三日続いたら褒めてください

うんこネタの封印が三日続いたら褒めて下さい。

大根

2006年02月11日 09時21分55秒 | Weblog
私はなんでも食べると思われがちだが、こんな私にも嫌いな食べ物が2つある。

シイタケと大根だ。
シイタケは嫌いな人が多く、すぐにみんな納得してくれる。
あの味をどうしても私の喉が受け入れてくれず、思わず吐き出したくなってしまう。

問題は大根である。
世の中大根嫌いの人間はそう多くいるわけでもなく、これまで私も自分以外に大根嫌いの人間に出会ったという記憶はない。
しかし、それでも私は大根が嫌いである。
飲み会で最初に大根サラダを頼もうとする人がいたら、そのときは私は自分の持てる力を100%発揮して大根サラダを阻止するように企てるであろう。
それでもコース料理では大根サラダがコースに組み込まれてしまっていることが多く、店を相手に抗議するわけにもいかず、そのときは素直に引き下がりおとなしくしている。

大根サラダは大根が山のように盛られており、出てくるとみんな
「おーっ、すげー大根山盛り!」
と興奮する。
しかし私は反対に意気消沈。「これは私が大根嫌いと知っての狼藉か・・・」
食べられるのは上にかかっている海苔だけ。
全体の5%にも満たないような、消費税にも負けてしまうような部分しか食べるところがない。
その海苔も無意識にみんなが大根と一緒にとってしまい、最終的に食べる部分はほとんどない。
ドレッシングという名の残り汁を啜れればマシな方である。

なぜ私が大根を嫌いかといえば、それは小学校4年のときにさかのぼる。
風邪をひいて寝込んでいた純真無垢だった私に母がとある液体を飲めと強要。
それが、大根を水に漬けて大根エキスがしっかりと染み出た液体。
「身体にいいんだから!」と強要する母。
抵抗したくても抵抗する力のほとんどない私。

無駄な抵抗が成功するはずもなく、半強制的に飲まされた私。
大根の嫌な味を濃縮しているようなその味は喉越しがかなり悪く、私の身体は本能的にそれを体外へ排出しようとした。
そのまま嘔吐。

それ以来、大根を食べようとするとそのときの味が口の中から頭の中まで蘇ってきてしまい、とても飲み込めない。

もう既に15年以上昔の話であり時効は成立してしまっているが、その時ほど母が鬼に見えたことはない。
この時のシーンは今も鮮明に覚えており、その日の外は曇り空で部屋も薄暗かったこと、それが恐らく午後の二時前後の出来事であったことなど、忘れたくても忘れられない。

そんな出来事があり、私は大根が嫌いである。
そして、母も責任を感じているのか、私の大根嫌いに対して親としての教育を施すことなく大根嫌いを認めてくれている。

初歩的教訓

2006年02月11日 09時00分01秒 | Weblog
ライブ前にはちょっと個人練をしておかないと、本番で歌うのが非常に困難である。
ドラム叩きながら歌うなんて、身体だけ大きく人間的にも精神的にも技術的にも息子的にも小さいばかりの私には大変なことである。

先日ボとリズム練をして思ったが、歌よりはタイコに専念したいというのが願望。
歌から逃げているというのではなく、本当にタイコが好きなのである。
誰かがなんか弾いていると、それにその場の気分でいろいろとタイコをつけたくなってしまう。

そこで先日ソバに歌ってみてもらったわけであり、私はそれにグッとくるものを感じた。
心が揺さぶられ、開放された心はスネアからタム、シンバルへと自由に駆けずり回った。
本来あるべき理想的な姿をそこにみたように思う。

しかし、誰も認めてくれない。
ジンギスカンにうるさい某ドラマーさんから、油を用いた料理好きのご意見番、さらにはそれに同調するようにソバまでもが真っ向から対立。
1人vsその他大勢、明らかに不利なこの状況をいかにして打破するかが今後の課題である。

しかしながら、自分の中にも裏切り者が存在することに最近気づきつつある。
「お前が歌ったほうがいいよ!」といわれ、密かにちょっとうれしかったりする自分の中の素直なところ。
こいつは手ごわい裏切り者である。
この気持ちに逆らえるほど私はひねくれ者ではない。
シル、勝手に内部崩壊の危機。

だがみんな間違っている。
多数決が正しいとは限らないと、小学校で教わったはずだ。

こうして僕が言ったことは誰も聞いてくれないし、自由は失われるし、でも僕は間違っていないのに、目に見えぬ細い糸が僕を縛り付けている。
そんな肉歌。

酒の残った次の朝ではこんな記事しか書けない。