僕が唄っているライブハウスの店長がブログで書いたもの、
「偽善者として」を転載したいと思います。
本人からの許可は取っております。
多くの人が思っていることを分かりやすく的確に書いてくれて
いるのではないでしょうか・・・。
以下。
「偽善者として」
3月11日(金)におきた東北太平洋沖大地震、
多くの人が被災された。
亡くなった方、負傷された方、
家が壊れた方、流された方、
家族を亡くされた方、行方不明の方…。
テレビで報道される映像を観るたび、
やりきれない気持ちになる。
とりあえず、私も家族も無事であった。
うちの被害は、棚から山積みされていた本やCDやらが散乱したことと、
食器が少々 割れた程度である。
ちなみに、マーキーは 全くの無傷であった。
さすがに地下は 揺れに強いらしい。
その日のライブは さすがに中止になった。
誰か一人でも来れば、出来る状態で待機していたが、
交通機関のストップで
出演者さえ到着できそうになく、
早々に中止を決定せざるを得なかった。
そして自宅に帰って、
テレビから流される壮絶な映像を前にし
言葉を無くした。
まさか、これほどの大惨事になっているとは思ってなかっただけに、
正直 怖くなった。
大変なことになってしまったと。
そして ほとんど眠れぬままに迎えた翌日。
マーキーでは、その日の出演者と話し合ったうえで、
ライブは予定通り おこなった。
来られなかった方も何名かあったが、
来場されたお客さまは、
みな 何か、救われたような表情で
会場を後にされていたのが印象的であった。
たとえば、我々のような
ライブハウスで演奏される音楽は、
今まさに苦しんでいる被災者たちには
遠く届かないだろう。
(気持ちは届くなどという、綺麗事は言えない。)
でも、今 目の前で
不安に押し潰されそうな人の気持ちを、
少しだけ 和らげることは出来る。
遠く 苦しんでいる被災者のために、
何かをしなければという想いは、みな同じだろう。
そのためには、
まず 私たちが元気を出さなければ。
家にこもって、テレビの前で涙を流してるだけじゃ
何も変わらない。
被害に遭わなかった人たちは、
とりあえず、今 自分に出来ることをやるしかないのだから。
別に10円でもいいから、
募金するだけでもいいと思う。
節電もいいだろう。
でも、消費することや、楽しむことを
必要以上に後ろめたく感じなくてもいいと思う。
私たちが皆で、喪に服したように暗く過ごしたところで、
1円にもならないのだ。
極論、消費が滞り、お金が動かなければ、
経済が、日本が破綻するのだ。
被災者を助けるどころではない。
不謹慎だと言うのなら、それでいい。
阪神大震災の時、関東は喪に服したのか?
9.11 の時は、イラク戦争の時は、
アフリカで何千人もの子供たちが 餓死している時、何をしていた?
喪に服し、楽しむことを止め、常に日々を暗く過ごしたというのか?
(では、いつ、喪は開けたのだ?)
私達は 等しく偽善者なのだ。
近くだから、日本人だから…、
同じことだ。
私達は常に、自分の生活を守りながら、出来ることをやっているのだから。
自分の全財産を投げ出し、(家も持ち物も全て売り)
全てをゼロにして差し出すことなど出来ないのだから、
私達は等しく偽善者なのだ。
ここまでは出来るけど、これ以上は出来ない、
そういった線引きをしている限り、
結局は同じことだ…。
それでいいと思う。
それしか出来ないと思う。
だから今、自分に出来ることをやろうと思う。
これなら出来ることを、
ここまでなら出来ることを。
一人の人間として、
家族を持つ者として。
歌を唄う者として、
唄う人を手伝う者として、
今 出来ることを精一杯考え、
行動しようと思う。
「偽善者として」を転載したいと思います。
本人からの許可は取っております。
多くの人が思っていることを分かりやすく的確に書いてくれて
いるのではないでしょうか・・・。
以下。
「偽善者として」
3月11日(金)におきた東北太平洋沖大地震、
多くの人が被災された。
亡くなった方、負傷された方、
家が壊れた方、流された方、
家族を亡くされた方、行方不明の方…。
テレビで報道される映像を観るたび、
やりきれない気持ちになる。
とりあえず、私も家族も無事であった。
うちの被害は、棚から山積みされていた本やCDやらが散乱したことと、
食器が少々 割れた程度である。
ちなみに、マーキーは 全くの無傷であった。
さすがに地下は 揺れに強いらしい。
その日のライブは さすがに中止になった。
誰か一人でも来れば、出来る状態で待機していたが、
交通機関のストップで
出演者さえ到着できそうになく、
早々に中止を決定せざるを得なかった。
そして自宅に帰って、
テレビから流される壮絶な映像を前にし
言葉を無くした。
まさか、これほどの大惨事になっているとは思ってなかっただけに、
正直 怖くなった。
大変なことになってしまったと。
そして ほとんど眠れぬままに迎えた翌日。
マーキーでは、その日の出演者と話し合ったうえで、
ライブは予定通り おこなった。
来られなかった方も何名かあったが、
来場されたお客さまは、
みな 何か、救われたような表情で
会場を後にされていたのが印象的であった。
たとえば、我々のような
ライブハウスで演奏される音楽は、
今まさに苦しんでいる被災者たちには
遠く届かないだろう。
(気持ちは届くなどという、綺麗事は言えない。)
でも、今 目の前で
不安に押し潰されそうな人の気持ちを、
少しだけ 和らげることは出来る。
遠く 苦しんでいる被災者のために、
何かをしなければという想いは、みな同じだろう。
そのためには、
まず 私たちが元気を出さなければ。
家にこもって、テレビの前で涙を流してるだけじゃ
何も変わらない。
被害に遭わなかった人たちは、
とりあえず、今 自分に出来ることをやるしかないのだから。
別に10円でもいいから、
募金するだけでもいいと思う。
節電もいいだろう。
でも、消費することや、楽しむことを
必要以上に後ろめたく感じなくてもいいと思う。
私たちが皆で、喪に服したように暗く過ごしたところで、
1円にもならないのだ。
極論、消費が滞り、お金が動かなければ、
経済が、日本が破綻するのだ。
被災者を助けるどころではない。
不謹慎だと言うのなら、それでいい。
阪神大震災の時、関東は喪に服したのか?
9.11 の時は、イラク戦争の時は、
アフリカで何千人もの子供たちが 餓死している時、何をしていた?
喪に服し、楽しむことを止め、常に日々を暗く過ごしたというのか?
(では、いつ、喪は開けたのだ?)
私達は 等しく偽善者なのだ。
近くだから、日本人だから…、
同じことだ。
私達は常に、自分の生活を守りながら、出来ることをやっているのだから。
自分の全財産を投げ出し、(家も持ち物も全て売り)
全てをゼロにして差し出すことなど出来ないのだから、
私達は等しく偽善者なのだ。
ここまでは出来るけど、これ以上は出来ない、
そういった線引きをしている限り、
結局は同じことだ…。
それでいいと思う。
それしか出来ないと思う。
だから今、自分に出来ることをやろうと思う。
これなら出来ることを、
ここまでなら出来ることを。
一人の人間として、
家族を持つ者として。
歌を唄う者として、
唄う人を手伝う者として、
今 出来ることを精一杯考え、
行動しようと思う。