故郷≪新潟≫の日々

満65歳で中国・黒龍江大学を定年退職した後、生まれ故郷の新潟に戻り、日々の生活を写真とともに日記風に綴っていくもの。

No.31 「絵手紙」のお話。  

2014年01月31日 | 日記

「絵手紙」のお話。    先日、新潟市中央区西堀のNEXT21ビルの6階にあるギャラリーで≪絵手紙≫の展示会が開催されていた。2月3日は≪ふみ≫と読むことからこの日を日本絵手紙協会が「絵手紙の日」と制定したもの。この日は≪絵手紙≫を書いて送る運動を世界中に呼び掛ける日となっているという。


≪絵手紙≫とは辞書によると「自分の描いた絵に簡単な文章を添えた手紙」と説明されている。書く人の感性や人柄が感じられる魅力的なものであることから、最近では中高年を中心に趣味とする人が多く、私の妻も習っている。会場に配布されていたパンフには≪絵手紙≫は(1)ヘタでいい ヘタがいい (2)ぶっつけ本番 (3)お手本なし、という「3つの心得」があると書かれていた。

 

≪絵手紙≫はパソコンが全盛の今の時代に、書き手の心のこもった「手書き」の手紙で温もりを伝える「古くて新しいコミュニケーションツール」でもある。私は展示会の作品を一点ずつゆっくりと鑑賞した。中でも微笑ましい「馬」の絵や「健」、「和」、「感謝」、「学」、「笑」などの柔らかいタッチの毛筆作品などを拝見し、心温まる気持ちにさせられた。 


「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」


「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」

「絵手紙」


No.30 「どっぺり坂」のお話。  

2014年01月30日 | 日記

「どっぺり坂」のお話。      最近の新潟市内は「小雪」や「霙(みぞれ)」の日が続いているが、私は久しぶりに晴れ間を見つけ 「どっぺり坂」まで散歩に出かけた。場所は新潟市中央区西大畑町にあり「JR新潟駅」の万代口から日本海に向かって歩き、信濃川に架かる「萬代橋」を渡り、さらに「柾谷小路」を真っ直ぐ歩き続けると突き当たるところにある。


「どっぺり坂」周辺は高級住宅街となっており、新潟県知事公舎もある。新潟砂丘の斜面にあたる坂が 「どっぺり坂」である。名前の由来は、この坂の上に新潟大学(旧制新潟高校)の学生寮があり、学生達は近道であるこの坂を下って古町などの繁華街へ遊びに出かけたという。


遊びの度が過ぎると「落第して学年をダブる」という戒めの意味から、「二重にする」という意味のドイツ語「ドッペルン(Doppein)」から名付けられたと言われている。因みにこの坂の階段は「59段」ある。大学の試験の及第点は≪60点≫。それに1点足らない≪59点≫で=「59段」になっているという。誰が「59段」という設計をしたのだろうか?


気分転換に新潟市内の観光名所を訪れてみるのもいいものである。また、この階段を登りきった左手に中華人民共和国駐新潟総領事館の建物を見ることができる。


「どっぺり坂」の説明看板。

どっぺり坂」の石碑。

「どっぺり坂」を下から見た景色。

「どっぺり坂」を上から見た景色。

「どっぺり坂」       この道をまっすぐ行くとJR「新潟駅」に突き当たる。

この階段を登りきった左手に中華人民共和国駐新潟総領事館の建物を見ることができる。

「どっぺり坂」にある観光説明看板。

「どっぺり坂」

No.29 「フィットネスクラブ」のお話。  

2014年01月29日 | 日記

「フィットネスクラブ」のお話。    私の好きな「野球」も今はシーズンオフ。私の所属している60歳以上の選手で構成する還暦野球チームの「新潟エージレス野球クラブ」はやっと2月1日から毎週土曜日の午前中に屋内練習場でトレーニングを開始することになった。私は昨年の10月から今年の1月末まで「フィットネスクラブ」で冬期間の自主トレを開始してきた。


自主トレの場所は新潟市の中心部にある「セントラルフィットネスクラブNEXT21店」。このクラブの入口はオープンする午前8時30分には利用者で行列ができる。中高年のダイエットを目指している人、本格的に身体を鍛えたい人、杖を持ってリハビリを目的とする人など様々な人がここを訪れている。エアロビクス、ヨガ、サルサダンス、太極拳などクラブ独自のプログラムにも人気がある。


また、プールで水泳を楽しむ人も多い。私は毎日、ランニングマシンで約5kmを走り、そのあとバーベルを使ったウエイトトレーニング、10種類ほどの機械を使った筋力トレーニング、それにストレッチなどを楽しんでいる。最後にサウナで「ひと汗」流して終了する。毎週火曜の定休日を除いて「1か月で100km」を走破することを目標にしてきた。


真剣に取り組んだこの冬期練習の成果が今年の「還暦野球大会」で出てくれるといいのだが・・・・。なお、館内は≪撮影禁止≫のため、同クラブのホームページにある写真を掲載させてもらった。


「セントラルフィットネスクラブNEXT21店」が入っているビル。 (6階から8階)

「セントラルフィットネスクラブNEXT21店」が入っているビル。 (中央)

入口

 

「フィットネスクラブ」         ウエイトマシン   (写真提供: 「セントラルフィットネスクラブNEXT21店」)

「フィットネスクラブ」          ランニングマシン

「フィットネスクラブ」        ウエイトマシン

「フィットネスクラブ」           第一スタジオ

「フィットネスクラブ」       売店コーナー

「フィットネスクラブ」         待合室

「フィットネスクラブ」        カーディオマシン

「フィットネスクラブ」        第二スタジオ

「フィットネスクラブ」           スカッシュコート

「フィットネスクラブ」           ロッカールーム

「フィットネスクラブ」         パウダールーム

「フィットネスクラブ」          シャワールーム

「フィットネスクラブ」           25ヤードプール

「フィットネスクラブ」          ダイビングプール

「フィットネスクラブ」          プールサイドジャグジー

「フィットネスクラブ」        スチームサウナ

 

 

 

 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 



No.28 「リハビリ」のお話。  

2014年01月28日 | 日記

「リハビリ」のお話。      私が黒龍江大学日本語教師時代に教えていた当時、1年生の学生が現在は3年生となり、3人が新潟大学で1年間の留学生活を送っている。残念なことに、そのうちの1人の女子学生が昨年の12月、自転車から転倒して左足首を「骨折」してしまった。


彼女は救急車で「新潟中央病院」に運ばれ緊急手術を受け、約1か月の療養生活と「リハビリ」に懸命に取り組み、無事退院した。しかし現在でも毎週火曜日に「リハビリ」のため同病院に通っており、まだ≪車椅子≫や≪松葉杖≫なしでは生活できない状態が続いている。久しぶりに病院で私は元気になった彼女と再会した。


右手で≪松葉杖≫を持ちながら「リハビリ」を終えて病院を出てきた。誰の助けを借りることなく、一人で立って歩いている彼女の姿を見た。順調に回復に向かっているようだ。この日も病院まで彼女の≪車椅子≫を運搬するため同じ中国人留学生が付き添ってきた。「リハビリ」の後、私は病院から新潟大学の留学生寮まで彼女を車で送り届けることができた。


彼女が早期に全快し、新潟の街を自分の足で元気に走り回れるようになることを心から祈っている。  

 

《康复训练》

{我在大当日语老师时教的}一年级学生现在已经三年级了。其中,有三个学生来新潟大学留学一年。非常遗憾的是,其中的一个女同学去年12月,骑自行车折倒,导致左脚腕骨折了。


好被救护车送到了新潟中央医院,进行了紧急手术。好坚持了一个多月的疗养与康复训练,平安地出了院。但是,即便是现在,好还要每周二进行复查,并且,如果没有轮椅和拐杖,就没法生活。这样的情况还会持续下去。隔了姶个星期,我又在医院里见到了好。


好结束了康复训练,一边右手壬着拐杖一边偕开了医院,不借助于任何人的辞助。我看到了好一个人站着行走的样子。我想:好的脚一定会恢复的。这一天,为了搬畚轮椅,同是中国留学生的同学来照料好。好的康复训练结束后,我从医院开车把好送到了新潟大学的留学生公寓。


我从心底祝愿好能早日康复,朝气蓬勃地用自己的脚痂新潟的街道。


事故当初、「新潟中央病院」に入院した教え子。 

黒龍江大学からの留学生2人もお見舞いに駆けつけた。

教え子が入院生活を送った新潟中央病院。

 

昨年末、元気に退院する教え子。

先日、「リハビリ」を終え、病院を出る教え子。

彼女の≪車椅子≫を運搬するため、同じ中国人留学生(左)が付き添ってきた。



No.27 「地酒防衛軍」のお話。  

2014年01月27日 | 日記

「地酒防衛軍」のお話。      新鮮な「魚」と美味しい故郷・新潟の「地酒」が飲めるということで、中国・ハルビン市にある黒龍江大学からの留学生と何回となく懇親を深めた会場が≪寿司割烹 いかだ≫さんである。先日、その≪いかだ≫さんのご主人から「地酒防衛軍」の吉川酒店さんが企画された≪地酒を楽しむ会≫のご案内をいただいた。(定員は約30名。)


昨年、この会に初めて参加した私としては、新潟の「地酒」を楽しむには絶好の機会ということで「参加します!!」と即答した。この日頂戴した「地酒防衛軍」の隊長・吉川さんの名刺には『 有名・無名に関わらず、店主が「うまい!」と感じたお酒のみ販売。』 と書かれてあった。素晴らしい心意気である。今回は新潟県糸魚川市の猪又酒造さんの5種類の地酒「月不見(つきみず)の池」が提供された。


5種類とは(1)秘密の乾杯酒、(2)新酒しぼりたて、(3)純米熟成吟醸酒、(4)純米吟醸酒、(5)特別本醸造酒で、私はジックリと味わった。今回、私たちの参加者枠が≪3人≫のため、私の所属している還暦野球部の小杉大先輩と、一時帰国中の黒龍江大学の大島先生の3人で参加した。大島先生からは中国・黒龍江省で飲食することができない12kgの≪寒ブリ≫を始めとした新鮮な日本海の魚介類と「地酒」を心ゆくまで堪能していただいた。


それにしても「地酒防衛軍」の吉川酒店さん、≪寿司割烹 いかだ≫さん、それに猪又酒造さんの社長さんによる「地酒」、「酒の肴」、「酒の解説」の三拍子揃った絶妙なコラボによる会であった。楽しい時間はあっという間に経過し、時計は午後10時を過ぎていた。


「地酒防衛軍」       有名・無名に関わらず、店主が「うまい!」と感じたお酒のみ販売。

「地酒防衛軍」       懇親を深めた会場が≪寿司割烹 いかだ≫さんの入口。

「地酒防衛軍」の隊長・吉川さんの開会のご挨拶。

「地酒防衛軍」        最初に「秘密の乾杯酒」を注いでもらう大島先生。

「地酒防衛軍」     猪又酒造さんの社長さん(中央)と記念写真をとる小杉大先輩(左)と筆者(右)。

「地酒防衛軍」        猪又酒造さんの社長さんによる「地酒の解説」。

「地酒防衛軍」      「新酒しぼりたて」を冷やで飲む。

「地酒防衛軍」

「地酒防衛軍」    猪又酒造さんの地酒「月不見(つきみず)の池」の5種類のお酒を味わった。

「地酒防衛軍」

「地酒防衛軍」

「地酒防衛軍」

「地酒防衛軍」

5番目の「特別本醸造酒」は≪燗≫で出された。

「地酒防衛軍」

「地酒防衛軍」     ≪寿司割烹 いかだ≫のご主人(右)と記念写真を撮る筆者(左)。

「地酒防衛軍」      会も終盤に入り、ジャンケンの勝者に「前掛け」がプレゼントされた。

「地酒防衛軍」        ジャンケンにも力が入る。


「地酒防衛軍」


「地酒防衛軍」        佐渡沖でとれた「ブリ」と「南蛮エビ」は酒の肴としては最高。

「地酒防衛軍」      「子持ちカレイ」も美味しく頂戴した。

「地酒防衛軍」

「地酒防衛軍」       地元の「女池菜」も柔らかく甘みがあった。

「地酒防衛軍」        「牡蠣」のフライも地酒にぴったりと合う。


No.26 「春節を祝う会」のお話。  

2014年01月26日 | 日記

「春節を祝う会」のお話。    私がいつもお世話になっている「新潟ハルビン友好市民の会」事務局の高橋さんから「春節を祝う会」のご案内をいただいた。今年は中国の≪春節≫(正月)は1月31日という。中国では旧暦を採用しているため、毎年、≪春節≫の日が変わる。この≪春節≫は中国で最も重要とされている祝日でもある。


私が中国・黒龍江省ハルビン市で生活していた時、≪春節≫を家族と一緒に祝うため、殆どの黒龍江大学の学生が故郷へ帰って行った。約35.000人の学生が学んでいた同大学のキャンバスが人影もなくなり、恐ろしいほど≪ヒッソリ≫となったことを覚えている。


「新潟ハルビン友好市民の会」では2月1日の土曜日に新潟市内に住んでおられる外国籍の方々との交流の場として「春節を祝う会」を開催することになった。新潟市中央区礎町の「クロスパルにいがた」の5階の会場では≪のど自慢大会≫が行われるほか、美味しい≪中国料理≫も用意されるという。


1月30日が参加申し込みの締切日。皆さんからも是非、参加していただきたい。毎回、貴重な情報を送ってくださる高橋さんに感謝申し上げたい。


「春節を祝う会」    会場となる「クロスパルにいがた」。

「春節を祝う会」     「新潟ハルビン友好市民の会」の事務局の高橋さんから送付された案内。






No.25 「カモメ」と「ウミネコ」のお話。  

2014年01月25日 | 日記

「カモメ」と「ウミネコ」のお話。     私の書いているこの「ブログ」は原則、毎日更新するようにしている。この「ブログ」に書かれたテーマについて黒龍江大学の学生や長年の友人、知人など様々な方々から「コメント」を頂戴する。また、フェイスブックから連絡が入ることもある。中には知らない方からの「コメント」もある。これも楽しみの一つである。


先日、友人の一人から2014年1月21日付けのNo.21「冬の鳥」に掲載した鳥についての「コメント」をいただいた。内容は『 ≪カモメ≫と≪ウミネコ≫はよく間違われますが、足の色がオレンジが≪カモメ≫、黄色は≪ウミネコ≫だそうです。「ブログ」にある写真は鳥の足の色はどちらでしょう。 』というものであった。私は自分で撮った鳥の写真の足をじっと見てみた。

 

写真をよく見ると、「黄色」にも見えるし「白」っぽくも見える。しかし「オレンジ色」はいないようだ。「黄色」であれば友人が指摘したように≪カモメ≫ではなく≪ウミネコ≫ということになる。いい勉強になった。因みに≪カモメ≫は冬鳥と呼ばれている渡り鳥であり、≪ウミネコ≫は定住している留鳥ということも分かった。貴重な「コメント」を送っていただいた友人に感謝申し上げたい。

 

们、的朋友给我我的一个


,201411821篇博客≪鸟≫什么呢?”,


,我:又有点儿,不是的。说的,了他,我第一次注意到了便: 朋友 


「カモメ」と「ウミネコ」のお話。  2014年1月21日付けのNo.21「冬の鳥」に掲載した鳥の写真。 

その後、インターネットで調べてみました。

「カモメ」と「ウミネコ」のお話。(その1)   

「カモメ」と「ウミネコ」のお話。(その2) 

 


No.24 「ママレード」のお話。  

2014年01月24日 | 日記

「ママレード」のお話。    先週火曜日の夜に開催されている「英会話教室」でメンバーが旅行のお土産として持参された世界文化遺産に認定された富士山の≪クッキー≫を食べ終わった後、ガラス瓶に詰められた手作りの≪ママレード≫が参加者に配付された。私の持っている電子辞書によると≪ママレード≫とは、『オレンジ、レモンなど柑橘類の果皮と果汁を砂糖で煮詰めて作ったジャム』と説明されている。


この教室の講師であるイギリス人のスティーブ先生が柚(ゆず)を原材料にして≪ママレード≫を作られたのである。私はこれまでオレンジやレモンなどの≪ママレード≫は食べたことがあるが、柚の≪ママレード≫を食べるのは初めてであった。親切にもスティーブ先生は≪ママレード≫のレシピーを作られ、そのペーパーをもとに参加者に作り方を丁寧に説明された。


それによると、柚は「Japanese Citron」となっていた。(私の辞書で柚は「Aromatic Citron」となっている。)なお、用意する原材料は柚(450g)、水(1.5ℓ)、砂糖(1.125kg)、レモンジュース(大さじ4杯)の4点。なお、作り方は下の写真にレシピーを掲載しておいたので興味のある方は参考にしてください。


自宅に帰り、早速、私はヨーグルトにこの柚の≪ママレード≫を乗せて美味しく頂戴した。スティーブ先生、ご馳走様でした。

 

スティーブ先生は≪ママレード≫のレシピーをもとに作り方を丁寧に説明された。

「ママレード」    ガラス瓶に詰められた手作りの≪ママレード≫が参加者に配付された。

「ママレード」

「ママレード」

「ママレード」

「ママレード」の配付前にご馳走になった「富士山クッキー」。



No.23 「精米」のお話。  

2014年01月23日 | 日記

「精米」のお話。    私は妻の故郷である新潟県十日町市で農業をしている親戚から主食である≪米≫を送ってもらっている。勿論、美味しさが日本一と評価されている「魚沼産コシヒカリ」である。それを「玄米」のまま送ってもらい、食べる直前に「精米」している。この方法が≪米≫を美味しくいただく秘訣でもある。そしてこの「精米」作業が私の仕事となっている。


この日も「魚沼産コシヒカリ」を20kg詰め込んで、精米所まで車を走らせた。先ず、玄米20kgの場合は100円硬貨を2枚入れると玄米を入れる投入口が開く。投入口に「玄米」を全部入れ、次に≪標準≫のボタンを押すと「精米」が開始される。次に「精米」された≪米≫の出口に「空袋」を用意する。


暫くすると「精米」された≪米≫が「袋」の中に勢いよく入り始める。投入した≪米≫が全部「精米」されると精米機が自動的にストップする。この間、わずか3分~4分で精米作業が完了する。冬の初めには空腹の「鳩」が精米機の前に集まってきて落ちこぼれた≪米≫を食べていた。「鳩」でも美味しい≪米≫は分かるのだろう。しかしこの日は朝早いうえ、雪と寒さもあってか一羽の「鳩」も集まって来なかった。    

 

「精米」       「精米」作業が私の仕事となっている。

「精米」     、玄米20kgの場合は100円硬貨を2枚入れると玄米を入れる投入口が開く。

「精米」     投入口に「玄米」を全部入れ、次に≪標準≫のボタンを押すと「精米」が開始される。

「精米」

「精米」        わずか3分~4分で精米作業が完了する。

「精米」

「精米」

「精米」    冬の初めには空腹の「鳩」が精米機の前に集まってきて落ちこぼれた≪米≫を食べていた。





No.22 「白龍大権現」のお話。  

2014年01月22日 | 日記

「白龍大権現」のお話。       あまりにも「自宅」に近い場所にある建物や施設などは特に高い関心を持たずに通り過ぎることがよくある。先日、「自宅」から徒歩数分の場所にある「白龍大権現」の鳥居の脇に「節分祭」と書かれた2本の派手な≪赤い旗≫がなびいているのに気が付いた。


普段は通り過ぎている場所であるが、この日は思わず立ち止まって「白龍大権現」を正面から見直してみた。私は「赤い旗」の後ろに新しくできた≪蛇≫の石像を見付けた。この「白龍大権現」は通称「人情横丁」商店街の中心部にある。本町市場の入口に面しており、商売繁盛と縁結びの神社であり、地元住民の厚い信仰を集めている。この≪蛇≫の石像の上に1枚の説明看板が掲げられていた。


それによれば、「この2頭の絡み合う白蛇の石像は、当“白龍大権現神社”の御身体を先人達及び氏子の言い伝えを基に創設いたしました。男女の縁をはじめ、人と人との出会い等の幸運と御神徳を導くと言われております。石像と台座の両脇の手形に触れ、願いを込めてお祈りしてください。」と書かれていた。私も心を込めてお祈りさせていただいた。


「節分祭」と書かれた「赤い旗」が「白龍大権現」の鳥居の脇に建てられていた。

「白龍大権現」     台座には「手形」が見える。

「白龍大権現」

「白龍大権現」

「白龍大権現」

「白龍大権現」

「白龍大権現」

「白龍大権現」



No.21 「冬の鳥」のお話。  

2014年01月21日 | 日記

「冬の鳥」のお話。     先日、天気の晴れ間を見て信濃川の土手⇒「やすらぎ堤」を散歩してきた。ここで私は4種類の鳥を観察することができた。最初に見たのは≪カモメ≫である。この周辺は日本海に近く、よく海鳥を見かける。≪カモメ≫は「やすらぎ堤」の川沿いの芝生の上で30羽ほどが集団を作って“日向ぼっこ”をしているように見えた。


この≪カモメ≫の集団はカメラを持った私が近づいてもなかなか逃げようとしない。結局、7~8mのところまで近づいて写真を撮ることができた。2番目に出会った鳥は≪鳩≫であった。≪鳩≫も寒い冬を越すためか、丸々と太ったものが多かった。この≪鳩≫は50羽ほどの集団を作っており、私が近づいていくと逃げることなく、逆に「鳩」の方から私に近寄ってきた。きっと人間がこの「鳩」に≪餌≫を与えているためだろう。


3番目に見た鳥は≪鴨≫であった。10羽ほどいた≪鴨≫は警戒心が強く、≪カモメ≫や≪鳩≫と違って私が近寄るとすぐに「やすらぎ堤」から信濃川へと逃げ出した。また、4番目の鳥は我が家の近くの電線に止まっていた≪スズメ≫。この小さな≪スズメ≫も餌を求めている姿が見られた。餌の少ないこの時期、鳥たちも集団で懸命に生きているように見えた。


 ≪カモメ≫は「やすらぎ堤」で30羽ほどが集団を作って“日向ぼっこ”をしているように見えた。

「冬の鳥」      ≪カモメ≫の集団はカメラを持った私が近づいても逃げようとしなかった。


「冬の鳥」       ≪鳩≫も寒い冬を越すためか、丸々と太ったものが多かった。

「冬の鳥」         私が近づいていくと逃げることなく、逆に「鳩」の方から私に近寄ってきた。

「冬の鳥」    3番目に見た鳥は「鴨」であった。「鴨」は警戒心が強い。

「冬の鳥」       4番目に見た鳥は我が家の近くの電線と屋根に止まっていた≪スズメ≫。    


No.20 「中国切り絵」のお話。  

2014年01月20日 | 日記

「中国切り絵」のお話。           先日訪れた「クロスパルにいがた」の2階で開催中の≪中国年画と切り絵≫の展示会場を私はゆっくりと鑑賞した。「中国切り絵」は一枚の紙を一本の刃物だけで切り抜いていくのが特徴。よくみると刃物で切り抜かれた部分は全て一枚の紙で繋がっているという。


「中国切り絵」は動物や植物、それに伝説や神話などがモチーフになっている。私が中国・黒龍江省ハルビン市で生活していた時、春節(旧正月)を迎える街の市場でこの「中国切り絵」がたくさん売られていたことを思い出した。皆さんに展示作品の中で面白いものをいくつか紹介してみたい。


(1)魚躍龍門⇒「鯉」と「龍」

   ⇒流れの急な龍門という川を登りきった鯉は龍になるという伝説になぞらえて「龍門に登った」と形容した。


(2)麟吐玉書⇒「麒麟」と「珠」と「書物」

  ⇒「珠」と「書物」は宝と学問を表す。火と一緒に吹くことで邪気を払い吉祥を迎えることを意味する。


(3)喜鵲登梅⇒「鵲(かささぎ)」と「梅」

  ⇒「鵲」は七夕に牽牛と織姫が「鵲」の橋を渡って出会うという伝説から「婚姻」を知らせる鳥と言われる。

  ⇒この絵は良い縁、幸福を願うことを意味している。


(4)百事如意⇒「百合」と「柿」と「童子」

  ⇒「百合」の花は多数を意味し、「事」は「柿」と同じ発音のため、童子に柿の実を持たせ数の多いことを表す。

  ⇒童子に如意(権力を示す道具)を持たせて、物事が順調にいく願いを表している。

 

「中国切り絵」        は一枚の紙を一本の刃物だけで切り抜いていくのが特徴。

「中国切り絵」        (1)魚躍龍門⇒「鯉」と「龍」

「中国切り絵」

 「中国切り絵」      (2)麟吐玉書⇒「麒麟」と「珠」と「書物」

「中国切り絵」

 「中国切り絵」     (3)喜鵲登梅⇒「鵲(かささぎ)」と「梅」

「中国切り絵」

「中国切り絵」     (4)百事如意⇒「百合」と「柿」と「童子」

 「中国切り絵」

 「中国切り絵」

「中国切り絵」

 「中国切り絵」

「中国切り絵」

「中国切り絵」

「中国切り絵」

 「中国切り絵」

私が中国・黒龍江省ハルビン市で生活していた時、友人から頂戴した「切り絵」。


No.19 「中国年画」のお話。  

2014年01月19日 | 日記

「中国年画」のお話。      先日、私は「クロスパルにいがた」で開催されていた≪中国年画と切り絵≫の展示会場を訪れた。「中国年画」とは、春節(旧正月)に貼り出す吉祥や、めでたい気分を表す「絵」や「版画」のことをいう。題材としては中国の農民を中心とする民衆の世界で新しい年の「幸福」、「豊作」、「金運」、「立身出世」、「不老長寿」、「商売繁盛」などを願うものが多い。


この「中国年画」は家の門や入口の戸、居間の壁などに貼られる。「中国年画」はそれぞれの願いを表す「吉祥物」と組み合わせて飾ることになる。私は展示作品の中に描かれた「動物」や「果物」などの意味も「中国年画」の下に脇に貼られていた≪説明書≫を読んで理解することができ、楽しく鑑賞させてもらった。


 例えば(1)お金持ちになりたい人  ⇒「大得余利」   ⇒「魚」

      (2)仕事で出世したい人    ⇒「官菊一品」   ⇒「丹頂鶴」と「菊」

        (3)子宝を願っている人    ⇒「縁寿多子」   ⇒「スイカ」と「ざくろ」

          (4)長寿を願っている人    ⇒「福寿三多」   ⇒「桃」と「ざくろ」と「仏手柑」



「中国年画」    「クロスパルにいがた」で開催されていた≪中国年画と切り絵≫の展示会場を訪れた。

「中国年画」       「クロスパルにいがた」の2階で開催された≪中国年画と切り絵≫の展示会場。

「中国年画」

「中国年画」     (1)お金持ちになりたい人  ⇒「大得余利」   ⇒「魚」

「中国年画」

(2)仕事で出世したい人    ⇒「官菊一品」   ⇒「丹頂鶴」と「菊」

「中国年画」

(3)子宝を願っている人    ⇒「縁寿多子」   ⇒「スイカ」と「ざくろ」

「中国年画」

(4)長寿を願っている人    ⇒「福寿三多」   ⇒「桃」と「ざくろ」と「仏手柑」

「中国年画」

「中国年画」

「中国年画」




No.18 「写真展」のお話。  

2014年01月18日 | 日記

「写真展」のお話。      先日、私は久しぶりに新潟市中央区西堀にあるNEXT21ビル6階で開催されていた「写真展」を見学してきた。一つ目は主催者が「由」さんという≪由写真展≫で、昨年の12月22日から今年の1月10日まで、そして二つ目は≪第12回小金町写真同好会作品展≫で1月11日から18日まで開催されていた。


≪由写真展≫は「白鳥」、「クラゲ」、「ライトアップした街路樹」、「スキー場の花火」、「富士山」、「棚田」、「豪華客船」、「漁港」、「夕陽」など写真のテーマは幅広い。特に「クラゲ」などはカメラマンが海中に潜り、防水カメラを使わないと撮れない写真である。夜間や寒い雪の日の写真などもあり、シャッターチャンスを逃さない努力が必要な苦労の滲み出ている作品が多い。


≪第12回小金町写真同好会作品展≫は女性を含む7人の写真家が「人物」、「花」、「紅葉」、「虹」、「富士山」などの得意分野を撮った力作が展示されていた。美しい大きな≪虹≫の光景や富士山をバックにした≪夕陽≫などをじっくりと鑑賞させてもらった。カメラに素人の私の意見であるが、いい写真を撮る秘訣は次の3点も必要ではないだろうか。皆さんはどう思いますか?


 (1) 撮影場所まで時間をかけて足を運ぶ。

 (2) 根気よくシャッターチャンスを待つ。

 (3) 天候などの≪運≫を味方に付ける。


「写真展」            主催者が「由」さんという≪由写真展≫。

「写真展」

「写真展」

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「写真展」

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No.17 「耐震工事」のお話。  

2014年01月17日 | 日記

「耐震工事」のお話。      先日、北風が弱くなり青空の見えた晴れ間をみて、私のジョギングコースにもなっている信濃川の「やすらぎ堤」へ行ってみた。「やすらぎ堤」には我が家から徒歩で約5分ほどで到着する至近距離にある。ここから見える信濃川の“左岸”の「やすらぎ堤」の≪耐震工事≫はほぼ終了した。そこには新しい芝生が張り替えられていたが、現在、芝生養生中のため「立入禁止」となっていた。


この≪耐震工事≫とは、地震が発生した時に「液状化」現象により「やすらぎ堤」が地盤沈下や崩壊しないようにするため「堤」の基礎地盤を強化し、津波や洪水等から新潟の市街地を守るために実施される工事のことを指す。私が「やすらぎ堤」に到着した時、対岸の信濃川の“右岸”の≪耐震工事≫が盛んに行われていた。


早く≪耐震工事≫が完成し、現在、一部交通止めになっている「やすらぎ堤」の上で春になるとピンク色に咲き誇る≪桜≫並木や、赤・白・黄色などの≪チューリップ≫の花を見ながらジョギングや散策が楽しめることを期待したい。


しかし東日本大震災のような高い「津波」が来れば≪耐震工事≫で完成した堤防の上を超えて市街地に海水が押し寄せてくることは必至の状況。海抜1mのところにある我が家では心配の種は尽きない。


「耐震工事」           信濃川の右岸の≪耐震工事≫が盛んに行われていた。

「耐震工事」

「耐震工事」         現在、一部交通止めになっている「やすらぎ堤」。

「耐震工事」

「耐震工事」

「耐震工事」

「耐震工事」

「耐震工事」

「耐震工事」

新しい芝生が張り替えられていたが、現在、芝生養生中のため「立入禁止」となっていた。

「耐震工事」

「耐震工事」

新しい芝生が張り替えられていたが、現在、芝生養生中のため「立入禁止」となっていた。