2月2日(木) 3/ー4℃
昨日は UNI QLO
スタッフに活気がありましたね~
積極的な声かけー
挨拶ー
そりゃ
あれだけ給料がUPするんですから気持ちもルンルン
いやだからこそ
それに負けない顧客還元を命じられているんでしょう
jiiji baaba も昨今はユニクロ派・・・
☟ 世界の UNI QLO です
《小柳ルミ子、全身に『ユニクロ』品を使ったコーデを公開「流石です」「素敵!可愛い!」の声》 (2月1日Ameba News)
「・・・続けて「モスグリーンのワンピース」「靴もUNIQLO」とその他のアイテムについても明かし「オールUNIQLOです」とコメント」
今日は「じい(2)じ(2)」の語呂合せで、「おじいさんの日」・・・
あわせて
8月8日を「おばあさんの日」としているとか・・・
ほとんど知らないでしょうし、だから、特別なことはなにもないはずです
勿論、わが家も・・・
そうでなくとも
「父の日」 (6月の第3日曜日)
「誕生日」 (8月**日)
「敬老の日」 (9月の第3月曜日)
・・・には祝ってもらっています
加えて
「バレンタインデー」 (2月14日)
「結婚記念日」 (5月*日)
・・・etc。とお祝いの日が溢れています
幸せな時代です
感謝!!
2月2日、父(故)が生まれた日でもあります
小さい頃は自慢の父でしたが、思春期になってからは考えの違いもあって反目してきました
そんな「溝」を埋めてくれたのは女房殿
父は73歳で突然旅立ちましたが、晩年は平穏な日々を過ごしていました
存命ならば104歳
晩酌はしませんでしたが、暑い夏は、嫁(女房殿)とあける1本のビールが楽しみに見えました
今日は仏壇にビール・・・
「父ちゃん、みんな元気でやってるから・・・」
「記録なければ事実なし」とも言われますが、確かです
わが家のことも、父母の若い頃のことはもうわかりません
筆不精な父でした
それ以前のこと?
筆マメなご先祖がいて何冊かの記帳が残っています
そこからわが家の「昔」が見えてきます
◇ 明治19年 「出火見舞帳」
◇ 明治22年 「道中入費控」
◇ 明治27年 「普請附込帳」
◇ 明治29年 「水災見舞帳」
◇ 明治33年 「不幸音信芳名録」
・・・ということで、わが家で火災があったことがわかります
その再建でしょうか、8年後、普請もしていました
「水災見舞帳」の日付は明治29年7月21日になっていますから、あの ”明治29年7月千曲川大洪水” です
「不幸」の人は、5代目の幸〇・・・
これは名前が書かれているので確かです
で
葬儀の支出を足し上げると 39円96銭
いただいた香典は 7円60銭
かなりの負担であったことがわかります
詳細は定かではないにしても、推測は広がります
「道中入費控」には、旅人が誰かは記されていませんが
その頃の父にあたる5代目は 46歳
その息子の6代目は 22歳
人生最大の旅ですから、”人生50年” が近づく5代目の父の方だったでしょうね
僅かな記録ですが、事実がそこにあります
で
これらの記録を書いたのも、多分、5代目
過去帳によれば天保12年(1841)生まれで、明治33年(1900)に60歳で亡くなっていますが、それ以降、この類の記録は残っていませんからまめな記録者は5代目と推測できます
幸〇が亡くなった時
◇ 息子の6代目、源〇〇は33歳
◇ その長女、記〇(婿養子をもらい、7代目)は6歳
・・・ということになります
記〇は祖母でjiiji を育ててくれた人ですが、多分、その辺りをわかる最後の人
もっと昔のことを聞いておけばよかったと悔やまれます
今では聞く相手も他におらず、ただ推測するしかありません
今日はさらに、ふう(2)ふ(2)の語呂合わせで「夫婦の日」
・・とくれば類似で
4 月22日 「よい夫婦の日」
11月22日 「いい夫婦の日」
11月23日 「いい夫妻の日」
毎月22日は 「夫婦の日」
「父ちゃん、母ちゃん、安心してくれ!」
けんかしながらも、いい夫婦でいるよ・・・