故郷≪新潟≫の日々

満65歳で中国・黒龍江大学を定年退職した後、生まれ故郷の新潟に戻り、日々の生活を写真とともに日記風に綴っていくもの。

No.638 「八千代橋のライトアップ」のお話。

2015年09月30日 | 日記

新潟市のシンボルのひとつである「萬代橋」のライトアップは、私の「ブログ」(2014年6月20日付け171号「夜の萬代橋」)などでも掲載してきた。今日は「萬代橋」の上流にある「八千代橋」のライトアップについてのお話。私は夕食後、久しぶりに夜の信濃川河畔にある“やすらぎ堤”を訪ねてみた。

 

ここで夜間のライトアップが行われているニュースを聞き、駆けつけたもの。我が家から5分ほどでこの「八千代橋」のライトアップが鑑賞できる“やすらぎ堤”に到着した。堤防の上から見ると、時間差で「八千代橋」の橋の色が「赤」「青」「紫」「緑」「黃」と変化していた。

 

この「八千代橋」だけがライトアップされるだけでなく、暗くなった信濃川の川面にもこの色が映し出されていた。このイベントは「萬代橋」から見る夜景づくりの一環として新潟市が企画したという。「八千代橋」のほかに“やすらぎ堤”にも光り輝く四角い「箱」が遊歩道に沿って設置されていた。

 

例えば「八千代橋」が「緑」にライトアップされると、連動してこの「箱」も緑色に輝くようになっていた。普段は暗い信濃川河畔周辺もライトアップにより、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 

昼間の「八千代橋」。

「萬代橋」の上から見た「八千代橋」。

 

 

 

 

 


No.637 「中秋節を祝う会」のお話。

2015年09月29日 | 日記
先日、新潟市中央区礎町にある「クロスパルにいがた」で新潟・ハルビン友好市民の会が主催した“中秋節を祝う会”が盛大に開催された。この日、私は還暦野球大会の試合に出場したため、残念ながらこの会には出席できなかったが、元黒龍江大学日本語教師の大島先生が参加され、私宛に写真とコメントを届けていただいた。
 
 
“中秋節を祝う会”は午前中、中国人を中心とした手作りの餃子づくりから始まった。加えてハルビン市出身者の経営する中華料理店「張園」の本格的な餃子などが運ばれてきた。大島先生は本場の餃子の味に満足されたとのこと。来賓として中国駐新潟総領事館副領事ご夫妻、新潟市国際課課長、新潟市国際交流協会事務局長などが出席された。
 
 
来賓の方々から「国として政府として困難な問題が山積しているが、“中秋節を祝う会”のような民間の地道な交流が両国の将来を開いていく。」という主旨のご祝辞を頂戴した。続いて、新潟市太極拳協会会員による太極拳のパフォーマンスの後、歌やフラダンス・ビンゴゲームなどで参加者は大いに交流を深めた。
 
 
中国人にとって、中秋節は大事な節目のひとつで、日本に住んでいる中国人は故郷の家族を思いやりながら、とても楽しんでいた様子。いい光景でした。いろいろな出し物を交えながら、楽しく会食し談笑しました、と大島先生は述べられた。ご多忙の中、貴重な情報を提供していただいた大島先生に感謝申し上げたい。
 
 
(写真提供 : 大島先生(中央))
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

No.636 「古希野球大会」のお話。

2015年09月28日 | 日記

現在、私は60歳以上の選手が参加できる“還暦野球部”の「新潟エージレス野球クラブ」に所属して、毎週、野球を楽しんでいる。当クラブは部員数が50名を超える大所帯で、そのうちの半数以上が70歳を超える年齢となった。その70歳以上の選手が楽しめる大会が「古希野球大会」である。

 

“還暦野球”と同じように“古希野球”にも全国大会がある。現在、新潟県内では新潟市を始め、上越市、長岡市、五泉市などから7チームが参加し「古希野球大会」を楽しんでいる。そして年々そのチーム数が増加している。これまで全国大会には新潟県から2チームが参加することができた。来年度はどうなるか不明のため、全国大会に出場するには優勝することが絶対条件となる。

 

7チームによる総当りのリーグ戦で決着をつけることになった。この“古希野球”は来年度の全国大会の予選のため、今年度、数え年で≪69歳≫になる選手も出場できることになった。幸運にも数え年で≪69歳≫になる私は「チーム最年少選手(!!??)」として初めてこの大会に出場することができた。また我がチームの中には≪81歳≫の選手も頑張っておられる。

 

試合は上位3チームが5勝1敗で並ぶ混戦となった。勝ち数が同じ場合は「失点の少ないチームが上位になる」という特別ルールに救われ、6試合で≪失点18≫の我がチームは≪失点24≫と≪失点36≫の2チームを抑えて、来年度の全国大会の出場権を獲得することができた。

 

雨上がりのグランドには「キノコ」が生えていた。

古希チームの練習風景。

練習前のグランド整備も大変である。

 

 

 

 

 


No.635 「久しぶりの収穫」のお話。

2015年09月27日 | 日記

最近、私は「多忙」を理由に野菜が植えてある畑に行く回数が激減していた。先日、数週間ぶりにその畑に顔を出し「久しぶりの収穫」を楽しんできた。「スイカ」と「トマト」の収穫は約1か月前に終わりを告げ、現在では「ナス」「ミニトマト」「ピーマン」が少し採れる程度となった。

 

それでもこの日は「ナス」が11個、赤い「ミニトマト」が15個収穫できた。1番の収穫は「ピーマン」であった。我が家の夕食には、この収穫したばかりの肉厚の「ピーマン」の中にひき肉を入れた料理として食卓に出された。「食用菊」はあと数週間もすると薄いピンク色の花を付けてくれるはずである。

 

晩秋には収穫の終えたこの畑に「冬菜」の苗を植えることになる。私は「スイカ」が植えられていた場所を整地し、肥料を入れてその準備をしてきた。また、これから収穫できる野菜の苗を5個、植えてみた。初の試みであるこの日植えた苗がこれからどんな成長をするか楽しみである。

 

今年も春の「フキノトウ」から始まり、夏の「スイカ」や秋の「食用菊」まで、趣味と実益を兼ねた家庭菜園を十分に楽しませてもらうことができた。

 

これから収穫できる野菜の苗を5個、植えてみた。

 


No.634 「サイクリング」のお話。

2015年09月26日 | 日記

秋晴れの日、私は久しぶりに信濃川の「やすらぎ堤」沿いにあるサイクリングロードを自転車で走ってみた。新潟のシンボル「萬代橋」周辺には秋の花である“コスモス(秋桜)”が咲いていた。よく観察すると花の色は1色ではなく「白」「紫」「ピンク」など何種類もの花が風に揺れていた。

 

“コスモス”のほかにも美しいピンクの花の“百日紅(さるすべり)”や、中国・内モンゴル自治区でも見た薄紫色の“ハマナス”が朱鷺メッセの対岸の土手にヒッソリと咲いていた。サイクリングロード脇には隠れた場所にもいろいろな色の花が咲いており、私の目を楽しませてくれた。

 

偶然にも「サイクリング」の途中で、佐渡から戻ってきた大型フェリー客船“おけさ丸”と、北海道から寄港した新日本海汽船の大型フェリー客船の2隻の白い大きな船体を同時に見ることができた。国の重要文化財の「旧新潟税関」の建物周辺にある“ドウダンツツジ”の葉も秋の深まりとともに茶色に変色してきた。

 

また庭に植えられていた“タイサンボク”の木の根元に2箇所、美味しそうな「キノコ」がまとまって生えていた。また“サンゴジュ”の赤い実や“アベリア”の白い花も美しく秋の陽に映えていた。

 

「萬代橋」周辺には秋の花である“コスモス”が咲いていた。

ピンクの花の“百日紅”も咲いていた。

中国・内モンゴル自治区でも見た薄紫色の“ハマナス”。

佐渡から戻ってきた大型フェリー客船“おけさ丸”。

北海道から寄港した新日本海汽船の大型フェリー客船。

“ドウダンツツジ”の葉が茶色に変色していた。

“テイサンボク”の木の根元には美味しそうな「キノコ」が生えていた。

“サンゴジュ”の赤い実や“アベリア”の白い花も美しく秋の陽に映えていた。

 


No.633 「十日町そば」のお話。

2015年09月25日 | 日記

先日、私は久しぶりに「十日町そば」を食べに行ってきた。いつもであれば新潟県十日町市水口沢にある千手温泉「千年の湯」でゆったりと温泉に浸かり、タップリと汗を流した後、日本そばで有名な小嶋屋総本店の“へぎそば”を食べることにしていた。しかしこの日は十日町市在住の親戚の推薦する「そばや清兵衛」というお店を訪ねてみた。

 

十日町市内から国道253号線を上越市方面に走り、1.155mもある長い名ケ山(みょうがやま)トンネルを抜け、薬師トンネル(2.305m)に入る前に「そばや清兵衛」がある。ここは豪雪地帯であり、冬場は数mの雪が降るため、お店は1階ではなく2階にあった。私達は早速、人気の「特上“へぎそば”」を注文した。

 

このお店はそばの“薬味”に特徴がある。テーブルの上には近くの山で採れた「クルミ」と「アサヅキ」が置いてあった。他にも「七味唐辛子」と「すり胡麻」が用意されており、さらに細く切った「ネギ」と「ワサビ」が運ばれてきた。そばのつなぎには「海藻(ふのり)」を使ってあり、歯ごたえもシコシコ感があった。

 

さすがに何回もこのお店のそばを味わっている地元の親戚が推薦するだけあって、私達4人で「6人前」の美味しい“へぎそば”の味を楽しむことができた。 

 

4人で「6人前」の美味しい“へぎそば”を味わうことができた。

冬場は数mの雪が降るため、お店は1階ではなく2階にあった。

テーブルの上には近くの山で採れた「クルミ」と「アサヅキ」が置いてあった。

「七味唐辛子」と「すり胡麻」が用意されていた。

細く切った「ネギ」と「ワサビ」が運ばれてきた。

人気の「天ぷらセット」もある。

 


No.632 「中国語で話そう“納涼会”」のお話。

2015年09月24日 | 日記

私は先日、新潟市西区青山にある中国料理店“張園”で開催された中国駐新潟総領事館主催の「中国語で話そう“納涼会”」に参加した。広い会場には12個のテーブルが用意され、約120名の参加者が集まった。最初に“新潟市武術太極拳連合会”所属の3人の若手選手による「太極拳」が披露された。

 

全国大会で準優勝に輝いた気合の入った素晴らしい演技を見せてもらった。続いて主催者である総領事・何平先生から次のような挨拶があった。この“納涼会”に参加していただいた皆様に敬意を表したい。今、中国語は世界で一番多く話されている。今日はお互いに中国語を話すことにより、日中両国の良好な関係を築いてほしい。

 

続けて、何平先生は現在、日中両国は複雑な場面に直面していると話され、国会における安保法案の強行採決にも言及された。平和な発展方針を貫いていくことを切に願っている。「中秋節」を迎えるが、思う存分、中国語をしゃべって楽しい日にしてほしい、とも述べられた。歌あり、クイズありの楽しい趣向を凝らしたこの会は年々、参加者が増えているという。

 

私も何平先生と中国語でお話しする貴重な機会を得たほか、新潟県立大学で教壇に立っている黒龍江大学の趙延軍先生ご夫妻ともお会いすることができた。

 

新潟市武術太極拳連合会の3人の若手選手による「太極拳」が披露された。

主催者である総領事・何平先生の挨拶。

安保法案の強行採決の話も出た、生活の党新潟県連代表の森裕子先生の挨拶。

美声の持ち主、中国駐新潟総領事館の王玉英領事の独唱。

新潟県国際課の職員も中国語で素晴らしい歌を披露された。

自民党国会議員の石崎徹先生も中国語で挨拶された。

私も何平先生(左)と中国語でお話しする機会を得た。

「新潟・ハルビン友好市民の会」の和泉先生の熱唱。

自民党国会議員の石崎徹先生(中央)、新潟県日中友好協会の五十嵐理事長(右)と記念写真。

新潟県立大学で教壇に立っている黒龍江大学の趙延軍先生ご夫妻ともお会いすることができた。

 

 


No.631 「“中国”を話そう!」のお話。

2015年09月23日 | 日記

先日、私は新潟ハルビン友好市民の会が主催した「“中国”を話そう!」というイベントに参加した。この日の講師は浙江省杭州市出身の陳暁妍さん。美味しい浙江省特産の龍井茶(ろんじんちゃ)の新茶を飲みながらの楽しい会となった。この新茶は500gで3~4万円、最高級品は1㎏で100万円するものもあるという。

 

この説明を聞いてからテーブルに出された龍井茶を再度、飲むことになった。お茶菓子の月餅も美味しく頂戴した。陳先生はパワーポイントを使いながら「杭州市」の概要から説明された。「杭州市」は2013年の資料によると人口約870万人。人口減少の続く日本と違い、現在でも人口は増加中とのこと。

 

気候⇒夏は新潟よりも暑く、今年は≪41.7度≫を記録した日もあった。11月から2月までの冬は、氷点下の日もあるという。湿気が強い日もあるが、9月下旬から11月が旅行に適している。「杭州市」は中国8大古都(西安、南京、北京、洛陽、開封、安陽、鄭州、杭州)のひとつに数えられており、紀元前3.300年から2.200年時代の遺跡が残っている。 

 

有名な食べ物としては、皮付きの豚肉料理⇒「東坡肉」、草魚の甘酢餡かけ料理⇒「西湖醋魚」、鴨の醤油蒸し料理⇒「醤鴨」などがある。陳先生は画面に杭州料理の写真を紹介しながら、これらの料理をひとつずつ美味しそうにご説明された。また世界遺産の「西湖十景」の美しさも芸術的であった。

 

 陳先生はパワーポイントを使いながら「杭州市」の概要から説明された。

お茶菓子の「月餅」も美味しく頂戴した。

 

 


No.630 「作品“新潟の夢”」のお話。

2015年09月22日 | 日記

「水と土の芸術祭」が今年も7月18日から10月12日までの約3か月間、新潟市内にある鳥屋野潟、福島潟、佐潟、上堰潟の4つの「潟」などを主会場として開催され、日本内外から約40人のアーティストの作品が展示されている。

 

先日、私は新潟市のシンボルである「萬代橋」の近くに展示された台湾人作家・王文志先生の竹で編み上げた「新潟の夢(Dream of Niigata)」という芸術祭参加作品を鑑賞した。住居のような作品の内部に入ると日影の部分が多く、屋外よりも少し涼しく感じられた。また、天井付近の壁から釣り糸に縛られた“牡蠣殻”が風に揺れていた。

 

その白い“牡蠣殻”をよく見ると、神社に奉納する“絵馬”のように「世界が平和でありますように」「元気で長生き」「健康第一」「日々感謝」など様々な願いごとが書かれていた。参観者が各自の夢を“牡蠣殻”書いて参加するという趣向を凝らした「新潟の夢」という作品であった。

 

この作品の入口付近には「再生の象徴である“牡蠣殻”を使うことで被災地との関係を創り、復興を祈念する」と書かれた看板が掲示されていた。

「世界が平和でありますように」「元気で長生き」「日々感謝」など様々な願いごとが書かれていた。

中国人参観者が書いたと思われる「福」を倒して書いた文字も見られた。

 

 

 


No.629 「小さな花火大会」のお話。

2015年09月21日 | 日記

私のブログで今年の9月13日付けNo.621号の「場所取り」と、翌14日付けNo.622号の「迫力ある花火」のお話で新潟まつりの花火大会の様子を掲載した。数十万人という観客が集まる迫力のある「大きな花火大会」は、それなりに素晴らしい魅力がある。我が家のすぐ近くにある“多門川公園”で開催された町内会主催の「小さな花火大会」も異なった趣きがあった

 

毎年、町内会の夏の恒例行事となっている「小さな花火大会」には浴衣を着た幼稚園児や小学生などを中心に、町内会長さんを始め、役員、それに子供達の父母を入れて30人ほどが公園に集合した。花火をスーパーなどで買ってきて、子供達に直接花火を持たせ、楽しんでもらう趣向である。

 

最初に役員から子供達に対し、安全な花火の持ち方や消火の仕方などを丁寧に説明した。続いて地面にセットされたロウソクに花火の先端をを持っていき、一斉に火がつけられた。花火の光と煙で子供達の歓声があちこちから湧き上った。「小さな花火大会」は正に手づくりの花火大会である。

 

花火の終わった後は、お茶やジュースが子供達に配られた。笑顔で飲み物を受け取った子供達の脇で、私の手元にも冷たい缶ビールが届けられた。配慮の行き届いた役員の皆さんの企画であった。

 

 

 

 

 

 


No.628 「写真展」のお話。

2015年09月20日 | 日記

先日、私は新潟市西堀6にある「NEXT21ビル」の6階、ミニギャラリーで開催されていた写真展に足を運んだ。この写真展の正式名称は「第6回新潟市退職者カメラ同好会作品展」といい、作品出品者は男性5人、女性1人の計6人による写真展であった。

 

出品者の1人に、私が所属している還暦野球部「新潟エージレス野球クラブ」の西山先輩がおられる。私は西山先輩からこの写真展の開催案内を頂戴し、この日会場を訪れることになった。毎年開催されているこの写真展も今年で6回目を迎えた。

 

新潟市退職者カメラ同好会ではタイムリーに新潟県内外で「撮影会」を開催し、そこで撮影した作品を中心に展示しているという。会場には「富士山」「京都の清水寺」「平安神宮」「桜」「白樺」「百合」などの風景と花を題材にした見応えのある力作が展示されていた。

 

同好会の会員は職場を退職しても、写真仲間とともに共通の趣味であるカメラを肩に日本各地に出掛けているほか、時にはスペインなど外国まで被写体を求めて活動しておられる。中高年の仲間に入った私にとっては、羨ましいサークルである。

 

スペインで撮影された写真も展示されていた。

 

 

 

 

 


No.627 「雨天中止」のお話。

2015年09月19日 | 日記

私が所属している還暦野球部の「新潟エージレス野球クラブ」は10月2日から広島県で開催される全国大会(全日本還暦軟式野球選手権大会)に新潟県代表として出場する。現在、初戦突破を目指して練習に余念がない。しかしここ数週間、台風の影響などで雨の日が多く、グランドコンディションが悪いため、試合や練習中止の日が相次いでいる。

 

先日も新潟市西区にある「小針球場」で開催される予定の「NAGAOKA米百俵」チームとの公式戦も「雨天中止」となった。さらに新潟市北区にある「豊栄木崎球場」で行われる予定の定期練習も強い雨のため、中止となった。このグランドの芝生には雨で濡れた美味しそうな“キノコ”(食用か毒キノコかは不明)が生えていた。

 

球場周辺は田んぼに囲まれており、稲穂が重く垂れ下がり収穫寸前の状態であったが、稲刈り作業も「雨天中止」となった。また、我がチームがいつも練習で使っている新潟市江南区にある「かわね公園野球場」も練習開始直後、暗雲が垂れ込め、突然の豪雨襲来で急遽、練習中止に追い込まれた。

 

練習を重ねなければならない重要な時期に「雨天中止」の日が続いている。

 

「小針球場」で開催される予定の公式戦も「雨天中止」となった。

「豊栄木崎球場」で行われる予定の定期練習も強い雨のため、中止となった。

グランドの芝生には雨で濡れた美味しそうな“キノコ”が生えていた。

稲刈り作業も「雨天中止」となった。

「かわね野球場」も練習開始直後、突然の豪雨の襲来で急遽、練習中止に追い込まれた。

 


No.626 「ふるまち街角パフォーマンス」のお話。

2015年09月18日 | 日記

新潟市の繁華街のひとつである「古町通り6番町商店街」では7月12日から9月27日までの2か月半にわたり “ふるまち街角パフォーマンス” というイベントを開催している。毎週土・日曜日に「歌」をメインに「フラダンス」や「大道芸」などが披露され、道行く人を楽しませている。

 

出演者は新潟県出身者を中心に、全国で活躍しているアーティストが集まってきた。この日は新潟県出身の歌手「真季」さんと「相川ひとみ」さんがステージで熱唱し、観衆から大きな拍手を浴びていた。入場無料のイベントであり、観衆は古町を訪れた家族連れや買い物客などであった。

 

またステージの後方では、やはり新潟県出身で風船王の「フージー」さんが子供向けに風船を膨らませ、動物などの形を作りながら作品をプレゼントしていた。さすがに世界大会準優勝の実績を持つ「フージー」さん。手慣れた手つきで作品を作り上げ、子供達の笑顔を誘っていた。

 

風船王の「フージー」さんが子供向けに風船を膨らませていた。

 

 

 


No.625 「万代太鼓」のお話。

2015年09月17日 | 日記

「新潟まつり」のイベントの中でも、小学生や中学生の叩く“万代太鼓”は勇壮で元気がいい。この太鼓の音を聞くと、私は“真夏”到来を思い出す。この日、本町通りにある温度計は≪34度≫を表示していた。“万代太鼓”は1968年(昭和43年)に「新潟まつりに新たな和太鼓を!!」という強い希望により取り入れられた。

 

翌年に“新潟万代太鼓”として正式に発足したという。以来、小学校や中学校、そして職域団体など多くの団体に受け継がれて新潟市の郷土芸能として≪20≫を超える団体が活動し、郷土の文化活動の一端を担うと同時に、若者の心身の健全な育成にも一役買っている。 

 

我が家の近くから「爆竹」の合図で出発した“万代太鼓”を載せた大型トラックは、沿道に集まった多くの観客の拍手に送られてゆっくりと走り出した。今年は小学校4年になる私の孫も“万代太鼓部”に入り、春から実施してきた練習の成果を初めて大型トラックの上で披露した。

 

 出発の合図として「爆竹」が鳴らされた。

この日、温度計は≪34度≫を表示していた。

小学校4年の私の孫も大型トラックの上で万代太鼓を披露した。

 

 

 

 

 

 



No.624 「住吉行列」のお話。

2015年09月16日 | 日記

新潟まつりの見どころは「花火」「大民謡流し」「万代太鼓」などいろいろあるが、「住吉行列」もなかなか見応えがある。この行列は京都の「葵祭」を参考として平安時代の伝統様式を取り入れたもの。平安時代の昔を偲ばせる古式ゆかしい衣装を身にまとい、長さが約1㎞にも及ぶ行列で、我が家のすぐ近くの道路などを練り歩きながら見物人に祭りの伝統を伝えるお祭りである。

 

「住吉行列」は、お神輿の守護に当たり、行列一切を取り仕切る「供奉番組先導(くぶばんぐみせんどう)」から始まる。続いて人々に太鼓で祭りの知らせを行う「先太鼓・金棒」、子供たちが担ぐ「樽みこし」と続く。全部で31のグループが列を作って練り歩く勇壮な行列である。

 

中でも可愛いのは幼稚園児や小学生による「稚児行列」。稚児に付き添うお母さんも炎天下の行列で「熱中症」にならないか、水分補給に気を使っておられる様子も窺えた。また「天狗様」の前に進み出て、手に持つ団扇(うちわ)に仰がれると災いを逃れると言われているため、多くの市民が頭を撫でてもらう姿が随所に見られた。

 

 新潟市中央区上大川前通りを練り歩く「住吉行列」。

新潟市中央区本町通りを練り歩く「住吉行列」。