私はなんでも食べると思われがちだが、こんな私にも嫌いな食べ物が2つある。
シイタケと大根だ。
シイタケは嫌いな人が多く、すぐにみんな納得してくれる。
あの味をどうしても私の喉が受け入れてくれず、思わず吐き出したくなってしまう。
問題は大根である。
世の中大根嫌いの人間はそう多くいるわけでもなく、これまで私も自分以外に大根嫌いの人間に出会ったという記憶はない。
しかし、それでも私は大根が嫌いである。
飲み会で最初に大根サラダを頼もうとする人がいたら、そのときは私は自分の持てる力を100%発揮して大根サラダを阻止するように企てるであろう。
それでもコース料理では大根サラダがコースに組み込まれてしまっていることが多く、店を相手に抗議するわけにもいかず、そのときは素直に引き下がりおとなしくしている。
大根サラダは大根が山のように盛られており、出てくるとみんな
「おーっ、すげー大根山盛り!」
と興奮する。
しかし私は反対に意気消沈。「これは私が大根嫌いと知っての狼藉か・・・」
食べられるのは上にかかっている海苔だけ。
全体の5%にも満たないような、消費税にも負けてしまうような部分しか食べるところがない。
その海苔も無意識にみんなが大根と一緒にとってしまい、最終的に食べる部分はほとんどない。
ドレッシングという名の残り汁を啜れればマシな方である。
なぜ私が大根を嫌いかといえば、それは小学校4年のときにさかのぼる。
風邪をひいて寝込んでいた純真無垢だった私に母がとある液体を飲めと強要。
それが、大根を水に漬けて大根エキスがしっかりと染み出た液体。
「身体にいいんだから!」と強要する母。
抵抗したくても抵抗する力のほとんどない私。
無駄な抵抗が成功するはずもなく、半強制的に飲まされた私。
大根の嫌な味を濃縮しているようなその味は喉越しがかなり悪く、私の身体は本能的にそれを体外へ排出しようとした。
そのまま嘔吐。
それ以来、大根を食べようとするとそのときの味が口の中から頭の中まで蘇ってきてしまい、とても飲み込めない。
もう既に15年以上昔の話であり時効は成立してしまっているが、その時ほど母が鬼に見えたことはない。
この時のシーンは今も鮮明に覚えており、その日の外は曇り空で部屋も薄暗かったこと、それが恐らく午後の二時前後の出来事であったことなど、忘れたくても忘れられない。
そんな出来事があり、私は大根が嫌いである。
そして、母も責任を感じているのか、私の大根嫌いに対して親としての教育を施すことなく大根嫌いを認めてくれている。
シイタケと大根だ。
シイタケは嫌いな人が多く、すぐにみんな納得してくれる。
あの味をどうしても私の喉が受け入れてくれず、思わず吐き出したくなってしまう。
問題は大根である。
世の中大根嫌いの人間はそう多くいるわけでもなく、これまで私も自分以外に大根嫌いの人間に出会ったという記憶はない。
しかし、それでも私は大根が嫌いである。
飲み会で最初に大根サラダを頼もうとする人がいたら、そのときは私は自分の持てる力を100%発揮して大根サラダを阻止するように企てるであろう。
それでもコース料理では大根サラダがコースに組み込まれてしまっていることが多く、店を相手に抗議するわけにもいかず、そのときは素直に引き下がりおとなしくしている。
大根サラダは大根が山のように盛られており、出てくるとみんな
「おーっ、すげー大根山盛り!」
と興奮する。
しかし私は反対に意気消沈。「これは私が大根嫌いと知っての狼藉か・・・」
食べられるのは上にかかっている海苔だけ。
全体の5%にも満たないような、消費税にも負けてしまうような部分しか食べるところがない。
その海苔も無意識にみんなが大根と一緒にとってしまい、最終的に食べる部分はほとんどない。
ドレッシングという名の残り汁を啜れればマシな方である。
なぜ私が大根を嫌いかといえば、それは小学校4年のときにさかのぼる。
風邪をひいて寝込んでいた純真無垢だった私に母がとある液体を飲めと強要。
それが、大根を水に漬けて大根エキスがしっかりと染み出た液体。
「身体にいいんだから!」と強要する母。
抵抗したくても抵抗する力のほとんどない私。
無駄な抵抗が成功するはずもなく、半強制的に飲まされた私。
大根の嫌な味を濃縮しているようなその味は喉越しがかなり悪く、私の身体は本能的にそれを体外へ排出しようとした。
そのまま嘔吐。
それ以来、大根を食べようとするとそのときの味が口の中から頭の中まで蘇ってきてしまい、とても飲み込めない。
もう既に15年以上昔の話であり時効は成立してしまっているが、その時ほど母が鬼に見えたことはない。
この時のシーンは今も鮮明に覚えており、その日の外は曇り空で部屋も薄暗かったこと、それが恐らく午後の二時前後の出来事であったことなど、忘れたくても忘れられない。
そんな出来事があり、私は大根が嫌いである。
そして、母も責任を感じているのか、私の大根嫌いに対して親としての教育を施すことなく大根嫌いを認めてくれている。