ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

ふるさとや…

2013-06-06 18:10:12 | 日記
 梅の実がなり、ヤマボウシの花が咲き、薔薇の花が咲く季節になりました。バラ園には毎日のように大勢の人が集まってきます。特に女性が愛するその薔薇、不思議なことに和歌に詠まれることはあまりなかったんですね。花自体は平安時代からあったのですが、唐から渡来したものは薔薇(さうび)と呼ばれ、「さうび」で詠まれた歌は何首かあるのですが、和名がつかなかったためにその後も和歌に詠まれることは少なかったようです。

 梅の実   咲き誇る薔薇


 しかし、近世になると小林一茶の句に登場してきます。
 「故郷(ふるさと)や 寄るもさわるも 茨(ばら)の花」


 一茶には珍しい句です。「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」や、「やれ打つな 蝿(はへ)が手をすり 足をする」、「やせ蛙 まけるな一茶 これにあり」といった生き物に対して細やかな愛情を示した作者としては、少し趣が違うようです。

 一茶は幼時に母を失い、継母が弟を生んだために実家とは縁が薄かったのだそうですが、正業に就かなかったことも災いしていたのでしょう。ふるさとはどこへ行っても薔薇の棘にさされるような居心地の悪いところだったんですね。

 だいたい文学でも絵でも音楽でも、その道で満足に食べられるようになるのは並大抵のことではありません。多くが道半ばで挫折してしまうものです。正業に就いて人並みの暮らしをし、子供を育て、親の面倒を看る。それが一人前の人間であったわけですから、一茶のように食うや食わずの俳諧師など、よく思われる筈もありませんでした。


 室生犀星(むろうさいせい)が詠んだ詩にもそんなのがありましたね。ご存じの方も多いと思いますが、「ふるさとは遠きにありて思うもの、そして悲しくうたふもの…」というあれです。たとえうらぶれて、異郷の地で乞食をするような身の上になったとしても、帰るところではないと犀星は言っています。

 お正月やお盆休みの帰省ラッシュ。交通渋滞を押して帰る人たちは、きっとあたたかく迎えてくれるご家族がおられるのでしょう。そんな人たちを、一茶や犀星は羨望の眼差しで見つめているかもしれません。

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