三日続いたら褒めてください

うんこネタの封印が三日続いたら褒めて下さい。

誘いの電話

2006年06月22日 23時04分21秒 | Weblog
夕方に四谷アウトブレイク(ライブハウス)の店長、ミッチ秋元さんから電話があった。

来月のライブのチケットができたということだろうと思ったら、そうではなかった。
明日、アウトブレイクで7時からドラム叩くからよかったら来て~ということらしい。

なんと、ミッチ秋元氏がドラムを叩く!
これまで知り合ってから3年以上、ドラマーであることは知っていてもその雄姿はみたことがない。
チャンスだ。

ついでに聞いてみると、来月のライブのチケットはできているとのこと。
どうせチケットを受け取りに行かねばならない場所なのだから、だったら明日行ってミッチ秋元さんのドラムっぷりを堪能してくるべきであろう。

明日は竹田和夫氏がLAから帰ってきてのライブらしい。
http://www.hor-outbreak.com/html/sche/datail/060623.html
プロレスのテーマ曲がヒットしたんだとか。

放置

2006年06月22日 22時48分19秒 | Weblog
間違いを正さないでいることがよくある。

ただし、これは他人の間違いである。
話していて、相手が間違っているのに気づいてもいちいち訂正しない。
めんどくさい時や、そのままでも会話が上手く成立する時、放っておいても問題なさそうな時、そのまま放っておいた方があとあと面白そうな時・・・

逆に、私が訂正しまくっているとしたら、本気な時だ。

今日は会社で旧日本兵みたいな人と話していた。
この人は先週の明石への出張も最初だけ一緒にいた人。
この人との会話自体が義理。
本当はすぐにでも離れたところに行きたかったが、仕事の上で仕方なく会話。
旧日本兵「明石から帰るのって、時間帯によっては愛媛に出たほうが早いのな。」
私「(愛媛?愛媛は四国だろう。多分姫路のことだろうけど、まあめんどくさいからいいや。)そうみたいですね。」
旧日本兵「おれは大阪の方からまわって帰ったけど、明石から15分くらいなのな、あの、、え・・と、、愛媛まで。」
私「(だから姫路だって)けっこう近いですよね。」
会話終了。

それもそのはず。私自身に会話する気がないのだから。適当に相槌をうっているだけにすぎない。
第一、私自身がその旧日本兵が言うところの“愛媛”経由で帰っているのだ。
(注:いまさら注釈は不要であると思うが、この愛媛とは姫路のことである)

今日の受け流しはまだかわいいほうだ。
2年ほど前に会社の工場でも訂正しないことがあった。

自分の開発した材料を量産可能な状態にすべく、工場でのトライに入った。
新規の開発なので、工場の人たち、というか会社内の自分以外がほとんど誰も知らないような原料を使う。

その中に、とある反応性のものがある。
独特のにおいを放ち、けっこう臭い。
私自身がその種の仕事をしているということは各方面の雑誌にも投稿しているので、そこまで秘密にして伏せる必要もないであろう。
(仕事関係の人からクレームがついた場合には、この記事を消すことにする)

工場の人「これ、けっこうくっさいなぁ。何がこんなに臭いん?」
私「これですよ。」
工場の人「タックロールか!」
私「(いや、“ク”じゃなくて“キ”、タッキロールなんだけど・・・)は、はぁ・・・」
(ちなみに、“こんなにくさいん”を変換したら“こんな肉サイン”となったことに少なからず感動を覚えている。)

アルファベットで書かれているところの、kiのiを抜かして読んだらしい。

その後、関わる人みんながタックロールと言うようになる。
あえて訂正しなかったら、恐ろしい勢いでその呼び方が広まった。
確かに、タックロールの方が言いやすい。

本当はタッキロールなのに、敢えてタックロールとみんなが言っている。
それを正しいものだと思って言っている。
その声を聞くたびについついニヤニヤとしてしまっていたものだ。

しかし、そこまで広まると、そこからとても訂正できないものだ。
まあ実務上は問題ないわけだし、かまわないかとそのまま放置。

ところが数ヶ月して、ふと気づかれる。
工場の人「んん?????」
私「・・・・」
工場の人「これ、タックロールじゃなくて、タッキロールか!」
私「そうです。」

バレてしまった。

この後もまたなかなか面白かった。
その1人を中心にして、“タックロール”という言葉を発した人に対して、
「ちゃうで。タックじゃなくてタッキやで。」
と広まっていき、ねずみ算式に訂正の輪が広がっていく。

タックロールはあっという間にタッキロールに修正されてしまった。

続・目には目を

2006年06月22日 22時12分30秒 | Weblog
昨日から私の生き様は変わっていない。
今夜の食事も“目には目を”である。

今日は朝からずっとうんこ中心に動いていた1日だった。
そこでカレー。

ヨメの帰りは相当遅いらしいし、帰り途中にカレーを食ってもなんら問題はない。
カレー・・・たまに無性に食いたくなってしまう食べ物だ。

カレーと言えば、みな思い入れの強い味があると思う。
例えば私の場合、小・中学校の給食のカレーの味を覚えている。

小学校なら全校生徒1000人以上の分をまとめて給食のおばさんたちが作る。
さすがに量が多いだけあって味は安定しているし、美味しく出来る。
一番覚えているのはじゃがいもの味。
ジャガイモを丸っこく切っていないで、短冊状に切っていた。
煮込み具合の問題なのかもしれないけれども、それがよく味がしみていて美味しかったのを覚えている。

家のカレーの味も忘れられない。
カレーは一晩おいた方が美味くなるというが、私は一晩おいてコクの出たカレーよりも作りたてのカレーの方が好きだ。
一晩おいたやつはとろみが強すぎるし、スパイスが熟成しすぎてしまっている気がしてならない。
あまり好みではない。
むしろ作りたてのほうがスパイスを感じられるし、作った人の個性が出ているように思う。

最近はそうでもないが、5年~10年ほど前は街の駅周辺にいろいろなカレーショップができていた。
ただ、どこで食ってもその中心となっているのは同じ味。
それも、レトルトのカレーと同じ味が中心になっている。
美味いと思ったことはない。
むしろ、牛丼でも食った方がよかったと後悔したものだ。

最近は特徴的で美味しいカレー屋が多い。
カレーの食べ歩きが楽しめそうなくらいにいろいろな店がある。
ただそうは言っても自分のカレーの原点は家のカレーや給食のカレーである。

ハイペース

2006年06月22日 19時54分47秒 | Weblog
うんこが続いている。

朝、目覚めと共にうんこをした。
そして会社に来てうんこ。(駅から歩いてくる途中で既に腹にガスたまりの傾向が)
午前中に仕事をしていてうんこ。
昼飯を食ってうんこ。

朝から昼までで4回もうんこをしている。
が、そこで落ち着いたようで、昼飯後のうんこ以降、特にトイレには行っていない。

とはいったものの、今こうしてうんこについて書いていたら、意識がそちらに向いてしまったからなのかうんこをしたくなってきた。
とりあえず、帰る前に一発抜いておいたほうが良さそうだ。

これから今日のシメのうんこをして、帰宅することにする。

マナー

2006年06月22日 01時36分46秒 | Weblog
深夜1時過ぎ。
もう寝ようかというときのことである。

私は我が家のトイレの洋式便器に座り込んでいた。
もちろん目的は大便をすることだ。

寝る前の一服、寝る前の一杯、、、人はそれぞれ寝る前に何らかの儀式を行っているものだ。
歯磨きもそのひとつだし、軽く本を読むという人もいるであろう。
私に限らず、寝る前には必ずトイレに行くという人は多いであろう。
特に私の場合、小便を出せる状態だと、もよおすというほどではないにしても眠れなくなってしまう。
眠れないなぁという夜も、トイレに行って無理やりでも放尿すればすぐに寝付けるようになる。

ただし、今日に限って言えば、小便だけでは飽き足らない状況に陥っていた。
ここ2時間ほど私の肛門からガスが軽く漏れかかっていたのである。
特に腹が張るというほどのことはないが、ガスは漏れたがっている。
もし私が盲腸の手術後だったならば、それは大歓迎のガスである。

だが、私はこれから寝る身である。
こんなガスが出やすい状態で寝てしまっては、寝ている間にガスがでまくってしまうかもしれない。
反対に、ガスが腸にたまりすぎてしまうかもしれない。
前者であればガスと共に実が出てしまうことが心配だし、後者なら後者で朝から腹がパンパンに張ってしまっているかもしれない。
いずれにせよ、こんなときは大便をすることで腸の状態を改善するべきだ。

洋式便器に座り踏ん張る。
比較的スムーズに出るが、大便自体はかため。
かための大便?
そういえばここ数日は軟便が続いていた。
ようやく胃腸の調子が復活したのだろうか。

下痢ではなく普通のうんこを出す・・・なんと幸せなことか。
下痢のときには考えられないような快感、それが普通のうんこには存在する。
平凡が一番、普通が一番。
うんこも柔らかすぎず硬すぎず、普通が一番である。

しかも、このうんこは見事な一本グソ。
一気に出したらそれで完全にスッキリ。
出し足りないという感覚は全くなく、出してすぐに肛門を拭き、水を流してトイレを出る。
肛門を拭く際は、その時のうんこの状態をしっかりと考え、拭いたうんこがペーパーを超えて手にまで染みだしてこないくらいのペーパーは最低限必要だし、かといって多すぎると紙が厚くなりすぎて、複雑な形状の肛門をしっかり細かに拭いてやることが出来なくなってしまう。
どうしても厚手の紙では雑な仕事になってしまう。

うんこの後は水を流すのにも注意が必要だ。
水を流すということはレバーをひねるということとは少し違う。
レバーをひねるというのはタンクに溜まっている水を解放してやることに過ぎない。
水を流すというのは自分が出した大便や肛門を拭いた紙を便器の奥底に流し込む行為のことであり、次の人に迷惑がかからず、かつ自分が恥ずかしくない程度にはうんこやペーパーが流されていなければならない。

今日のような硬いうんこの場合、特に勢いよく排泄した場合には便器にしっかりと密着してしまい、ただ水を流しただけではうんこが取りきれないという可能性もある。
また、時には便器からはしっかりはがれていて問題ないと思わせておきながらも、ペーパーが流し込まれずにまた浮かび上がってきてしまうこともある。
これもなかなか恥ずかしい状態だ。

水を流すという行為は、すべてしっかり流し込まれ、便器へのこびりつきもないことを確認して初めて成立するものだ。

そして手をしっかりと洗い、今こうしてパソコンに向かっている。

ただ寝る前にうんこをしただけのことを延々と語ってみた。