ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

つわものどもが夢の跡

2018-04-15 19:23:47 | 日記
 いい季節になりましたね。毎年そう思うのですが、旅に出たい季節です。桜の咲く頃に京都へも行ってみたいのですが、その思いはなかなか叶いそうにありません。
 我が家近辺の桜はもう終わってしまい、今はハナミズキでしょうか。青々とした若葉が生い茂るようになり、日を浴びた青葉を見るとどうしても脳裏に浮かぶのが芭蕉の句、「あらたうと 青葉若葉の 日の光」。何度かブログにも書きましたけれど、この季節にぴったりの句です。

 これは言わずと知れた「奥の細道」にある句ですけれど、芭蕉が旅に出る時はとにかく松嶋の月を見たいと思っていたのでしょう。序文に「松嶋の月先(まず)心にかかりて…」とあります。そして松嶋ではその絶景に絶句してしまい、句が詠めなかったんですね。散文の方ではその情景を描写していて(省略)、「造化(ぞうか)の天工(てんこう)、いずれの人か筆をふるひ、詞(ことば)を尽さむ」と言っています。造物主の偉大な仕事を人間ごときが筆舌に尽くすことなどできないと大絶賛しているわけです。

 松嶋


 そして芭蕉は平泉へと足を向けます。ここで詠んだのが、「夏草や 兵(つはもの)どもが 夢の跡」。私の大好きな句です。藤原三代の栄耀栄華を極めた東北の京ともいうべき雅な空間と、そこにあったであろう義経の館が跡形もなく消え去り、今はただ夏草が生い茂るばかりだという無常観、過ぎ去った時間と虚しさが伝わってきます。

 「奥の細道」には「三代の栄耀一睡の中(うち)にして…秀衡(ひでひら)が跡は田野に成て、金鶏山(きんけいざん)のみ形を残す。先、高館(たかだち)にのぼれば、北上川南部より流るる大河也。衣川(ころもがわ)は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入(おちいる)。…偖(さて)も義臣すぐって此城にこもり、功名一時の叢(くさむら)となる…」とあって、芭蕉はここにしばし佇み、涙しています。

 中尊寺金色堂


 数十年前に私も平泉の中尊寺へ行ったことがあるのですが、その時は高館(義経終焉の地)へは行けませんでした。はるか遠くに衣川(ころもがわ)を望み、その時代へ思いを馳せました。

 衣川を望む


 義経というのは、どこか悲しい存在なんですね。平家を滅ぼした功名に比して、その生涯があまりに哀れで、つい同情したくなってしまうんです。いわゆる判官贔屓(ほうがんびいき)ですけれど。義経自身、頼朝に対して反抗する気持ちはなかったと思いますし、親の仇を討とうとする気持ちや、兄頼朝の役に立ちたいと思う気持ちは純粋なものだったと思うのです。ただ政治を知らない戦(いくさ)馬鹿のようなところがあって、さまざまな人の讒言を許し、また後白河院のような大天狗に操られたところがあるのは否めません。さんざん義経を利用しておきながら、最後に義経追討の院宣を下した後白河院は本当に許せないと思いますけれど…。


 何はともあれ、松嶋も中尊寺もいいところでした。こんな季節にはまたぶらりと行ってみたいものです。


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