故郷≪新潟≫の日々

満65歳で中国・黒龍江大学を定年退職した後、生まれ故郷の新潟に戻り、日々の生活を写真とともに日記風に綴っていくもの。

No.577 「白山公園の記念碑」のお話。

2015年07月31日 | 日記

私がよく行く新潟市中央区にある「白山公園」には≪蓮池≫と≪ひょうたん池≫という美しい2つの池がある。この池そのものも鑑賞する価値は十分にあるが、池の周辺にも様々な「記念碑」などが設置され、私たちの目を楽しませてくれている。

 

公園内の案内看板によると「竹内式部先生の碑」「白山公園創設者・楠本正隆の像」「昭和天皇お手植えの松」「美由岐賀岡碑」など、全部で16箇所に「記念碑」などの観光スポットがあるという。中でも私が気に入っているのが「新潟最古の石燈籠」と江戸時代に建てられた「道しるべ」の石碑である。

 

1723年に建てられた「新潟最古の石燈籠」は設置されている場所がいい。≪ひょうたん池≫のほとりにある「モミジ」などの木々と緑に囲まれた小高い丘の上にあり、歴史を感じさせてくれる石燈籠である。また「道しるべ」の石碑は京都へ150里(600Km)、大阪へ163里(652Km)、江戸へ95里(380Km)などと書かれてある。

 

「白山公園」には多くの隠れた鑑賞スポットがある。我が家からも近いため、再度、時期を見てジックリと鑑賞してみたい。

 

 

 

 

 

 

 


No.576 「久しぶりの収穫」のお話。

2015年07月30日 | 日記

先日、友人の畑に「久しぶりの収穫」に行ってきた。今年、5月初旬に「トマト」「ナス」「ピーマン」「食用菊」「スイカ」などの野菜の苗を植えてから、これまで何回となく「ピーマン」などを収穫してきた。その模様は私のブログ(5月10日付けNo.510号「家庭菜園」と6月16日No.532号「初収穫」)で詳しく掲載してきた。

 

今回、久しぶりに畑を訪れた。猛暑に加え雨も降ったため、畑の雑草が伸びに伸びていた。雑草は肥料をやらなくとも、あるいは支柱などを立てなくとも自然にスクスクと育つ。一方、「トマト」「ナス」「ピーマン」は雑草に比べて弱く、手間がかかる。5本植えた「スイカ」の苗のうち2本は枯れてしまった。

 

隣の家から頂戴した「食用菊」の苗も2本枯れた。しかしそれでも今回は「ナス」が20個「ピーマン」が15個「トマト」が5個、それに「大葉」も収穫することができた。今後、楽しみなのは「スイカ」である。メロン位の大きさが1個、夏みかん程度が1個と8月になれば2個は収穫できそうである。

 

畑で蚊に刺されながらも、雑草取りに汗を流し「久しぶりの収穫」を楽しむことができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


No.575 「中国料理店・張園」のお話。

2015年07月29日 | 日記

先日、久しぶりに新潟市西区青山にある中国料理店「張園」で我が家の夕食会を開催した。ここ「張園」へは年に数回、家族や親戚と一緒に訪れている。社長の中原さんは中国・黒龍江省ハルビン市のご出身で、私と長年の友人である。年中無休のこのお店の人気メニューは大人1名1.730円の「自由コース」。

 

このコースは4時間以内に約100種あるレギュラーメニューの中から自由に注文できる。上限価格の1.730円を超えても1.730円しか頂戴しないという。これで利益が出るのか心配であるが、今日も多くのお客さんが来店していた。私達は「エビチリ」「マーボー豆腐」「ピータン」「ラーメン」「胡麻団子」「餃子」などを次々と注文した。

 

大人料金のほか、小学生は1.080円、3歳以上の幼児は640円、3歳未満は無料となっている。この夜は総勢7人で利用したが、「青島ビール」や新潟のお酒「菊水」も味わうことができた。中原社長は近い将来、日本海側の政令都市・新潟市で“中華街”ような食文化を中心とする「中華城」を実現したいと考えておられる。

 

私も微力ながら中原社長さんの夢の実現に少しでも協力したいと考えている。

 

中国料理店「張園」の中原社長さん(右)と記念写真。

 


No.574 「ミニギャラリー」のお話。

2015年07月28日 | 日記

新潟市中央区西堀の「NEXT21」ビルの6階にある「ミニギャラリー」は毎週、芸術作品の展示を行っている。ここは新潟市の公共施設であり、新潟市民の文化意識の高揚と醸成を図ることを目的として設置されている。会場使用料が無料ということもあり、利用者も多い。

 

展示作品も絵画、墨絵、書道、彫刻、版画、工芸など幅広い。中でも「写真展」の開催が多い。それだけ写真の愛好家が大勢いるということだろう。私と同じ還暦野球部に所属している西山先輩も高価なカメラを駆使しながら「ミニギャラリー」で開催される作品展に出展し続けている。

 

この日は「第15回写光会写真展」が開催されていた。“写光会”は年間、撮影会を5回開催している。教室に集まり、撮影会での写真を持ち寄り、会員同士での批評と講師からのアドバイスを受けながら、撮影技術のレベルアップを図っているという。今回の作品展のテーマは「彩・いろ」。

 

私も久しぶりに美しい「彩・いろ」をゆっくりと目で楽しむことができた。

 

 

 

 

 


No.573 「祝勝会」のお話。

2015年07月27日 | 日記

先日、私が所属している還暦野球チーム「新潟エージレス野球クラブ」の“祝勝会”が開催された。会場は新潟駅前のクオリスビル4階にある「響香」というお店に部員22名が集合した。今シーズンの当クラブは5月に開催された「中部日本還暦軟式野球大会」に3連覇を果たした。

 

さらに6月に開催された「新潟日報杯争奪新潟県還暦軟式野球大会」にもリーグ戦とトーナメント戦を勝ち抜き、優勝することができた。練習試合の4試合を含めると今シーズンの上半期は「13戦全勝」という好成績を収めた。“祝勝会”では大会のパネルや写真、新聞の切り抜き、賞状、優勝盾などが会場に持ち込まれた。

 

ビールで元気に乾杯した後、美味しい料理が次々とテーブルに運ばれてきた。監督からこれまでの試合の総括があった後、部員一人ひとりから今後の抱負や反省点などを発表してもらった。“祝勝会”が盛り上がってきた頃、部員が作詞した「我らエージレス」という替え歌が披露され、笑顔の参加者から大きな拍手が上がった。

 

予定時間をオーバーした頃、最古参の部員が一本締めの音頭をとり、楽しい“祝勝会”はお開きとなった。 

 


No.572 「グランドに咲く花」のお話。

2015年07月26日 | 日記

私が毎週火曜日と土曜日の午前中に野球の練習で利用しているグランドが、新潟市江南区の亀田工業団地内にある「かわね公園グランド」である。そのほか7面のグランドが連続している「阿賀野川河川公園野球場」や、田んぼや畑に囲まれた「豊栄木崎野球場」なども使っている。

 

よく観察すると、これらのグランドのフェンス近くや外野の片隅に何種類かの可憐な花が咲いている。目立つのは黄色い花をつけた「タンポポ」。白い花を付けた「クローバー」や小さなピンク色の花をつけた「芝桜」なども見られる。これ以外にも私には花の名前が分からないが「菊」に似た白い花など数種類の花も咲いていた。

 

特に「豊栄木崎野球場」の外野一面に咲いている、黄色の花で覆われた「タンポポ」はなかなか見応えがある。私はグランドで約2時間、体を動かし汗をかきながら野球を楽しんでいる。こんな中、心にホッとした瞬間を与えてくれるのがグランドに咲く花々である。

 

また、珍しい白い色の「キノコ」も見つけることができた。美味しそうであるが、食用か毒キノコか私にはよく分からない。

 

 目立つのは黄色い花をつけた「タンポポ」。

 

「豊栄木崎野球場」の外野一面に咲いている「タンポポ」はなかなか見応えがある。

小さなピンク色の花をつけた「芝桜」なども見られる。

珍しい「キノコ」も見つけることができた。

 

 

 

 

 

 

 


No.571 「50周年記念」のお話。

2015年07月25日 | 日記

私が「新潟市早起き野球大会」に初めて出場したのは50年前の第1回大会である。今年が丁度「第50回目」の記念すべき大会を迎えた。この詳細は私のブログ(5月22日付け第507号)で紹介させてもらった。50年前といえば、私がまだ18歳の時である。先日、私は久しぶりに新潟市中央区礎町にある「クロスパルにいがた」を訪れた。

 

その1階のフロアのパネルに「50周年」の文字が目に入った。野球大会のことかと思ったが、よく見ると新潟市とロシアの極東地方にあるハバロフスク市、それにアメリカ合衆国・テキサス州のガルベストン市との姉妹都市提携「50周年記念」のパネル展のことであった。1964年の発生した新潟地震の直後、ハバロフスク市から救援物資として建築木材3.000㎥が寄贈された。

 

そして翌年の1965年にハバロフスク市との間で姉妹都市提携が結ばれた。時期を同じくして新潟市民の要望を受け、当時の新潟アメリカ文化センターの館長さんの故郷であるガルベストン市との提携の話が進み、姉妹都市になったという。1階のほか2階にある新潟市国際交流協会の事務室にもパネルのほか“バラライカ”というロシアを代表する楽器や、ガルベストン名誉市民の鍵などが展示されていた。

 

今年は両市との姉妹都市提携「50周年記念」として、友好の翼などで新潟市民が両市を訪問し、交流を深める事業が盛大に行われる。今後とも息の長い友好交流を続けていくことになるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 


No.570 「“中国”を話そう!」のお話。

2015年07月24日 | 日記

先日、新潟市中央区礎町にある「クロスパルにいがた」の2階にある新潟市国際友好会館のサロンで《 新潟ハルビン友好市民の会 》が主催した「“中国”を話そう!」というイベントに参加してきた。おいしい中国茶を飲みながら中国人の達人をゲストに迎えて本場・中国のお話を聞く会である。 

 

今回の講師は中国・内モンゴル自治区のフフホト市(⇒呼和浩特市)ご出身の姜杰裕先生。会場では姜先生が中国から持参された本場の「月餅」を食べながらお話を聞くことになった。フフホト市は北京から約550Km離れた所にある。内モンゴル自治区の面積は約118万㎢で、日本の面積の3倍近い広さである。

 

海抜は平均で1.000mという高地にあり、降雨量は年間で100㍉~150㍉と少なく、山の上は平地で大草原が広がっている。観光では8月~9月が1番いい季節。画面に映し出された写真を見ながら食物の話題から始まった。「烤羊腿」(⇒羊のモモ肉を塩をつけて食べる料理)や「涮羊肉」⇒(羊の肉のシャブシャブ)などに人気がある。

 

特に羊の肉は自然の中で飼育しているため、ほかの動物よりも安全な健康食材としてより高い価格で取引されているという。どこの国でも安全で安心して食べられる食品が求められているようだ。内モンゴル自治区の旅行を計画している私にとっては大変参考になるお話であった。

 

姜先生が中国から持参された本場の「月餅」を食べながらお話を聞くことになった。

 

 


No.569 「連節バス」のお話。

2015年07月23日 | 日記

先日、新潟市中央区古町7番町の商店街アーケードで「連節バスに乗って運転席に座ってみよう!」というイベントがあった。私は孫を連れて展示中のバスに乗り込むことにした。普通のバスが2台繋がっているような長いバスで、今年の9月5日から新潟市内を運行することになっている。

 

新潟市ではマイカーに依存しなくとも誰もが移動しやすい交通環境を実現するため、新たな高速交通システム「BRT(Bus Rapid Transit)」の導入に向けた取り組みを進めている。この連接バスを利用し、より早く、より正確な時間に多くの人を運ぶという。しかし「新交通システム事業よりもほかに優先するべき事業がある。」

 

「乗換えによる手間が増え、不便になる」「乗り換えにより雪や雨風の時、困る」「この事業の費用対効果が分からない」など市民の間には反対の声も上がっている。実際、私は連節バスに乗ってみたが、乗り心地はいい。しかし日本製ではなくスェーデン製のバスだという。

 

自動車製造では世界のトップを走る日本である。単純な疑問であるが、日本製の大型バスではどうして対応できないのであろうか。 

 

連接バスと、これまで新潟市内を走っているバスとの違い。(新潟市の資料から抜粋)


連節バス

  • 定員 約110から120人
  • 長さ 約18メートル
  • 幅 約2.5メートル
  • 高さ 約3.2メートル


一般バス

  • 定員 約60から70人
  • 長さ 約11から12メートル
  • 幅 約2.5メートル
  • 高さ 約3.2メートル

 

現行のバス路線と連接バス導入後の相違点。(新潟市の資料から抜粋)

BRTの導入・バス路線の再編・交通結節点の整備によりまちなかのバスを集約し、生まれた余力を郊外へ


No.568 「4か月ぶりの勝利」のお話。

2015年07月22日 | 日記

 私の応援しているサッカーJ1リーグの“アルビレックス新潟”チームはホームゲームの公式戦で3月22日の“柏レイソル”戦に勝利して以来「4か月ぶりの勝利」をあげた。この日の対戦相手は“サガン鳥栖”。18チーム中、最下位の“アルビレックス新潟”は何としても勝って「勝点3」が欲しいところ。

 

会場となった「デンカ・ビックスワン・スタジアム」から徒歩で5~6分の場所にある「三徳神社」で、私は試合前に「必勝祈願」を行ってきた。この神社にはオレンジ色の《がんばれ!“アルビレックス新潟”》と書かれた応援旗が掲げられていた。新潟チームの勝利もいよいよ「神頼み」の状況に入ってきたようだ。

 

試合は“アルビレックス新潟”が前半16分に得点した。小泉選手が混戦から自分の前に跳ね返ってきたボールを直接ゴール右上に蹴り込んだ。ハーフタイムには新潟名物の“花火”が上がり、会場を盛り上げた。後半もこの虎の子の1点を守り切り、ホームゲームで「4か月ぶりの勝利」をサポーターにプレゼントした。

 

しかし勝ったとは言ってもまだ17位。J2への降格圏にいることには変わらない。次の試合にも集中して勝利を呼び寄せなければならない。帰路、私は暗くなった「三徳神社」にお礼を申し上げてきた。がんばれ!!!“アルビレックス新潟”!!!

 

会場近くの「三徳神社」で私は試合前に必勝祈願を行ってきた。 

帰路、私は暗くなった「三徳神社」にお礼を申し上げてきた。 

 

 

 

 

 

 


No.567 「新潟ジャズストリート」のお話。

2015年07月21日 | 日記

先日、新潟市内で「新潟ジャズストリート」というイベントが開催された。《新潟の街を明るく元気にしたい。そして音楽の溢れる街にしたい。》こんな願いから始まった音楽イベントが「新潟ジャズストリート」である。1月と7月の年2回開催されており、今年の夏で26回目を迎えた。

 

新潟市内の商店街や新潟ふるさと村、レストランなど32箇所が「ライブ会場」となり、新潟県出身のミュージシャンのほか、県外からもゲストとしてジャズ演奏家が集まって来た。フリーパスチケット(1.000円)を購入すると全部の会場を自由に出入りすることができる。また新潟市の繁華街である古町6番町など入場無料の会場もある。

 

この日、私は入場無料の古町5番町と6番町の2つの会場に足を運んだ。どちらの会場も用意された椅子は埋め尽くされ、立ち見のお客さんに囲まれていた。中でもジャズ演奏に合わせて全身を白塗りにした舞踏団「トンデ空静」という男女4人グループの独特の雰囲気と奇抜なパフォーマンスに、笑いと大きな拍手が送られていた。

 

全身を白塗りにした舞踏団「トンデ空静」のパフォーマンス。

会場では用意された椅子は埋め尽くされ、立ち見のお客さんに囲まれていた。

 

 

 

 

 

 


No.566 「連敗」のお話。

2015年07月20日 | 日記

「連敗」とは、私が所属している「新潟エージレス野球クラブ」のことである。我がチームは先日、2試合続けて「17対8」と「9対5」と大敗を喫した。この模様は私のプログ(7月11日付けNo.557号)で詳細を掲載した。それから10日程経過した日に、周囲が田んぼと緑に囲まれた新潟市南区にある「白根野球場」で公式戦が開催された。

 

この試合は来年度の「全日本古希軟式野球大会」の出場権をかけた新潟県予選大会である。現在、新潟県内では古希の野球クラブは全部で7チームあり、年々、その数が増加している。7チームでリーグ戦を行うため、各チームはそれぞれ6試合を行うことになる。成績上位の2チームが全国大会に出場している。

 

この日の対戦相手は予選リーグ2勝0敗と強敵「上越ライフロング野球クラブ」。この試合、我がチームは4回表に1点を先取したが、5回裏に四球と送球ミスなどが重なり、一挙に3点を取られ逆転された。我がチームも粘りを見せた。最終回に1点を返し、なお走者1・2塁の逆転のチャンスを迎えた。

 

しかし最後の打者が内野ゴロに打ち取られ、結局「3対2」で敗れてしまった。我がチームが全国大会に出場するためには、残りの試合に全勝しなければならなくなった。

 

この日行われた別の試合のスコアーボード。

周囲が田んぼと緑に囲まれた新潟市南区にある「白根野球場」で試合が開催された。

 

 

 

 


No.565 「七夕まつり」のお話。

2015年07月19日 | 日記

私の“ブログ”(7月12日付けNo.558号)で「七夕まつり」のお話を掲載した。商店街に豪華な七夕飾りが設置された数日後、今度は保育園児や小学生が同じ場所で自分達の「願い」を書いた紙を竹の木の枝にぶら下げていた。その紙にはいろいろな「願い」が書かれていて、読むとなかなか面白い。

 

例えば「ピアノがうまくなれますように」「アナウンサーになれますように」「サッカー選手になりたいです」「パティシエになれますように」「バトミントンがじょうずになりますように」「パイロットになれますように」など将来の夢が具体的に書かれていた。

 

また子供達の親が喜びそうなものもあった。例えば「家族のみんながけんこうでいられますように」「東京大学に入れますように」「病気ななりませんように」「くじが当たりますように」「お金もちになれますように」など。

 

また先生が書いたと思われる「ネパール大震災 一日も早い復興を」とか「戦争のない平和な世界になりますように」などの「願い」もあった。星も子供達の様々な「願い」を叶えるとなると、なかなか大変のようだ。

 

また先生が書いたと思われる「願い」もあった。


No.564 「準優勝」のお話。

2015年07月18日 | 日記

新潟市早起き野球大会も1部・2部・3部・壮年の部などで決勝戦を迎えている。私が所属している壮年2部も一昨日、決勝戦が行われた。会場は「開会式」と同じ今年プロ野球の「DeNA対巨人」戦が行われたハードオフ・エコスタジアム新潟。我が「豆九クラブ」は幸運にも初戦と決勝戦と2回もこの素晴らしい本格的な球場で試合をすることができた。

 

この日の対戦相手は速球を投げ込む好投手を擁する「内野ゴンズ」。先攻の「内野ゴンズ」は2回表、得点圏にランナーを進めた。内野ゴロに打ち取った当たりであったが、一塁への悪送球が続き3点を先取された。粘る「豆九クラブ」も3回裏、反撃を開始した。4番・5番打者に連続長打が出るなど、一挙に5点を挙げ逆転に成功した。

 

4回にも1点を加え「6対3」の3点差で最終回を迎えた。しかし相手の攻撃は簡単には終わらなかった。この回にまたも一塁への送球ミスなどが続いた。さらにランナーを塁上に置き、タイムリーヒットを打たれ、この回4点を失った。結局「6対7」で再逆転を許し、優勝の夢はアッという間に消えてしまった。

 

選手が少ない中、なんとか決勝まで勝ち進み、栄えある「準優勝」を手にした。5月17日から始まったこの大会、私は2か月間も好きな野球を楽しませてもらった。選手の皆さん、お疲れ様でした。

 

準優勝の「豆九クラブ」。

優勝した「内野ゴンズ」。

 


No.563 「決勝進出」のお話。

2015年07月17日 | 日記

“第50回記念“新潟市早起き野球大会”も終盤に入ってきた。私が所属している「豆九クラブ」は当大会の壮年2部に所属している。このクラスには全部で25チームが参加し、優勝を目指している。我がチームは5月17日に“ハードオフ・エコスタジアム”で出場回数15回の「関屋ビクトリーズパパ」と1回戦を戦った。

 

幸運にも「4対1」で初戦を突破することができた。この試合の模様は5月23日付け第508号「初戦突破」のお話として、私のブログに掲載させてもらった。2回戦は6月2日に出場回数13回の強敵「KBフレンズ」と接戦を演じた。辛うじて「1対0」で勝利し、準々決勝に進むことができた。

 

6月14日の準々決勝の対戦相手は若い選手の多い「マウント小針BC」。5回まで「1対1」と緊迫した試合が続いた。「豆九クラブ」は終盤で得点を重ねることができ、結局「8対2」で勝利した。7月6日の準決勝は足を使って走ってくるチームの「ミサワ・ホームBC」。エース・柳投手の投打にわたる活躍で「10対1」で決勝戦に進出することができた。

 

決勝戦の会場は先日、プロ野球の公式戦が開催された“ハードオフ・エコスタジアム”である。ここまでくれば、立派な球場で楽しんで野球をやりたい。

 

柳投手の投打にわたる活躍で「10対1」で決勝戦に進出することができた。  

レフト場外にホームランを放ち、ナインに迎えられる柳投手。