故郷≪新潟≫の日々

満65歳で中国・黒龍江大学を定年退職した後、生まれ故郷の新潟に戻り、日々の生活を写真とともに日記風に綴っていくもの。

No.212 「明孝陵」のお話。

2014年07月31日 | 日記

今回、私たちが訪れた「南京の旅」で唯一の世界文化遺産はこの「明孝陵」であった。明朝の創始者で初代皇帝となった朱元璋と皇后が祀られている墓地である。さすが世界遺産のことはある。私達は濃い緑に囲まれた美しい景観の中に総延長が1,800mもある一本の長い神道(石像路神道と翁仲路神道)をゆっくりと散策した。

 

この神道の両側には「馬」「象」「ラクダ」「麒麟」「ライオン」などの大きな石像が向かい合って設置されていた。そして道の終点近くの参道脇には「福岡県・江蘇省 友好桜花園」と書かれた巨大な記念の石が置かれていた。この周辺には両県省の友好交流締結を記念して約3.000本の桜の木が植えられている。

 

ガイドさんの説明によると、現在では桜の木は大きく育ち、毎年春になると桜の花の見頃を迎える。そして多くの南京市民の方々が日本人と同じように桜の花を楽しんでいるという。

 

「この場所は梅の花の名所ともなっており、梅と桜は美しさを争っていて、日中両国の世代の友好を象徴している」と説明看板に書かれていた。

 

「明孝陵」の入口。世界遺産のマークが見える。

 

左から大島先生、教え子の蔡さん、朱さんと筆者。

 

 

 

 

 

 


No.211 「霊谷寺」のお話。

2014年07月30日 | 日記

「総統府」を見学した後は中山陵の東隣りにある「霊谷寺」に向かった。このお寺は≪六朝≫の梁代から約1.000年の歴史を持つ寺である。ガイドさんからこの「霊谷寺」も前日見学した中山陵の≪392段≫の石段とまでいかないが、かなり長くて急な階段を登りますよと言われた。

 

ここは広い「霊谷寺」の境内を歩き、いくつかの門をくぐり、≪辛亥革命≫の資料館になっている「無梁殿」を見学した後、参道の先に空に突き刺すような≪九重の塔≫である「霊谷塔」が見えてきた。塔の中に入ると螺旋階段が塔の中心部に設置され、最上部まで続いていた。ガイドさんが言っていた急な階段とはこの階段のことであった。

 

階段は全部で≪252段≫あるという。私は途中で2回ほど休み、汗をかきながら最上部まで登りきった。この「霊谷塔」の背後には緑の山が続き、前方には見晴らしのいい景色が地平線まで続いていた。登れば当然、降りなければならない。階段を降りる方が私の足には応えた。

 

この日の私の「万歩計」は昨日よりもさらに多く、19.577歩を記録した。

 

世界文化遺産「中山陵」の東隣りにある「霊谷寺」の入場券。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


No.210 「総統府」のお話。

2014年07月29日 | 日記

「長江第一大橋」を見学した後、私達は「総統府」に向かった。この「総統府」は「夫子廟」と双璧をなす南京市内の主要な観光地である。ここは中華民国政府、国民政府の「総統府」跡であり、孫文や蒋介石などの執務室がある。南京市内は入場料が無料の観光地が多い中で、この「総統府」は40元(日本円で約640円)の入場料が必要であった。

 

「総統府」の中は太平天国と中華民国の展示資料が豊富にあり、広い「総統府」の中を右に左に歴史のある展示部屋をゆっくりと見て回った。やや高い入場料にもかかわらず、多くの観光客で賑わっていた。また「総統府」の敷地の中には南京市内に現存する古典園林のひとつである「煦園」が併設されている。

 

そこは美しい東屋と池がマッチした庭園となっていた。この場所をゆっくりと見学するには、もう少し時間が欲しかった。出口には杭州から新幹線で南京までわざわざ訪ねて来た私の教え子で、ハルビン理工大学の野球部のキャプテンをしていた朱駿峰さんが待っているというメールが入ってきた。

 

そして「総統府」の出口でお互いに再会を喜び合った。固い握手を交わし「総統府」の正面玄関をバックに記念写真を撮った。2年ぶりに会った朱さんは社会人となり、日本語はさらに流暢となり、元気溌剌とした姿を見せてくれた。 

 

この「総統府」は40元(日本円で約640円)の入場料が必要であった。

2年ぶりに会った朱さん(中央)は社会人となり、元気溌剌としていた。

 

 

 


No.209 「長江第一大橋」のお話。

2014年07月28日 | 日記

「長江」は“揚子江”とも呼ばれ、青藏高原に源を発し、東シナ海に流れ込む総延長が約6.300Kmにも及ぶ中国最長の川である。この日は午前8時にホテルを出発する予定であったが、少し遅れて出発した。月曜日の朝とあって南京市内は特に車の渋滞がひどく、ガイドさんもその交通渋滞に巻き込まれたという。

 

この日最初に訪れた「長江第一大橋」の長さは鉄道橋部分は6.772m、道路橋は4.589mもあり、橋の周辺は“大橋公園”になっていた。平日の午前9時過ぎにもかかわらず、南京市民が「社交ダンス」や「剣舞」などを楽しんでいた。橋脚内の入口に入ると国家主席の毛沢東先生が右手を上げて例のポーズをとっている大きな像が目に入ってきた。

 

エレベーターに乗り、地上から70にある展望場所で降りた。ここはさすがに高い。この橋の上から下を見ると高さを実感する。ガイドさんが「ここは自殺の名所にもなっていますよ」と説明してくれた。私はなるほどと納得した。自動車道の脇に歩道があるがヘルメットなしで猛スピードで走るバイク専用の歩道になっていた。

 

その道路の下が鉄道になっており、長い貨物列車が何回となく往来していた。この場所は車の排気ガスで空気も悪く、長江の対岸は霞んで見えた。見学場所となっている歩道は狭く危険なため、早々とエレベーターに乗ってこの場所を後にした。

 

「長江第一大橋」の周辺は“大橋公園”になっていた。

入口には毛沢東先生が右手を上げて例のポーズをとっている。

エレベーターに乗り、地上から70にある展望場所で降りた。

 

道路橋の下には貨物列車が走っていた。

ヘルメットなしで猛スピードで走るバイク専用の歩道になっていた。

橋の下は「大橋公園」となっていた。

「1日の命を大切にしなさい」と書かれた、自殺を思いとどませる看板。

歩道の幅が狭くバイクとぶつかりそうになる。

平日の午前9時過ぎにもかかわらず、「社交ダンス」や「剣舞」などを楽しんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 


No.208 「3日目の早朝散歩」のお話。

2014年07月27日 | 日記

中国の旅の3日目は大島先生と2人で早朝散歩に出発した。行き先は前日、私が散歩した「閲江楼風景区」。この日は月曜日であったが日曜日と同じくらい多くの市民が集まり、スポーツなどを楽しんでいた。昨日観光した「宝船廠遺跡公園」は≪国家AAA級≫の“三ツ星”公園であったが、こちらの方が格が一つ上の≪国家AAAA級≫の“四ツ星”の観光地であった。

 

「閲江楼風景区」内の案内看板には中国語、英語、韓国語のほかに日本語での説明文が掲載されていた。入口付近の広場では「バドミントン」「羽根蹴り」などのほか1人の先生に15人ほどの生徒が白いユニフォームを身につけ、熱心に「太極拳」を教えてもらっていた。その隣には日本の「ラジオ体操」のような動きを楽しむ団体もあった。

 

山腹には頂上付近まで行けるエスカレーターの乗り場もあった。昼間は多くの観光客で賑わいを見せるのだろう。さらに「二胡」という楽器を弾いている人や、魚釣りを楽しむ人々の姿も見られた。ここには早朝から緑に囲まれた公園で新鮮な空気を吸いながらスポーツなどに親しみ、心も身体もリラックスさせている南京市民の姿があった。 

 

≪第三天早晨的散步≫  

在中国旅行的第三天早晨,我和大岛老师两个人散步了。目的地是{我昨天散步去的}阅江楼风景区。这天虽然是周一,但是很多市民集合起来,享受运动和娱乐的乐趣。  

 

昨天我们参观的宝船厂遗迹公园,是国家三星级公园,但这次的公园却高一个等级,是国家四星级观光胜地。阅江楼风景区内的引路牌上,有用汉语、英语、朝鲜语,还有用日语写的说明文字。  

 

在公园入口附近,除了有打羽毛球和踢毽子的人之外,还有大约15个{穿白色运动服的}人在跟一位教练学太极拳。在旁边,还有认真地做广播体操的人们。 

 

从山腰至山顶附近设有自动扶梯。白天人来人往,很热闹。其中有人在拉二胡,或者钓鱼。在这里, 有很多南京市民,一大早就来到{绿树成荫的}公园,一边呼吸着新鲜空气,一边运动,放松身心。

 

≪国家AAAA級≫の“四ツ星”の観光地の「閲江楼風景区」の案内板。 

先生に15人ほどの生徒が白いユニフォームを身につけ、熱心に「太極拳」を教えてもらっていた。

日本の「ラジオ体操」のような動きを楽しむ団体もあった。

ランニングを楽しむ人の姿も見られた。

足のストレッチ運動をする人々。

私もストレッチ運動にトライしてみた。

「二胡」という楽器を弾いている人や、魚釣りを楽しむ人々の姿も見られた。

籠に入れた鳥の声を聴く人々の姿も見られた。

木にぶら下げた鳥籠が見える。

山腹から頂上付近まで行けるエスカレーターの乗り場もあった。

魚釣りを楽しむ人の姿も見られた。

日本の「ウグイ」のような魚が釣れていた

「閲江楼」が霞んで見える。時間の関係で近くまで行くことができなかった。

小船を使って堀に浮かぶゴミをとっている係員。

 

 

 

 

 

 


No.207 「3日目の食事」のお話。

2014年07月26日 | 日記

この日の朝食の料金はは28元(日本円で約450円)。食券をホテルの従業員に手渡すと、後はバイキング方式で好きな料理を自分のテーブルに持ってくることができる。三つ星のホテルのためか、中国人観光客が多く日本人の姿は見ることはなかった。昼食は「南京博物院」のレストランで50元(日本円で約800円)のバイキング。

 

夕食は宿泊しているホテルの近くにあるレストランで食べることにした。“しゃぶしゃぶ”で有名な「火鍋店」や「ザリガニ料理店」などがあったが、結局「大娘水餃」という餃子のチェーン店に入ることにした。ここは南京市民が家族連れで利用している人気の店らしく、多くの中国人が楽しそうに食事をしていた。

 

私は大島先生と2人で2種類の「水餃子」に2種類の「肉入りスープ」それに4本の「串焼き」と4缶の「青島ビール」を注文した。2人分で合計80元(日本円で約1.280円)であった。暑い中、長い距離を歩いて多くの汗を出したこともあり、冷たい「青島ビール」が勢いよく私の喉元を通り過ぎ、胃袋に収まっていった。

 

 この日の朝食は28元(日本円で約450円)。

私が宿泊した三つ星のホテル「台北沃閣商旅酒店」。

この日南京博物院で食べた昼食が一番ボリュームがあった。

夕食は「大娘水餃」という餃子のチェーン店。

 

 

 

 

 

 


No.206 「中山陵」のお話。

2014年07月25日 | 日記

この日最後の見学場所は紫金山にある「中山陵」。ここには人々に愛された「孫文」の墓がある。私達は午後4時にこの場所に到着した。ガイドさんの説明によると午後5時には閉門するという。早く歩くように促され、舗装された山道を登っていくと途中から石の階段に変わった。

 

暑い直射日光を浴びながら階段を上り始めると体や顔から汗が出始めてきた。特にリュックサックを背負った私の背中は汗でビッショリになった。ガイドさんの説明によると392段≫の石段は当時の民国政府の人口が3億9.200万人であったことから決められたという。石段を登りきったところに「孫文」の棺を安置した建物があった。

 

今の中国であれば、約13億人の人口のため、1.300段≫のほどの石段を作らなければならないことになる。最上部にある建物には金色で「孫文」が言い続けた「民権、民生、民族」と書かれた文字が浮き上がっていた。長くて急な石段の続く「中山陵」であった。

 

川の流れのように次から次へと「孫文」のお墓を参拝する多くの人々の姿を見ていると、私は“近代中国の建国の父”といわれている「孫文」の偉大さをつくづくと感じた。

 

「中山陵」の入口に建てられていた説明看板。

最上部にある建物には金色で「民権、民生、民族」と書かれた文字が浮き上がっていた。

最上部にある建物には金色で「民権、民生、民族」と書かれた文字が浮き上がっていた。

このあたりの階段の傾斜が特にキツかった。

砲弾の跡がみられた。

大島先生(右)と記念写真。

 

 

 

 


No.205 「南京博物院」のお話。

2014年07月24日 | 日記

この日3番目の見学先は入口でパスポートを提示すると無料で入場券がもらえる「南京博物院」。私達は見学する前にここのレストランで昼食をとることにした。ここでは大きな四角いお盆を持って、歩きながら好きな食べ物をひと皿ずつお盆に乗せて、最後のコーナーで精算するシステムを採用していた。

 

私は「茶碗蒸し」「もやし炒め」「ニンニクの茎の油炒め」「ナスの煮込み」「チャーハン」「スープ」を注文した。有名な観光施設のためか、料金は50元(日本円で約800円)とやや高めであった。ちなみに黒龍江大学の学生食堂で同じ程度の料理を食べても20元(日本円で約320円)位で済むと思う。

 

ボリュウムのある食事を食べた後、私たちは広大な面積の中にある「歴史館」「芸術館」「数字館」「民国館」「非遺館」それに「特別展示館」の6つのブースを回ることになった。最後に見学したのが「京劇」に似た「曲劇」のステージであった。母と娘の愛情物語の実演を舞台の近くから鑑賞させてもらった。

 

「南京博物院}の入口でパスポートを提示すると無料でこの「入場券」がもらえる。 

大学の学生食堂のようなレストラン。

私が食べた昼食。料金は50元(日本円で約800円)とやや高めであった。

古い南京の街を再現していた。

最後に見学したのが「京劇」に似た「曲劇」のステージ。舞台の近くから鑑賞させてもらった。

 

 

 

 

 


No.204 「南京大屠殺遇難同胞紀念館」のお話。

2014年07月23日 | 日記

この日2番目の見学先は 「南京大遇難同胞紀念館」。私達が「紀念館」の入口付近に到着すると7列~8列に並んだ参観者が80m~90mの長い列を作っていた。さらに次から次へと観光バスから降りてきた参観者が集まってきた。私達はガイドさんの特別なはからいで優先的に脇のコースから入場させてもらった。

 

入場無料の「紀念館」の中では写真パネル、遺骨、日本の新聞などの資料、元日本兵の証言ビデオなどにより、当時の生々しい惨状を伝えていた。ここでも中国国旗を持った子供の手を引いた家族連れを始め、小・中・高校生などの若者、そして中高年など幅広い年代層がカメラを片手に熱心に見学されていた。

 

南京を語るには、この「紀念館」を訪れない訳にはいかない。元日本兵が罪のない一般市民を大量に殺害した写真や土中から露出した無数の人骨などを直接目にすることができた。また、新潟県上越市立針小学校から送られた平和を祈る「千羽鶴」も展示されていた。私も「平和の塔」に向かって犠牲者のご冥福と世界平和を祈って黙祷を捧げてきた。

 

『 戦争を遠ざけ、平和を愛し、調和のある世界を作るために奮闘しよう! 』と書かれた「紀念館」の最後の展示パネルの≪結び≫の言葉が強く印象に残った。「記念館」の出口では平和の象徴である「白い鳩」が羽を休めていた。 

 

《南京大屠杀遇难同胞纪念馆》  

 

这天,我们参观的第二个地方是南京大屠杀遇难同胞纪念馆。我们到达纪念馆入口附近的时候,就已经有7到8行的参观者排了80米至90米长的队了。并且还有许多陆陆续续从观光旅游车下来/集合的参观者。多亏了导游的特殊安排,我们得以优先从旁边的路线进入到馆内。  

 

纪念馆免费入场,里边用照片、遗骨、日本的报纸等资料以及原日本士兵的证词录像, 向我们展示了当时悲惨的场面。在这里,有{拿着中国国旗的}孩子和父母,以及小学、初中和高中的学生,还有一些中老年人,男女老幼,很多人都一只手拿着相机,认真地参观。  

 

提起南京,就不得不参观这座纪念馆。我亲眼看到了原日本士兵杀害大量无辜市民的照片和无数{露出地面的}人骨。馆内还展示了新潟县上越市立针小学校赠送的{象征和平的}“千只纸鹤”。我也向着“和平之碑”为死者祈求冥福并默哀,祈祷世界和平。  

 

写有“远离战争,珍爱和平,为建立和平的世界而奋斗”的馆内最后的宣传栏结束语,给我的印象特别深刻。在纪念馆出口,象征和平的白色鸽子们在地面休息。 

  

「紀念館」の入口付近に到着すると参観者が80m~90mの長い列を作っていた。

殺された自分の子供を抱きかかえる母親の像。

紀念館に入っても延々と続く見学者の列。

「紀念館」の最後の展示パネルの≪結び≫の言葉が強く印象に残った。

新潟県上越市立針小学校から送られた平和を祈る「千羽鶴」も展示されていた。

「平和の塔」に向かって犠牲者のご冥福と世界平和を祈って黙祷を捧げてきた。

「紀念館」の出口では平和の象徴である「白い鳩」が羽を休めていた。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


No.203 「宝船廠遺跡公園」のお話。

2014年07月22日 | 日記

朝食後、私達は午前8時30分にホテルを出発し、今日最初の見学場所である「宝船廠遺跡公園」に到着した。ここは入場料20元(日本円で約320円)で見学することができる。日曜日のため、既に多くの市民が公園で「社交ダンス」「太極拳」「トランプ」「将棋」などを楽しんでいた。

 

ここは明の時代(西暦1368年~1644年)の造船所の跡地であり、ここで建造された木製の大型船が外国との交易のため「東南アジア諸国」「インド」「サウジアラビア」そして遠くは「アフリカ諸国」まで航海していた。計7回にわたる大航海の指揮をとった「鄭和」の像の説明看板などが中国語、英語のほか日本語でも書かれてあった。

 

私達は公園の池に浮かんでいる巨大な木造船に乗り込んで、ゆっくりと時間をかけて見学した。明の時代に世界を航海することができた当時の高い造船技術に私は驚いた。公園の中には子供連れの家族を始め、中高年の男女がそれぞれ思い思いに好きな踊りなどを楽しんでおり、平和な南京市民の生活の一部を垣間見ることができた。

 

 最初の見学場所である「宝船廠遺跡公園」の入口。

国家AAA級の三ツ星公園である「宝船廠遺跡公園」。

看板には日本語の説明もある。

多くの市民が公園で「社交ダンス」「太極拳」「トランプ」「将棋」などを楽しんでいた。

トランプを楽しむグループ。

踊りを楽しむグループ。

木造船の上から見た南京市内の高層ビル。

ここでもダンスを楽しむグループがあった。

鳥の声を楽しむ人々の姿も見られた。

木々に「鳥かご」がぶら下がっている。

ダンスを楽しむ人々。

将棋を楽しむ人々。

 

 

 

 

 

 

 

 


No.202 「早朝散歩」のお話。

2014年07月21日 | 日記

中国の旅も3日目を迎えた。私は早朝6時にホテルを出て一人で散歩に出かけた。最初に訪れたのはホテルから徒歩で5分程にあるきれいな公園。その公園の中心部に元南京市長・劉伯承氏の立派な像が建てられていた。公園は25階建ての高層ビル群に囲まれており、その隙間から山の頂上付近にお城のような建物が見えたので、それに向かって歩き始めた。

 

幅が約50m~60mほどの大きな堀があり、そこには魚釣りを楽しむ人々の姿も見られた。釣られた魚は15cmくらいの「鮒」であった。堀を渡る石橋の欄干には鳥籠が3個置かれていた。中に「スズメ」よりもひと回り小さい黒っぽい鳥が入っており、早朝散歩をしている人々はこの鳥の鳴き声を楽しんでいた。後でこの鳥の名前を聞いたら「六丁」という。

 

この公園の入口には壁に「獅子山」という大きな文字が書かれていた。市民が早起きをして「テニス」「太極拳」「ストレッチ」「羽根蹴り」などのスポーツを楽しんでいた。特に「バドミントン」をやっていた中高年のご婦人のレベルの高さに驚いた。さすがに「バドミントン」世界一の国である。 

 

 ホテルから徒歩で5分程にあるきれいな公園。

元南京市長・劉伯承氏の立派な像が建てられていた。

山の頂上付近にお城のような建物が見えたので、それに向かって歩き始めた。

魚釣りを楽しむ人々。

釣られた魚は15cmくらいの「鮒」であった。

堀を渡る石橋の欄干には鳥籠が3個置かれていた。

公園の入口には壁に「獅子山」という大きな文字が書かれていた。

市民が早起きをして「太極拳」「ストレッチ」「羽根蹴り」などのスポーツを楽しんでいた。

 

 

 

 


No.201 「2日目の食事」のお話。

2014年07月20日 | 日記

旅の楽しみのひとつに「食事」がある。中国の旅の「2日目の食事」を紹介したい。この日は早朝6時に黒龍江大学構内にある宿舎を出発。私が黒龍江大学勤務中にお世話になった張暁光先生や散歩仲間の先生10人ほどとグランドで再会することができた。散歩の後、私と一緒に散歩していた大学院生と学生食堂に向かった。

 

朝食は私が以前から食べていた「チャーハン」と「卵スープ」を注文した。ここでは調理人が自分の手で現金を取り扱うことは「衛生面の問題」もあり、専用のカードを機械にタッチさせ、食事代を支払うことになっている。この日の朝食代は4元(日本円で約64円)であった。また、昼食は南京行きの機内で前日と同じ内容の「鶏肉弁当」を食べることになった。

 

そして夕食は≪夫子廟≫の入口の近くにある地元・南京市の名物料理店「夫子廟小乞品鍳館≪老茶館≫」というお店で食べた。寿司屋のカウンターのようなテーブルに「餃子」「シュウマイ」「干豆腐」「豚肉スープ」など40~50種類の田舎料理の中からバイキング方式で注文することができる。

 

私達は「焼き餃子」「辣糊湯」「干豆腐入りスープ」「おやき」「野菜饅頭」を注文した。味もなかなか美味しく、2人で80元(日本円で約1.280円)、1人分にすると40元(日本円で約640円)であった。

 

私が黒龍江大学に勤務していた当時から食べていた「チャーハン」と「卵スープ」を注文した。

大島先生や学生が食べていた朝食。

黒龍江大学の学生食堂。

朝食前のグランドでの散歩。

ハルビン空港から南京へ向け出発する飛行機。

ハルビン空港から南京へ向かう飛行機の中。ほぼ満席であった。

昼食は南京行きの機内で前日と同じ内容の「鶏肉弁当」を食べることになった。  

夕食を南京市の名物料理店の「夫子廟小乞品鍳館≪老茶館≫」で楽しんだ。

全部で80元(日本円で約1.280円)の夕食。

食堂の反対側に「夫子廟」の入口が見える。

 

 

 

 

 


No.200 「夫子廟」のお話。

2014年07月19日 | 日記

私のブログも今日で記念すべき「200回目」を迎えることができた。誠におめでとうございます!!!   今日は「南京旅行」の最初の見学先で≪夫子廟≫を訪れたお話である。南京市内には“儒教の祖”として尊敬され、日本の文化にも古くから大きな影響を与えた「孔子」を祀った≪夫子廟≫がある。

 

この≪夫子廟≫のほかに南京市内を流れる「秦淮河」を中心に古くから栄えた繁華街と「科挙」の試験場の跡地を総称して≪夫子廟≫と呼んでいるとのこと。“中国一”大きい孔子の銅像がある≪夫子廟≫に入場料20元(日本円で約320円)を支払って中に入った。“中国一”というから相当大きな銅像を想像していたが、高さが約5mくらいの銅像であった。

 

この銅像の前には有名な「孔子」の弟子達の石像が左右に4体ずつ、2列に並んでいた。また≪夫子廟≫の裏側の境内に植えられた木の枝には「家内安全」「万事如意」「健康快楽」「心想事成」「一生平安」などが書かれた赤い布が縛り付けられていた。私は日本の“おみくじ”を木にくくり付ける習慣と似ていて面白いと思った。

 

 南京旅行の最初の見学先で私達は≪夫子廟≫を訪れた。

“中国一”というから相当大きな銅像を想像していたが、高さが約5mくらいの銅像であった。

私は日本のおみくじを木にくくり付ける習慣と似ていて面白いと思った。

「 夫子廟」の前を流れる「秦淮河」の両岸の光景。

 

 

 

 

 

 


No.199 「南京旅行」のお話。

2014年07月18日 | 日記

中国へ来て2日目から黒龍江大学の大島先生と一緒に「南京旅行」へ出発することになった。早朝8時に張国民先生の運転する自家用車に乗り込み「ハルビン空港」へと向かった。当初、タクシーで空港まで行く予定であったが、前日、空港から乗ったタクシーの運転手が私に通常の2倍近い料金を請求したため、張先生がわざわざ送ってくれることになったのである。

 

お陰で高層ビルが建設中のハルビン市内を走り抜け、高速道路に乗り「ハルビン空港」に遅れることなく到着することができた。張先生の温かいお気持ちに感謝してハルビンを後にした。私にとっては初めて訪れる「南京」である。搭乗手続きもスムーズにいき、定刻の10時に離陸。到着予定時刻10分前の12時35分に「南京禄口空港」に着陸した。

 

中国南方航空機のため“機内食”は、新潟⇒ハルビン線で食べた“機内食”と全く同一のものであった。出口で若い女性ガイドの楊意さんが「OSHIMA」先生の名前を書いた紙を持って私達を笑顔で出迎えてくれた。この時刻の前後に到着する飛行機が軒並み遅れており、出口には多くの人が飛行機から降りてくるお客さんなどを待ち受け混雑していた。

 

気温23度、小雨の中、「南京禄口空港」を出発し時速110kmのスピードで高速道路を走り、私達は最初の見学先である≪夫子廟≫に無事到着した。

 

早朝8時に張国民先生の運転する自家用車に乗り込み「ハルビン空港」へと向かった。

高層ビルが建設中のハルビン市内を走り抜けた。

高速道路に乗り「ハルビン空港」に遅れることなく到着することができた。

国内線の発着するハルビン空港。国際線は別の建物になっていた。

機内食は、新潟⇒ハルビン線で食べた機内食と全く同一のものであった。

到着予定時刻10分前の12時35分に「南京禄口空港」に着陸した。  

南京禄口空港の外景。

私達は最初の見学先である≪夫子廟≫に到着した。

 

 

 

 

 


No.198 「黒龍江大学健康協会」のお話。

2014年07月17日 | 日記

早朝6時に宿舎を出発した私は黒龍江大学キャンパス内にある1周400mのグランドに到着した。ここは私が黒龍江大学に勤務していた時、毎朝学生と一緒に勉強しながら散歩していた思いでの場所である。グランドに到着すると既にランニングで汗をかいた懐かしい10名程の先生方と出会った。

 

同大学の教職員20名ほどで構成されている「黒龍江大学健康協会」のメンバーである。中にはこの「協会」の名前が入ったTシャツを着ている先生もおられた。私は先生方と早速、堅い握手を交わした。毎日欠かさずランニングを続けているため、2年ぶりに拝見する先生方は特に太ったり痩せたりしている人は見当たらず、均整のとれた体型を維持されていた。

 

毎日運動することが健康を維持しているのだろう。グランドのすぐ近くにある陸上競技場へ行くと「毎天鍛錬一小時 健康工作五十年 幸福生活一輩子」(意味⇒「毎日1時間運動を続けると 健康で50年間仕事ができ 幸福な生活を一生続けられる」)と書かれた赤い大きな看板が目に付いた。

 

この看板の言葉を実践している人達が以前、私も参加していた「黒龍江大学健康協会」のメンバーでもある。

 

黒龍江大学キャンパス内にある1周400mのグランド。 

「黒龍江大学健康協会」の名前が入った黒いTシャツを着ている先生もおられた。

「黒龍江大学健康協会」の名前が入った黒いTシャツを着ている先生もおられた。

「毎天鍛錬一小時 健康工作五十年 幸福生活一輩子」と書かれた大きな看板。

 

グランドの脇では早朝から勉強している学生の姿も見られる。

黒龍江大学の正門と主楼。

私の宿泊した黒龍江大学の国際文化教育学院1号楼。

グランドの周辺では鉄棒をしたり、太極拳を楽しむ人々の姿を見ることができる。

グランド周辺は綺麗な花に囲まれていた。