故郷≪新潟≫の日々

満65歳で中国・黒龍江大学を定年退職した後、生まれ故郷の新潟に戻り、日々の生活を写真とともに日記風に綴っていくもの。

No.304 「妻沼聖天山」のお話。

2014年10月31日 | 日記

私は初めて「カナダ旅行」を楽しむことになった。早朝8時45分に千葉県にある「成田空港」に集合しなければならないため、私達は前日に出発し、この日のうちに空港近くのホテルに宿泊することになった。時間に余裕があるため、新幹線の「熊谷駅」で途中下車し《国宝》の「妻沼聖天山」を見学することにした。

 

パンフレットには「妻沼聖天山」は“開運”“魔除け”“縁結び”に御利益があると書かれていた。実際に拝殿に上がると「願意」として前述のほかに“合格祈願”“就職成就”“子宝満足”“交通安全”“身体健全”“商売繁盛”などが書かれた看板が目に止まった。私は早速「カナダ旅行」の安全を祈願した。

 

ここにある御本殿が《国宝》に指定され、●奥殿(34㎡)●相の間(27㎡)●拝殿(127㎡)の3つで構成されている。奥殿は各壁面を見事な彫刻で装飾してあり、極彩色が施されている。この彫刻は左甚五郎が彫ったものである。左甚五郎は世界遺産にもなっている日光・東照宮の「眠り猫」の作者としても知られている。日光の「眠り猫」が完成して100年後にこの奥殿の彫刻が完成したという。

 

左甚五郎は《100年》も長生きしたはずがないという人や、4代目・5代目の左甚五郎の作品であるという人もおられる。ボランティア説明員の分かりやすい解説をお聞きしながら、私は迫力のある素晴らしい《国宝》を目で楽しむことができた。

 

《国宝》の「妻沼聖天山」を見学することにした。本殿にある左甚五郎の作品。

熊谷駅からバスで「妻沼聖天」駅まで乗車した。

 

拝殿。

 

 

 

 

 


No.303 「来年度の全国大会」のお話。

2014年10月30日 | 日記

私の所属している還暦野球「新潟エージレス野球クラブ」の今年の全国大会は残念ながら《2回戦》で敗退した。(詳細は10月24日付けNo.297号「2回戦敗退」のお話に記載。)我がチームは目標を来年度の全国大会出場に切り替えた。その代表権をかけた予選会が先日、新潟市北区の濁川球場で開催された。

 

この大会は長期戦である。今年の7月~8月にかけて参加した17のチームが、4つのブロックに分かれリーグ戦を行った。その結果、各ブロック上位の2チーム、計8チームが決勝トーナメントに出場した。この日は準々決勝と準決勝が行われた。我がチームは「五泉シニアーズ」と対戦した。3回表に1点を取ったが、4回裏に1点を取られ同点とされた。

 

相手投手の球を打ちあぐみ、苦戦した。相手に初回表、1点を取られたが、2回裏に2点を取って逆転した。しかし粘る相手に5回表に同点にされた。ようやく6回表に3点を取り《5対2》で逃げ切った。一時は引き分けで「ジャンケン勝負」も頭をよぎった苦しい試合であった。準決勝の対戦相手は予選ブロックを1位で通過してきた「ウェストオーシャンズ新潟」。

 

我がチームは初回と2回に打線がつながり、3点ずつを取った。投げては富岡投手が完全試合のペースで相手を押さえ込んだ。2番手の新保投手も力投し、終盤にも3点を追加し、《9対0》で勝利した。来週「決勝戦」が開催されるが、毎年新潟県から2チームが全国大会に出場しているため、ほぼ出場権を確保したことになった。

 

決勝の相手は昨年、惜敗した「新潟ライオンズ」に決定した。リベンジしなければならない相手である。(追伸⇒私がカナダ旅行へ行っている間に決勝戦が行われ、見事「優勝」したとの嬉しい報告が入ってきた。)

 

準々決勝のスコアーボード。

準決勝のスコアーボード。

準々決勝の一コマ。

準決勝の一コマ。

力投する富岡投手。

2番手の新保投手の投球フォーム。

 

 

 

 

 

 


No.302 「古町音楽祭」のお話。

2014年10月29日 | 日記

第10回目を迎えた歴史のある「古町音楽祭」というものの存在を恥ずかしながら私は知らなかった。先日、新潟市中央区の繁華街にある古町7番町を歩いていたら、偶然、私は「特設ステージ」でこの音楽祭が盛大に開催されている光景を目にした。この音楽祭は歌謡曲、アカペラ、J-POPなどのジャンルは問わないコンテスト形式で行われていた。

 

もちろんプロ、アマチュア、国籍なども関係なく、自由に参加できる。そして優勝者には賞金10万円が贈呈される。特別審査員にはレコード会社のディレクターもおり、音楽の世界に羽ばたくことも不可能ではない。今回は応募者の中から選ばれた10組が出演した。私が通りかかった時には5番目に登場した「Our Songs and Your Bookmark」さんがギターを片手に抱えて歌っていた。

 

最後に10組目の岡村翼さんがシンセサイダーを弾きながら歌い出した。審査が終わり注目の優勝者の発表があった。結果は10組目に歌った岡村翼さんが見事優勝し、賞金10万円を獲得した。私は新潟からこの「音楽祭」をステップ台にして、音楽の世界に飛び出す人材が出てもらいたいと思っている。私も久しぶりに地元のミュージシャンによる音楽を楽しむことができた。

 

 岡村翼さんが見事優勝し、賞金10万円を獲得した。

会場に貼られていたポスター。

この日の出演者、10組みの名前。

 

最前列には審査員が座っていた。

審査員による講評。 

 

 

 


No.301 「マラソン大会」のお話。

2014年10月28日 | 日記

先日、新潟市の中心部を走る人気の「第32回新潟シティマラソン」が開催された。新潟県内からはもとより、県外からも過去最多の約12.500人のランナーが参加した。私は見通しのいい新潟市のシンボルである「萬代橋」の中央付近でランナーを応援することにした。午前8時30分にスタートするものと思って我が家を出発した。

 

午前8時10分頃「萬代橋」に到着したが、既に多くの選手が走っている姿が目に入ってきた。係員の方にお聞きしたら、今年から“時間差スタート制”を導入し、既に午前8時に《10Km》コースに出場した選手がスタートしたとのこと。そして《フルマラソン》と《ハーフマラソン》コースは8時30分にスタートすることが分かった。

 

8時36分頃トップグループの選手が軽快な足取りで「萬代橋」を通過して行った。沿道には多くの市民が旗やプラカードなどを持って応援に駆け付けていた。私のすぐ脇にいた男性は「さあ 行こうぜ Let's go!」と書いた手作りのプラカードを掲げ《ランラ・ランランラン!!目指せ自分のゴールへ》と大声で歌を歌って選手を激励していた。

 

選手たちも「ふなっしー」のぬいぐるみや「カエル」や「うさぎ」の帽子をかぶったりして、秋晴れのもと思い思いに「スポーツの秋」を楽しんでいた。

 

《新潟市马拉松》  

前几天,举行了很有人气的围绕新潟市中心的 “第32届新潟市马拉松大赛”。参加比赛的选手不仅来自新潟县内各地,还有来自县外的。本届比赛共有12,500名选手参加,是历届比赛中人数最多的。为了给选手们加油,我来到了新潟市的象征-万代桥的中央。这里视野开阔。比赛从8点开始。我以为8点30分开始,就在那个时间从家出发了。 

 

我8点10分左右到达万代桥的时候,看到了很多选手正在跑。向工作人员询问之后,我才得知今年开始采用时间差开始制,上午8点先开始10km的赛程,然后,8点30分开始全程马拉松和半程马拉松。

 

8点36分,跑在最前面的人已经迈着轻快的步伐/通过了万代桥。沿途,很多市民都拿着旗子和标语牌给选手们加油。在我的旁边有名男士,举着“跑吧,出发吧!”的标语牌,并唱着“向着自己的目标,加油!”的歌曲/激励选手。

 

选手们也穿着“船梨妖精” 、青蛙、兔子等形状的罩衣。秋高气爽,大家都享受着“运动之秋”的乐趣。 

 

午前8時10分頃「萬代橋」に到着したが、既に多くの選手が走っている姿が目に入ってきた。

手作りのプラカードを掲げ《目指せ自分のゴールへ》と大声で歌を歌って選手を激励していた。

「ふなっしー」のぬいぐるみを着て走る選手。

選手に差し入れをする沿道の応援団。

《フルマラソン》と《ハーフマラソン》コースに参加したトップグループの選手。

「カエル」のマスクをかぶり、思い思いに「スポーツの秋」を楽しんでいた。

 

 

 

 

 


No.300 「サッカー日本代表チーム」のお話。

2014年10月27日 | 日記

今年の1月1日から再出発した私のブログも区切りの「300回」を迎えることができた。誠におめでとうございます。 先日、新潟市中央区にある「デンカ・ビックスワンスタジアム」で私は久しぶりにサッカー「日本」代表チームの国際試合を応援する機会に恵まれた。この日の対戦相手は「ジャマイカ」代表チーム。

 

スタジアム周辺の歩道や広場にはテントが張られ、日本代表の選手の名前の入った青い《T-シャツ》が販売されていた。いつもは「アルビレックス新潟」のサポーターの着ているユニフォームの色である《オレンジ色》に染まるスタジアムであるが、この日は日本代表チームカラーの《青色》のサポーターで埋め尽くされた。さすが「日本」代表チームが出場する国際試合とあって、入場券は発売と同時に売り切れとなっていた。

 

しかし私は幸運にもそのチケットが追加で販売されるニュースを耳にした。“ダメもと”でコンピュータで申し込んだら、切符を取ることができた。試合は前半、攻め込んだ「日本」代表チームはジャマイカのゴール前に迫り、相手のオウンゴールを誘って1点を先取した。しかし後半は体力のある「ジャマイカ」代表チームに押し込まれるシーンも出てきた。

 

なんとか守備陣が踏ん張り、相手を無得点に抑えた。実際に目の前の国際試合に出ている選手の動きを見ていると、スピードとパワーが違うと強く感じた。元アルビレックス新潟の酒井高徳選手の活躍もあり《1対0》で勝利することができた。久しぶりにスタジアムは39.628人のサポーターで埋め尽くされた。私にとっても満席のスタジアムを眺めるのは久しぶりのことであった。

 

元アルビレックス新潟の酒井高徳選手の活躍もあり《1対0》で勝利することができた。

スタジアム周辺の歩道や広場には日本代表の選手の名前の入った青いT-シャツが販売されていた。

久しぶりに「デンカ・ビックスワンスタジアム」は39.628人のサポーターで埋め尽くされた。

報道陣は日本代表チームのゴール周辺に続々と集まってきた。

待望の先取点を取り、喜ぶサポーター。

ハーフタイムには日本代表チームのマスコットも登場して会場を盛り上げた。

 

スタジアムも青い色でライトアップされていた。

 

 

 

 

 


No.299 「大豊作」のお話。

2014年10月26日 | 日記

友達の畑で作っている「ナス」「ピーマン」「シシトウ」が今年1番の収穫を記録した。約2週間、収穫に行かなかったら、正確には数えていないが、「ナス」は50個ほど、そして「ピーマン」と「シシトウ」もそれぞれ100個以上収穫することできた。

 

また先日苗を植えた「ブロッコリー」もかなり大きくなっていた。しかし「モンシロ蝶」が葉の裏側に卵を産み付けており、所々に卵から孵化した幼虫が美味しそうに「ブロッコリー」の葉を食べていた。早速、私は葉の裏側についている幼虫を見つけて駆除した。このまま駆除をしないで放っておくと、葉を食べ尽くされてしまう恐れがある。

 

このまま冬を迎え、雪の下に埋まった後、春になると「ブロッコリー」は美味しい新芽を出すことになる。我が家に持ち帰った「ナス」「ピーマン」「シシトウ」は綺麗に水洗いされ、味噌汁の具や、油炒め、天ぷらなどとなって当分の間、我が家の食卓を飾ることになる。

 

 「ナス」「ピーマン」「シシトウ」が今年1番の収穫を記録した。

「食用菊」はこれから収穫期を迎える。

「秋明菊」も今が見頃を迎えていた。

「カリン」も実をつけ始めた。

「ミニトマト」は最盛期を終了した。

「ナス」「ピーマン」「シシトウ」は綺麗に水洗いされ、当分の間、我が家の食卓を飾ることになる。


No.298 「姫路城」のお話。

2014年10月25日 | 日記

兵庫県姫路市で開催された第30回全日本還暦軟式野球選手権大会に参加した「新潟エージレス野球クラブ」の選手は“国宝”であり“世界文化遺産”でもある《姫路城》を見学することにした。このお城は私にとっては初めての見学場所であった。《姫路城》は1601年に徳川家康の女婿である池田輝政が築城を開始した。

 

1609年に天守閣が竣工され、1618年に本多忠政が“西の丸”を造営し、今日に残る城郭の全容が整備された。私達は見学コースの入口で入場料400円を支払い「西の丸」を中心に見学を開始した。残念ながら「天守閣」は現在工事中で≪来年の3月26日までは入場できません≫という看板が立てられていた。すぐ近くで見る「天守閣」の姿は美しく雄大であった。

 

“西の丸”には≪百間廊下≫という長い廊下があり、そこには歴代城主の紹介を中心とした「歴史ゾーン」、《姫路城》そのものに関する「建造物ゾーン」、そして《姫路城》で幸せになった千姫に関する「千姫ゾーン」が設けられていた。この3つの「ゾーン」を自分の靴をビニール袋に入れ、それを持って廊下の脇にある展示室を駆け足で見学させてもらった。

 

《姫路城》はスケールも大きく迫力もある。さすが“国宝”であり“世界文化遺産”である。機会があれば春、桜の咲く頃、もう一度ゆっくりと見学したい場所でもある。

 

400円の姫路城の入城券。

 

「天守閣」は現在工事中で≪来年の3月までは入場できません≫という看板が立てられていた。

自分の靴をビニール袋に入れ、それを持って廊下の脇にある展示室を駆け足で見学させてもらった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


No.297 「2回戦敗退」のお話。

2014年10月24日 | 日記

我が「新潟エージレス野球クラブ」は2回戦で《0対2》で敗退した。この日の対戦相手は地元・兵庫県の「阪神ロイヤルズ」で、前日の1回戦で還暦野球王国の群馬県代表「前橋還暦ボーイズ」を《4対3》で退けたエースピッチャーを再び登板させてきた。一方、我がチームは今年、新加入の新保投手を初登板させた。

 

「阪神ロイヤルズ」は初回から再三、ランナーを出しチャンスを作るが、あと1本のタイムリーヒットが出ず、無得点が続いた。一方「新潟エージレス野球クラブ」は3回までエラーのランナーを1人出しただけで相手投手に完全に抑えられた。3回の裏、「阪神ロイヤルズ」はヒットとエラーで1死1・3塁の絶好のチャンスを迎えた。

 

ヒットエンドランがかかっており、ショートゴロの間に3塁ランナーが生還し待望の先取点を奪った。その後、右中間にタイムリーヒットを打たれ2点目を失った。粘る我がチームも4回表に2本のヒットで1死1・3塁の好機を迎えた。打者・岩田選手の打球が盗塁を試みた二塁ベース手前の権平選手のヘルメットに直接当たり、守備妨害でアウトを宣告されてしまった。このプレイが本当に痛かった。

 

結局、この回は無得点に終わった。コーナーをつき緩急をつけて投げてくる相手投手に6三振、散発の4安打に打ち取られた。我がチームは守ってもタイムリーエラーなどもあり、主導権を握れないまま試合終了となった。5回から救援した富岡投手が好投しただけに、心残りのする試合となった。

 

「新潟エージレス野球クラブ」は2回戦で《0対2》で敗退した。

いよいよ試合開始。

我がチームは今年、新加入の新保投手を初登板させた。

群馬県代表「前橋還暦ボーイズ」を《4対3》で退けたエースピッチャーを再び登板させてきた。

試合前に弁当を食べる選手。

 


No.296 「初戦突破」のお話。

2014年10月23日 | 日記

この日早朝散歩の途中に立ち寄った「護国神社」での必勝祈願が通じたのか、初戦は≪4対1≫で逆転勝利することができた。しかし、苦しい試合であった。この日の対戦相手は東京都代表の部員数69人の「杉並スーパーシニア」。我が「新潟エージレス野球クラブ」は初回と2回にランナーを得点圏に進めたが、後続が内野フライなどでアウトを重ね、無得点に終わった。

 

一方「杉並スーパーシニア」は2回にランナー3塁の好機をつくり、サード前に大きなバウンドのゴロを打った。鈴木三塁手がホームに送球するも「セーフ」の判定で1点を先行された。しかし粘る我がチームは走者2・3塁で松田選手が三遊間を破るタイムリーヒットを放ち、2点を入れて逆転した。

 

4回には71歳の矢部選手の右中間を破る2塁打で1点を追加した。6回にはランナー2塁でショートゴロ。2塁ランナーの佐藤選手の好判断で一挙ホームへ「ヘッドスライディング」で突入。1塁手から捕手へボールが好返球されたが、間一髪「セーフ」の判定で貴重な追加点を入れることができた。

 

最後は富岡投手が粘り強く投げ、4安打を許したものの要所を締め、完投した。

 

いよいよ試合開始。

最後は富岡投手が粘り強く投げ、4安打を許したものの要所を締め、完投した。

試合終了後、次の試合を観戦する。

 

 

 

 

 


No.295 「朝の散歩」のお話。

2014年10月22日 | 日記

還暦野球全国大会の試合当日での「朝の散歩」は我が「新潟エージレス野球クラブ」の恒例行事となっている。早朝6時30分にホテルを出発。行く先は徒歩で約15分ほどの所にある国宝≪姫路城≫。その天守閣は高さが46m(石垣14.5m 建物31.5m)もある。≪姫路城≫は1993年12月、奈良の≪法隆寺≫とともに、日本で初の世界文化遺産に登録された。

 

近くに建っているように見えるが、歩いてもなかなか≪姫路城≫にたどり着かない。ようやく堀と立派な石垣が見え、その奥に静かな雰囲気の「護国神社」があった。我がチームの選手たちは早速「本殿」に向かい必勝を祈願した。参拝後、更に城に向かって歩いたところで≪姫路城≫をバックに選手全員で記念写真を撮った。

 

そしてストレッチ運動を開始した。≪姫路城≫は現在も天守閣の改修工事をしており、巨大なクレーンが工事用の足場の上に立っていた。来年3月に工事が完成すると≪天守閣≫の中まで見学できることになるという。

 

私は白い壁の雄大な≪姫路城≫を間近で見ていたら、世界的に有名な中国・黒龍江省「ハルビンの氷祭り」会場でスケールの大きい「原寸大」の≪姫路城≫を氷で作った作品を思い出した。

 

 

《早上的散步》             

 

10月3号,我们为了参加花甲棒球全国大赛,去了兵库县姬路市。当天早上,我们在姬路城附近散步。参赛当天早上散步是新潟恒远棒球俱乐部的惯例。我们早上六点三十分从宾馆出发,前往国宝级景点--姬路城。我们徒步约15分钟就到了。天守阁高约46米,石头墙高约14.5米,城楼高约31.5米。姬路城于1993年12月/和奈良的法隆寺一起被指定为日本首批世界文化遗产。  

 

高高的城楼就在眼前,但怎么走,都走不到。走了很长时间,我终于走到了壮观的城楼与石墙的前面。城楼里面安静地屹立着护国神社。我们走到了大殿前,祈祷我们队能够取得胜利。参拜完之后,我们在城楼里面的广场附近,以姬路城为背景/合影留念了。然后,开始做伸展运动。姬路城现在还在进行天守阁的改建。在脚手架上停放着很大的起重机。听说,明年三月份改建完之后,游客可以进天守阁里参观。

 

我看到雄伟的白色姬路城,就想起世界闻名的中国・龙江省哈尔滨冰雪节上/用冰制作的/和原物大小一样的姬路城

 

 ≪姫路城≫をバックに選手全員で記念写真を撮った。

早朝6時30分にホテルを出発。行く先は徒歩で約15分ほどの所にある≪姫路城≫。

静かな雰囲気の「護国神社」があった。

選手たちは早速「本殿」に向かい必勝を祈願した。

 お城は現在も天守閣の改修工事をしており、大きなクレーンが工事用の足場の上に立っていた。

≪姫路城≫の前にある広場でストレッチ運動を開始した。

 


No.294 「開会式」のお話。

2014年10月21日 | 日記

開会式が行われた「姫路球場」は両翼が100m、センターが120mの広さを持ち、プロ野球を呼ぶことができる本格的な野球場である。全国大会の≪ベスト16≫からこの球場が使えることになる。勝ち進んでこの球場で野球がしたいものである。定刻の午後3時に開会式が始まった。

 

昨年度優勝の「秋田還球クラブ」を先頭に大会参加の≪64チーム≫がグランドに整列した。今年は第30回の記念大会にあたり還暦野球の発展に長年にわたり尽力された≪9人≫の方々が功労者表彰を受けられた。この中には新潟県還暦野球連盟の会長で我が「新潟エージレス野球クラブ」の花輪会長さんも受賞された。

 

また、全国大会に10年以上にわたり出場している我が「新潟エージレス野球クラブ」を含む≪16チーム≫も還暦野球の発展に多大な貢献をしたとして「功労チーム」として表彰された。開会式で全日本還暦軟式野球連盟の木村会長さんから私達選手に次のような激励の言葉を述べられた。

 

「選手の皆さんは還暦を経て、なお恵まれた健康と多くの仲間たち、そして家族の理解に支えられスポーツの華、≪野球≫を楽しんできました。これからも健康に留意し、この喜びをいつまでも持ち続けてほしい。」この会長さんのお言葉に私も同感である。

 

全国大会10年以上出場の「新潟エージレス野球クラブ」も功労チームとして表彰された。

開会式にグランドへ入場する選手の皆さん。

還暦野球の発展に長年にわたり尽力された9人の方々が功労者表彰を受けられた。

「新潟エージレス野球クラブ」を含む≪16チーム≫も「功労チーム」として表彰された。

選手宣誓。

 

 

 


No.293 「還暦野球全国大会へ出発」のお話。

2014年10月20日 | 日記

いよいよ「還暦野球全国大会へ出発」する日がやってきた。私は午前3時に起床し、3時半に佐藤選手の車で我が家を出発した。小雨が降り続き、空が暗い4時近くに私の所属している「新潟エージレス野球クラブ」の選手たちは“鳥屋野球場”の駐車場に集まって来た。ここで大型バスに乗り換えて会場の兵庫県姫路市へ向かうことになった。

 

ここの駐車場には街灯がないため、見送りに来てくれた人の顔が見えないくらい外は真っ暗であった。新潟市から約9時間のバスの旅である。高速道路を走り、栄サービスエリアで新保選手を乗せると参加選手20人全員が乗り込むことになった。午前5時、米山サービスエリアでトイレ休憩する頃、ようやく空が明るくなりかけてきた。

 

その後富山県・石川県を順調に通過し8時30分過ぎに福井県に到着した。そして今年、新たに開通した「舞鶴若狭高速自動車道」に乗り換えて京都府を通過した。途中、数回のトイレ休憩や昼食時間を入れ、午後1時に全国大会が開催される兵庫県に到着した。高速道路の利用料金は34.800円を表示していた。

 

開会式が行われる「姫路球場」の駐車場には大分・群馬・岩手・鳥取・静岡などの県外ナンバーの大型バスが既に到着していた。ユニフォームを着た多くの選手たちがバスから降りて開会式会場に向かっていた。それにしてもバスで座ったままの約9時間はかなり疲労が溜まるものである。

 

開会式が行われた「姫路球場」。

小雨が降り続き、空が暗い4時近くに選手たちは鳥屋野球場の駐車場に集まって来た。

栄サービスエリアで新保選手を乗せると参加選手20人全員がバスに乗り込むことになった。

午前5時、米山サービスエリアでトイレ休憩する頃、ようやく空が明るくなりかけてきた。

富山県・石川県を順調に通過し8時30分過ぎに福井県に到着した。

今年、新たに開通した「舞鶴若狭高速自動車道」に乗り換えて京都府を通過した。

「姫路球場」の駐車場には大分・群馬・岩手などの県外ナンバーの大型バスが既に到着していた。

 

 

 

 

 

 


No.292 「木版画展」のお話。

2014年10月19日 | 日記

先日、新潟市中央区西堀にある「NEXT21ビル」6階のミニギャラリーで「木版画展」が開催されていた。私の「ブログ」の10月12日付けNo.285号で「木版画展」を掲載したばかりであるが、今日はその第二弾。作品を展示されたのは新潟県新発田市在住の塩田昇さんと新潟市在住の田渕順さんのお二人。

 

塩田さんは≪新潟県展≫に入賞され、新潟日報美術振興賞を受賞された経歴の持ち主である。作品は「祭り」「神」「鍾馗様」などを中心に制作されたもの多い。また、田渕さんは≪新潟県展≫に入賞され、新潟市美術展奨励賞を受賞された経歴の持ち主でもある。

 

私たちの身近にある「ゴルフ」「車」などをテーマにした作品が多い。先日も四つの版画サークルの会員による展示会が開催された。版画愛好者は私の想像している以上に多いようだ。この日、私は作風の違うお二人の作品を一枚一枚、じっくりと鑑賞させていただき、≪芸術の秋≫を楽しむことができた。

 

 

 

 


No.291 「ハルビン・新潟」展のお話。

2014年10月18日 | 日記

先日、新潟市中央区にある“クロスパル新潟”の交流サロンで、新潟市と中国・黒龍江省ハルビン市との友好都市締結35周年を記念して「ハルビン・新潟展」が開催された。ハルビン市の紹介、両市の市民友好交流活動の写真展示、それに寄贈品品や工芸品の展示などが行われていた。

 

写真展では世界的に有名な「ハルビンの氷祭り」の様子やハルビン市で最大規模の太陽島公園に造られた「新潟友誼園」にある新潟市のシンボルの「万代橋」の写真が目に付いた。また、新潟市内にある中国庭園の「天寿園」の写真も飾られていた。工芸品・贈答品関係では「パンダ」「丹頂鶴」「蒲萄」などを題材にしたものが多かった。

 

展示会場では35年前の1979年12月17日に新潟市で締結された「両市との友好都市に関する議定書」の原本や「調印式」の記念写真、それに日中友好交流に尽力された団体に送られた「感謝状」など、普段、私たちが見ることができない貴重な資料を拝見することができた。

 

私はこの「ハルビン・新潟展」を見学し、今後とも日本と中国、新潟県と黒龍江省、新潟市とハルビン市との間で地道な友好交流の輪を広げていく必要性を強く感じた。

 

工芸品・贈答品関係ではでは「パンダ」「丹頂鶴」「蒲萄」などを題材にしたものが多かった。

 

 

 


No.290 「パソコンさわろう会」のお話。

2014年10月17日 | 日記

毎日「ブログ」を書いているとパソコンの入力方法で操作の分からないケースに出会うことがよくある。そんなこともあり、私は常々パソコン操作の基礎を学びたいと思っていた。タイムリーに私の目に入ってきたのが新潟市中央公民館のロビーに貼ってあった「パソコンさわろう会」の会員募集パンフであった。

 

以前、私が黒龍江大学に勤務していた頃は中国人学生からパソコン操作を教えてもらっていた。現在ではこの「パソコンさわろう会」のお2人の講師の先生から懇切丁寧な指導を受けることができる。毎月2回の定例会には欠席者も少なく、約10名の会員は事前に先生からメールで送付された練習課題に取り組んでいる。

 

この日の課題は「図形を写真で塗りつぶしてください」とか「図形を影効果で表示してください」などが提出された。聞きなれない「グラデーション」「テクスチャー」「3D効果」などで表示する図形の機能を使った作図の課題も提出された。最近のパソコン操作の課題もだんだんと高度な内容になってきた。

 

パソコン操作は守備範囲が広く、奥が深いものである。落伍者にならないように会員の皆さんに付いていくしかない。

 

私が作成した練習課題。