故郷≪新潟≫の日々

満65歳で中国・黒龍江大学を定年退職した後、生まれ故郷の新潟に戻り、日々の生活を写真とともに日記風に綴っていくもの。

No.851 「チューリップ・フェスティバル」のお話。

2016年04月30日 | 日記

チューリップは「新潟市の花」であり「新潟県の花」となっている。日本の都市別に比較するとチューリップの生産量日本一が新潟市であるという。


新潟市のシンボル「萬代橋」の両側の歩道上を新潟市民が育てたチューリップのプランターで飾るイベント「萬代橋チューリップ・フェスティバル」が先日から始まった。


保育園や小学校など育てた合計3万3千本のチューリップが、JR新潟駅の万代口から萬代橋まで続いている光景は実に華やかである。よく見るとこのチューリップは種類や色が想像以上に豊富である。


花ビラの先が尖ったもののほか、バラの花のようなものもある。色も赤・白・黄色の一般的なものから紫色やオレンジ色なども見ることができる。私は歩道の上を歩きながら風に揺れるチューリップをゆっくりと鑑賞してきた。


 



No.850 「連敗」のお話。

2016年04月29日 | 日記

私達は「天寿園」を見学した後、近くにあるスタジアムで開催されたサッカーJ1リーグ「アルビレックス新潟」チームの公式戦を応援することになった。大島先生と教え子の龍さんは初めての新潟チームの観戦であった。


今シーズン、まだJ1リーグ公式戦のホームゲームで“白星のない新潟チームにとってこの2人は初勝利を後押しする力強いサポーターになったこの日の対戦相手は「ジュビロ磐田」。新潟チームは後半47分にラファエル・シルバ選手が強引にゴールに押し込んで先制点をあげた。


しかしその3分後の50分と66分にぺナルティ・キックを相手に与えてしまった。これをジェイ選手に2本とも決められ、2人の新しいアルビ・サポーターの応援の甲斐もなく、結局≪2対1≫で「連敗」記録を更新した。


残念なことに新潟チームはJ1リーグ18チーム中、J2リーグへ降格圏争いを続ける定位置(?)を確保し始めた。頑張れ!!!「アルビレックス新潟」


 

 

 



No.849 「天寿園」のお話。

2016年04月28日 | 日記

私は新潟を訪れる友人・知人を「天寿園」に案内することが多い。ここは庭木の手入れの行き届いた築山林泉式庭園を持つ伝統的な「日本庭園」と、中国人による設計・施工で建築資材も全て中国から運んできた本格的な「中国庭園」を同時に楽しめる場所となっている。


中国・国家副主席の王震先生が命名された「天寿園」という看板が掲げてある入口を通り抜けると、正面に池と滝がある「日本庭園」が目に入ってくる。更に中に進むと大きな池があり、池の中央部には蓮の花をイメージした「瞑想館」が浮くように建てられてある。


ここでは新潟県と中国・黒龍江省との友好交流の歴史がパネル展示されており、特に亀田郷土地改良区が黒龍江省・三江平原で土地改良事業などに汗を流して取り組んだ歴史を勉強することができる。


「中国庭園」では中国の名勝、景勝地をモデルにしただけあって、故郷・中国を思い出したのか教え子の龍さんも興味深そうに見学されていた。




 


No.848 「偶然」のお話。

2016年04月27日 | 日記

“豪農の館”を見学している時、2つの「偶然」に出会った。最初の「偶然」は100畳の大広間に掲げられた大きな“掛け軸”(参照⇒最初の「写真」)に書かれていた漢詩であった。唐時代の詩人である李紳によるこの漢詩は、教え子の龍さんの説明によると「中国の小学校で毎日読まされてきたもの」という。


龍さんは日本で偶然、懐かしいこの漢詩と再会した。日本語に訳すと「(早朝から)鋤をとって稲を耕しているうちに、正午になった。汗が滴り落ちて稲の根元の土にしみ込んでいく。お椀の中のご飯一粒一粒が、皆、農民の汗と辛苦の結晶だということを いったい誰が知っているだろうか。」ということになる。


この文章に終わりにある「粒々辛苦」とは、「こつこつと努力・苦労を重ねること」の意味があり四字熟語”となっている。2つ目の「偶然」は昨年、黒龍江省で開催された新潟県国際交流協会が主催した「日本語スピーチコンテスト」で優勝した黒龍江大学の学生を含む3人の学生と引率の先生に「枝垂れ桜」の咲いている庭先でお会いしたことである。

 

引率された先生は私が黒龍江大学に勤務していた時、公私ともにたいへんお世話になった朱星和先生であった。世界は広いようで狭いことを痛感した。


「日本語スピーチコンテスト」で優勝した3人の学生と引率の先生方と記念写真。




No.847 「豪農の館」のお話。

2016年04月26日 | 日記

「福島潟」の野鳥、菜の花畑、満開の桜などを鑑賞した後、私達は「北方文化博物館」へと向かった。ここは越後随一の大地主の屋敷であり、別名「豪農の館」と呼ばれ新潟市内でも有名な観光施設となっている。


全盛期には1市・4郡・60数町村に広大な田畑≪1.372ha≫を所有していただけあって、ここから遠くに見える「弥彦山」まで自分の土地だけを通ってたどり着けると言われていた。


緑色の苔の生えた日本式庭園のほか、100畳敷の大広間や長さが30mもある一本の杉の木を使った庇(ひさし)を支える丸桁などスケールの大きな豪農の屋敷をジックリと見学することができた。


庭には「桜」や「椿」などが見頃を迎えていた。特に「枝垂れ桜」は垂れ下がった枝にピンクの美しい花を付けた見事な姿を披露してくれた。






No.846 「花より団子」のお話。

2016年04月25日 | 日記

私達は一面黄色の“菜の花畑を通り抜け、野鳥を観察した後、福島潟の対岸にある「中部北陸自然歩道」の一部となっている桜並木の下で昼食を食べることにした。


この日「水の駅・ビュー福島潟」脇に出店した臨時売店で、新潟名物の“タレかつ丼”“三色団子”“桜もち”を買い込んだ。世界は狭いもので、ここで“三色団子”を販売していた人が私と一緒に古希野球チームでプレーしている佐藤選手であった。


「自然歩道」の両側に1km以上も連続して植えられてある桜並木の満開の景色は圧巻であった。丁度、テーブル付きのベンチがひとつ空いており、そこに腰を掛けて私達はゆっくりと花より“三色団子”を楽しんだ。


時折、私達の目の前に大きなサギがゆっくりと飛び降りてきた。さすがに豊かな自然が残る「福島潟」の光景であった。







No.845 「福島潟」のお話。

2016年04月24日 | 日記

新潟市北区に「福島潟」がある。毎年この「福島潟」には国の天然記念物である“オオヒシクイ”をはじめとする220種類以上の渡り鳥が飛来することで有名な場所となっている。


新潟県内最大級の湖沼で面積が193haと広く、国指定の「福島潟鳥獣保護区」(集団渡来地)でもある。この日「福島潟」の入口周辺は一面黄色い“菜の花”が咲き乱れ、絨毯を敷き詰めたような世界を見せてくれていた。


「スゴイ!!」「キレイ!!」などの声があちこちから聞こえてきた。1カ所だけ「菜の花」畑の中に入ることができる場所で記念写真を撮ることにした。絵画サークルの10人ほどのメンバーが椅子に座り菜の花を題材に風景画を描いていた。


私達は「潟」のほとりにある「野鳥観測所」まで歩き、野鳥を観察することにした。その建物の中には「環境省」が用意した望遠鏡が設置されていた。特に大きな「シラサギ」の優雅に飛ぶ姿をじっくりと観察できた。


望遠鏡で野鳥を観察する大島先生(左)と龍さん(右)。


 


No.844 「新潟の寿司と地酒」のお話。

2016年04月23日 | 日記

時間の関係で「新潟ふるさと村」で夕食を食べることができなかった私達は、JR新潟駅前で人気のお寿司屋「富寿し」で夕食を楽しむことにした。ここはいつ来ても満員に近いお客さんで賑わっている。


席に案内されると早速、新潟の郷土料理の「のっぺい」・海藻の「もずく」・栃尾の「ジャンボ油揚げ」・「茶碗蒸し」などを注文した。もちろん富寿し」の“握り寿司”は一押しの絶品である。


教え子の龍さんは最初に「南蛮エビ」の寿司から“おいしい”を連発して食べ始めた。私も新潟の地酒の味を楽しんだ。最初に“華やかな香りと濃厚な旨さ”と評判の佐渡市・尾畑酒造の≪佐州正宗≫を注文した。


続いて“千寿の生原酒・フレッシュな味わい”が人気の長岡市・朝日酒造の≪久保田 生原酒≫を飲み干した。今しか飲めない季節限定の新潟の地酒を堪能しながら、大学院で勉強に励んでいる教え子との話は続いた。





No.843 「新潟ふるさと村」のお話。

2016年04月22日 | 日記

桜の見頃を迎えた「白山公園」周辺を散策した後、私達は「新潟ふるさと村」を見学することにした。ここには「アピール館」と「バザール館」の2つの施設があるが、閉館近い時間に到着したため、駆け足で見学することになった。


2週間前に3人の教え子を案内した場所であったが、観光客に人気の高い“降雪機は午後3時30分に稼働時間が終了していた。“降雪機の真下には積雪2㎝ほどの白い雪が冷たく残っていた。


食事も午後4時がラストオーダーとなっており、ここで「夕食」を楽しむことはできなかった。私達の後からも何組かの観光客が訪れており、新潟県を代表する観光施設の週末の営業時間を「もう少し延長して!!」と考えるのは私だけだろうか?


ここで見応えのあったのは、開館時間外でも鑑賞できた屋外のチューリップ畑であった。「ナイトダンス」「フレンドシップ」「アイスクリーム」などの珍しい名前が付けられたチューリップが美しい色や形の花を咲かせていた。


元中国・黒龍江大学の大島先生(右)と教え子の龍さん(左)。

開館時間外でも鑑賞できた屋外のチューリップ畑

 




No.842 「燕喜館」のお話。

2016年04月21日 | 日記

白山神社を参拝した後、私達は登録有形文化財の「燕喜館」を見学することにした。「燕喜館」は明治時代から昭和時代にかけて新潟で活躍した商家、三代目の齋藤喜十郎氏の邸宅の一部を平成9年(1997年)に白山公園内に移築したもの。

 

「燕喜館」の名前は中国の唐時代の思想家「韓愈」の≪燕喜亭記≫に由来し“宴を催し、楽しみ喜ぶ”という意味から齋藤家が命名していたものを引き継いだという。


私達はここで日本の伝統的な家屋と古い灯篭が配置された庭園を鑑賞することにした。畳の部屋に腰を下ろし、芸術的な“床の間や彫刻を施した“欄間や“天井などを見ながらゆっくりと「日本茶」をいただくことにした。


多くの人々が桜の木の下に集まって賑やかな宴会を繰り広げていた「お花見」会場と違い、ここでは静かな落ち着いた時間が流れていた。




No.841 「白山神社裏にある神社」のお話。

2016年04月20日 | 日記

「白山神社」を参拝した後、私達は「白山神社裏にある神社」を参拝することにした。ここには「蛇松(じゃまつ)明神」「黄龍(おうりゅう)神社」「松尾神社」「道祖神(どうそじん)」と4つの場所でそれぞれの神様が祀られている。


これらの神社を参拝するには「白山神社」脇から人目につきにくい“地下道をくぐり抜けなければならず、隠れた人気スポットになっている。最初に右手に見えてくるのが“安産・子宝・夫婦円満”にご利益がある「道祖神」の石像。


続いて“金運・商売繁盛”などの神として信仰を集めている「蛇松明神」がすぐ脇にある。ここには信者が奉納した“蛇”の大好物の“生卵が「卵奉納箱」に納められていた。この神社の後ろには“しめ縄”の巻かれてある松の木があり、その皮は“蛇”の「ウロコ」に似ていた。


3つ目の「黄龍神社」は“災難除・病気平癒”など祈願成就の神様を祀ってある。4つ目の「松尾神社」は“醸造・芸能上達”に関する神威を発揮する神様であり、米どころ・酒どころの新潟の守護神とされているという。




No.840 「白山神社の花」のお話。

2016年04月19日 | 日記

私達は「県民会館」前の桜の花を鑑賞した後、「白山神社」へと向かった。途中にある「ひょうたん池」の桜と「蓮池」の水芭蕉の花を楽しむことにした。


「ひょうたん池」の中心部には木製の曲橋”がかかっていた。新潟市とハルビン市との友好都市締結を記念し、中国・黒龍江省ハルビン市の「太陽島公園」の新潟友誼園の中にも規模は小さいがこの“曲橋”と同じ橋がある。


また本数が少ないが、この橋の上から見る「桜」も周囲の「松」の緑と調和し、美しく咲いていた。「蓮池」の水芭蕉は形は小さいがまとまって真っ白い色の花を付けていた。


拝殿の前では大宰府天満宮から移植された「合格祈願の梅」が植えられていたが、時期が遅く、残念ながら「紅梅」「白梅」とも大半の花は散ってしまった。


「ひょうたん池」の桜と噴水。

「蓮池」の水芭蕉の花



No.839 「白山公園の花」のお話。

2016年04月18日 | 日記

私達は「やすらぎ堤」の花を鑑賞した後、「白山公園」に向かった。公園内にある「県民会館」周辺は新潟市内でも屈指の“お花見”を楽しむ場所となっており、多くの人が桜の花の下にブルーシートを敷いて場所を確保していた。


この日は天気にも恵まれ、気温も上昇してきた。暖かな太陽の光を浴びながら、白い「コブシ」の花や黄色い「連翹(れんぎょう)」の花も薄いピンク色の「桜」の中で美しく咲いていた。


中でも特に目についたのは「日中友好協会新潟支部」の“”であった。そこには新潟大学の中国人留学生をはじめ、日中友好協会の会員の皆さんなどが日本酒や食べ物を持参し、楽しく懇談していた。


このグループの若い男性の弾くバイオリンから「さくら~さくら~、弥生の空は~」の曲が優雅に流れていた。私の教え子である龍さんは日本の伝統的な美しい着物を着た女性と一緒に記念写真を撮らせてもらった。


男性の弾くバイオリンから優雅な音が流れていた。






No.838 「懐かしい人」のお話。

2016年04月17日 | 日記

先日、私は6年ぶりに「懐かしい人」に会うことができた。その人は私が中国・黒龍江大学で教えていた時の女子学生で、現在、東京都日野市にある明星大学大学院に学んでいる龍琬莹さんである。


今回も元黒龍江大学日本語教師の大島先生の運転する車で、龍さんを桜の花が満開となった新潟市内を案内することにした。最初に信濃川河畔の「やすらぎ堤」の桜並木を見物することにした。


桜の花は満開に近く、見事な光景を川面に写し出していた。その脇にある細長い畑には私の母校・白新中学校の生徒達が植えた赤・ピンク・黄色などの「チューリップ」が色鮮やかに咲いていた。


ブルーシートの上では飲食を楽しんだり、中には昼寝をしている人の姿も見られ、ここではゆっくりとした時間が流れていた。私が若い頃に流行した歌謡曲「信濃川慕情」の記念碑の前で写真を撮ることにした。


龍琬莹さんと大島先生(左)。

歌謡曲「信濃川慕情」の記念碑の前の龍さん(左)と筆者。








No.837 「五郎丸ポーズ」のお話。

2016年04月16日 | 日記

昨年、イギリスで開催されたラグビーのワールドカップ大会で日本代表チームが過去2度の優勝を誇る南アフリカ代表チームを破る“大金星をあげた。この大会で大活躍した五郎丸選手が最近、一躍脚光を浴びている。


ボールを蹴る前に両手の人差し指を胸の前に組み、精神統一する例の「五郎丸ポーズ」が若者の間で流行しているという。テレビでも「五郎丸ポーズ」の後、ゴールに向かってボールをキックする姿が毎日のようにビール会社のコマーシャルの中で流されている。


私は小・中学生が五郎丸選手の真似をする姿を見たことがあるが、幼稚園児の間でも流行っているらしい。先日、幼稚園に通う私の孫と近くの公園で遊んでいたら、突然「五郎丸ポーズ」が飛び出したのには驚いてしまった。


カメラのシャッターを押しながら得意のポーズをとった孫の姿を見て思わず笑ってしまった。


インターネットで「五郎丸ポーズ」の手の組み方を調べると、次のように解説されていた。