地方で考える ●oyajiの侃々諤々

北信濃の豊かな自然と歴史に抱かれて過ごす日々・・・

ちょっと斜に構えてみれば
???と思うことも多いですね~

「・・・第二に、おかしいよ、ちょっとまて、という政治家がいなくなった。世の中、すべてが付和雷同型になっていないか。」  (後藤田正晴さん)

2024-09-08 | Weblog

9月8日(日)                  31/23℃

 

 

今回は知名度もまだ低い(?)、若い2人の講師・・・

300人位?

それでも、質問に答えるところまで含めての3時間 

フルコースで聴講した『信州岩波講座』でした

 

 

 

書籍コーナーでは、定価1300円の『信州岩波講座1999~2018』が特別価格の1000円・・・

初回から第20回までの講師と講演概要が紹介されています

購入しました

それまでの講師では

〇3回組  落合恵子寺島実郎上野千鶴子金子勝

〇2回組  大江健三郎柳田邦男澤地久枝内橋克人姜尚中高橋芳彦(前栄村長)

           (井出孫六中馬清福を除く:敬称略)

 

 急きょ病でこれなくなった、後藤田正晴さんの “メッセージ” もありました

「・・・中長期的な国の姿を描き、それへ向けて戦略をたてる。それがない。」

「・・・第二に、おかしいよ、ちょっとまて、という政治家がいなくなった。世の中、すべてが付和雷同型になっていないか。」

 

(後藤田正晴さん・・・)

 

自民党政権の要を務めた “カミソリ後藤田” ・・・

S市で、どんな講演をするか楽しみでしたが、残念!!

 

 

 

 

 

 

 

 

現役の頃のマイ・ミニコミ・・・

☟ これは《連載》「敢えて「ごみ」」の2回目の、冒頭です

 

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こうして始まった

『▢▢市職労20年史』にこんな記載があった。

―〇〇〇地区では、市有施設が一つぐらいあってもいいではないかとの機運を背景に、工場の新設あるいは住宅団地の形成などの案が検討され、昭和36年に次の条件をつけながら「清掃工場」の誘致を認め合いました。その条件は、①道路の改修②排水工事の促進③環境衛生の完備などでした。工場は37年に完成され、1日110トンの焼却能力があり、市内で収集するゴミは1日70トンだから完全焼却できるという宣伝文句でありましたーー

 

「一極集中」のはじまりはここにあったのだが、そのことは別として、『20年史』は

―実際稼動してみると焼却能力が少なく処理に四苦八苦の上公害をもたらしーー

と続いていく。

 ついには〇〇〇勤労協が立ち上がり、地区評などと連携した清掃改善闘争が始まったらしい。

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(当時の運動会仮装のパレードで、〇〇〇地区は「ゴミ問題」・・・)

 

 「ここにはくるな!!」の域を超えていました

現在は広域施設となりましたが、この地では4代目となります

一帯は住宅に変わりました

紆余曲折を経ながらも、当時の「決断」が現在をもたらしたのです

 

(建設中の広域処理施設・・・・)

 

 

 

 

マイ・ミニコミは、jiiji の人生の記録でもあります

今はリタイアの身・・・

このブログがその記録になりました

まだ湿式の、中古コピー機を買って始めたミニコミ 

 

 

便利な時代です

紙ベースに保存しておかなければ “消滅” も一気 

ブログ開設から6400日近く・・・

もう

保存できる量ではありませんね

消え去る運命です

 

 

 

 

 

 

 

 

今朝は、初めてのメンバーでちょっと散歩・・・

孫の〇〇君とbaaba の3人です

随分前から、看板が立ち続けています

「空き家」は増える一方ですね

 

 

火事で打つことは、もうありません

春、秋の祭にだけ開始を知らせます

 

 

☟ 土蔵に描かれたこの家の屋号・・・

 

 

バラの花がきれいです

 

 

コメント
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