こんばんわ。
放射線のテストを明日に控えた、3回生のタスクです。
あと二週間で西医体ですね。
いつも中身のないブログを書いていますが、というよりも真面目なブログを書いたり、話をしたりするのが嫌いなのですが、今回は少しだけ真面目なブログを書いてみようと思います。文章を書くのが苦手なので、変な日本語が多いかもしれませんがお許しください。
2009年西医体 1回生
色々なものを犠牲に毎日勉強しかしなかった、二年間の浪人生活を経て、念願の医学部に入学。オレンジデイズのような学生生活に憧れて、新歓で大変雰囲気の良かったハンド部に入部。浪人生活で体力が全くなくなり、日々の練習は大変辛かった。
ただ、当時幹部をしていた、かんばさんのチームはムチャクチャ雰囲気が良く(まだ1回生だったので、チームの事情を全く知らなかったのかもしれないが)、試合会場に行くまでの車の中や、飲み会、練習後の飯会など本当に楽しく、部活に入っていない友達が周りにたくさんいて、部活に入ったらいいのにと思っていた。
数ヶ月経ち、初めてのぞんだ西医体。姉貴が滋賀医のボート部であったことや、高校の友達が医学部にたくさん行っていたこともあり、ずっと西医体の話は聞いていた。医学科の学生しかでれない大会。浪人時代ずっと出たいと思っていた大会。
一戦一戦順調に勝ち進み、確か準々決勝の山口戦で初出場し、ルールがわからずに1分くらいで退場したり、準決勝の福井戦では、西医体初得点を決めさせてもらった。先輩らがムチャクチャ喜んでいはって俺もムチャクチャ喜んだ。はず。
京府医との決勝戦。
結果は一点差。俺はじゃんけんで負けて、ベンチに入れずマネさんらと一緒に観客席にいた。試合終了1分ぐらい前から、マネさんがみんな泣きながら応援していたのをよく覚えている。
試合終了。コートに立っていた部員さんらの大半が泣き崩れ、いつも明るくて元気な、かんばさんが、当時、4マネの千草さん、芽衣さんに泣きながら「優勝できなくてごめん。」と土下座して謝っていたのは今でも忘れられない。(上林さんすいません。)
部員さんらの西医体にかける思いをはじめて知った。
そんな1度目の西医体。坊主になったり、寝ゲロをしたり、彼女ができたり(碓井さん、治樹さん本当にありがとうございました。舞子ごめん。シュンゴ胡椒かけんなや。笑 俊くーーーーん。 マッチ!) 良い思い出ばっかりだった。
2010年西医体 2回生
小川さんのチームになり、後輩ができたり、環境は変わった。昨年と異なり、少しずつチームの戦力になるべく5枚目DFとして練習に加わる機会が増えた。
大きく変わったのはチームの雰囲気だと思う。俺の目には、幹部以上がもめて、チームが分裂していたように見えた。秋の学連と特にひどかった。正直チームの雰囲気が嫌いだった。
西医体。
準決勝の三重戦。三宅さん、生田さん、立入さんと凄いフローターが揃っていたにもかかわらず負けた。三重は上手いというよりも、強かった。個人能力的に確実に勝っていたと思う。なぜ負けたのか?
大事な場面でフリーシュートをはずしたから?サイドシュートが入らなかったから?
みんながどう思っていたんかわからない。答えもないと思う。ただ個人的にこの一年のチームの雰囲気が関係していたのではないかと思った。
試合に出てなかったかもしれないが、準決勝で負けたとき、1回生の時と違い、涙も出なかったし、なんの感情もなかった。
ただ、悪い思い出ばかりではない。
前日練習にボールを忘れたことに気づき、そのことでちょっとふざけて小川さんにキレられたり(小川さん、根にもっていませんよ。)、その夜、俊君とマッチと三人で、カラオケをしながらボールを取りに帰ったり、その帰り道ラーメン食いに行ったり、あさみがラフティングで死にかけたり、あさみが死に掛けている時、空気を読まずマッチがふざけたり、あさみとシュンゴ&まいこと小川さんが暗闇に消えていったり、それを見回ろうとしたり。ここでは言えない事件が起こったり。笑
そんな2度目の西医体。
2011年西医体 3回生
ひでおさんがキャプテンとなり、新しく高島さんが加わったり、DOさんが抜けて下手くそな俺がレギュラーとして試合に出場するようになったり、また環境が変わった。
下手くそなのに、上がいないからレギュラー。試合にでては、怒られ、ビデオ会でも怒られ、自分でビデオを見ていても、自分で負けてDFがずれているのを分かっていた。自分が悪くないときでも、先入観で理不尽に怒られ、チームに対して不満が募っていった。
何がレギュラー?レギュラーとして自覚をもて?
無茶苦茶レギュラーという言葉が嫌いだった。ハンドボールが楽しくなかった。部活以外ハンドボールにかかわりたくなかった。
そう思うようになった同じくらいの時期から、解剖など専門の勉強が始まった。頭は悪いし、勉強の効率が悪いから、人の二倍以上勉強しないと周りに追いつけないということを、浪人時代から確信していた。医学に興味があったから、一浪で精神的にボロボロになるまで自分を追い込んで勉強して、阪大に受かったけど医学部受験に失敗。親にもうやめたら?と言われたけどもう一年医学部に挑戦した。
そういうこともあって、専門始まったら勉強しようと思っていた。
けれども、部活に費やす時間が多くて、自分の思うように勉強できない。ひどい時は二つあるテストを一つ捨てざるをえず、再試にかかる。テストあるから、部活して滅茶苦茶眠たいのに、学校に泊りがけで、徹夜で勉強しなければならない。頭いいやつ、効率がいいやつだけがテストに受かる。
なんでこんな苦労してそこまで好きじゃない、ハンドボールをしているのか?ハンドボールばかりして、医者になっていいのか?もっと自分の好きなことをやったほうがいいんじゃないのか?バイトとかしても、人間的に成長できるんじゃないのか?バイトとかして色んな人に出会いたいなど色々疑問が生じ始めた。
そんなモヤモヤをかかえながら、なんとか二年後期を乗り切り、三年になった。
周りが社会人になり、話を聞くうちに、社会人になったら思うように好きな時間を持てなくなると聞いた。やっぱりこのままハンドばっかりする学生生活はどうなんかな?という思いが強くなり、さらにモチベーションが下がっていった。
そんな気持ちの中、数ヶ月経ち、俺を含め数人の部員やマネさんがモチベーションが低いのが目立ち始め、チームの方針として、みんなを同じ方向に向かせるという雰囲気になった。 ただ、そのときのチームの雰囲気も全然良くなく、不満を持っていたとしても上回生に気をつかって何も言えないし、こんなチーム変わるわけないやんと諦めていたし、自分も変わる気がなかった。
相変わらずモチベーションが上がらなくて、一生懸命ハンドボールしてはる大好きな上林さんや、生田さんや碓井さんや、バレーと掛け持ちしてはる高島さんなどの先輩方、後輩に申し訳なくなって、本気で辞めるか休部しようかと思った。
しかし二回ミーティングが行われ、春リーグの試合後も、話し合いが行われ、みんなが変わろうとしているのがひしひしと伝わってきたし、俺のことを諦めていた先輩方も気を使って、しつこく優しく接してきてくださった。
シュンゴやマッチや俊君、後輩のマネさんや部員、他の部の友達と話す機会があり、みんな色んな悩みを持っていることを知った。
高島さんや、三宅さんと話す機会があり、「やりたいことは全部やればいい。色々挑戦してみる。医学の勉強をするよりも、人間的にいかにでかくなるか」ということを学んだ。
「なんでハンドボールをするのか?」
少し答えが見えた気がする。
とりあえず、今自分の目の前にあるやるべきことをやる。自分のペースで。全て思い通りに行かないかもしれないけど、挑戦してみる。将来につながるはず。
3度目の西医体。目標は今までと変わらず、『怪我せず、一試合1点以上。全力を尽くす。』
九月から、シュンゴ、マッチ、キョウスケ、俊くーーーーん!?と幹部になる。2マネと幹部になる。、みんなが不満をもたず、同じ方向に向かうチームには何が重要であるのかを探す大会にしたい。次につながる大会にしよう。そして、今まで以上に思い出を残す大会にしたい。