ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

花は桜木、人は武士

2016-04-10 19:24:30 | 日記
 関東ではそろそろ桜も終わりですね。葉桜になりつつあります。今年は天気に恵まれず、満開の時を逃しました。本当に盛りの時が短い桜ですが、そのわずかな時を目指して海外からお花見に来る外国人が増えました。昔はお花見の席に外国人がいると違和感がありましたけれど、最近はすっかり慣れてしまい、日本の文化を愛してくれる外国人を有難く感じるようにさえなりました。本当に不思議です。

   散りゆく桜

 以前「業平とその祖父」(マイブログ)で、「散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき」という歌を紹介しましたが、本当に華やかに美しく咲き誇る桜がぱっと散る潔さ、散るからこそ余計に美しいのだと感じます。花弁がしぼんだり、変色したりして汚くならないうちに散ってしまう。それは死に際の潔い武士と共通するものでもありました。

 平家が都落ちする契機となる戦いが富士川の合戦、そして倶利伽羅(くりから)谷での大敗北ですが、味方が敗走する中、ただ一騎引き返して敵と戦い、見事に散っていった平家の武将がいます。斎藤別当実盛(さねもり)。齢(よわい)七十は越えている筈なのに鬢鬚(びんひげ)が黒いのは何故かと木曽義仲が尋ねると、実盛を知る樋口次郎が答えます。「老い武者として人に侮られるのは口惜しい故、六十を越えて戦場に向かう時は鬢鬚を染めて出ようと思うのだ」と常々申しておりました、と。

 そこで鬢鬚を洗わせてみると、白髪になったというのが『平家物語』にあるエピソードですが、能の修羅物にも取り上げられています。また室町時代の公家の日記(『満済准后(じゅごう)日記』)の中にも実盛の霊が加賀の篠原あたりに出現したという記事があり、その伝承は生き続けていたことがうかがわれます。
 己の死に場所を戦場に求めた武士の姿をここに見ることができますけれど、芭蕉はこの地で、「むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす」という句を残しています。

 さらに時代が下ると、
 敷島(しきしま)の 大和心(やまとごころ)を 人問(と)はば 朝日ににほふ 山桜花(やまざくらばな)
 ご存じ本居宣長の歌ですが、ここでは「武士」とはいわず「大和心」といっています。武士と限定せずに日本人のスピリットとはどんなものかと人に尋ねられたら、それは朝日に映える山桜花のようなものだと答えよう、というわけです。
 そんなに散り急がなくてもと思いますけれど、果たして長寿が幸せなのかというと、それはまた疑問です…。

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