故郷≪新潟≫の日々

満65歳で中国・黒龍江大学を定年退職した後、生まれ故郷の新潟に戻り、日々の生活を写真とともに日記風に綴っていくもの。

No.1.216 「チューリップ」のお話。

2017年04月30日 | 日記

私の散歩コースのひとつである信濃川河畔の“やすらぎ堤”の桜の花は既に散ってしまった。桜の次は「チューリップ」である。1区画が幅1m、長さ20mほどの細長いチューリップ畑に赤、ピンク、黄色などの花が一斉に咲いていた。


絨毯を敷いたように美しく咲いている「チューリップ」。信濃川の左岸の花壇には私の母校である「白山小学校」の2年生と3年生が球根を植えた旨の小さな標識が掲示されていた。


また右岸は、花壇の直ぐ目の前にある「南万代小学校」の2年生が植えた標識が立てられていた。「チューリップ」の花は赤は赤だけ、黄色は黄色だけの球根を統一して植えてある。


しかし中には黄色の花壇の中にピンクが1本だけポツンと混じっている箇所も見られた。


黄色の花壇の中にピンクが1本だけポツンと混じっている箇所も見られた。


No.1.215 「へきそば」のお話。

2017年04月29日 | 日記

“日本そばは私の大好物のひとつである。中でも新潟県十日町市に本店のある小嶋屋総本店の「へぎそば」はシコシコとした歯ごたえ、それに喉ごしといい、格別の味わいがある。


私が十日町市へ立ち寄る時はこの「へぎそば」を食べることになっている。小嶋屋総本店グループのひとつが新潟市中央区鳥屋野にある。美味しさの中に、こだわりと感動のある店づくりを目指す「一翔」というお店である。


先日、嬉しいことにこのお店から私の誕生祝に≪1.000円分のお食事券が送られてきた。早速、お店に行きお薦めの「へぎそばタレかつ丼」を注文することにした。テーブルの上に出された「へぎそば」は、私に本店の味を思い出させてくれた。


新潟名物の「タレかつ丼」もなかなかの味で、残すことなく全て完食した。お客さんに対する若い従業員の接遇教育も行き届いており、私は気持よく食事を楽しむことができた。


お薦めの「へぎそばタレかつ丼」

送られてきた「お食事券」。


No.1.214 「鯉のぼり」のお話。

2017年04月28日 | 日記

新潟市内の中心部を流れる信濃川。その河畔の“やすらぎ堤”に「鯉のぼり」が風になびいていた。全部で25本ほどのポールに3匹ずつの親子の鯉がぶら下がり、気持ちよさそうに泳いでいた。


これは信濃川感謝祭のイベントのひとつとして5月5日の「子どもの日」に向けて、子どもたちの元気な成長を願うとともに、新潟のシンボル「信濃川」の恩恵に感謝し、河川愛護の心を育むことを目的として実施されているもの。


この「鯉のぼり」は新潟県内の各家庭で眠っていた古い「鯉のぼり」を寄贈してもらって掲揚しているという。それにしてもこれだけ多くの鯉がまとまって泳ぐ姿は、なかなか壮観な眺めである。





No.1.213 「ライラック通り」のお話。

2017年04月27日 | 日記

新潟市内に“市の木”である「柳」と中国・黒龍江省“ハルビン市の花である「ライラック」が一緒に植えられている場所がある。新潟市中央区清五郎にある中国庭園“天寿園”の前の道路の両側にその姿を見ることができる。

 

道路の入口には右側に中国語で「丁香路(中国読み⇒ディンシャンルー)」、左側に日本語で「ライラック通り」と白い石に刻まれたユニークな中国風の石柱が建てられていた。


その脇には「ライラック」の紫色と白い色の花が強い香りを放って咲いていた。この道路にある「遊楽橋」の欄干には中国から贈呈された銅板が設置されており、橋の下を流れる小川は中国の田舎の風景を彷彿させる場所となっていた。


この「ライラック通り」は新潟市とハルビン市の友好都市提携20周年を記念して建設されたという。私はもっと多くの人が訪れる観光スポットになって欲しいと願っている。


 

“新潟市の木”である「柳」とハルビン市の花である「ライラック」が一緒に植えられてある。

橋の下を流れる小川は中国の田舎の風景を彷彿させる


No.1.212 「夜桜」のお話。

2017年04月26日 | 日記

新潟市内ではいろいろな花の名所がある。先日、私は“桜の花”を楽しむ人々の姿を見ることができた。私も家族と友人と一緒に自宅から近い信濃川河畔の「やすらぎ堤」にある桜並木の下で、夕食を兼ねて“夜桜”を楽しむことにした。


早速、ビル風が防げるような場所を見つけ、そこにブルーシートを敷き、夕食場所を確保した。午後5時にビール、ウーロン茶などの飲み物のほか、いなり寿司やゼンマイ・こんにゃくなどの自家製の煮物を持参して宴会を開始した。


午後6時頃になると風も出てきて、寒さを感じるようになった。食後の運動として昭和大橋近くまで、往復2㎞ほどの散歩を開始した。昼間はピンク色に見える桜の花も、夜、街灯やボンボリに写し出されると白くなって見える。


特にライトアップされた「夜桜」は白く美しく咲いており、多くの花見客がカメラのシャッターを押していた。





No.1.211 「0対3」のお話。

2017年04月25日 | 日記

私の好きな野球でいえば「0対3」のスコアは“完敗”とまではいかないが、サッカーとなると“完敗”に近い。これは先日、新潟市中央区清五郎にあるデンカ・ビックスワン・スタジアムで開催されたJ1リーグの試合結果である。


私が熱心に応援している「アルビレックス新潟」と「FC東京」との試合で、新潟チームは開始早々、相手陣内に攻め込むシーンが何回となく見られ、珍しく新潟のペースのように感じた。新潟の「もしかして勝利」が頭をかすめる瞬間もあった。


しかし前半28分にゴール前で反則によるフリーキックを与えてから歯車が狂ってきた。相手にゴールの左上隅に絶妙なフリーキックを決められてしまった。先制を許すと後半69分に中押し、82分にはダメ押しのペナルティキックを決められ万事休した。


18チーム中、17位に順位を下げ、J2降格圏から抜け出せない。ここが踏ん張りどころである。頑張れ「アルビレックス新潟」!!

 

 



No.1.210 「弥彦山頂」のお話。

2017年04月24日 | 日記

同級生のうち、葬儀に出席する人などが新潟市に戻ったため、4台の車に分乗し、計9人で弥彦山頂へ向かった。標高634mの弥彦山は東京スカイツリーと同じ高さとなっている旨の看板が弥彦神社の入口に掲示されていた。


ヘアピンカーブを何度も右に左に揺れながら、道路脇に雪の残る景色を眺めながら走り続けると、ようやく山頂駐車場へ到着した。この地域は国定公園に指定されており、日本海に浮かぶ「佐渡島」という素晴らしい景色を楽しむことができた。


佐渡の高い山は雪で白くなっているのが見えた。弥彦山頂周辺もようやく雪が解けてはじめ、その雪の消えた場所には美味しそうな「フキノトウ」が顔を出していた。


ビニール袋を片手に「フキノトウ」を採っていた中年女性の姿があった。この日、売店にはストーブが付いており、強風のため展望タワーの運転が中止されていた。


 



No.1.209 「弥彦神社」のお話。

2017年04月23日 | 日記

朝食後、私達は岩室温泉のホテルを出発し、お互いの健康を祈願するため「弥彦神社」を参拝することにした。この日仕事のある1人の同級生を除き、11名で神社正面の“大鳥居”の前で記念写真を撮った。

 

その後、長い参道を歩き“本殿”へと向かった。杉などの巨木で覆われた参道を歩いていると、小雪が降ってきた。境内に到着すると砂利の敷かれた“本殿”の中庭の片隅には、まだ雪が残っていた。

 

多くの神社は「2礼・2拍手・1礼」の参拝作法が一般的であるが、ここ「弥彦神社」では「2礼・4拍手・1礼」で参拝するという。私達はこの参拝方法でお互いの健康と再会を祈願した。

 

私は初めて見たが、この神社では神聖な動物と言われている“鹿”や国の天然記念物の“鶏”などの動物が飼育されていた。ユックリとこれらの動物を観察し、弥彦山の山頂まで車で行くことになった。

 

 

 

 

 


No.1.208 「霊雁の湯」のお話。

2017年04月22日 | 日記

早朝散歩で「岩室神社」を参拝した後、私は銅製の雁が温泉で傷を癒しているという観光スポットを散策した。≪1羽の傷ついた雁が泉流に浴して傷を癒した≫との故事から「岩室温泉」は別名“霊雁の湯”と呼ばれている。


その後、直ぐ近くに千羽鶴が飾られた「夜泣き地蔵」を訪れた。子供の夜泣きが収まるように、村の人々がお参りしたという地蔵様である。続いて「薬師堂」に向かった。


石の階段を100段ほど登ると「薬師堂」にたどり着く。そこには“新潟県の木に指定された「雪椿」が赤い花を付けていた。ここから広い新潟平野を眼下に眺めることができた。


この周辺は観光案内看板も整備されており、道端に咲く“水仙や“ツクシ”それに田んぼで餌を捕っている“サギ”などを見ながら、約1時間の早朝散歩を楽しむことができた。


銅製の雁が温泉で傷を癒している場所を散策した。



No.1.207 「早朝散歩」のお話。

2017年04月21日 | 日記

新潟市の“岩室温泉”で「古希同級会」に参加した同級生と一泊した後、私は一人で恒例の「早朝散歩」に出発することにした。散歩の前に朝風呂に入り、昨晩、たくさん呑んだ日本酒を汗と一緒に流してからホテルを出発した。

 

行き先は「岩室神社」。ホテルを出発し、歴史を感じる“北國街道”を歩いて15分ほどすると「岩室神社」に到着した。ここには急な階段があり、その両側は緑色の苔が生えており、神社は閑静な環境の中に鎮座していた。


神社入口に設置された説明看板によると、昔“岩室温泉には“神明社”“諏訪社”“稲荷神社”“十二神社”“御鉾神社”の5つの神社があり、これを合祀して「岩室神社」となったという。


早朝のためか、行き交う人もなく、私はジックリと神社を参拝することができた。


歴史を感じる“北國街道”に或る国登録有形文化財「小松屋旅館」。


No.1.206 「古希同級会」のお話。

2017年04月20日 | 日記

先日、新潟市立白新中学校の「古希同級会」に出席してきた。会場は新潟市の奥座敷「岩室温泉」の“ゆもとや”。この宿に1962年3月卒業の3年10組≪53人の同級生のうち、12人が集合した。

 

≪53人のうち連絡が取れないものが15人、物故者が4人、欠席者が22人。70歳にもなるといろいろな都合で、出席できない同級生も多い。担任の先生も87歳となり、残念なことに今回は体調不良のため欠席された。

 

群馬県から参加の者もあり、元気のいい(?)12人で懇親会が始まった。乾杯の後、参加者から順番に近況報告をしてもらった。家族、仕事、健康、中学時代の話などで制限時間を大幅に超え、盛り上がりを見せた。

 

二次会は全員が幹事の部屋に戻り、昔話に花を咲かせた。翌日は近くの「弥彦神社」で健康祈願をし、再会を誓い合った。

 

前几天,我参加了新潟市立白新中学的“古稀同学聚会”。会场设在新潟市因幽静而闻名的岩室温泉“汤元屋 (YUMOTOYA)”。 我们310班是19623月毕业的。53个同学中, 这次有12人参加了。 

53人中,失联者 15人,已故者 4人,缺席者 22人。对于70来岁的我们来说,每个人都有各自的情况,这是理所当然的。因此,不能参加的同学很多。我们的班主任老师87岁了。他这次因身体状态不佳,也未能参加,很遗憾。 

这次有同学是特意从群马县来的。老当益壮(?)12人参加的宴会开始了。我们先为大家的健康互相敬酒,然后,每个人都报告了自己的近况。大家开怀畅谈,甚至忘记了时间。我们谈家人、工作、健康,还回忆初中时代的往事,等等,气氛热烈,达到了高潮

宴会结束后,大家又聚到干事的房间,开心地继续聊往事。第二天,我们去了温泉附近的弥彦神社。在那里,我们祈祷大家的健康,相约再次重逢




No.1.205 「新ユニフォーム」のお話。

2017年04月19日 | 日記

私が所属している「新潟エージレス野球クラブ」は、今年で創立20周年を迎える。私が入部してから早くも10年が経過した。入部当時から着用していたユニフォームは、スライディングするために膝や臀部周辺が破れ、ヨレヨレになってきた。


幸運にも当クラブは今シーズンから新しいユニフォームを購入することになった。以前の上下とも薄い黄色のユニフォームから、ズボンが白・上着が紺色になり、デザインも一新された。


私は贅肉が付いたのか「新ユニフォーム」は大きさが上下とも≪L≫サイズなのに、試着するとズボンの腹の部分がキツイ感じがした。結局、ズボンだけ≪LL≫サイズを別途、再注文することになった。


今後≪L≫サイズのズボンが着用できるように、心機一転、自分の体を絞っていかなければならない。


「新ユニフォーム」を着て記念写真。(場所:ハードオフ・エコスタジアム)

 


No.1.204 「中島ふれあい公園の花」のお話。

2017年04月18日 | 日記

友人の畑の近くに「中島ふれあい公園」がある。この公園にも一斉に花が咲き始め、春本番を迎えていた。目立つのは真っ白い花の「コブシ」。次に黄色い花の「連翹」、そしてピンク色の「桜」などである。


正式に花の名称は知らないが、濃いピンク色が目立つ花も咲き始めた。この花は低い木であるが、実に美しい色をしている。公園入口には掲示板が設置されていた。


そこには「あいさつで 広がる笑顔と 絆の輪」「ありがとう うれしい言葉 いい気持ち」など近くの小中学生が作った標語が書かれた紙が掲示されていた。


小さな公園であるが、地域住民の清掃活動のせいか、ゴミひとつ見当たらないキレイな公園であった。



 

 


No.1.203 「春の花」のお話。

2017年04月17日 | 日記

「春の花」といえば“梅”や“桜”が有名であるが、そればかりではない。先日、新潟市中央区清五郎にある「食育・花育センター」へ行って来た。センターの広い庭には様々な「春の花」が咲いていた。

 

例えば中国原産の“連翹(れんぎょう)”の黄色い花。私が中国・黒龍江大学に勤務していた時、氷が解けると最初にキャンパス内に咲き始める印象深い花であった。“沈丁花(ジンチョウゲ)”や“サンシュ”も中国原産である。


黒龍江省「ハルビン市の花」である“ライラック”は中国名では“丁香(ディンシャン)”と呼ばれ、香りのいい花で大学周辺にも数多く植えられていた。更に“アセビ”や“モクレン”も白い花を咲かせていた。


“トサミズキ”“ヒューガミズキ”それに“ミツマタ”も淡黄色の花を付けていた。“クリスマスローズ”と“アレクサンドリナ”の淡い紫色の花もなかなか見応えがある。


広大な面積に植えられている“チューリップ”は、あと1週間もすれば見頃を迎えるようだ。




No.1.202 「3回目の収穫」のお話。

2017年04月16日 | 日記

私のブログで『2回目の収穫』の話を掲載してから1週間しか経過していないが、今回友人の畑に行き、早くも『3回目の収穫』をしてきた。この日も昨年秋に植えた“冬菜”が主役であった。

 

『2回目の収穫』時に散布した肥料の効果もあったのか、柔らかくて美味しそうな“冬菜”の新芽を大きなビニール袋にひとつ収穫できた。また“韮(にら)”も初めて収穫した。

 

しかし前回収穫できた“フキノトウ”は畑にひとつもなかった。フキの葉も大きくなり、やがて茎が30㎝ほどになると収穫できるようになる。また“食用菊”も新芽が大きくなってきた。

 

これも株分けして植え直すと、秋にはピンク色に咲いた菊の花を収穫できるようになる。


“冬菜”の新芽を大きなビニール袋にひとつ収穫できた。

“韮”も初めて収穫することができた。

フキの葉も大きくなり、茎が30㎝ほどになると収穫できる。

株分けして植え直すと、秋には菊の花を収穫できる。