12月20日(金) 8/0(10)℃
今日20日は「鰤(ぶり)の日」・・・
鰤は魚篇に師走の「師」と書き、20日は「ぶ(2)り(0=輪)」の語呂合せからだそうです
ブリの刺身、美味いですね~
で
あと僅かで大晦日ですが、年取り魚にはブリ圏とサケ圏があります
ここは「鮭」
女房殿の実家はブリ
jiiji はサケよりブリの方が好物ですが、値段は高い!
サケは孫のおにぎりの定番でもありますが、ブリはご馳走料理で食べるくらいです
そんなに低いんですか?!
家庭では女性の方が主導権(?)ですから、この「国」の男女格差は改善されてると思うのですが・・・
《政治の分野》が足を引っ張ってるんですね
《政治における日本の男女平等はイランより一つ上の世界144位/木村》 (12月18日Newsweek)
「・・・2006年以降、毎年発表されている「男女格差報告書」は(1)経済参加(2)教育(3)健康(4)政治参加の4つの指標を総合的に判断して世界ランキングを付けている。日本のランキングは坂道を転げ落ちるように下がっている」
その、女性の「政治参加」・・・
この「国」にも立派な、優秀な政治家はいました(います・・・)
でも
首相は勿論、閣僚にも女性が少ないのは、管理職の登用率と同じで、そのベースとしての女性数が少ないことがあるでしょうね
そんな中で、閣僚や管理職の数だけを男女同じにしようとすれば “逆平等” の問題が起こりかねない
部下だった女性に「あれよあれよと追い抜い抜かれてしまって、今じゃ部下・・・・」
終盤期の、男性陣のそんな声は聞いてきました
そこには「登用率の追い風」(!?)が吹くのかもしれません
「・・・日本の政治参加も2006年の83位から2014年に129位に転落。2016年には103位まで改善したものの、今年は144位まで下がった」
「議会」が、法的に議席数の男女割りでもしない限り、女性の政治参加を上げることはこの「国」では難しいでしょう
地域社会そのものに、その素地がありません
地方の農村部の、この「地区」・・・・
たくさんの団体組織がありますが、一部を除いて、役員は従来より「長」以下男性主体
女性に割り振られているのは「副」のポストで、もっぱら開閉会の挨拶要員です
それに異議が出てこないのも不思議ですが
ベースとなる区(自治会)の会議は、世帯主である男性の参加 (女性の出席は、都合が悪い場合の男性の代わり?)がほとんどです
当然ながら、その「長」は男性・・・
この辺から変えていかないと、女性の政治参加は進まないと思います
まぁ
jiiji の住む地区がより遅れてるとはいえ、どこも、似たところはあるはずです
素朴な “鎮守の杜” の神社信仰が、神社本庁―神道政治連盟―「日本会議」へと集約されて「新憲法制定」や「男女別姓反対」などにつながっていくことに、無関心で異議を感じないことと同様、この「国」が引きずっている旧態的なエアポケツトです
ベースの、地域社会そのものを問うてみるーー必要を感じます
古墳群に続いて縄文遺跡群!
いいですね~~~
「北海道・北東北の縄文遺跡群」(北海道、青森、岩手、秋田)の17遺跡・・・
どこなんでしょう?
あのエリアで観たことがあるのは「山内丸山」だけです
《縄文遺跡群、世界文化遺産推薦へ 登録実現すれば国内20件目》 (12月19日KYODO)
「・・・遺跡群は、縄文時代を代表する大規模集落跡「三内丸山遺跡」や、大小の石を同心円状に配した「大湯環状列石」など17遺跡で構成。農耕以前の生活や精神文化を示す物証とされる」
ネットによると「北海道・北東北の縄文遺跡群」は北海道6遺跡、青森県8遺跡、岩手県1遺跡、秋田県2遺跡
https://jomon-japan.jp/overview/1-2/
・ (函館市) 垣ノ島遺跡
・ (函館市) 大船遺跡
・ (伊達市) 北黄金貝塚
・ (洞爺湖町) 入江貝塚
・ (洞爺湖町) 高砂貝塚
・ (千歳市) キウス周堤墓群
・ (青森市) 三内丸山遺跡
・ (青森市) 小牧野遺跡
・ (弘前市) 大森勝山遺跡
・ (八戸市) 是川石器時代遺跡
・ (つがる市) 田小屋野貝塚
・ (つがる市) 亀ヶ岡石器時代遺跡
・ (外ケ浜町) 大平山元遺跡
・ (七戸町) 二ッ森貝塚
・ (一戸町) 御所野遺跡
・ (鹿角市) 大湯環状列石
・ (北秋田市) 伊勢堂岱遺跡
縄文大好きです
今日は、長野県立歴史館の特別企画『中部高地の土偶 ~暮らしに寄り添う小さな女神~』を観てきました(令和2年2月2日まで開催)
国宝の「縄文のビーナス」と「仮面の女神」は茅野市の尖石縄文考古館で出会ってますが、今回の、長野、山梨の遺跡から出土した大小さまざまな土偶も素晴らしいですね
素朴な味・・・
伝わるメッセージ・・・
jiiji にはいずれも「重文」や「国宝」に見えるほどです
753年のこの日、12月20日・・・
中国の僧・鑑真が6度目の航海でようやく日本に到着した日だそうです
熱意はどこからくる?
鑑真和上
688年(持統天皇2年〉 - 763年6月25日〈天平宝字7年5月6日〉
他の宗派も同様、信仰心ゆえの布教活動
まぁ
信仰心が薄いjiiji の人生ではありえないことです
仏教と共に大陸からもたらされた文明・文化
その先人たちに、感謝します
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