三日続いたら褒めてください

うんこネタの封印が三日続いたら褒めて下さい。

ランチにそばを食いに行く

2007年02月28日 12時22分43秒 | Weblog
今日は午後から外出である。

昼飯にそばを食いに行った。
私が入ると既に4人ほど並んでいる。
今日の選択はそばにかやくご飯がついたセット。

私が席について食べ始めた時、列は10人ほどに膨れ上がっていた。
これは人気の名店なのか、はたまた単に店員の手際が悪いだけか。
そこはこの記事を読む人の想像におまかせしよう。

今日のそばは明らかに茹ですぎである。
ブツブツ切れるばかりで食べごたえがない。
これは失敗作ではないだろうか。
汁も味のバランスが悪く、しょっぱさのような何か単一の味が強いばかりでしかない。
これを作った店員はやる気があるのだろうか。

一応食うことは食ったが、食った後に無駄に胃が痛くなったように思う。
そんなときは食ったらすぐに退散である。

尚、誤解のないように断っておくが、今日私が食いに行ったのはソバがいる渋谷のそば屋ではなく社員食堂というところである。

距離が縮まる2人

2007年02月28日 03時48分05秒 | Weblog
ソバ先生の家が近くなった。

これまでは環七と青梅街道の交差点での信号待ちや、環七という大通り沿いを走ること、さらには最後の関門の坂など近いようで大変であった。
しかし、新たに道を発見し、かなり行きやすくなった。
裏道を走るだけで、青梅街道と環七は横切るだけ。
自転車をとばせば5分くらいで着いてしまうのではないか。

今夜も昨夜考えた歌詞を手にソバ先生にお伺いをたててきた。

歌詞は基本的にソバ先生のご機嫌を損ねることなく受け入れてもらえることに。
昨夜必死に考えたことが報われる。

私はメロディを考えるのは苦手なので、ソバ先生がほぼ歌メロのイメージをつくりあげ、それに詩をのせるだけというのはなかなか良い役割分担かもしれない。

役割分担といえば、
・焼肉のセッティングをするシル
・焼肉において肉を焼くソバ
・焼肉を食べるボ
これも見事な役割分担である。

歌詞がよければ銀の星も進むというものだ。
最高の肴。
銀の星、既に半分ほど消費。

歳の証拠

2007年02月27日 20時09分23秒 | Weblog
どうやら私も歳をとったらしい。

日曜の深夜、スナックソバで打ち合わせをしながら飲んで、3時間程度の睡眠で昨日出社。
しかし、まったく眠くならず。

ところが、今日は6時間眠っているにもかかわらずひどく眠気に襲われた。
睡眠不足が1日遅れてやってくる。
筋肉痛のようである。
これも歳の証拠だろう。

さて、家に帰るとキン肉マンのDVDが届いていた。
vol.1とvol.2の2つ。
最初からみようかとも思ったが、第1回超人オリンピックからみることに。

ラーメンマンとブロッケンマンの戦いにおいては最後はキャメルクラッチでブロッケンマンが真っ二つに引き裂かれるはずだが、アニメではぐりぐりと捻るだけだ。
そういえば、キンターマンもクンターマンと名前が変えられている。
さすがにそのままは放映できなかったということか。

するとさらにvol.3とvol.4が届いた。
こちらには第二回超人オリンピックが収録されている。
しばらくは楽しめそうである。

イメージダウン回避

2007年02月27日 01時00分54秒 | Weblog
今度こそ真面目な記事を書こう。

先日見ていたニュース番組で、岩手県のどこかの市で役所の昼休みが15分間短縮されたということを報道していた。
外に行く時間がもったいないため庁舎内の食堂で昼食をとる人が増え、付近の飲食店の昼の売り上げが激減してしまっているということなど、いろいろな影響を取り上げていた。

そこである人がコメントしていた。
『ある企業が伸びるかどうかを判断するには昼休みになったときにその会社を見ればわかる。昼休みになった途端に人がワーッと昼食を食べに出て行くのは伸びない企業。逆に弁当屋などがワーッと入っていくのは伸びる企業。昼休みも仕事をしながら食べる人ばかりだということで、そういう企業は伸びるんです。』

なんだそりゃ??
別に私は昼休みに仕事をすることを否定するつもりはない。
私自身、別に休憩しないでどんどんやってしまおうと思うときはメシを食うだけ食ったらさっさと仕事をしていることはある。
だが、それが伸びる企業と伸びない企業の判断基準になる??
そんなことテレビという場で断言していいのか??

本来休息を取るべき時間に休息を取らないということ、それを推奨するような言葉を口にして良いのだろうか。
私の場合は基本的に個人仕事なので、別に疲れたら勝手に休憩すればよいし、自分自身の中で仕事の時間を組み立てているだけのこと。
昼休みを潰して働くようでなければ伸びないなんて、よくそんなことを言えたものだ。

もちろんその人はそれを正しいと思っているのだろう。
思っていなければそんなことは言えまい。
だが、そういう考えの人間がサービス残業などの問題を軽視して様々な社会問題を引き起こしている張本人なのではないだろうか、と思えてくる。

もっと根本的なところではそれは業種や職種にもよるものではないだろうか。
それを単純に一言で表現してしまうことが問題なのではないだろうか。

今度こそ真面目な記事が書けたようだ。

わずかに残る羞恥心

2007年02月27日 00時48分31秒 | Weblog
さすがに私のブログにアクセスしていきなり『中学生のまんこ』なんてタイトルの記事が出てきては、ソバシルボのイメージダウンに繋がってしまいかねない。
ということで、もうひとつ記事を投稿して寝ることにする。

といってもそんなときに都合よく記事にするネタが思い浮かぶものでもない。
そこでふと昔思ったことを書いてみる。

まんこという言葉を初めて耳にしたのは小学校の高学年のときだっただろうか。
もちろんちんこという言葉は馴染み深いものだったが、そこに急に登場したまんこという言葉。
正直な感想として、初めて聞いたときは誰かバカなやつがネタとしてそんな言葉を作って広めようとしているんだくらいにしか思わなかった。
なぜなら、ちんこという言葉に対してまんこ。
あまりにもありきたり。
なぜ『ま』という文字が選ばれたのかはわからないが、いかにも小学生の考えそうなことだと思った。
父の「ち」に対してママの「マ」、こう考えれば納得できる。

そんなことを考えた小学生の私。
そんな第一印象がまんこという言葉にあったため、30歳になろうとしている今でも「まんこっていうのは日本社会全体に通用する共通語なんだ」ということを100%信用してよいのかどうか不安になるときがある。
第一、まんこなんて言葉は保健体育の教科書にも載っていなかったのだから。

そう、私がまんこという言葉を口にするのは、そのことをさりげなく日常会話の中で確認したいからなのである。

結局またしてもまんこだらけの記事になってしまった。

中学生のまんこ

2007年02月27日 00時38分52秒 | Weblog
ソバ先生の仕掛けたワナである『悶えたい谷間得た者勝ちでいい』を攻略しとりあえず作詞完了。

ミノシルさんが言う。
私の口にするまんこという言葉からは中学生のまんこが思い浮かぶという。
男子中学生の口にするまんこである。

そうはいうが、それでもまんこはまんこである。
居酒屋シルなどの閉鎖された空間であればいくらでも口にできるが、見知らぬ人のいっぱい来る可能性のあるブログの場では、あまりまんこまんこ口にしているとライブの集客にも影響してしまうかもしれない。
それを覚悟で書くとするが、いやらしい大人の口にするまんこも男子中学生の興味本位のまんこもいずれも指し示しているのはまんこである。
別の言い方をすればまんちょ。
まんことまんちょなら響きが違うのでイメージが変わるというのはわかるのだが、同じまんこというたった3文字の言葉にそんな奥深さがあるのだろうか。

ミノシルさんは私の口にするまんこのどういうところに中学生っぽさを感じたのだろうか。
今度ミノシルさんと2人でまんこについて熱く語ってみたいものだ。
(一緒に語りたい人がいたら、別に2人であるということに拘るつもりはないが)

悶えたい谷間 得た者 勝ちでいい

2007年02月26日 21時17分34秒 | Weblog
ソバ先生の歌っているメロディに歌詞を考えている。

聴いていて「これは私が歌詞をつけたい!」と本気で思ったので志願して歌詞をつけている。
が、途中でワナが仕掛けてあった。

私の耳に聞こえるソバ先生の心の叫び。
『悶えたい谷間 得た者 勝ちでいい』

一度意識してしまうと、それ以降何度聞いてもそのようにしか聞こえなくなってしまう。
聞き込まなければメロディや拍が頭に入らないので何度も繰り返し聴かねばならないが、聴けば聴くほどに谷間に洗脳されていく。
もう私はその思考から抜け出すことはできないであろう。

作詞、それは谷間との戦い。

まるで何かちょっとしたものを見てもまんこに見えてしまう本郷君のような状態だ。
「悶えたい谷間得た者勝ちでいい」という言葉が頭からはなれず、まともな歌詞が何一つ思い浮かんでこない。

もしもボックス

2007年02月26日 20時46分50秒 | Weblog
この現代においてもしもボックスなる便利なものを発見した。
それは意外にも身近なところに存在していた。

このブログである。

「もしも○○○だったら・・・」と思うようなことがあったら、ここにいかにも本当であるかのように真面目に文章を書けばよい。
私の周辺の人間は意外とこのブログをしっかりとチェックしている。
私が直接話をしていないというのに、みな私の日常について意外と知っているので驚かされることが多い。
それを逆手に利用して、うまく操ってやればよいのである。
まさにもしもボックス。

今後、ちょっとしたことでも人生において気になることがあったらうまく使ってみようかと思っている。

私のまんこは自然

2007年02月26日 12時53分59秒 | Weblog
ミノシルさんが言う。
私の口にするまんこという言葉からはいやらしさは感じられず、自然に聞き流せるものだという。

そうはいうが、それでもまんこはまんこである。
居酒屋シルなどの閉鎖された空間であればいくらでも口にできるが、見知らぬ人のいっぱいいる公共の場では、いくら私でも平気でまんこを口にすることはできない。
普通に道を歩いていてもしまんこという言葉が聞こえたとして、それを何事もなかったかのように聞き流せる人はいないであろう。
少しは心にひっかかるはずである。
私なんかは特に強い興味を抱いてしまうだろう。とても聞き流せるという自信がない。

ミノシルさんは私の口にするまんこのどういうところに自然さを感じたのだろうか。
今度ミノシルさんと2人でまんこについて熱く語ってみたいものだ。
(一緒に語りたい人がいたら、別に2人であるということに拘るつもりはないが)

あの頃ぼくらは その1 ソバ編

2007年02月26日 12時41分16秒 | Weblog
さすがに3時間睡眠ではきびしいかと思ったが、意外と眠くない。
夕方に2時間ほど昼寝したおかげか、銀の星のおかげでぐっすり眠れたからか。

さて、昨日パソコンのファイルを整理していてみつかった7月のライブ音源。
これを聞いていて思い出したこと。

ソバは「カラクリ」の歌詞を間違えまくっていた時期がある。
6月、7月のライブで2回連続間違えたはず。

そんな時期もあった。
ソバ先生が珍しく自信をなくしかかっていた時だ。
1回だけならまだしもまさか2回連続で間違えたことに、自分が信じられなくなったらしい。

今思えば、そんなソバを立ち直らせたのは私とボだったのではないだろうか。

ソバ先生、8月に異様な厳しさを見せはじめる。
それまでは歌詞を間違えまくったことをネタにソバをちくちくといじくって遊んでいたが、とてもそんなことができない雰囲気に。
どうしようもなく悩むリズム隊、スタジオで目を見合わせる私とボ。
弱い心はもろくも崩れかかってしまう。スレスレのところで回復に至ったが。

ひょっとして、彼は自信をなくしてオドオドしている私とボをみることで自分自身の自信を回復させていたのではないだろうか。
ひどい男である。
だが、私とボという最小限の犠牲でソバ先生が上野クリニックのごとく自信を回復させたのであれば、それは安い犠牲である。
確かに9月は歌詞を間違えなかったのだし。
(それでも余韻が足りない!とコバシルさんの期待は裏切ってしまっていたようだが。)

触らぬ神に祟りなし、今後はソバ先生の不手際は見てみぬ振りをすることにしよう。
臭いものには蓋である。

臭いものに蓋といえば、我が家のトイレは便座が温かい。
この便座ウォーマーは便座の保温に消費する電気を節約するために蓋をしておくとよいらしい。
今後うちにきてトイレに入った際は、最後に便座の蓋を下ろしているかどうかしっかりと確認してから出るようにしていただけると幸いである。

といいつつ、ヨメもなかなか実践してくれていないが。
さらに、私自身もたまに忘れてしまうが。

銀の星

2007年02月26日 03時24分43秒 | Weblog
銀の星を飲んだ。

予め断っておかねばならないが、スナックソバへは飲みに行ったのではなく歌の打ち合わせに行ったのである。
たまたま銀の星が2本あったので、1本はスナックソバにおいておこうと思って持って行っただけである。

初めは飲む気はなかった。
これは事実である。
しかし、ソバ先生が「何か飲む?」という言葉を口にした途端に私の心は簡単に折れてしまった。
そのまま氷を買いにセブンイレブンへ。

人間とはなんとも弱い生き物である。

しかし、そんな弱い人間の心を豊かにしてくれる銀の星。
これまでに飲んだどの焼酎とも違う感覚。
まず匂いはフルーティで赤霧島を思わせる。
「美味いんだよ」という名台詞を残しているソバ先生をして「これ、赤霧島よりうまいよ!」といわせるだけのもの。

味わいはあり、それでいてするすると喉を通ってしまう酒。
焼酎初心者でもどんどん飲めてしまうのではないか。

飲み終えた帰り道、口の中にはサツマイモを食べた後のような味わいが残っていた。
そんな銀の星。
年間生産量は約200本。
大切に飲もうと思いつつ、けっこう飲んでしまった。

ボに感謝

2007年02月26日 00時49分34秒 | Weblog
今、ソバシルボの曲でひとつ、歌をつけなければならないものがある。

これはずっと悩んでいたのだが、一つ前の記事でボをネタに書いていたらふと思いついてきたものがある。
さすがはボ。
ネタにされるだけで曲のアイデアを提供。
並の人間にはできない業だ。

これからスナックソバへ。

2007年02月25日 23時23分38秒 | Weblog
ボがうるさい。

「最近シルのブログが1日1回しか更新されないのよねぇ」
などと言う。

仕方ないではないか。
私だってこうして記事を書くばかりが趣味ではない。
1日が24時間だとして、会社にいる時間が9時間。
通勤で往復2時間。
睡眠で7時間。
これだけで18時間、つまりは1日の4分の3が消費されてしまうのだから、そんなに毎日毎日いくつも投稿できるものではない。

第一、そんな私の人生ネタだらけというものでもない。
(とはいうものの、火曜日の盗撮オッサンの目撃など、それなりにネタの多い方だとは自覚しているが)

だが、私ももうすぐ30歳。
20代も残すところ1ヶ月を切った。
それなりに大人の接し方というものも身につけてきたし、バンドメンバーのわがままにも慣れてきている。

ということで、今日は久しぶりに記事をいくつも書いてみた。
ついでにこのブログのテンプレートもアレンジしてみた。
1年ちょっと同じテンプレートのままやってきたので、たまには少し変えてみるのも悪くないだろう。

そういえばボのブログもいつの間にかもとの葉っぱ1枚のテンプレートに戻っていた。
一時的に葉っぱいっぱいのものにしてから元に戻そうとしたら見つからなくなったと言っていたが、結局見つかったということか。

ただ酔っ払っていて見つけられなかっただけだったりして。

なつかしいもの

2007年02月25日 23時03分22秒 | Weblog
パソコンの中のいらないファイルを整理していた。

6月19日の練習の音源、それを20日に取り込んだものが発見される。
6月といえばアウトブレイクでイベントを行ったのが3日だ。
それからそんなに経たない頃の練習の音源だ。

6月のライブは持ち時間が長かったので、その直前に何曲か作って間に合わせていた。
『化石の庭』もその後に展開をアレンジしている。
19日であったらまだそれからそこまで進んでいない頃だ。

だが、聞いてみると9月のライブで初披露の『交差点』も練習している。
こんなに早い段階から作っていた曲だったっけ?と思いながら聴く。
それも、原型というレベルではなく、ソバの歌がしっかりとついている。

そこまで完成していてなんで7月のライブではやらなかったんだっけ?と思いながらも、ファイルのプロパティを確認すると作成日時は6月20日。
ファイル名の日付が間違っているわけではなく、本当に6月だ。
6月後半でここまで歌がついていて、あのソバが7月8日にやろうとしないわけがない。
そのくらいのレベル。

そしてふとあることを思い出す。
このパソコンは日付設定を変えていたことがある。

オマンコアホリーのせいである。

オマンコアホリー作成ソフトはソフト1つにつきパソコン1台に限定。
1ヶ月ごとにアカウントの認証が行われるのだが、パソコンの日付がインストールしてから1ヶ月以内であれば認証もなく立ち上がるというもの。
それを利用してオマンコアホリー3をノートパソコンやらデスクトップやらをとにかく駆使して作りまくっていたのが4~6月頃。
インストールして1ヶ月を過ぎたらパソコンの日付を1ヶ月戻して作成を続ける。

ここで、これはソフト自体を数人に配布するなどの行為ではなく、自分のもつ複数のパソコンに使うたびにいちいちインストールとアンインストールを繰り返すのも面倒なだけでやっていたことであるという点は理解していただきたいところ。
実際に使っていたのは私1人なのだから。

さて、そんな行為によりパソコンの日付が1ヶ月、乃至は2ヶ月遅れたままという時期があったのは事実である。
日付の戻し忘れである。
メールを送ったのに返事が来ないと思ったら、私の送信の日付がおかしいために受信先で新着メールではなく古いメールの中にうずもれてしまっていたということもあった。

ひょっとして・・・と思い2006年の6月19、20日を見てみると、これは土日ではない。
ドラえもんでのび太が「6月はきらい。祝日などの休みが1日もないから。」と言っていたこともあるように、土日でない以上はその日は休みではない。

さらにカレンダーを進めてみると、8月の19、20日は土日である。

ということは、その音源は6月ではなく8月のものだったということか。

8月後半なら「交差点」がそれなりに完成していてもおかしくない。
そのまま1ヵ月後の9月のライブで披露しているのだから、時期的にもぴったりだ。
そして思い出すのも怖いのだが、その頃はソバ先生が鬼に見えていた頃だ。
私とボがどれだけ精神的圧迫を受けていたことか・・・
そんな時代があったからこそ今があるわけだが。

さて、さらにファイルを整理していると7月8日のライブの音源(mp3ファイル)もでてきた。
四谷アウトブレイクのものだ。

この日にオリエンタルトライアドさんも対バンで、ソバシルボを気に入ってくれたようでアンケートも書いてくれていた。
そこから付き合いが始まった、そんなライブだ。
ライブ中にオリエンタルさんのドラムのヤナさんが途中でグイグイと前のほうに出てくるのがステージ上からよく見えたのを覚えている。

この日の音源、聴いていて心苦しいのは「空白の部屋」。
今では考えられないような乱れっぷり。
我ながら聴いていて恥ずかしくなってくる。

『化石の庭』は曲展開を今と同じようにアレンジしてやる最初のライブだ。
悪くない。

さて、そんな7月ライブの音源、期間限定でちょろっとアップするのも悪くないかなぁなんて思っている。
希望者がいればであるが、もしいたらこの記事にコメントをつけていただきたい。

ただし、ダウンロードするには『3月11日のソバシルボライブに来ること』というものが条件となるのでご注意頂きたい。

カレーとそば

2007年02月25日 21時56分37秒 | Weblog
そばとカレーのセットを食べた。
冷たいそばを食べたのはかなり久しぶりである。

うちのジュゴンはエサがかかると学習能力を発揮する。

ペレットを入れるエサ皿にペレットと共に、ちょうどエサ皿より一回り小さい大きさのヘチマスポンジを入れる。
ジュゴンはスポンジが邪魔でペレットが食べられない。
するとジュゴン、スポンジをどかそうとしてエサ皿を咥えてひっくり返してしまう。
狙い通りスポンジは取り除けるが、同時にペレットも失ってしまう。
ジュゴンは頭が弱い。

昨夜、うちで飲んだ帰り際にソバ、ボ、ミノシルさんにそんなジュゴンのバカっぷりを見せてやろうと思ってセットしたところ、ジュゴンはスポンジだけを咥えて外に置き、普通にペレットを食べた。
今まで一度もできたことがないくせに、なぜ他人が見ているときに限ってできるのか。
これではそれを見せようとした私のバカっぷりが露呈されただけではないか。

ジュゴン、エサがかかると学習してしまう。