眠りたい

疲れやすい僕にとって、清潔な眠りは必要不可欠なのです。

メディシンマン

2005-06-29 | 音楽
ある方々は、音楽の起源を古代の呪術師(メディシンマン)の行為に始まったという。

  「その音楽観とは悪霊を追い払うための魔術としての音、すなわち”魔法としての音楽”
   であった。シャーマン教巫術者、祭司、魔法使い、医術者は歌手という職が成立する
   以前の長い間、音楽を管理する音楽術者であった。」
             (「魔法と治療としての音楽」モーザー)

キリスト教以前の音楽、それらの古代史においては奇妙な音、唸り音などの騒音は悪霊を脅かそうとしてこの呪術師たちがいろいろな音を工夫したのではないか?とその歴史にふれている。

  ノイジーな音。サイケデリックな実験的な多くの試みはまるで呪術師のそれでは
    ないだろうか?

僕は専門的な知識を持たないので、あまり多くを語れないのだが、音楽の歴史や音楽療法と呼ばれる文法の中には確かに、ある種不思議な視点があるようにも思える。

使う楽器や流行すたり、売り上げ枚数やレコード会社との契約や営業戦略。そういう場面が多く話題にのぼる昨今、いろんな視点を持つことが出来ればそれにこしたことはない。
若い、音楽療法学科をでた方とお話をする機会があった。
彼女の世代では、沖縄の音楽は癒しの効果があり自分はそれに惹かれるのだ、とおっしゃった。
もちろん、コンディショングリーンとか紫の世代は完全に見失われている。
ベトナム戦争の頃のこの島のハードロックシーンは昔話のようにみえるのだ。僕だってそうだ。

     話が完全にそれた。

音楽の魅力にはたくさんの視点があっていい。
ただ云いたかったのはそれだけだ。
その話になると。
   あるミュージシャンが云った。
  「して、それで食っていけるの?」

口ばかりの僕は、少々気恥ずかしくなって聞いてないふりをした。


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即興

2005-06-28 | 
皮肉な笑みは君の特記事項
ひきつった笑いを作るのは僕のナンセンス
 「帽子が笑う 不気味に」
   シド・バレットのアルバム

遠くを見つめる少女の
 街角の雨のなか
傘も持たずに 捨てられた子犬の
無邪気なじゃれつきに優しさを恵む

  「そんなに強くないから
    そんなに強くなれないから」

完全に外界から遮断され
あるいはそう望んだのだろうか?
  僕は僕でありたい
叫びにも似た言葉は
だけど高い空にすいこまれてゆく

  「歯医者の麻酔が少しで早く効くから 睡眠薬ならすぐだね」

誰かの不自然な冗談に
僕は言葉を永遠に失った

  「お茶会は11時まで。わたしがいなくなったら
     次の幹事は珈琲の豆を丁寧に挽くことをわすれないで。」

ラッシュアワーの窓から呼吸を求めて音楽を
  ヘッドフォンごしにむさぼった

夏目漱石が好きだった
 礎の刻印された名前
  60年前も うだるように熱かったと聞いた
   僕は車椅子を押す
何度も往復する 流れる汗はすこしは手助けになるのだろうか?
   たぶんわからない

伴奏でアンバランスな旋律を繋ぐ
 危ない橋をわたる様だ 
酔っ払って弦が引きちぎれるほど強いアタックで

そして
ふいに音が途切れる
やってくる沈黙
   手術は明日の午後から




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夢のひととき

2005-06-22 | 日記
僕が寮にはいっていたころ。
ラジオで、「夢のひととき」とゆうラジオドラマが流れていた。
当時恐ろしいことに我が寮には2台のテレビしかなかった。
僕は布団に包まって、テレビには目も向けずこのラジオ番組を楽しみにしていたのだった。
いろいろな作品が紹介されたが、なによりこの番組で流れる音楽の選曲には脱帽であった。

今考えると、あんなにマニアックな音を流していた人はどんな方だったのだろう?
物語と友に、この番組で流れる音楽は多感な思春期の僕の感性をいたく刺激した。
僕の音楽の方向性は、ほぼこの時期に形成された。

美しい番組だった。

最終回の日、僕は人知れず泣いた。
出会いがあれば、別れもある。
そんなことも、この番組は僕に教えてくれたんだ。

番組で流れた音楽を、僕は一生懸命探し続けた。
そのころであった音楽達は、いまでも僕のこころを優しく揺さぶる・・・。



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なつめろ酒場

2005-06-21 | 音楽
仕事を終え、家に帰った僕がはじめにすることは、まず、ビールのふたを開けることだ。疲れたのうみそに一杯の冷えた缶ビール。
なんてしあわせなんだ。
2本目のビールを開けた頃、畳間でごろんと横になっている親父をみつけた。僕もごろんと側に寝転がる。
ほどよく酔いのまわった僕は、親父の横で「上海帰りのリル」を口ずさんだ。
親父は、「おお、懐かしい、どこでおぼえた?」と云いながら一緒に歌い始めた。
これは知っているか?と、「湯町エレジー」を歌いだす。負けてられない。僕はすかさず「影を慕いて」を歌いだす。これはどうだ?と親父が歌い続ける。「星影のワルツ」、「蘇州夜曲」「君恋し」「さざんかの宿」「ここに幸あり」「柔」「上を向いて歩こう」「知床旅情」「シナの夜」「港町十三番地」「りんごの唄」・・・。
きりがない。
親父は、酒もってこーい、と十年前に止めた酒と煙草と飲み歩いたバーに想いをはせる。一時間も、我々は畳に寝転がって歌い続けたのだった。

まさしく
「なつめろ酒場」


ジャズやロックやクラッシックもいいけれど。
親父と歌うなつめろも、なかなかおつなものだ。
しかし。
お互い、よく歌詞をおぼえていたもんだ。

こんどはなにを歌おうか?




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エリック・ジョンソン

2005-06-20 | 音楽
寮に住んでいるとき、音楽好きの先輩から突然これを聴くように、と指令が飛んだ。
先輩の意見は絶対で逆らえないものが世の常であるので、渡されたテープを急いでウォークマンに放り込んだ。それがエリック・ジョンソンのアルバムだった。

  「遥かなるドーヴァー」

この曲を聴いたときの鳥肌の立ち方は尋常ではなかった。
フレーズのひとつひとつが。音色の美しさが。あまりにも痒い所に手が届くのだ。
で、90年に発表されたセカンド「未来への扉」はいまだって大好きなアルバムだ。

G3で彼の名前がクレジットされていたのを見て、微妙に複雑な心境におちいった。
それについては賛否両論があるかも知れない。
でも、できるなら彼だけのステージが見たいな~、と僕はおもった。

先輩は、「テラ・ローザ」の熱狂的な信者だった。なかでも、天才ギタリスト「三宅庸介」さんの
フリークだった。三宅さん、当時21歳。
彼がテラ・ローザのファースト・アルバムでエリック・ジョンソンに触れていたのを先輩は見逃さず、輸入盤をさがしまくっていたらしい。

エリックはヴィンテージのストラトと幻といわれるギター・アンプ「ハワード・ダンブル」を使用しているそうだ。電気系統にうとい僕にはよく分らないが、とにかく素晴らしい音色だ。
先輩に感謝している。

ここに遊びに来てくれる、大切な友達、Tommyさんの携帯の着信音も「遥かなるドーヴァー」だそうだ。tommyさん、やっぱりいい曲はいいですね~。

ひとつ気になることがある。
天才、三宅庸介氏は現在活動なさっているのだろうか?

Tommyさん、なにかご存知なら教えてね。
僕はいまだに彼のファンなのです・・・。



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一杯やってけ

2005-06-16 | 日記
風邪をうつしちゃいけないと
帰ろうとした矢先
仲間は 「一杯やってけ」 と
優しい だみ声で笑う

 ありがとう
あなた達のおかげで素直になれた

 今日も美味い酒が飲めた

僕は
 ギタリストなんて
  言葉には
   とうてい 似合わない

だって 君より 賭ける 自信もないし
    努力だってしていないんだもの

あなたの 凄さを想い
  僕に出来る 最大限の せいいっっぱいを行う

悔しいことは 山ほど あるし
 僕らは 不条理な刹那に身を委ねるけれども

    僕は今日飲めた酒を信じている

酒場で 演奏された バンドネオンのピアソラのごとく

僕は 貴方を 愛している

信じられるものは移ろう
 人であろうと  
  主義主張 信念 哲学 であろうと

それらは いなくなった友達みたく
 失われた 記憶のように 移ろう
ためしに 貴方が 忘れた
 大切な何かを 思い出してごらん

僕は 酒を飲み 優しさにうずくまる

 嗚咽し 泣いた
  
決して かっこいいとは 言えないよね

でも そんな  
  僕や君を 大切に想うよ


            残された時間のなかで




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ナイジェル・ノース

2005-06-12 | 音楽
或る人から、彼のアルバムを譲ってもらった。
バッハのリーュト組曲だ。
ナイジェルのリュートを聴くとこころが落ち着く、たぶん今僕に必要な音楽なのだろう。
繊細で神経の隅々まで音楽がゆきわたる。
何度も繰り返し聴き続けている。

クラッシックギタリストにとって、爪を落とすことは、ある種ギターを捨てることに近い。
偶然に、僕の師匠は爪を落とした方だ。
そうして古楽器の19世紀ギターの弾き手だ。
爪を落とすことに関して、長い苦闘があったようだ。
先生が爪を落とした弾き方、指頭奏法に変えたきっかけのひとつに、ナイジェルとの出会いがあったそうだ。
先生がイギリス留学中、ナイジェル氏に指頭奏法について話をした時、彼は「爪なんて切っちゃえ。」とおっしゃったそうだ。
弾き方が変われば、もちろん音色も変化するし、音楽性も変化する。
でも、爪のない音もとても素敵なんだ。

島に帰って、師匠と呼べる方に出会った。
そうして何年かが過ぎ、師匠も爪を落とした。不思議だ。指頭奏法をしているギタリストなんてほんの一握りなのに、爪を落とすと変人扱いされるのに僕が惹かれる方達は、この世界に足を踏み入れた。

僕も爪が無い。
いろいろ考えて爪を落とした。不便なことももちろんある。
でも、指頭奏法のよさも実感する瞬間がある。
チューニングもAの音が440hzから442hzが現代ギターのオーソドックスなのだが、それより低く設定するバロックチューニングとゆうのもあるらしい。
同じ曲でもガラリと音楽が変化する。

あたりまえからの脱却って大変なんだな~とつくずく想う今日この頃でした。



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散乱したメモ用紙

2005-06-10 | 
散乱したメモ用紙をかたずける
 一枚に 
  殴り書きされていた

  「変化する為の勇気
    変化しないものを受け入れる勇気」

用意される明日なんてないのだと
 いつ頃からきずいたのだろう?

             鉄柵の隙間から
            花壇の花を眺めた
    
     僕らは
   存在し 存在しない
呆れたことに いまだに 明日が同じだと信じている
                

            花は確かに
           存在していた
           
            生きている



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マイナー・スゥイング

2005-06-06 | 音楽
ジャンゴ・ラインハルトと僚友、ステファン・グラッペリによるオリジナルのこの曲は、ギターをさわるようになった時から僕の憧れの曲だった。
とにかくかっこいい、素敵だ、素晴らしい。文句のつけようがない。
だけど僕はあまりギターが上手くないので、たぶんず~っと憧れ続けるだけで、弾くなんてとんでもないと思っていた。
ところが何かの運命のいたずらで、僕は一枚の譜面を手に入れた。
おお、「マイナー・スイング」ではないか!

その楽譜はギターソロ用にアレンジされてはいるのだが、まぎれもなくジャンゴだ。
編曲されていて、もちろんジャズではないし、インプロヴィぜーションももちろんカットなのだがそんなことはどうでもいい。憧れのあの曲なのだ、出だしのフレーズが音になるだけでも満足なのだ。(ジャズギタリストの方、笑って大目に見てやってください。)

それで仕事が終わってから、ビールを片手に三ヶ月この譜面とにらめっこの日々が続いた。
で、なんかの拍子にこの曲を人前で弾くはめになった。
しかしスゥイング感というものが全くないし、だいいち僕のテクニックではテンポが半分以下になってしまう。ひじょ~にまったりとしてしまうのだ。
「シャーベット、気にすんな。文句いわれたら酔っ払って二日酔いのジャンゴだ、といえ。それでなんの問題もない。」
師匠は好き勝手言いたい放題だ。
しかし本番間近になると、さすがの師匠も僕の演奏に呆れて、
「ひとりで弾くには問題がありすぎる、お前どーする?」
とつぶやいた。

それで、コントラバス・ギターとサイドギターを入れることになった。トリオになるとなんかそれはそれでかっこよさげだ。僕は満足だったのだが、付き合わされる仲間はたまったもんじゃなかっただろう。

で、本番。
もちろんでたらめに間違えてしまった。でもいいのだ、憧れの「マイナー・スゥイング」なのだから・・・。
う~ん。いつかギター上手くなったら、もいっぺん弾いてやる。
できれば、うらびれた酒場の隅っこで。
酒を呑みながら。


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スザンヌ・ヴェガ

2005-06-03 | 音楽
最近の彼女については知らない。
初めてのアルバム「街角の詩」。このアルバムがとても、とても好きだった。そうして今でも変わらず好きだ。

彼女のウィスパー・ヴォイスがギターのアルペジオにのせて流れてくると、切ないような哀しいような、そんな気持ちになるんだ。こころのどこかをそっと、震わせる。
スザンヌ・ヴェガがこのアルバムを出した頃、いろんな音楽を僕はめまぐるしく聴いていた。
ジャニス・ジョプリンの魂の声、レノンのメッセージについて、フリー、カクタス、ジェフ・ベック、キャメル、フロイド、そして沢山の天才と云われたギタリスト達。

ちょうど、MR・BIGやブルー・マーダー、バッド・ランズがたてつずけにシーンに現れた。
友達はイングヴェイのフレーズを一生懸命練習するのに必死だった。スティヴ・ヴァイがソロアーティストとして頭角を現し、ヴァーノン・リードやグレック・ハウ達がまだ黒人メタルギタリストとして珍しがられた。
両手タップするベーシスト、マイケル・マンリングのアルバムを探す日々が続いた。
ビリー・シーン、スチュワート・ハム、ランディー・コーヴェンなんて方々が人気の的だった。

僕もあの頃、みんな好きだった。
でも、やっぱり時が経って手元にあるアルバムは、この「街角の詩」だった。

「ルカ」という曲が爆発的に売れ、彼女をスターダムに押し上げた。
何かの授賞式で、ノミネートされたヴェガは、フォークギター一本だけぶらさげて歌い出した。
いつもの、語りかけるような声で。

このアルバムは僕にとっては宝物で年中無休なのだが、どちらかというと寒い日や雨の日に聴くととても、こころに響くんだ。


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