地方で考える ●oyajiの侃々諤々

北信濃の豊かな自然と歴史に抱かれて過ごす日々・・・

ちょっと斜に構えてみれば
???と思うことも多いですね~

「寄れや」

2023-02-21 | Weblog

2月21日(火)                     /ー4℃

 

 

時には寒さにしなだれたり・・・

閉ざしたり、満開に開いたり・・・

この時期の福寿草は大変です

一日は、福寿草の「姿」を確かめることから始まります 

大好きな、春を告げる花  

 

 

 

 

 

 

 

先日、善光寺参拝の折に撮った写真 ☟

「駒返り橋」

 

 

(石橋の脇に立つ「説明板」・・・)

 

源頼朝参拝の際、乗っていた馬が橋の穴に蹄をとられ、そこからは下馬して向かったという「伝説」があるそうです

善光寺仏の威光を知らしめています

 

 

では

本当に頼朝は善光寺を参拝していたのか?

  ■ 治承3年(1179)  善光寺焼失

  ■  文治3年(1187)  頼朝、再建を命ず

  ■  建久2年(1191)  完成

  ■  建久8年(1197)  頼朝、善光寺参拝

・・・という流れですが、「駒返り橋」の伝説は頼朝の参拝を漂わせますね

 

 

だとすれば・・・

jiiji が興味をそそられるのは、その時の旅コース 

頼朝が保科道を通ったか、どうか?

 

 

『吾妻鑑』には信濃国保科宿の、遊女の長者が登場してきます

信濃と関東を結んで、かなりの往来があったようです

☟ 『吾妻鑑』の文治3年(1187)2月25日には

 

「ニ品渡御三浦介義澄亭。有御酒宴。折節信濃国保科宿遊女長者。依訴訟事参住。召出其砌。聞食郢曲云々。」

 

鎌倉道のつながりで、保科道を経由して善光寺へ・・・

十分考えられると思いますが、どうでしょう?

 

鎌倉から上野・高崎まで放射線状に伸びるのは鎌倉道上道(かみつみち) 

  鎌倉ー戸塚ー町田ー府中ー所沢ー児玉―高崎

そこから碓井峠経由ではなく、嬬恋ー菅平を通って保科道を下ると善光寺平です

真相はどうだったのでしょう?

 

 

大泉洋さんが演じた、『鎌倉殿の13人』の源頼朝・・・

ちょっとオッチョコで、女好きで、大将軍の強面イメージはありません 

愛すべき頼朝でした

そこも真相は?

 

 

 

 

 

昨年8月に生を受けた孫の〇〇ちゃんは、初節句を迎えます

LINEで送られてきた内裏雛の写真・・・

お雛さんが間にあったようです

 

 

ママの時の、立派なお雛さん 

いいですね

母を娘が受け継ぐなんて・・・

遠く(?)信濃の地より、jiiji baaba は〇〇ちゃんの幸多かれと祈ります

 

 

 

 

昨日は、いくつかの所用の合間にM先輩を訪ねました

お借りしていた『仁礼誌』の返却です

「寄れや」

・・・に甘えて一時 

あれや、これやの四方山話が弾みました 

 

 

最近は「寄ってお茶飲んでけや」の言葉は、田舎でも聞かれなくなりました

大方、玄関先で話は終わります

生活スタイルが変わりました

家の構造も変わっています

かつてブームだった「洋間」の「応接間」は、もう見られません

ちょっと寂しい気もしますが・・・

 

 

信州の定番だった漬物(キュウリ、ナスや冬は野沢菜、白菜)と緑茶 

何度もお茶をついで、漬物も追加したりしていました

父、母の時代までです

濃い」、地方の田舎生活でした

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする