外教生活 in 中国山東省濰坊-淄博-泰安-済南&北京=>故郷へ

北京五輪の翌年(2009年)からの外教(外国籍教師)生活と地元での留学生との触れ合いを綴っています。

09年の思い出

2015年08月09日 | 日記
8月9日(日) 晴れ

暑い日が続きますね。
ここ最近、昨年土砂災害に遭った広島市の辺りに大雨警報が出ているようなのですが
私の地元では雨が降りません。
先日も買い物ついでにDVDを借りに行ったら激しい雷雨でTSUTAYAのサーバーが
ダウンするというハプニングがあったのですが、私の地元は変わらず晴天で
一滴の雨も降らなかったようです。車で30分ほどの距離なんですが、まるで
別世界ですね。

さて、先日教え子とドライブを楽しんでいた時にこんな会話がありました。
「あの頃(前の学校での時間)の先生の授業は楽しかったですね」
私:「何してたっけ?」
「さぁ、何だったかな?」

彼女は私が濰坊の学校に赴任したばかりの年の3年生で、授業で関わったのは
1学期のみ。

濰坊の学校は「先生の好きなようにやってください」と教科書さえも支給されて
いなかったので市内にある書店でビジネス日本語の本を購入しそれをコピーして
配布したりしていたのですが、3年生については途中から就活等で人数が大幅に
減ったので教室を離れ、私の部屋に招き入れておしゃべりしていたのを覚えています。
完全にフリートーク状態ですね。

また、その教室というのが・・・我々の宿舎の目の前に女子寮があったのですが
その女子寮の一角が教室で、「男士止步」(男性立入禁止)と書かれているドアを
入っていっていたのです。初めは躊躇していたのを覚えています。
途中からは学生が来るのを待って一緒に入ったりしていましたね。

教室内もかなり汚れていて授業前に何度掃除したことか。
とても授業をする環境ではなく、同僚の先生も私の方法に賛同されて学生数が
減ったあとは自室に招き入れていらっしゃいました。

自室での授業はあの学年だけでした。彼女にとっては普段の授業とは違うとても
リラックスした楽しい時間であったことは確かですね。



コメント
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