ユーロな日々

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トヨタカップ ミランは必死だったが

2003年12月15日 | 欧州2010-2003
ボカが勝ったのは、組織的なディフェンスのためだと思う。ボカのサッカーは、ひと昔まえの南米スタイルのサッカーではない。
ボカの選手の名前は一人も知らなかったが、サッカー大国の底力を見た気がした。高校生に負かされそうになったようなチームが、リーグチャンピオンになる国とは違う。
ミランは必死だった。アンチェロッティ以下、ほんとに勝ちたがっていた。
敗れたあとのセードルフやコスタクルタの放心した表情が忘れならない。
ヨーロッパと南米の戦いであり、富と貧困の戦いであり、名を成した者と成り上がろうとする者の戦いでもあった。
アンチェロッティがどなりまくっていた。
「シェフチェンコ、それが、おまえの仕事だろ」
「決めたとおりに、やれ」
「インザギー、なにやってんだ」
シェフチェンコとインザギーに、あがりっぱなしでなくもっと動け、いったん下がれ、というような指示を再三していた。
どうしてもボカのディフェンスがこじ開けられないと判断して、ガツーゾを下げた。
いや、そもそも、ルイコスタもインザギーも先発でなかったのだ。
本物の監督というのは、ああいうものなんだろう。
ジーコは本物の監督じゃあない。

この日はサッカーづけだった。
早朝は、バルセロナ・ダービー。主審がゲームを台なしにしてしまった。この主審は、最終的に3人づつ、計6人を退場させてしまった。ピッチで一番興奮してるのが審判ということは、稀にある。今日がその日だった。
エスパニョールは現在最下位にあえいでいる。ダービーをきっかけに、なんとかムードを変えたいところだったろう。選手の顔を見ても、モチベーションは高かった。しかし結局、荒れてしまった。マドリードダービーがあれほど緊迫した素晴らしい試合だっただけに、残念だった。
しかし、まあ、バルサは勝っただけ、まだよかったが。そのバルサ、復帰したロナウジーニョが素晴らしかった。これで上位に食い込んでほしいところだ。

午後は、天皇杯の三回戦。市立船橋高校対マリノス。
興奮した。高校生をシュミレーションで退場させる馬鹿げたジャッジがなければ、高校生が勝ったかもしれない。
延長も含めると一時間くらいあったのに、マリノスは10人の船橋高校から得点できなかった。
久保、奥、中沢ほか主力メンバーは出ていなかったが、いかにも底の浅いJの実力を垣間見た気がした。
ただPK戦で、下川が3人止めたのはりっぱだった。