引きつけられる。「快楽」は絶対的な「強度」であり、本能はそれに打ち勝つことはできない。敗北するものだけが獲得できる愉悦がある。エロスに敗北できるものだけがエロスの「強者」である、という宣言にも読むことができる。
 だいたい「九世紀の方に似つかわしい官能主義」なら、二十世紀初頭に、わざわざ書く必要はないだろう。いま必要だからこそ、カヴァフィスは書いた。人は必要ではないものを書いたりはしない。


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池澤夏樹のカヴァフィス(87)

2019-03-16 08:39:15 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
87 ヘブライの民の

 ギリシャの官能の美にとりつかれた美貌の青年が「聖なるへブライの民の息子に戻る」ことを誓う。

まことに熱烈なる彼の宣言。《永遠にとどまらん
ヘブライの、聖なるヘブライの民の--》

しかし彼は全然とどまりはしなかった。
アレクサンドリアの快楽主義と技術の
忠実な息子で彼はあったのだ。

 池澤が訳している「技術」とはなんのことだろうか。このまま読むと「快楽の技術」という感じがするが、そういうときは「技術」かなあ。「技巧」かなあ。それとも、また別の意味なのだろうか。
 ヘブライの青年なのだが、

ヘブライの、聖なるヘブライの民の--》

 この一行の、「ヘブライ」の繰り返しは、いかにもカヴァフィスらしい感じがする。繰り返しの音、響きが官能をくすぐる。

 池澤の註釈。

誘惑と抵抗の問題はしばしばカヴァフィスの作品にあらわれるが、このような諧謔味を含む詩は珍しい。

 アレクサンドリア(ヘレニズム)の快楽主義を逃れることはできない、と指摘することが「諧謔」なのかどうか、私にはわからない。
 むしろ「誇り」と思って、私は読んだ。

 また池澤の註釈に、こういう文章がある。

 紀元五〇年という年号はクラウディウス帝の治世にアレクサンドリアで起こった反ユダヤ暴動のすぐ後を示している。

 詩のなかには「アレクサンドリア」と「ヘブライ」ということばしかない。「紀元五〇年」という「時代」の特定は、何を意味しているのだろうか。



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池澤夏樹のカヴァフィス(86)

2019-03-15 09:43:22 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
86 居を定める

衣服はなかば開いていた--暑い素晴しい七月のこと
少ししか着ていなかった。

なかば開いた衣服の
内なる肉体の喜び。
速やかに裸にされた肉体--その光景が
二十六年の歳月をへだてて
この詩の中に居を定める。

 「85 午後の太陽」では「半分」、この詩では「なかば」。同じギリシャ語なのか、違うことばなのか、中澤の訳だけではわからない。「開いていた」と「開いた」も同じことばなのか違うのか、気になる。
 この「なかば」「開いていた/開いた」が「裸にされた」へと動いていくところに自然な解放感がある。「なかば隠した」から「裸にされた」の場合は、「隠した」が技巧になってしまうだろう。
 「内なる肉体の喜び」は「衣服の内なる」を超えて「肉体の内なる」へと、意識を誘っている。ここにカヴァフィスのことばの「魔力」がある。文法の意味を超えてことばが動いていく。
 ギリシャ語の原典を読んでの感想ではないのだが。

 池澤の註釈。

 二十六年前の一夜の場景が、それ自身のもつ強烈な忘れがたい印象のゆえに、ずっと消えずに残り、この詩の中に定着される。あるものが詩にうたわれ、そのうたわれた事情がまた詩句の中で語られるというこの詩の最後の二行の型はたとえばシェイクスピアのソネット一八番にも見られる--「人間が地上にあって盲にならない間/この数行は読まれて、君に生命を与える」(吉田健一訳)。




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池澤夏樹のカヴァフィス(85)

2019-03-14 09:25:23 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
85 午後の太陽

扉のすぐ近くには長椅子があった。
その前にトルコ絨毯が敷いてあり、
すぐそばに二個の黄色い花瓶をおいた棚。
右手に、いや、逆だ、鏡のついた洋服箪笥。
真中に机があってそこでわたしの恋人はよくものを書いた。

 かつて恋人と過ごした部屋を訪れた。変わってしまったが、カヴァフィスはその細部を覚えている。思い出して、それを書いている。
 その終わりの方。

窓のわきに置いた寝台、
午後の太陽はいつもその半分を照した。

 この二行が非常におもしろい。
 なぜ「半分」を照らしたのか。半分の影は何によるものだろうか。
 「半分」は上半分(下半分)か、右半分(左半分)か。左右の半分の場合、カヴァフィスは、どちらに横たわったのか。カヴァフィスはそれを覚えているはずだ。でも、書かない。隠す。とてもエロチックだ。
 先に引用した三連目には「二個」の花瓶が出てくる。そして洋服箪笥は「右手」と書かれたあと「いや、逆だ」と言いなおされる。
 ここにすでに「半分」が用意されている。「別れ」の伏線が引かれている。「半分」を書いたあとの、最終蓮。

……午後の四時、わたしたちは別れた
ほんの一週間のつもりで……それなのに
その一週間が永遠になってしまった。

 池澤の註釈。

午後とは(略)、ギリシャでは一般にシエスタのあと、つまり四時ないし五時をさす場合が多い。ここにいう「午後の太陽」も四時の日ざしである。夏ならばまだまだ熱い時刻で、街路には人通りはない。




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池澤夏樹のカヴァフィス(84)

2019-03-13 09:49:23 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
84 隣のテーブル

見たところはやっと二十歳くらい。
だがわたしはちょうどそれだけの歳月の昔に
その同じ身体を楽しんだおぼえがある。

 と始まる詩に、池澤は、こう書く。

 二十年の歳月をへだてて昔日の恋人と同じ「身体」に出会う。主人公にはそれが同じであるという確信があり、衣服の下までが歴然と目に映じる。/しかしこれは既視感ではなく、肉体の型の分類の問題に属するのではないだろうか。論理の記憶とは異なって官能の記憶には脈絡がない。

 「論理の記憶とは異なって官能の記憶には脈絡がない」という文章に、私は考え込んでしまった。論理に記憶というものがあるのだろうか。論理というのは「記憶」のためにあるのではないか。何かを記憶するために論理をつかう。体験を(現実を)論理に整え、未来へ動かしていくために記憶がつかわれる。記憶しなくていいものは論理を必要としない。
 官能の記憶には脈絡がない、というのもよくわからない。官能には「いま」があるだけで、記憶というものはない。そのつど生まれてくるもの、けっして自分の好みを間違えることがない(記憶に頼って行動する必要がない)ものではないだろうか。
 「肉体の型」の問題ではなく、「肉体の動き」の問題だろう。「型」は変わるが、「動き」の根本は変らない。一度泳いだ人間は何歳になっても泳げる。一度自転車に乗った人間は長い間乗っていなくても乗れる。
 カヴァフィスは三連目で、こう書いている。

それがどこだったか思い出さなければ--この記憶の欠落に意味はない。

 「それがどこだったか思い出さなければ」とは言ってみただけのこと。思い出せなくても関係がない。「思い出」に意味はない。肉体(官能)は一度体験したことは忘れない。
 一連目に「その同じ身体を楽しんだおぼえがある。」とあるが、「おぼえがある」とは、いま官能が反応して動いているということだろう。官能は「いま」を生きている。だから、「それがどこだったか」というのは、どうでもいいことだ。官能には「いま/ここ」しかない。
 「ここ」は「隣のテーブル」だ。
 だから「既視感」ではなくて、「いま」「ここ」で、カヴァフィスの「官能」はセックスをしているのだ。



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松川穂波『水平線はここにある』

2019-03-12 12:43:37 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
松川穂波『水平線はここにある』(思潮社、2018年09月25日発行)

 松川穂波『水平線はここにある』の「禁漁区」。

きのうの空は雲が多すぎた
鳥は空を脱ぎながら飛ぶんだ
飛べない鳥はどうするんだ
それは鳥に聞いてくれ

 リズムが心地よい。詩は、リズムだと思う。

なんでテニスのラケットなんか持ってるんだ
これで鳥をつかまえる
バカ おまえがつかまるぞ
羽毛一枚残して 突然消える
はは 魔術だな
なけなしの主題です

 「バカ」から「魔術だな」までは、つまらない。リズムしかないからだ。そうしてみると、詩はむずかしい。リズムがいちばんだけれど、それだけではことばはおもしろくない。
 「なけなしの主題です」は「鳥は空を脱ぎながら飛ぶんだ」へかえっていく。
 この転換は好きなんだけれど。

おまえが見たのは鳥ではないな
鳥さ あれが鳥なんだ 何もかも鳥さ 鳥なんてどこにもいないのさ

 で、これが「主題」だと私は「誤読」する。
 「魔術」が詩を壊しているな、と感じる。「魔術」と言い出したら、ことばは必要なくなる。

 「岩場で」は二つの詩で構成されている。そのうちの「海」。

潮だまりは置き去りにされた小さな海だ
底にはささやかな海藻を育て
風が吹くと律儀にさざ波をたてる
海のまぎわに暮らしながら
海の帰る日を待つ
海へ帰る日を拒む

 最後の二行の対構造が詩をくすぐる。矛盾が、その矛盾の瞬間、疑問にかわり、それが詩になるのだろう。
 三行目の「律儀」は松川の「人柄」をあらわしたことばかもしれない。

 「陸橋悲歌」には「藤安和子さんの思い出」という副題がついている。

階段をのぼっておりて
ただちに忘れ去るのが
陸橋の作法というもの
それはどこか日々の言葉に似ているが
時としてわたしは振り返る
あのささやかな高み
あなたとお別れした陸橋を

 「陸橋の作法」は、いいことばだな、と思う。

また逢ってください
もちろんよ

 こんなふうに会話を思い出すのところに、「作法の律儀」さを感じる。




*

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池澤夏樹のカヴァフィス(83)

2019-03-12 10:52:45 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
83 その家の外

昨日、町はずれの一郭を歩いていて
一軒の家の前を通りすぎた。
そこは若かった頃に何度も通ったところ。

 池澤は、こう書いている。

 触発型の追憶の例だが、ここに描かれた現象は追憶よりもはるかにダイナミックな目くるめくものである。

 書き出しではなく、二連目、三連目の「内容」について、そう言っているのだと思うが、私がこの詩で注目するのは、何よりも「昨日」である。「今日」ではない。もちろん「昨日」が「昨晩」であったために、日付がかわってしまったので「昨日」になったということもあるだろうが、たぶん、そうではない。
 この詩では、追憶を追憶した、ということが書かれている。いまはやりのことばで言えば「メタ化」されている。「メタ化」しないではいられない、そのおさえきれない感情。それが「昨日」という書き出しにあらわれている。
 二連目にも

そして昨日、
その古い道を通りすぎようとした時、

 と繰り返される。
 そして三連目。

その場に立って門を見ていると、
立ち去りかねてその家の外に立っていると、
わたしの全存在は身の内にしまってあった
快楽の感動に輝きわたった。

 池澤の言う「ダイナミック」が最後の二行に結晶している。しかし、私はやはりその二行よりも、

立ち去りかねてその家の外に立っていると、

 「立つ」ということばが重複する(ギリシャ語でも同じかどうかは知らない)部分に、「昨日」に似た感情の動きを感じ、「肉体」をつかまれてしまう。




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池澤夏樹のカヴァフィス(82)

2019-03-11 10:07:14 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
82 九時以来--

十二時半だ。時のたつのははやい。
九時にランプの火をともして以来、
ずっとここに坐っていた。坐ったまま何も読まず、
何も話さなかった。この家の中でたった一人、
話そうにも相手はいない。

 こう始まった詩の最終蓮。

十二時半だ、時のたつののはやいこと。
十二時半だ、月日のたつののはやいこと。

 九時から十二時半。時がたつのははやい、というのはわかる。しかし、「月日のたつのはやいこと」ということばと結びつくとき、驚く。「月日」と比べるのは「月日」だ。九時からずっと、カヴァフィスは「月日」を思い出していた。カヴァフィスの思いの中で動いていたのは「月日」だ。そのことを、最終蓮で静かに語っている。
 池澤は、

 追憶の形をとる詩篇はカヴァフィスには珍しくないが、この詩のように何に触発されるでもなく、ただじっともの思いにふけるのはあまり例がない。

 と書いているが、カヴァフィスはたいてい「きょう」のことを思うのではなく、遠い「月日」のことを思い出していないか。「月日」のなかで繰り返される「きょう」を思っているのだろう。だからこそ「歴史」も題材にする。「歴史」は「月日(年月)」のなかにある「きょう」である。思い起こすとき、すぐそばにやってくる。

 省略したが、二連目は、こう始まっている。

若かった頃のわたしの身体の幻が、
九時にランプに火をともして以来、

 カヴァフィスの身体そのものがランプになり、そのなかに火がともる、と錯覚する。官能の火、快楽の火。その火が、カヴァフィスの道を照らす。同じ道を歩く。同じ道だから、「時」が「月日」にかわり、「月日」が「歳月」にかわり、同時に「時」にかわって戻ってくるのがわかる、ということだろう。いつであっても「きょう」だ。

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池澤夏樹のカヴァフィス(81)

2019-03-10 10:22:16 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
81 アレクサンドリアの人アイミリアノス・モナエ 紀元六二八--六五五

言葉と外見とふるまいによって
立派な鎧をつくってやろう、
そうして悪い人間どもと対面しよう、
無力を恐れる必要はなくなるだろう。

奴らはわたしを傷めつけようとする、しかし
わたしに近づく者の誰とて知るまい、
わたしの傷口が、弱いところが、いずこにあるかを。
すべてが虚偽でおおわれているのだから--

 池澤の註釈。

主人公は実在の人物ではない。こう奇妙な処世方針を立てるのはやはり若い人間のすることだろう。

 二十七歳で死んだことがわかっているのだから「若い人間のすることだ」で何を言いたいのかわからない。言う必要がない。
 なぜカヴァフィスは架空の若い人間に、こういうことを言わせ、なおかつ二十七歳で死なせてしまったのか。
 そこにはカヴァフィス本人が描かれているのではないだろうか。
 「言葉と外見とふるまい」によってカヴァフィスは「傷口(弱いところ)」がどこにあるか隠してきた。二十七歳までは。しかし、その後は隠すことをやめた、ということではないだろうか。
 このとき「死んだ」はどういう意味をもつだろうか。
 「傷口」を隠していた人間が死んだのであり、「傷口」をさらけだして生きるようになったという具合に受け止めることはできないか。
 私は「伝記」というものに興味をもったことがない。カヴァフィスがいつ、何を書いたかも関心がない。しかし、この詩を読むと、二十七歳の頃、カヴァフィスは「生き方」を変えたのだろうと思いたくなる。「傷口」を「傷口」ではないと悟って生き始めたと読みたい。カヴァフィスにとっては二十七歳以前は「架空」の人間だった、と「誤読」したい。


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池澤夏樹のカヴァフィス(80)

2019-03-09 00:00:00 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
80 港に

 「香水の商売を習得しようと」としていた青年が、シリアの港に着いたとたん死んでしまった。「死の数時間前に彼はかすかな声で」

言った、「家族が」とか、「とても老いた両親が」とか。
しかし彼の両親が誰かを知る者はいなかったし、
彼の故郷が広い汎ヘレネス圏のどこかもわからない。
それでよかったのだ。なぜならば
この港にこうして彼のむくろは埋められていても
親たちはずっと彼が生きていると希望をつなげるから。

 池澤の註釈。

 不幸を知らないうちは人は不幸ではない(知らせがないのはよい知らせ)というテーマはどうしても知らぬが仏という皮肉な調子を帯びがちだが、この詩の最終行に皮肉を込めるつもりが詩人にあったか否か。

 うーん、池澤は、どう感じたのだろうか。
 私は、最終行の「予定調和」のような部分は、カヴァフィスの「ギリシャの慣用句」だと思う。
 私は

言った、「家族が」とか、「とても老いた両親が」とか。
しかし彼の両親が誰かを知る者はいなかったし、

 の対比が好きだ。「彼の両親が誰かを知る者はいなかった」は「彼の故郷が広い汎ヘレネス圏のどこかもわからない」と引き継がれていく。つまり、誰も彼のことを知らない。しかし、青年が「家族が」とか、「とても老いた両親が」とか、言ったということは聞き取れた。何も知らなくても「聞き取る」ことのできることばがある。それが「かすかな声」であっても。
 ここに人間の不思議さがある。
 ほんとうはぜんぜん違うことばを言ったかもしれない。けれど、人は「意味」を受け止めながら「声」を整え、そのうえで「聞き取る」。
 ここに詩がある。
 詩人が言っていることは、まったく別のことかもしれない。けれど、人はそのことばから「自分の意味」を「聞き取る」。


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池澤夏樹のカヴァフィス(79)

2019-03-08 14:18:47 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
79 アリストブーロス

 アリストローブスの死を嘆く詩は、二連目の途中からことばの調子が一変する。

アレクサンドラはこの惨事にただ泣き暮らしていた--
だが自分一人の時になると彼女の悲しみは一変した。
彼女は、うめき、憤怒に燃え、悪罵を並べ、咒った。
よくも妾をあざむいてくれた! よくもだましてくれた!
遂にあいつらは目的を達してしまった!
アスモナエアス家を滅ぼしてしまった。
あの悪辣な王めがよくもそこまでやったもの。

「一変」するのだけれど、激変という感じではない。感情の爆発というには、論理的すぎる感じがする。特に「遂にあいつらは目的を達してしまった!」が散文的だ。

奸智にたけたあの腐りきった悪党めが、
よくもそこまでやったもの。その暴虐の計画に
マリアムネさえもまったく気付かなかったとは。
マリアムネが気付いたら、せめて疑惑をいだいたら、
弟を救う方法をなんとかみつけたろうに。

 ここまでくると、もう最初の「一変」というのは「意味」だけになってしまう。感情が先に溢れ出て、それをことばが追いかけてくるという感じではなくなる。「音楽」を聞いているという感じが消えてしまう。

 池澤の註釈。

アレクサンドラは本来のユダヤ王家アスモナエアスの一族の出で、その娘マリアムネはヘロデの妃となり、彼に愛されてはいたが、言うなれば攘夷派に属した。アリストブーロスはそのマリアムネの弟。



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