2月07日(金) 5/-9(4)℃
雪はないんですが、今朝の冷え込みは今季一番
寝室でも目覚めた時は4℃
急いでストーブをつけました
寒さが身に沁みます
「できれば、もう一度来たい・・・」
スキー場です
パパ、ママはガンバってます
「水辺まで連れて行く」のは親の役割ですからね
7歳の○○ちゃんは、今冬、スノボーをマスターできました
リフトで上がり、一人で、スロープを滑り降ります
もうびっくり
本当に子どもの習熟は早いです
何ごとも、まずはやらせてみること!!
それを感じます
jiiji などは・・・・
裏山で、竹スキー(手づくり)で遊んだレベルでした
雪国育ちながら、スキー場には行ったこともありません
長いスキー板を履いたこともなかったですね
野球も、相撲も、柔道も、水泳も、スケートも、体操も、音楽も、バレーも・・・その裏には「親」
「水辺まで連れて行く」ことから始まってます
長女たちのいつもの ”足“ は車です
片道3~3.5H
パパは大変ですが、○○ちゃんも▢▢君も、チャイルドシートで眠ってくればjiiji baaba の家
たくさんの荷物も詰め込めます
新幹線はあまり使ってませんね
そりゃ
高速道ができてからは ドアtoドア の車が便利
jiiji も、もっぱらは車で、日帰り往復のこともあります
「駅弁」もSAでOKです
↓ 値段も高いけど、たまには食べたくなりますね
《“駅で売れない駅弁” が大人気!「峠の釜めし」の美味すぎる戦略》 (2月5日 )
「・・・270種類を超える選りすぐりの駅弁が集結した、この最大級の駅弁大会でも、「峠の釜めし」はとりわけ人気の高い駅弁の1つだ。今年は5年ぶり2回目の店内調理が復活し、レアなでき立ての釜めしが食べられるというので、1日限定2000食が連日完売の盛況だった」
信越本線・横川駅の「釜めし」・・・
まだ片道4~6時間もかかる長旅でしたから、「釜めし」を食べるのが最高の楽しみ
当時、弟妹4人が東京で暮らしていた母はたびたび上京しましたが
「姉ちゃん、迎えに行くから電車降りたら、動かないでそこのホームにいるんだよ!」
まぁ
携帯電話もないし、広い上野駅構内で迷ったらそれこそ大変 ( ´∀` )
いつもお迎え方式だったようです
そんな旅の中ほどに、横川駅の「峠の釜めし」があったのです
叔母の一人は、足立区でした
もう旅立ちましたが、jiiji もよく訪ねた地です
その足立にお住まいのKさんから昨日、突然の電話をいただきました
話は戦時下の「学童疎開」のこと・・・
Kさんは、足立区西新井国民学校3年生として、この「地区」の△△寺に疎開されていたのです
足立区のHPに《戦争の記憶 Voice》があり、当時の状況がよく伺えます
https://www.city.adachi.tokyo.jp/miryoku/shiru/sengo70.html
もう75年も昔のことになりました
受け入れ側のこの「地区」には、ほとんど何も残されてません ( ´∀` )
どこも食糧難のなかで、“温度差” もあったでしょう
どちら側も、生の証言は得にくくなってます
そこを調べて記録をまとめようとしてますが、そんな情報にKさんが応えられたという次第・・・
電話をいただき感謝です