ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

後北条氏と虎の印

2016-05-22 19:31:21 | 日記
 北条氏というと鎌倉時代に執権を務めた北条氏得宗家を思い浮かべる方も多いことでしょう。こちらは北条時政を祖とするものですが、戦国時代には伊勢新九郎(北条早雲)を祖とする後北条氏が関東に覇を唱えました。今年の大河「真田丸」にも登場し、これから秀吉に滅ぼされる運命にありますが、あの小田原攻めがなければ家康の江戸もなかったかもしれません。秀吉に滅ぼされ、家康が関東を治めることになったからこそ、今の東京があるのかもしれないのです。

 滅ぼされた北条氏は小田原を本拠地としていましたが、支配領域は関東一円に及びました。現代でいうと神奈川、東京、千葉、埼玉の大部分と静岡、茨城、栃木、群馬の一部を支配していました。武田氏や上杉氏にも劣らぬ大国であるにも拘わらず、何故大河ドラマにならないのか、「北条五代を大河ドラマに!」という声も上がっています。五代とはいうまでもなく、北条早雲→氏綱→氏康→氏政→氏直のことです。

 五代百年の間にはいろいろなことがありましたけれど、総じて善政を布いたといわれています。早雲寺殿二十一箇条という家訓も残されており、年貢を四公六民にしたので、他国の農民も北条氏の支配下に入ることを願ったと伝えられています。また文書に虎の印を用い、公印として用いた早期の例としても有名です。それまでは多くが花押(かおう)というサインのようなものを用いていましたが、花押に替えて使った虎の朱印(印文は「禄寿応穏」)は当時先進的なものでした。

 使用の意味は文書を確かなものにして効力を持たせるということなのですが、こうした印が使われた文書は印判状と呼ばれます。印の色が赤か黒かで朱印状、黒印状に分けられ、所領安堵や政治・軍事の命令を発する時に使われました。江戸時代になると御朱印、御黒印などと呼ばれるようになります。

  北条氏の虎の印

 印章は古くから使用されていましたが、最も自由で華やかな時代が始まったのは戦国時代からだといえます。花押に替わるものとして一般に流行するようになり、工夫を凝らしたものが出現しました。虎の印もその一つですが、上杉氏や武田氏の龍や獅子をデザインしたものなど面白いものがたくさんあります。中でも特に有名なのは織田信長が用いた「天下布武」の印で、これには小判形、馬蹄形、双龍円の三通りがありますが、小判形のものが最も早く使われたようです(写真下)。

 信長の天下布武の印    秀吉の糸印

 伊勢氏から北条氏への改姓は氏綱の時。早雲が本拠地としていた伊豆の韮山は、鎌倉北条氏の出身地であったことからとったともいわれています。正式には天皇の勅許を得なければならなかったので、氏綱が願い出て公認され、官職を得ることもできました。これによって上杉氏や武田氏とほぼ同等の家格になれたわけです。上杉・武田とともに関東の三傑と謳われた北条氏ですが、派手な合戦や骨肉の争いがなかったせいでしょうか。ドラマにはなりにくいようですね。

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