日差しが明るくなってきましたね。春はもうすぐそこにと思える日の光ですけれど、明日は大寒、これからが冬本番です。でも蝋梅(ろうばい)が咲き、早咲きの梅が開花するのを見ると、春の訪れを感じずにはいられません。春は空からやってくるのかもしれません。
ほのぼのと 春こそ 空に来にけらし 天の香具山 かすみたなびく(後鳥羽院)
蝋梅 早咲きの梅
早く春が来て欲しい、そんな思いで外へ出てみると、土の間から若菜が顔を出していたり、小鳥のさえずりが聞こえたりして春を感じるけれども、遠くの山にはまだ雪が降り積もっている。そんな光景を詠んだ歌が『古今集』には多くあります。
梅が枝(え)に 来居るうぐいす 春かけて 鳴けどもいまだ 雪は降りつつ(読み人知らず)
春がすみ たてるやいづこ みよしのの 吉野の山に 雪は降りつつ(読み人知らず)
冬と春が混在する季節の矛盾は今も同じです。先週の木曜日は雪が降ったところも多く、本当に寒くて真冬であることを思い知らされましたけれど、ここ数日は春のように暖かいのですから。空から地面に目を転じれば、春の若菜が芽吹いているかもしれません。そんな若菜を摘む行事が昔宮中でありました。正月の初子(はつね)の日に宴を催し、摘んだ若菜を羹(あつもの)にして食べ、長寿を祝ったのです。
雪間から萌え出る若菜というのは生命力に満ち溢れていますから、その生命力(精気)をいただいて邪気を払い、無病息災を願う。人の健康と生命を維持する手段でもあったわけですね。これが正月七日の人日(じんじつ)の節句と結びつき、いろいろな変遷を経て今の七草がゆの風習になったようですが、最近では七草がゆを食べる人も少なくなりました。そのうち廃れてしまうのかもしれません。疲れた胃腸をいたわる効果もあるのに、残念なことです(私も食べません)。
君がため 春の野に出でて 若菜摘む わが衣手(ころもで)に 雪は降りつつ(光孝天皇)
これは光孝(こうこう)天皇が皇太子であった頃、人に若菜を賜った時の歌だそうですが、寒さの中、袖が雪で濡れてしまうほど苦労して摘んできたのですよと言っているんですね。籠には雪が降りかかっていたかもしれません。賜ったのは誰だったのでしょう。この頃は若菜を摘んで差し上げるというのも、ひとつの愛情表現になったんですね。
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ほのぼのと 春こそ 空に来にけらし 天の香具山 かすみたなびく(後鳥羽院)
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早く春が来て欲しい、そんな思いで外へ出てみると、土の間から若菜が顔を出していたり、小鳥のさえずりが聞こえたりして春を感じるけれども、遠くの山にはまだ雪が降り積もっている。そんな光景を詠んだ歌が『古今集』には多くあります。
梅が枝(え)に 来居るうぐいす 春かけて 鳴けどもいまだ 雪は降りつつ(読み人知らず)
春がすみ たてるやいづこ みよしのの 吉野の山に 雪は降りつつ(読み人知らず)
冬と春が混在する季節の矛盾は今も同じです。先週の木曜日は雪が降ったところも多く、本当に寒くて真冬であることを思い知らされましたけれど、ここ数日は春のように暖かいのですから。空から地面に目を転じれば、春の若菜が芽吹いているかもしれません。そんな若菜を摘む行事が昔宮中でありました。正月の初子(はつね)の日に宴を催し、摘んだ若菜を羹(あつもの)にして食べ、長寿を祝ったのです。
雪間から萌え出る若菜というのは生命力に満ち溢れていますから、その生命力(精気)をいただいて邪気を払い、無病息災を願う。人の健康と生命を維持する手段でもあったわけですね。これが正月七日の人日(じんじつ)の節句と結びつき、いろいろな変遷を経て今の七草がゆの風習になったようですが、最近では七草がゆを食べる人も少なくなりました。そのうち廃れてしまうのかもしれません。疲れた胃腸をいたわる効果もあるのに、残念なことです(私も食べません)。
君がため 春の野に出でて 若菜摘む わが衣手(ころもで)に 雪は降りつつ(光孝天皇)
これは光孝(こうこう)天皇が皇太子であった頃、人に若菜を賜った時の歌だそうですが、寒さの中、袖が雪で濡れてしまうほど苦労して摘んできたのですよと言っているんですね。籠には雪が降りかかっていたかもしれません。賜ったのは誰だったのでしょう。この頃は若菜を摘んで差し上げるというのも、ひとつの愛情表現になったんですね。
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