故郷≪新潟≫の日々

満65歳で中国・黒龍江大学を定年退職した後、生まれ故郷の新潟に戻り、日々の生活を写真とともに日記風に綴っていくもの。

No.516 「1日2試合」のお話。

2015年05月31日 | 日記

いよいよ野球シーズンも本番を迎えた。先日、第16回新潟日報杯新潟県還暦軟式野球大会が県内の4会場で開催された。参加チームは全部で23チーム。4つのグループに別れてリーグ戦が開始された。各チームがグループ内で2試合ずつを行い、失点の少ない上位2チームの計8チームが決勝トーナメント戦に進出できる。

 

従って、いくら点数を取っても失点が多いと決勝トーナメント戦に出場できないことになる。私の所属している「新潟エージレス野球クラブ」の初戦の対戦相手は「弥彦ジュニアーズ」。17対0で勝利を収め、相手チームの得点を《0点》に抑えた。しかし2回戦の「NAGAOKA米百俵」との試合では《0点》に抑えることができなかった。

 

結果として7対1で勝利したが《1点》を取られた。このグループで2勝したのは我がチームと「白根還暦野球」と「ウェストオーシャン」の3チーム。好投手を擁する「白根還暦野球」は2試合で失点《0点》、ウェストオーシャンは失点《3点》、我がチームは失点《1点》で辛くも決勝トーナメントに進出することができた。

 

それにしても還暦を迎えた選手にとって好天の中での「1日2試合」はかなりハードである。また、次の決勝トーナメント戦に勝たないと来年度の全国大会に出場することができない。まだ高いハードルがいくつも待っている。

 

3塁コーチャースボックスの筆者。

 

 

 

 


No.515 「歩道の美化運動」のお話。

2015年05月30日 | 日記

先日、我が家から自転車で10分程度の場所にある背の高い“ケヤキ(欅)”並木のある歩道を走った。新緑に包まれた“ケヤキ”の葉が美しい姿を見せていた。その歩道に立てられた小さな看板が目に止まった。そこには「ADOPT」と書かれてあった。この「ADOPT」には『~を選んで採用する。修正を加えて採用する。』などの意味がある。

 

更に『地方自治体が道路などの管理責任を負う。』という意味もある。この看板には小さな文字で『この歩道は私達が美化運動を行っています。 秣川岸通きれいにし隊 』と書かれていた。歩道をよく観察すると黄色、オレンジ、ピンク、紫など色とりどりの花が花壇に植えられていた。

 

私がここを通ったのは夕方近くであった。シャッターチャンスを逃し、写真に撮ることができなかったが、中高年の男性が草花に水をやっているところであった。ありがたいことに、このような地道なボランティア活動により歩道が綺麗な花に囲まれ、私達の目を楽しませてくれている。

 

 

 

新緑に包まれた“ケヤキ”の葉が美しい姿を見せていた。

 

 

 


No.514 「水墨画展」のお話。

2015年05月29日 | 日記

先日、私は久しぶりに新潟市中央区西堀の「NEXT21ビル」6階にある市民プラザ《 ミニギャラリー 》を訪れた。このギャラリーは最近ではアマチュアの写真愛好家などによる「写真展」が連続して開催されていた。今回の展示はやや趣向を変えた“墨友会”主催の「水墨画展」であった。

 

会場に配布された資料によると「この“墨友会”は年に数回の写生会を楽しみながら、墨一色の奥深い水墨画の魅力に取りつかれた会員の集まりで、それぞれ思い思いの自分達の作品を一堂に持ち寄り、会員同士がお互いに批評しながら研鑽を続けているグループである。」と書かれていた。

 

“墨友会”は男性6人、女性4人の計10人の会員で構成されており、風景画を中心とした作品が展示されていた。特に雪に覆われた山や温泉の雪景色など、柔らかいタッチで雪を墨一色で表現していたことに感心させられた。また落差のある滝や海岸に打ち寄せる波の動きなどの作品にも迫力を感じた。

 

私の知人の作品や我が家から近い「萬代橋」のほか私の故郷である新潟県内の風景を題材にした作品も多く、私にとって身近に感じられた「水墨画展」であった。

 


No.513 「新潟の地酒を楽しむ会」のお話。

2015年05月28日 | 日記

新潟市中央区秣川岸通にある人気の「寿司割烹 いかだ」で年に3回ほど開催されている「新潟の地酒を楽しむ会」も今回で8回目を迎えた。主催者は「いかだ」さんのすぐ近くに店舗を構える吉川酒店。店主の吉川さんの名刺には「地酒防衛軍 吉川酒店 隊長」と書かれてある。

 

更に「有名・無名にかかわらず、店主が“うまい!”と感じたお酒のみ販売。」の文字も見られる。会場の関係で、私に割り振られた参加枠は3人であるが、今回は特別4人枠にしていただいた。私と中国・黒龍江大学で一緒に勤務していた大島先生、それに先生のお兄さんと義理のお兄さんからも参加していただいた。

 

この日の地酒の醸造元は新潟県栃尾市にある越銘醸株式会社。テーブルに運ばれてきたのは「壱醸」「本正」「越の鶴・中取り」「越の川」の4銘柄。棚田から作られる良質な米・水・気候風土に恵まれ、手づくりを基本にしたお酒ばかりである。ビールではなく最初から「壱醸」で乾杯して会が開始された。

 

同社の取締役の武藤さんから4銘柄の特長をお聞きし「いかだ」さんが提供した枝豆や新鮮な刺身など、新潟ならではの料理を食べながら地酒を楽しんだ。美味しいはずで、私の前の席には8回連続で参加している方もおられた。今回も最後の酒の味を思い出せないほど楽しい会となった。

 

醸造元の取締役・武藤さんからそれぞれの地酒の特長をお聞きした。

私は幸運にもジャンケンに勝ち、「前掛け」をゲットした。

 

 


No.512 「シャクヤク」のお話。

2015年05月27日 | 日記

先日、初夏のような天気に誘われて新潟市中央区清五郎にある本格的な中国庭園「天寿園」に足を運んだ。ここは「人は生まれながらにして与えられた寿命があり、これを“天寿”という。天寿園はこの世に在る人々に生きる喜びを与えてくれるところ」という意味で、当時の中国国家副主席の王震先生により命名された由緒ある庭園である。

 

そこに咲いていたのは期待していた「ボタン(牡丹)」ではなく「シャクヤク(芍薬)」であった。桜の時期にこの「天寿園」に来た時は「ボタン」「ツツジ」「藤」などのツボミも硬かった。私は時期を遅らせて「ボタン」などの咲く時期に訪れたつもりであったが、既に咲き終わっていた。

 

多くの「ボタン」の木が植えられている場所の近くで庭木を剪定していた作業員の方にお聞きをしたら「今年のボタンは平年より10日ほど早く咲き終えた」とのこと。「シャクヤクであれは見頃を迎えている場所があるよ」とのアドバイスを受け、私は早速「シャクヤク」の咲いている場所へと向かった。

 

そこには高さがやや低いが白にピンクがかった花が美しく咲いていた。また「シラン」の紫色の花も観賞しながら、私は手入れの行き届いた庭園をゆっくりと散策した。

遅咲きのボタン。

ボタンの植えられた一角。既に花はほとんど咲き終えていた。

「シラン」の紫色の花を観賞しながら、手入れの行き届いた庭園をゆっくりと散策した。

 

 

 


No.511 「不戦敗」のお話。

2015年05月26日 | 日記

私の所属する野球チームの「豆九クラブ」は第50回記念新潟市早起き野球大会の「壮年の部」の2部で初勝利をあげた。当大会特別ルールにより、勝利したチームは次の試合の塁審とボール拾いの4名を出すことになっている。今回、私もその4名の中に選ばれ、早朝4時30分に起床することになった。

 

自宅から自転車に乗り、午前5時に会場に到着した。既に両チームの選手は準備運動やキャッチボールを始めていた。この日は「壮年の部」の1部の《 FコンドルBC 》対《 ジャパニーズ 》の試合が組まれ、私は3塁の塁審をすることになった。試合開始前にオーダー表が提出され、両チームの主将によるジャンケンで先攻と後攻が決まった。

 

しかし試合開始時刻となっても選手が1名来ない。結局、主審が両チームを前に大会特別ルールにより8名しか集まらないチームに「不戦敗」を宣言した。元々野球愛好家の集まりである両チームは練習試合をすることになった。公式戦がなくなったため、私は会場の周辺に咲くアカシアの白い花、ハマナスのピンク色の花などを楽しむことにした。

 

更に200mほど足を伸ばして日本海の見える海岸に出てみた。そこには波の静かな綺麗な海があった。それにしても選手1人の遅刻により、試合が成立しなかった。これを教訓として私も試合前日から体調を整えるなど、気を付けることにしたい。

 

午前5時、両チームの選手は準備運動やキャッチボールを始めていた。

野球愛好家の集まりである両チームは練習試合をすることになった。

会場の周辺に咲くアカシアの白い花、ハマナスのピンク色の花などを楽しむことにした。

200mほど足を伸ばして日本海の見える海岸に出てみた。

 

 

 

 

 


No.510 「家庭菜園」のお話。

2015年05月25日 | 日記

先日、友人の畑へ久しぶりに行ってきた。約1カ月前に「冬菜(とうな)」や「ブロッコリー」の収穫を楽しんだ後、それらの茎を引っ張り土中から引き抜いた。そこに石灰を撒き少しの期間、畑を休ませていた。朝市で農家から購入した「スイカ」「ミニトマト」「ピーマン」「ナス」の苗を持参し、畑に植え付けてきた。

 

また「食用菊」の苗は「家庭菜園」の専門家である隣りの家のご主人から5本分けてもらった。私達が収穫を楽しんだ「冬菜」の苗もこのご主人から頂戴したものであった。畝(うね)を作りそこに雑草が生えてくるのを防ぐため、幅が1mほどもある大きな黒いビニールを畝にかぶせる作業から始まった。

 

かぶせたビニールを固定し、そこに等間隔に穴を開け、その穴の中に「ピーマン」や「ナス」の苗を植え付けていった。最後に強風に飛ばされないよう支柱を立て、苗の茎を布で支柱に縛り付けた。最後に水をまいて作業は終了した。汗をかきながらの2時間ほどの作業であった。 

 

天気にも恵まれ、心地よい汗が流れた。あとは苗が早く土に馴染み、成長してくれることを祈るだけである。

苗を植える前の畑。

「食用菊」の苗は隣家のご主人から5本分けてもらった。

トマトの苗には黄色の花が咲いていた。

ピーマンの苗。

スイカの苗。

 

 


No.509 「結婚式二次会」のお話。

2015年05月24日 | 日記

先日、新潟市中央区笹口にあるビアダイニング「麒麟」で「豆九クラブ」の四番打者・宮川選手の「結婚式二次会」が盛大に開催された。この日は会場の「麒麟」の2階を全部借り切っての「二次会」であった。当クラブの部員も司会進行役や受付係などで大活躍をしていた。

 

会場には宮川選手が所属しているもうひとつの野球チームで新発田市の「GATTO」のメンバーや職場の仲間など若者を中心に50人以上が集まった。定刻に新郎新婦が大きな拍手で迎えられ「二次会」が開始された。会場は元気のいい若者の拍手や歓声に包まれた。当クラブの横山選手の落ち着いたプロ並みの司会進行ぶりには感心させられた。

 

新郎新婦が4段に積まれたグラスにシャンパンを慎重につぎ終わると参加者から大きな拍手が起こった。予め会の始まる前に提出していた参加者の携帯番号に新郎から電話がかかってくると、その人に豪華賞品(?!!)がもらえる楽しいイベントも用意されていた。そして幸運にも最後に私の携帯電話が鳴った。

 

豪華賞品は“いかソーメン”であった。私にもお祝いの言葉を述べる機会が与えられ、お二人のご健康と幸せを祈念した。イベントの締めは、なんと新郎の“胴上げ”。多くの楽しい愉快な仲間に囲まれた心温まる「二次会」であった。

 

横山選手の落ち着いたプロ並みの司会進行ぶりには感心させられた。

新郎新婦が大きな拍手で迎えられ「二次会」が開始された。

4段に積まれたグラスにシャンパンを慎重につぎ終わると参加者から大きな拍手が起こった。

生ビールは自分自身でサーバーから頂戴するシステム。

豆九クラブのテーブルも盛り上がった。

私にもお祝いの言葉を述べる機会が与えられた。

私が頂戴した豪華賞品は“いかソーメン”。

豆九クラブのメンバーと記念写真。

豆九クラブの高橋監督のお祝いの言葉とサインボールの贈呈。

イベントの最後は新郎の“胴上げ”。

 

 

 

 

 

 


No.508 「初戦突破」のお話。

2015年05月23日 | 日記

第50回記念新潟市早起き野球大会の開会式の余韻が残っている「HARD OFF ECO スタジアム新潟」で私の所属している「豆九クラブ」の初戦が開始された。プロ野球の公式戦が開催されたばかりの球場の施設は、両翼100m、センター122m、内野・外野とも全面人工芝が貼られており、室内練習場も完備した立派な球場である。

 

この日の対戦相手は壮年の部で15回出場の「関屋ビクトリーズパパ」。初回裏にタイムリーヒットを打たれ1点を先取された「豆九クラブ」は3回表にランナー3塁で渡辺選手がセンターに犠牲フライを打ち、同点に持ち込んだ。その後も今シーズン、初めて登板した赤塚投手が力投したが、再三、得点圏にランナーを出した。

 

しかし外野への飛球を外野⇒内野⇒捕手の中継でランナーを本塁寸前でアウトにし、追加点を阻止した。我がチームは4回に1点、5回に2点を追加し、4対1とした。最終回、ノーアウト満塁のピンチを招いたが、ここで赤塚投手が踏ん張り、後続を抑えてなんとか「初戦突破」することができた。

 

試合後、めったにプレイすることができない素晴らしい球場でメンバー全員で記念写真を撮り、勝利の味を噛みしめた。

 

相手チームも素晴らしい球場で記念写真。


No.507 「開会式」のお話。

2015年05月22日 | 日記

私が「新潟市早起き野球大会」に出場したのは1966年の第1回大会。そう、今から50年前の話である。丁度、今年の大会が第50回目の記念の大会を迎えることになった。記録によると第1回大会は59チーム(選手1.200人)が参加した。私が所属している「豆九クラブ」はこの大会で第3位に入賞した。

 

その記念大会の「開会式」が先日、プロ野球の「巨人」対「DeNA」戦が開催された“HARD OFF ECOスタジアム新潟”で176チーム(選手3.520人)の代表者が参加して盛大に開催された。因みにこの大会の最盛期は1981年の第16回大会の944チーム(選手18.880人)というマンモス大会であった。

 

文字通り日本一の早起き野球大会となり、現在でも日本一の参加チーム数を誇る大会となっている。今年は《 50年連続 》で出場している3人の選手が表彰された。その中の1人が当チームの米山監督であり「開会式」で特別表彰された。また我がチームも《 50年連続 》出場チームとして表彰された。誠に喜ばしいお話である。

 

第1回の大会から出場していた私であるが、途中で中国・黒龍江大学に勤務した関係などで《 50年連続 》出場の記録は達成できなかった。しかし今後とも大好きな野球を楽しむことにしたい。

 

《 50年連続 》出場した当チームの米山監督が特別表彰された。

また我がチームも《 50年連続 》出場チームとして表彰された。

表彰の後、マスコミの取材を受ける米山監督。

《 50年連続 》で出場している3人の選手が表彰された。

選手宣誓。

50年連続出場チームの表彰。

篠田新潟市長の挨拶。

今年は女子だけのチームも参加した。

3人の50年連続出場選手による始球式。

中央のバッターは篠田新潟市長。

 

 

 

 

 

 


No.506 「新緑」のお話。

2015年05月21日 | 日記

先日、久しぶりに美しい「新緑」の木々の間を、新鮮な空気を吸いながら散策してきた。場所は新潟市中央区清五郎にある「新潟県スポーツ公園」の一角にある“ながたの森”。この森は“チューリップ”や“枝垂れ桜”を中心に、4月~5月にかけても美しい場所であるが「新緑」の季節もなかなか見応えがある。

 

“ながたの森”には「せせらぎ」として、人工の小川が流れ、池があり、周辺には広々とした芝生広場もある。また、多くの木々の間を歩く散歩道は“森林浴”に適している。それぞれの木には名前や特性などが書かれた標識が付けられている。「イヌシデ」「セイヨウトチノキ」「シナノキ」「カツラ」などの「新緑」が眩しい。

 

これらの木の枝から新しい葉が伸び、それが春の太陽の光に輝いて美しい光景を映し出している。また「新緑」の脇には紫色の可憐な花をつけた「紫瀾(しらん)」や「ツツジ」の花が咲き乱れていた。この森は“やすらぎ”と“うるおい”を与えてくれる貴重な場所となっている。

 

気分転換、リラックス、息抜きなどで皆さんにお薦めできるスポットでもある。

 

「新緑」の木々の間を、新鮮な空気を吸いながら散策してきた。

「イヌシデ」「セイヨウトチノキ」「シナノキ」などの新緑が美しい。

“ながたの森”には「せせらぎ」としての人工の小川が流れ、池がある。

紫色の可憐な花をつけた「紫瀾」や「ツツジ」の花が咲き乱れていた。

 

 

 

 

 

 


No.505 「降格圏突入」のお話。

2015年05月20日 | 日記

「降格圏突入」とは、私が応援しているサッカーJ1リーグの「アルビレックス新潟」のことである。現在、リーグ18チーム中の17位。攻守の要であるレオ・シルバ選手が精密検査のためブラジルに帰国し、さらにチームの得点王であるラファエル・シルバ選手も負傷のため欠場が続いている。

 

この2人の穴は簡単には埋まらない。この日の対戦相手は「仙台」。過去、私が宮城県仙台市まで行って応援し、3年連続で勝利した相手である。その「仙台」にいいところなく、それも完敗した。前半10分で1点を取られ、後半も2点を追加され「3対0」のゲーム。最下位転落まで「勝点1」の差となった。

 

レオ・シルバ選手とラファエル・シルバ選手の長期離脱に加え、次節は小泉選手、舞行龍選手が出場停止となる。スタンドに集まったサポーターの数も前回の試合の25.003人から16.764人と大幅に減少した。チームに対する声援も元気がなく小さくなった。こういう時こそ多くのサポーターから熱い応援をしてもらいたいのだが……。

 

18チーム中、16位~18位の3チームは来季、自動的にJ2リーグに降格する。降格圏から一日も早く脱出できるよう、更に熱い応援を続けなければならない。選手の奮起を期待したい!!!

 

「3対0」で勝利し、歓喜に沸く仙台のサポーター席。

試合終了後、選手を大声援で迎える「仙台」のサポーター。

この日会場で配られたオレンジ色のバンダナ。

試合前の順位表。

 

 

 

 

 

 

 


No.504 「チューリップの花絵」のお話。

2015年05月19日 | 日記

チューリップの生産量日本一の都市は新潟市という。そのチューリップの花は咲いたままにしておくと、栄養が花に行き、球根が痩せる。そのため、新潟市内のチューリップ産地では球根を育成するために、早めに花を切り取って捨てていた。先日、この捨てられていた花を再利用して「花絵」を制作するイベントが開催された。

 

私が見学に行った「チューリップの花絵」のイベント会場は(1)新潟駅の南口広場と(2)新潟市中央区の古町7番町商店街の2箇所。2つの会場に到着した時には既に多くのボランティアによる「花絵」の制作作業が終了し、チューリップの花による立派な大きな絵が完成していた。

 

この「花絵」はチューリップの茎を少し残して摘みとった赤・白・黄色・ピンクなどの花を、穴のあいたボードに差し込んでいき、絵を描いていくもの。隙間があると飾った時に色がバラつくため、ピッタリと差し込むのがコツという。専門学校の学生などが描いた“下絵”を見ながら、忠実に絵を完成していくことになる。

 

これまで捨てられていたチューリップの花が、再利用されたことにより生き返った瞬間でもある。このイベントは多くの新潟市民の目を楽しませてくれた。

 

新潟駅の南口広場に飾られた「チューリップの花絵」。

この「下絵」によってチューリップの花絵が制作された。

新潟市中央区の古町7番町商店街に飾られた「チューリップの花絵」。

 

 

 

 

 


No.503 「歓迎会」のお話。

2015年05月18日 | 日記

先日、新潟市中央区秣川岸通りにある人気の「寿司割烹 いかだ」において、ささやかな“歓迎会”が開催された。この日の主役は今年の4月から新潟市国際交流員として赴任された崔卅(cui sa)さんと新潟市北京事務所から帰国された近藤所長さんのお二人。現在、近藤さんは新潟国際友好会館の館長で新潟市国際交流協会事務局長の要職にある。

 

近藤さんとの思い出は多い。私が黒龍江大学に勤務していた時、北京事務所から貴重な新潟市発行の資料を教材として送付してもらったり、私の教え子が北京大学へ留学した時も相談相手になっていただいた。今回は私がいつもお世話になっている英語と中国語に堪能な同協会の高橋さんからも参加していただいた。

 

3月まで国際交流員として活躍され、現在、黒龍江大学日本語教師である韓春紅先生はお酒を飲まれなかったが、今回は全員が新潟のお酒とお寿司が大好きな方々であった。最初に皆さんのご健康とご多幸を祈念して生ビールで乾杯した後、新潟でも人気の地酒である「想天坊」「月不見の池」「鶴の友」「壱醸」の順番で乾杯を重ねた。

 

美味しい新潟のお寿司、鰹のたたきのサラダ、アイナメのフライなどを酒のツマミとして注文した。楽しい充実した「歓迎会」であった。この日の主役であるお二人の益々のご健康とご活躍をお祈りしたい。

 

「寿司割烹 いかだ」での“歓迎会”。

「寿司割烹 いかだ」のご主人が持参した地酒“月不見の池”。

お寿司、鰹のたたきのサラダ、アイナメのフライなどを酒のツマミとして注文した。

 

 

 


No.502 「芝桜」のお話。

2015年05月17日 | 日記

桜の季節も終わり、新緑の季節を迎えた。私の好きな野球は現在、シーズンの真っ最中であるが、今の時期に可憐な美しさを見せる「芝桜」も見頃を迎えた。私が毎週、火曜日の午前中に野球の練習をしている新潟市江南区亀田工業団地にある「かわね公園野球場」脇の歩道にこの「芝桜」が咲いている。

 

よく観察するとここに咲く「芝桜」は花の色が1種類ではない。(1)薄いピンク色の花びらの中心に紫色の小さな円形の模様があるもの、(2)濃いピンク色に紫色の模様があるもの、(3)全体が濃いピンク色のもの、と3種類の花が咲いていた。

 

また、野球場内に目を向けると、殺風景な芝生の外野グランドにも様々な花が咲いている。特にフェンス脇には多くの黄色の「タンポポ」が風に揺れていた。花が咲き終わり、綿のようになった種が風に飛ぶ寸前のものも見られた。花の名前は知らないが小さな菊の花に似た白と黄色の花も咲いていた。

 

汗を流し、白球を追い回るグランドで見る花は、私にとって一服の清涼剤のような役割を果たしていた。

 

 薄いピンク色の花びらの中心に紫色の小さな円形の模様がある芝桜。

濃いピンク色に紫色の模様がある芝桜。

全体が濃いピンク色の芝桜。