9月14日(土) 35/24℃
冷たかったね!!
東勝寺池のわき水・・・
あのあたりはこの地で、最初に人が住んでいた場所だといわれています。
なぜ??
そんな「ニュース」をつくりました
次の授業でくばります
「なぜ?」
どんなコタエがかえってくるかな
そこが楽しみです
今期、最終・・・
ヤレヤレ
「知っている」ことの価値は、かなり低くなりましたね
漢字も
年表も
人物も
地図も
・・・あらゆることを、インターネットがカバーしてくれます
それらのものを駆使して、新たな何を創り出すか?
これから問われる人の「能力」はそこだと思います
そして
それがどんな「行」につながるか?!
講座Ⅲは「中村哲医師の遺産 ~志を継ぐために~」で、医師の村上優さんと映画監督の谷津賢二さん・・・
今日は今期最後の『信州岩波講座』です
その志にささやかながらも応えたい
アフガニスタンで、タリバンの凶弾に倒れた中村哲さん・・・
今あらためて哀悼の意を奉げます
―2010年、水があれば多くの病気と帰還難民問題を解決できるとして、福岡県朝倉市の山田堰をモデルにして建設していた、クナール川(英語版)からガンベリー(英語版)砂漠まで総延長25kmを超える用水路が完成し、約10万人の農民が暮らしていける基盤を作る。 (ウィキぺデイア)
「あのあたりはこの地で、最初に人が住んでいた場所だといわれています。」
なぜ?
その答えは「水」!!
東勝寺池のわき水・・・
生きるために水は必須です
その池の庭山に『林泉記』の石碑があります
この地にあった武士団「駒澤氏」・・・
9代の、駒澤清泉(貞称)が記しています
須坂藩の家老となって、この地を離れた清泉です
「・・・ああ、父はすでになくなり、祖父はもっとはるかに隔たってしまった。そのうえ、屋敷は、いま須坂の地に移しており、心して、林泉と東勝寺を心配している。わたくしも祖父や父の志を完成しようと思っている。後世のみんなよ。その祖父や父やわたくしの思いを忘れてはならない。 おまえたちが先祖の生き方に従って努力を怠らなければ、そのまま先祖の恵みとこの林泉とは永遠に耐えることはないということを言っておく。」 (口語訳)
背後の崖錐地から湧き出た水は人々の命と暮らしを支え、さらに下流の稲作を支えました
水のありがたさ・・・
湧水を大亀に蓄えた暮らしを知っているjiiji には、そこはよくわかります
生れ育った集落には、湧水の小さな池がいくつかありました
上水道がある暮らしになったのは僅か6、70年程前のことなのです
「おいでなして しもすわ」・・・
下諏訪町で見かけた、観光案内所の看板です
どうぞ、来てください
方言には優しさが感じられます
で
「よくおいでなした・・・」
「よく来てくんなさった・・・」
・・・もあります
来訪を労う方言ですね
まぁ
自家用車が普及していない頃は、隣りまちにいくのも大変・・・
母の実家にいった時は
◆ 駅まで1時間近く歩いて
◆ たっぷり電車待ちして
◆ 10分程電車に乗って
◆ 駅からまた3、40分歩いて・・・
「よく来たね~~」がピッタリの難行でした
9月も、もう半ばになります
まだ暑い!!
今日も予報では35℃・・・