地方で考える ●oyajiの侃々諤々

北信濃の豊かな自然と歴史に抱かれて過ごす日々・・・

ちょっと斜に構えてみれば
???と思うことも多いですね~

かくして、昨日のリサーチは終わりました

2024-07-11 | Weblog

7月11日(木)               26/21℃

 

 

菩提寺から塔婆(卒塔婆)の申し込み案内がきました

父、33回忌

母、27回忌

・・・とあります

 

 

「もうそんなに・・・」

あらためて月日の流れを感じました

今年のお盆は心して臨みます

お陰で、なんとか父の旅立ちの歳を超えました

感謝!!

 

 

 

家のことは「転んだ棒でも起こさねえ・・・」と、嘆かれた不肖な嫡男 

農業の手伝いは嫌いでした

確かに

若い頃は土日も出かけることがほとんど・・・

嘆いた親の気持ちもわかります

でも

地元に就職し

結婚し

二世代同居の家庭を築き

家も建て替え・・・

そこは親の希望に適った、それなりの「孝行」だったと思っています

 

 

「一所懸命」の時代は変わりました

わが家の子どもたちも各々の地で、それぞれ家庭を築いています

拘束するつもりはありません

すでに棄農しています

 

 

 

 

 

 

 

 jiiji・・・

何度でも訪れたいところは、奈良 

京都よりも素朴で好きです

「邪馬台国の卑弥呼」のストーリーにも魅力を感じます

 

(卑弥呼の墓ともいわれる奈良、箸墓古墳)

 

古代を語る古墳・・・

とりわけ奈良のそれには、重みが感じられます

 

《奈良・橿原市指定文化財に沼山古墳 渡来系氏族の有力者の墓》   (7月10日産経新聞)

「・・・沼山古墳から1キロ圏内には、同様のドーム状の石室や副葬品をもつ真弓鑵子塚(かんすづか)古墳(同県明日香村)や与楽古墳群(同県高取町)があり、いずれも飛鳥地域を拠点とした渡来系の東漢(やまとのあや)氏の墓とされることから、沼山古墳も同氏族との関連が指摘されている」

 

ウィキぺデイアによれば沼山古墳は

―築造時期は、古墳時代後期の6世紀中葉-後半頃と推定される。正方形に近い平面形・ドーム状天井という石室の特徴から、渡来系集団と密接な関わりが示唆される古墳として注目される。

 

参加する歴史グループでは、この夏、この地の古墳について企画展示をおこないます

ストーリーが見えてこないのが残念です

 

 

 

 

 

 

新しい店の、リサーチ 

気になっていたところを訪ねることにしました

めざしたところは、この地区にできた和食の店・・・

まだ11時を過ぎたばかりだというのに駐車場は一杯!!

あきらめて

となり地区の洋食店に切り替えました

距離的には至近です

 

 

田舎の一角にできた、プチ都会という感じです

若い客が何組か・・・

 

 

 

店の雰囲気に惹かれて、「ちょっといいかい?」 

女房殿の運転に任せて、昼からベルギービール 

いつもの飲ん兵衛jiiji です

 

 

となりになるその地区は、かつて千曲川の渡しがあった宿場町・・・

通り沿いにその面影が残っています

宿の中ほどには「大笹街道」の起点

道標は「松代道 左草津仁礼」と、分岐を示しています

 

 

宿通りで見かけたトカゲ 

ヘビよりは、かわいらしさを感じます

 

 

☟ この ”ド根性花” も・・・

 

 

歴史を示す、伊勢神宮の「御師宿跡」の表示もありました

 

 

 

 

かくして、昨日のリサーチは終わりました

jiiji は

■ 雰囲気・オシャレ感に ◎

■ 味に ○

・・・でした

 

 

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