故郷≪新潟≫の日々

満65歳で中国・黒龍江大学を定年退職した後、生まれ故郷の新潟に戻り、日々の生活を写真とともに日記風に綴っていくもの。

No.1.035 「早朝散歩」のお話。

2016年10月31日 | 日記

ホテルのフロントで「早朝散歩」のコースを聞いてみた。「ここはゴルフ場とスキー場の中にあるため、適当な散歩コースと言われても……。ホテルの周辺を散策する程度でしょうか。」との言葉が返ってきた。


感動するような「散歩コース」を期待したが、残念であった。私は1人で周囲が明るくなりかけた早朝6時過ぎに散歩を開始した。朝日が昇り始めたラグビー場もダテカンバの白い幹が目立つ程度。


モミジが数本植えられており、鮮やかな紅葉を披露してくれた。いつもは1時間ほど散歩を楽しむことにしている私であるが、気温7度、ヒグマの出そうな静かな雰囲気の中、約30分で散歩を切り上げてきた。


早朝からヒンヤリとした新鮮な空気を胸に十分吸い込むことができ、気分転換を図るには絶好の「早朝散歩」であった。


宿泊したホテル。

ホテルのフロントに掲示された天気予報版。




No.1.034 「バーベキュー」のお話。

2016年10月30日 | 日記

今回のツアーは大手旅行会社の九州支店が企画した「決定版 北海道18景めぐり4日間コース」で、九州・四国を始め、全国9カ所から中高年を中心に≪39人が集まった。

 

この日の宿泊は「北見温泉」。旅の楽しみのひとつである食事も、夕食は参加者の好みにより「バーベキュー」か「和会席」かをツアー出発前に選べるようになっていた。


煙の出る「バーベキュー」を選んだ私達は、ホテルの別棟に案内された。北海道特産の肉や野菜、それに新鮮な魚介類がテーブルに用意されていた。仲間との懇談はビールとお茶の乾杯から始まった。


ビールの次に注文した日本酒のメニューの中に、新潟の地酒「越の寒梅」と「八海山」が載っていたのには驚いた。長旅の疲れもあり、いつもより酒の回りが早かったようだ。



No.1.033 「北海道のおみやげ」のお話。

2016年10月29日 | 日記

「北海道のおみやげ」の代表格はチョコレート菓子の≪白い恋人であろう。今回、私も数箱購入してきた。一方「カニ」「イクラ」「ウニ」「鮭」などの海産物にも高い人気がある。


今日は観光コースとして網走市にある海産物の“買い物ツアー”が日程に入っていた。観光バスの中で添乗員さんがこれから行くお店の「毛ガニ」や「ラーメン」などをジャンケンで勝った人に贈呈するという。


早速、バスの中で添乗員さんとの賑やかな“ジャンケン大会が開始された。幸運にもジャンケンに強い私達のグループの1人が「ラーメン」をゲットした。お店に到着すると「ズワイガ二」などの試食が始まった。


店内で≪8.000円以上買うと送料が無料となる!!という宣伝文句につられ、この店から「北海道のおみやげ」を無料の宅配便で送っている多くの人の姿が見られた。


バスの中で添乗員さんとジャンケンをしているところ。

海産物店の裏はオホーツク海。


No.1.032 「はな・てんと」のお話。

2016年10月28日 | 日記

「はな・てんと」とは、北海道網走市の天都山スキー場にある“フラワーガーデン”の名称。観光バスが到着した時は夕方近くになっており、観光客は私達だけで“お花畑閑散とした雰囲気が漂っていた。


この「はな・てんと」の花の見頃は7月上旬から10月上旬までという。≪3.5haの斜面にマリーゴールドの黄色い花が目に付いたが、サルビアやベコニアなどは、ほぼ花の終わりを迎えていた。

 

夏場にかけて多くの観光客で賑わう“お花畑に、突然、2本の大きな角を持った黒っぽい野生の「鹿」が私達を出迎えてくれた。観光バスから、数人のお客さんが珍しそうにその「鹿」に近付いて行った。


この状況を見たバスガイドさんが大声で「近づかないで!!」と叫んでいた。お客さんはここが「動物園」でないことに気が付いたようだ。


大きな角を持った黒っぽい野生の「鹿」が私達を出迎えてくれた。




No.1.031 「フレぺの滝」のお話。

2016年10月27日 | 日記

知床の観光地のひとつである「フレぺの滝」周辺は、ハイキングコースが整備されていた。ここにも野生の“ヒグマ”や“鹿”が生息し、突然、観光客の前に現れることもあるという。


現地の知床ネイチャーガイドが私達39人を案内する前に「死んだふり」「木に登る」「走って逃げる」などの“ヒグマ”対策は、熊さん達(?)には全く効果がないことを最初に説明された。


昔、開拓者が入植していた林を抜けると「フレぺの滝」の展望台が見えてきた。この展望台に登ると100m以上ある断崖絶壁の中程から、細く幾筋にも分かれて流れ落ちる美しい滝を鑑賞できる


この滝は羅臼岳の地下に浸透した雪や雨水が断崖の割れ目から流れ落ちているという。ホロホロと流れ落ちる様子が「涙」に似ているところから、この滝を「乙女の涙」と呼んでいる。


約60分のハイキングであったが、最近の中高年を対象としたツアーは、体力に応じて自分の足で歩く体験型が流行っているようだ。


 


No.1.030 「知床五湖展望台」のお話。

2016年10月26日 | 日記

摩周湖を見学した後、車窓から日本百名山の「斜里岳」や、知床八景のひとつである「オシンコシンの滝」を眺めながら世界自然遺産に登録された≪知床≫の「知床五湖展望台」へと向かった。


バスの駐車場から高さが2mほどに設置された「高架木道」を歩いて展望台に行くコースを散策した。観光客の体力などにより、それぞれ木道上に設置された3つの展望台を選び、各自、そこから引き返すことになった。


私は一番奥の「湖畔展望台」まで、往復1.6㎞を40分かけて歩くことにした。“ヒグマの生息地とあって「高架木道」の脇には高圧電線が張られていた。ガイドさんから“ヒグマからの被害を防止するため、絶対に「食べ物」を持って見学しないようにとの厳しい注意があった。


木道から見る知床岳・羅臼岳などの「知床連山」の山頂付近は小麦粉を撒いたような美しい雪に覆われていた。“ヒグマは見ることができなかったが、雄大な山々の初冬の景色に感動した観光客も多かった。




No.1.029 「霧の摩周湖」のお話。

2016年10月25日 | 日記

歌手・布施明の代表曲に「霧の摩周湖」という歌がある。私達が若い頃、この歌をよく歌った。私を含め、かなりの中高年の方々は‘摩周湖’と聞けば‘霧’を思い出すようだ。

 

しかしこの日‘摩周湖’の展望台に到着した時、その‘霧’はなく素晴らしい青空が広がっていた。何回もここを訪れている地元の観光ガイドさんが「今日の摩周湖は今年見た中でも一番美しいですよ!!」と説明された。

 

この言葉のとおり、展望台からコバルト色に輝く神秘の湖と言われている‘摩周湖’全体が目の前に広がってきた。湖の中央部にある小島(カムイシュ島)を眺めていると、周囲から「ウワーッ綺麗!!」「スゴーィ!!」という歓声が聞こえてきた。

 

私の隣りからも大きな声の中国語が聞こえてきた。お聞きすれば台湾から来られた観光客であった。


 



No.1.028 「早朝散歩」のお話。

2016年10月24日 | 日記

この日の観光バスの出発時刻は午前7時50分。そのため私は防寒具に身を包み、やや肌寒い早朝5時半から約1時間、阿寒湖畔の整備された遊歩道の散歩を楽しむことにした。


新鮮な空気を吸いながら阿寒湖の「遊覧船乗り場」に到着した。更に歩くこと5分。‘白樺’の仲間の白い幹の‘ダテカンバ’の見える場所で湯気を出していた「弁慶の足湯」を発見した。ここで数人の台湾人観光客と朝の挨拶を交わした。


この日は11月上旬の寒さで、気温は5度であった。足湯から流れ出た天然温泉が阿寒湖に流れ込み、湯気が湖面に立ち込めていた。更に林の中10分ほど歩くと「ボッケ」という場所に到着した。


「ボッケ」はアイヌ語で≪煮え立つ≫の意味。ここでは言葉通り、熱湯やガスがボコボコと湧き出しており「立入禁止」の看板が立てられていた。気分転換には最適の「早朝散歩」であった。




No.1.027 「アイヌ伝統舞踊」のお話。

2016年10月23日 | 日記

豪華なホテルでユックリと温泉につかり、名物のバイキングで海鮮料理を食べた後、私は「アイヌ伝統舞踊」の見学に出掛けた。会場は温泉街を歩いて10分ほどで到着する「阿寒湖アイヌシアター≪イコロ≫」。


330席ある客席は7割ほど埋まっていた。午後9時から上演された≪アイヌ古式舞踊は、国の重要無形民俗文化財に指定され、2009年には「ユネスコ無形文化遺産」にも登録されたという。


赤々と燃える「焚き火」を中心に、アイヌ民族が自然の神々に対する感謝や祈りを表現した踊りなどを鑑賞した。ムックリ(口笛楽器)など2種類の伝統的なアイヌの民族楽器から、風や雨の音などに似た音色が会場に流れた。


最後は舞台に観客も飛び入りし、大きな「アイヌ伝統舞踊」の輪ができた。激しい太鼓の音や過激な踊りなどはなく、終始、落ち着いた雰囲気が流れていたショーであった。


アイヌの民族楽器から、風や雨の音などに似た音色が会場に流れた。

最後は舞台に観客も飛び入りし、大きな「アイヌ伝統舞踊」の輪ができた。




No.1.026 「観光バスの旅」のお話。

2016年10月22日 | 日記

新千歳空港から観光バスに乗り込んだ私達は、九州や四国などから参加した旅行客と一緒になり、総勢39人で今日の最終目的地・阿寒湖畔温泉まで≪約260㎞を走ることになった。


参加者のほとんどが私達と同じ中高年グループ。この日は日本一面積の広い町「足寄(あしょろ)町」を経由し、薄暗くなった「阿寒湖」を車窓から眺めてホテルへ向かうという、ただ走り続ける旅となった。


私の隣りの席には90歳を超えた男性も同乗していた。初雪の積もった山々や黄色く黄葉し始めた景色を見ながら、約1時間半ごとに停車する「トイレ休憩」が唯一の楽しみ。


中でも名物の2mを超える巨大な「蕗」を持った北海道足寄町出身の歌手・松山千春コーナーを設置してある「道の駅」が記憶に残った。



No.1.025 「北海道旅行」のお話。

2016年10月21日 | 日記

私はいつものメンバーと一緒に年に1回程度、海外旅行や国内旅行を楽しんでいる。今回、仲間の最高齢者が80歳を超えたことなどから身体に負担のかかる海外旅行を諦め、6人で「北海道旅行」を楽しむことになった。


これまで友人の中国人などの送迎に新潟空港の「国際線」出発口は何回となく訪れていた。今回、久しぶりに「国内線」の入口に集合した。定刻の午前10時55分に離陸したJAL機は定員50人程の小型ジェット機で、ほぼ満席の状態であった。


飛行中、機長から「現在の高度は6.500m、時速750㎞で飛行中。新千歳空港の天候は曇り、気温10度。」という説明があった。日本海の海岸線を右手に見ながら、ジェット機は北上を続けた。


飛行時間は1時間15分であるが、予定よりも約5分早く到着した。昼食は空港のラーメン店に入り、先ずは本場の味を楽しんだ。これからどんな旅が待っているのだろうか?












No.1.024 「必勝祈願」のお話。

2016年10月20日 | 日記

先日、新潟市中央区一番掘通りにある「白山神社」へ参拝してきた。目的は70歳以上の選手が出場できる「第26回・全日本古希軟式野球選手権大会」に参加する“新潟エージレス野球クラブ”の初戦突破祈願のためである。


今年度、私は古希(70歳)の仲間に入ることから、私にとっても初出場の大会となる。「ヒザが痛い!!」「 肩が弱った!!」「疲れた!!」とか言っておれない立場。私がチームの中で一番若い選手(?!!)なのだ。


「白山神社」の拝殿で≪2礼2拍手をした後、先ずはチームの初戦突破、次に私のヒット1本をお願いし、≪1礼≫をして参拝を終えた。その後、神社と隣接している「蓮池」へ立ち寄ってみた。


蓮の花は咲き終わり、茶色の大きな枯葉が目につくようになった。蓮の実も茶色になっており、蓮の季節は終わりを告げていた。神様は私の初戦突破の願いを聞いてくれるのだろうか?

 




No.1.023 「あと3㎞地点」のお話。

2016年10月19日 | 日記

小雨の降る中、新潟市のシンボルのひとつ「萬代橋」の橋の上でマラソン選手を応援した後、私はフルマラソンのゴール近くの「あと3㎞地点」に移動し、再度、選手を応援することにした。


ここは新潟市歴史博物館がある“みなとぴあ”と呼ばれている場所である。暫くすると男子のトップ選手が白バイの後ろから軽快な足取りで走って来た。2位の選手を大きく引き離していた。


信濃川河畔の「やすらぎ堤」には選手が来るたびに、新潟万代太鼓≪若藤会≫の若者による威勢のいい太鼓が鳴り響いていた。カメラを片手に私はここからゴールに向かって歩き始めた。「萬代橋」の下をくぐり抜け「あと2㎞地点」に到着した。


この近くに給水所があり、多くのボランティアがコップに水を入れ、テーブルに並べていた。既に40㎞を走って来たと思われないほどのスピードで、女子のトップ選手が通り過ぎて行った。


男子のトップ選手が白バイの後ろから軽快な足取りで走って来た。

女子のトップ選手が、かなりのスピードで通り過ぎて行った。

 








No.1.022 「マラソン大会」のお話。

2016年10月18日 | 日記

先日、恒例の「新潟シティマラソン大会」が開催された。小雨が降っていたが、私はいつものように新潟市のシンボルのひとつである「萬代橋」の中央付近で選手を応援することにした。


午前8時に新潟市役所前を出発したフルマラソン参加のトップ集団は、スタート地点から≪2Km≫の表示版がある「萬代橋」まで、白バイを先頭に6分ほどで到着した。先頭ランナーは近くで見るとかなり速いスピードで走っていた。


その後、続々と選手が登場し、10数分も経過すると4車線の萬代橋の上は多くの選手で埋め尽くされた。歩道には応援者のほかテレビカメラなどを設置した地元の報道各社が取材に来ていた。


例年のとおり“タイガーマスクをかぶった選手や、“白鳥の首を頭につけてマラソンを楽しむ選手の姿などが見られた。私の所属している「英会話教室」のカナダ人教師や「早起き野球チーム」の選手、高校の同期生などに手を振って応援した。


左は私が所属している「英会話教室」のカナダ人講師。




No.1.021 「新潟の水道水」のお話。

2016年10月17日 | 日記

先日、開催された「古町どんどん」のイベントのひとつに、新潟市水道局の職員が「新潟の水道水」を宣伝している珍しいブースが目に止まった。係員に誘われるまま試飲することになった。


最初に試飲させてもらった水は静岡県富士宮市のミネラルウォーター「富士山」。これはあっさりしていて飲みやすかった。2番目はフランスのエビアン(Evian)というカルシウムとマグネシウムが補給できるという有名な水。


3番目はやはりフランスのコントレックス(Contrex)というミネラルウォーター。私はやや舌に残るような癖のある感じがした。最後に新潟市の信濃川から取水したという水を試飲した。


ミネラルウォーター「富士山」にひけを取らない美味しい水であった。この水は緊急災害用に「柳都物語」というレッテルの張られたボトルに詰めて倉庫に保管してあるとの説明であった。