眠りたい

疲れやすい僕にとって、清潔な眠りは必要不可欠なのです。

クレヨン社

2021-08-23 | 音楽
街のはずれにちっぽけなショットバーがあった。
夜中の三時。僕はバーに残った友達に乾杯して店を出る。
三日月がとても綺麗な夜だった。あやしげな店のいまにも消えそうなネオンが目についた。
店には、よくあるポルノ雑誌やアダルトビデオに混じって中古のCDが置かれている。
たいがいが訳の分からない代物だ。
その中に「クレヨン社」と書かれたCDがまぎれこんでいた。
はじめて知った名前の響きとアルバムジャケットの絵の優しさに惹かれて、ポケットに残った千円札を握り締めた。それが出会いだ。
どんなミュージシャンかもわからない、酔っ払ったいきおいで買ったアルバムを聴きながら部屋の電気を落として安酒の余韻にひたった。
青い三日月の夜。
僕は故郷を忘れ、街を愛していたのだろうか?
なにも怖くなかった、と思い込んでいた。
なにも失くすことはないと信じ込んでいた。
馬鹿な話だ。夢の時間。おとぎ話、うすっぺらな自信だけが世界をまわしていた。
早弾きをするギターリストに憧れていた僕に、クレヨン社の詩は衝撃だった。
単なるノスタルジックではない優しさや強さや弱さ、絶望、挫折の痛みそして明確な希望。
そうだ、キボウ。
その何年かあとになって僕はようやく本当の絶望を知る。
そして希望。たくさんの夢が粉々に砕け散ったあと、かけらの中にクレヨン社の詩があった。
たった一年弱の時間でうらびれたバーは閉店した。
最後の夜、店中の酒を仲間と飲み干し、マスターの掛け声と共にグラスをアスファルトに叩きつけた。夢の終わりだ。みんな散りじりになった、すべての人々と同じように。

クレヨン社のその後は分からない。
詩だけが残った。街は何度かクリスマス気分に浮かれ、僕は疲れ果てどん底で島に戻る。
パソコンを触るようになり、ある日彼らの近況を知ることが出来た。
メジャーから姿を消して十年。クレヨン社は今年十年振りのアルバムを発表した。
嬉しかった。僕もなんとか落ち着いた生活を送っている、そんな中で新しいアルバムとクレヨン社の活動再開の知らせは心を揺らした。
あの詩の衝撃は健在だった。それは本当の痛みを知る者の優しさと強さだった。

   「心には銀色のナイフを持て」

本物の詩。これだけ言葉に重さのない唄の時代によくもここまで、と涙が出てきた。
僕はこの島からあなた達を誇りに思う。
あなた達の詩はたしかに届いた。
もし、今どこかで誰かがこの文章を眺めてくれているのなら、
ぜひ「クレヨン社」のホームページに足をのばしてください。そして聴いてほしい、と願う。

   「心には銀色のナイフを持て」






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月の歌

2012-06-14 | 音楽
君はいつもお酒を飲んでいるのね?

 髪の長い女性が面白そうに呟いた
  僕は黙ってジャクダニエルを飲み干した
   それから煙草に火を点け
    紫の煙を胸いっぱいに吸い込んだ
     それから彼女の方を向いて
      次に発せられる言葉を待った
       退屈さを紛らわす不穏
        言葉に装飾音を探し
         其の本質を
          蛇行しつつ探し当てる

          君の云いたい事は分かるような気がする
           でも尋ねたいの。
            ねえ、私は何処に行けばいいの?

            僕は酒を喉に放り込み
             彼女の髪の長さを見つめこう云った

             貴女は勘違いしている
              僕はあいにく答えを持ち合わせてはいない
               連中が言う
                僕の予言なんて当たった為しがないんです
                 僕が出来る事は
                  ただお酒を飲み
                   音楽をすることだけです

                   髪の長い女性は不服そうに鼻を鳴らした
                    でもあなたの言葉は面白いわ。
                     君はいつもお酒を飲んでいるのね?
                      どうして?

                      素面で未来を予言するより
                     酔っ払って冗談を云いたいだけなんです
                    あたらしい煙草に灯を点けて
                   僕は彼女にバーボンを勧めた

                  ほら、時間が止まって見えるでしょう?
                 まどろみの遮光カーテンは
                過去も現実も曖昧にさせる
               まるでカフェオレの色合いの様に

              彼女は少しだけ酔いに身を任せた

             僕はピアノのレコードを
            大切に再生機にのせ
           音楽を流した
          静かで切なく綺麗で壊れやすい世界

         この静けさが指し示す方角が
        貴女の歩む道かも知れない
       貴女の前から昔馴染みの誰かが消える
      それは貴女にはどうしようもない事なんだ
     ただ出来る事は
    憶えておくこと

   憶えておくこと?
  それだけでいいいの?

 記憶はやがて磨耗され消えてゆく
その記憶たちを井戸の底に封印すること
 想いの外、厄介な作業です
  ある人は詩に
   ある人は音楽に希望を託す
    ジェリー・ビーンズの空き瓶にそれを詰めて
     知覚の海岸から流すんです
      世界は丸い球体だから
       きっと貴女の言葉は誰かに近ずくはずです
        
        僕らが出来る事は

         たぶん歌い続ける事なんだと想うんです

          夜を越えて

           あの懐かしい清潔な青い月の下で

            世界を愛したように


             ポケットのビー玉をどうか失くさない様に

            
              それは鍵なんだ

             
               知覚の扉をひらく


                鍵なんだ



                ね


                歌い続けて



               貴女が貴女を忘れないように


                 歌っていて


                 青い月の歌



                 清潔な夜の月の歌































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Rie a.k.a. Suzaku

2010-09-06 | 音楽
ホテルのチェックインにはまだ時間があった。
僕は煙草が吸える喫茶店を探してやっと冷房の効いた場所にたどり着いた。
喫茶店では喫煙席が用意されていて僕は座席に座ってアイス珈琲を注文した。それからポケットからくしゃくしゃになったはっか煙草を取り出し灯をつけ、深く深呼吸をするように煙を肺の奥まで吸い込んだ。二本目の煙草を手にとって、ふと辺りを見渡してみた。
六人がけの座席ではひそひそと何かの商談をする人々がいた。僕の横の席では難しい顔をしたビジネスマンが煙草を手にしながら資料に目を通している。
奇妙な違和感を憶えてぐるりと店内を見渡した。彼らは皆一様にぴしゃりとしたスーツを着ている。凄く大人な世界だった。
ニルヴァーナのTシャツを着ているのは僕だけだった。
大人の世界にはニルヴァーナは存在しないのだ。
僕はなんだかひどく自分自身が世界から拒絶されている感覚になった。
I love you とカート・コバーンが呟いた。
でももちろん彼の叫びは永遠に無視され続けた。

僕が街に出かけたのには理由があった。
或るLiveを見る為だ。

「Rie a.k.a. Suzaku 」

女性ギタリスト、RieさんのFirst CD Releasu Liveだ。

僕は奇妙な縁で彼女の存在を知った。あまりにも奇妙な縁だった。Rieさんが「Live来ませんか?」と云ってくれた。しばらく考えて僕は街に出る支度をした。仕事の調整をつけ、銀行から飛行機代を引き降ろした。
僕はいろいろなストレスに晒されていた。この思い付きのような小旅行が必要な予感がした。だいいち、僕はRieさんの演奏を生で見た事がないのだ。この絶好の機会を逃すわけにはいかなかった。
それでリュックサック一つで飛行機に飛び乗った。遠ざかる島にグット・バイ、と挨拶をした。そうして数時間後、僕は街の喫茶店で隠れるように煙草を吹かしアイス珈琲を飲んでいるのだ。

待ち合わせをしていた友人と目黒ライブステーションにたどり着き想い扉を開けて、初めにビールを収穫した。喉が渇いていたのでひどくビールが美味しかった。
ステージではバンドがへヴィーな演奏をしていた。ヴォーカルの激しいシャウトがまるで生きている証のように僕の身体に刻み込まれた。二杯目のビールを飲みながら僕は黙って爆音に心をゆだねた。心地良いグルーブが少しずつ心を開放してくれた。
嗚呼、音楽だ、と想った。
それからしばらくして「Rie a.k.a. Suzaku 」のステージが始まろうとしていた。
僕は友人と共に一番前の中央の場所を確保した。なんだか少しだけどきどきしていた。あれだけ聴きたいと想っていたRieさんのギターはどんな音がするのだろう?
そんなことを考えていた瞬間、ステージが始まった。
強烈なシャウトとへヴィーなリフが僕の耳をつんざいた。僕の後ろ側から人の波が押し寄せてきた。凄い。一発のヴォーカルの声だけでバンドは空間を完全に掌握した。後ろから肩を掴み掛かられた。気付くと僕も大声で叫んでいた。ギターソロだ。極めの細かい歪んだ音が泣き叫ぶように放たれた。僕は放心状態で彼女の指先に目をやった。まるで魔法だ。流れるような指使いでメロディーが歌った。
すぐに次の曲に入る。凄すぎるメンバーだった。ドラムが安定した高速リズムを叩き出しサイドギターがクールにリフを刻む。ベースが屋台骨のようにグルーブし続け圧倒的なヴォーカルが強烈に、だが繊細に歌った。Rieさんの指先が嬉しそうに指板を駆け巡った。
あり得ないくらいテクニカルな演奏だった。それでいて情感も失わない。
Tシャツのカート・コバーンがI love you と叫んだ。
それに答えるように音の世界が我々を激しく包み込んだ。激しいけれど優しい抱擁だった。
嗚呼、音楽だ。そう想った。本物の音楽。
僕の心が開放された。
爆音の中で。それはあの戦闘機の爆音とは質の違う音だった。世界の罪や不条理に対して音楽が激しく意義をとなえた。
メロディアスな旋律と激しいリフが優しく叫んだ。
誰の様でもなくそれはRieさんが創り上げた世界だった。

「音楽にはちからがある」

そう云いたかったのかも知れない。
素晴らしいメンバーに支えられ彼女の音楽はその場にいた人々に確かにそう伝えたかったのではないだろうか?

夢のような時間が終わった。
少しだけ彼女と話をすることが出来た。僕はRieさんにお会いしたら、いろいろと音楽について質問したかった。けれども、あんなパフォーマンスを見た後ではすべての言葉は無力だった。必要なかったのだ。言葉に出来ない感情を音に託す。
僕はジンベイザメやシャチの話を延々と繰り返した。そうして自分自身の音楽について考えていた。
Rieさんやメンバーや他のバンドの様に、魂を削り、歌い続ける自信。
彼女や彼らにはその覚悟が確かにあった。
音楽に身を捧げる覚悟。
そういう感情を、僕はとっくに過去の何処か遠い砂漠の記憶の井戸に忘れ去ってしまったのだ。そして彼ら彼女たちの演奏でその欠けらを拾い集めることができた。

「Rie a.k.a. Suzaku 」

こういう音楽は好きじゃないかも。そう想っている人にも耳にして欲しいと願う。

 Poppin records
http://www.poppin.jp

ミニアルバム 「Messiah」:Rie a.k.a. Suzaku

音楽はジャンルで区別されるものではないと、個人的にはそう想う。

僕は、少なくとも表現者Rieさんを応援する者の1人だ。
















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天国への階段

2010-05-24 | 音楽
師匠とH嬢が19世紀ギターを視察しに数年前東京へ行ったおみやげに、このCDをプレゼントしてくれたんだ。
高田元太郎氏の二枚目のアルバム、「ROCKS ON THE GUTS~天国への階段~」。
その名のとうり、70年代ロックナンバーをクラッシックギターで演奏している。

高田さんは、日本で唯一南米ボリビア国立ラパス音楽院ギター科主任教授を務めていたそうだ。

収録曲は、「天国への階段」
       「Dee」
       「哀しみの恋人たち」
       「More than words」
       「Discipline」
       「Crossroads」
         
              etc・・・

まさにロッククラッシック。
懐かしさのあまり、昇天してしまいそうなアルバムだ。
個人的には、二曲「More than words」
で唄われているvocalの、神田 智子 さんの声がギターにひじょう~にあっていて心地良い。僕はなにしろ原曲より好きだ。

高田さんがアレンジしたランディー・ローズの「Dee」も素敵だ。
「哀しみの恋人たち」は、是非、楽譜を手に入れて老後のレパートリーに加えたい。ミニコンサートもあったそうで、高田さん、暴れまくっていたらしい。
聴きたかったな~。
「といぼっくす」というアコーステックユニットのメンバーでもあるそうだ。

ガットギターには、スチール弦にはない魅力があって、凄く素敵だ。

それにしても神田 智子って何者なんだろう?

なんだか親密な歌声で酔っ払ったとき聴くと気持ちよく酔っ払える。

あの歌声が僕はとてもとても好きなのだ。



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GUITAR COLLECTION / Nigel North

2010-02-14 | 音楽
ナイジェル・ノースのリュートを聴いたとき、僕はあまりの美しさに驚嘆した。
美しすぎる。完璧だった。一つ一つの音が、あの繊細な音色で奏でられるとき、僕は静かに深呼吸をし瞑想のような状態に浸った。ある時はワインを舐め、あるときはウイスキーを飲みながらノースの奏でるバッハに、ある種の精神の静けさを感じた。それは何時かの長崎の古ぼけた教会のミサの静けさ。お寺で気まぐれに始めた座禅の真似事。あの空気に似ている。精神が澄み切ってゆく。僕は空であり日常に痛みつけられた心が緊張から開放されてゆく。お酒が回る世界の狭間で、僕は繰り返し音楽に身を委ねた。

師匠の、外人住宅を改装したギター教室のブロックの壁をハンマーで粉々にしたのは一体何時の事だっただろう?
雨の日だった。
僕はハンマーを振り上げ壁に叩きつけた。まるでベルリンの壁を破壊した東西ドイツの狂乱的な群集の如く。
少し違うのは、東西の壁を打ち砕く若者達の群集の歓喜の声の代わりに、缶ビール片手の師匠の容赦ない指示が飛んでいた事くらいだ。

違う。腰の入れ方が甘い!もっとこう効率的に壁を壊すんだぞ、跡形も無く破壊しろ。
僕は云われるままに無心で外人住宅の壁を破壊しつくした。
雨が意地悪くじとじとと降り続けていた。
師匠は作業が終わった僕に、うむ。ご苦労と声をかけた。それからおもむろに二枚のCDを手にとって僕の目の前にかざした。

今日の働きに対して褒美を授けよう。一枚やる、選べ。
一枚は山下和仁のアルバムで、もう一枚がナイジェル・ノースのアルバムだった。
狂気の世界なら山下、家宝にするならノース。
二枚のアルバムを持った師匠は、まえるで神話の神様みたいだった。

 あなたが湖に落としたのは金の斧?それとも銀の斧?

僕は正直に湖に落としたのは銅の斧だと云いたかった。
そうして運命に導かれる様にナイジェル・ノースのアルバムを選択した。
全てはそこから始まったのかも知れない。
師匠はやがてギタリストの命である爪を落とし、指先で弾く指頭奏法に演奏スタイルを変えた。19世紀ギターの収集を始めた師匠は、ここから独自の世界を切り開いてゆく。音楽観、哲学、奏法、演奏フォーム。
そうして僕の演奏に対する感性もやがてここで形作られる。

音楽世界が別の様相を呈したのだ。

  それから数年の月日が流れた。

ナイジェル・ノースのリュートを愛しながら僕は彼が19世紀ギターでアルバムを出していた事を師匠から耳にした。
ネットオークションで出品されているぞ。
僕等はネットの前でオークションの推移に注目していた。
やがて時間が来た。
我々はノースのアルバムを手に入れた。ミッションは成功したのだ。


1984年。AMON RA RECORDS.
GUITAR COLLECTION
Nijel North

もちろんすでに廃盤になったアルバムだ。
師匠はそのアルバムを僕にプレゼントして下さった。
当然僕はへヴィーローテーションでこのアルバムを聴いている。
このアルバムで、ノースは幾種類かのロマンテックギターを使用している。

・Renaissance Guitar
・Vihuela
・5 course Venetian guitar c.1640
・Virginals by Onofrio Guarracino,Italy 1668
・5 course guitar by Dias
・ 5 course guitar by Salomon c.1760
・ Fabricatore 1818
・Panorumo 1818
・ Panorumo 1828
・French guitar c.1825
・ Panorumo 1843


19世紀ギターの特性と奏法的な理由からか、モダンギターの様な華やかさや情感的な演奏ではなく、ノースの演奏は感情的というよりはむしろ感情のエネルギーを内に秘めつつも精神的な静けさを持って音楽を創りだしていく。
そうしてその音楽たちの繊細で、まるで青い月の夜の様な世界は聴き手を魅了して止まない。


たぶん僕は孤独で寂しい青い月の夜には、この音楽を聴きながらお酒を舐めるだろう。まるで心の傷口を音楽で舐めるように。

世界は沢山の音で満ち溢れている。

だがしかし、僕が深夜三時に選ぶ音はたぶんこんな音色だ。

世界にこんな音楽が存在する事に、まるで救いの夢をみるのだ。



  素敵だ。






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THETA

2009-12-14 | 音楽
雨が降りしきる。切なさの残像が浮かんでは消える。夜だ。僕はフランシス・コッポラというワインの瓶とグラスを抱えて部屋の灯りを落とした。そうして、ちいさなロウソクに灯を点けて、孤独と対峙した。
儀式なのだ。たまに、僕はそうやって自分自身を取り戻そうとする。寂しさは静かな安らぎだと云う人もいるらしい。sionはできれば勘弁してくれ、と歌った。全く同感だ。孤独を愛せない人間は哲学者にはなれない、なんてまことしやかに云った人もいた。僕はただの酔っ払いでいいので、グラスにワインを零す。
寂しいんだ。寒いのさ。ロウソクの灯だけが暖かく心を包み込む。
そうして、僕は音楽を流し始めた。

[seeds of the dream / THETA]
友人がCDを送ってくれた。その中の一枚がこの音楽だった。
僕はワインのボトルが空くまでこの音楽を再生し続けた。そして蝋山陽子さん- vocals, flute の歌声に心を集中させた。切なく、哀しい、そしてひんやりとした冷たい空気の清潔さのある声に耳を傾けた。魂というものが存在するなら、僕の魂は震えていたのだろう、自身の孤独と彼女の声が反応しあい。
僕は、声を押し殺して泣いていた。
そんな夜だった。

僕の音楽の範囲はある意味において限定されているのかも知れない。気に入りの音楽を何年も聴き続ける。工事ランプを頼りに街の路地を徘徊する。呼吸が白い息を発し、辿り着けないものを想って探し続ける。そんな聴きかたしか出来ない。たまに、孤独に耐えられなくなると誰かの声が聴きたくて、音楽に耳を澄まし歌声の吐息を想う。大切な声。忘れてはいけない声。それが蝋山陽子さんの歌声だった。
彼女が亡くなって二年の月日が流れたそうだ。
彼女は此処ではない何処かへ旅立ったのに、僕はその事実も彼女の存在さえも知らなかった。人生とはそういう風に出来ているのだろうか?でも今夜はワインを舐めながら貴女の声を聴いている・・・。
彼女のホームページに接続する。最後の日記の言葉の静かな波が、僕の感情を哀しみの青に染め上げた。他界した理由はわからない。ただ、重い欝状態が続いていたらしい。僕はただやるせない。孤独なんて嫌いだ。本当に嫌いだ。だから、今はいない彼女の歌声に涙した。

歌が流れる。いつか。僕の存在も綺麗さっぱり消えてしまうだろう。
声がささやく。孤独と対峙した儀式。
声が聴きたい。
再生キーを押し続ける。そんな夜に。

蝋山陽子さん、ぼくは貴女に魅かれるけれど違う道を歩いてゆこうね。
そしていつか。
その声を忘れてしまう時間が過ぎたなら。貴女に逢えるのだろうか?
どうか安らかに。
僕は馬鹿だから泣くことしかできない。


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Romanze

2009-10-27 | 音楽
甘く切ない甘味料。ノスタルジーの緑の地平の甘美さ。
少年時代の熱病の如き大きすぎる期待と不安の目分量。皮肉を気取って見せた心の裏側で、満開に咲く桜の花びらの春。大好きだった君に届かなかった機転は、もしかしたならば十年後の僕になら造作なかった仕草なのかも知れない。
僕は誰かを愛していたのだろうか?
もし、なんて言葉が無いのは明白な事実なのだが。
脳内パルスを刺激するモルヒネの要領で、観察する人物描写の白昼夢。いや、僕は誰も愛せなかったのだ。僕を愛したのは僕自身の巨大化した自我。密やかな夢は其のほとんどが妄想癖の安っぽい甘く気だるい怠惰なお菓子。
まるでヘンゼルとグレーテルが舌を出すほど甘ったるい美学。
Romanze。
その言葉が僕の想像を喚起するのはそういう現象だった。

一枚の楽譜を眺めて僕は想像した。
甘美に浸り悦に入る演奏に師匠が言葉を発した。

 待て。それがお前のRomanzeか?

師匠は続けた。

 世にも甘いRomanzeなんて存在するのか?

そうしてギターを手にし曲を弾き始めた。
それはまるで絶望的な慟哭のような演奏だった。

 いいか、哀しみと絶望的な虚無だ。俺だったらこう弾くね。
 Adagioでゆっくりと絶望の淵で嘆き哀しむんだ、まるで。
 まるでギロチンがゆっくりと落ちてゆく最後のように。

最後の和音を奏でた。まるでギロチンがゆっくりと落ちて来るように。

 Romanzeは甘ったるい描写だけじゃない。絶望的な虚無なんだ。
 男らしくRomanzeを弾いてみろ、確固たる信念を持って。

僕はギターを抱え譜面とにらめっこした。
何度試しても僕には絶望的なRomanzeが表現できなかった。
あるいは感情が先走りあるいは音の強弱が神経質すぎた。

 あんたには物語りを構成するテクニックがまるで無いんだ。
 感情ばかりが先走ってバランスが滅茶苦茶だ。
 テクニックというのは、指が速く器用に動く事じゃない。
 いかに音をコントロールして感情を表現出来るかなんだ。
 お前に致命的に足りないものだ。
 修行しろ。

それで僕はJ.K.MertzのRomanzeを弾き続けた。
いろんな弾き方を試してみた。いろんな物語を引っ張り出した。それでもハードボイルドなRomanzeは弾ききれなかった。
途方に暮れてギターを置いた。
とりあえず煙草を一本吸った。
楽譜を眺める。
絶望的なまでの虚無感の表現。
ため息をついた。

大切な何かを失った時。大切な誰かが消える瞬間。
あの声にならない感情の叫び。
人生は愚らなくて汚物に塗れ美しく気高い。
地を這う存在が青い月まで飛翔する。

あんたにはテクニックが致命的に足りないんだ。

師匠の言葉が頭の中をぐるぐると回る。
それは僕自身の生き方其の物なのだ。

それでも時間は容赦なく流れ演奏会の当日がやってきた。
僕は、曲を弾き終わった瞬間ひどく失望した。
大切な者を失った慟哭から程遠い演奏だったのだ。

あんたにはテクニックが致命的に足りないんだ。

演奏を聴いてくれた人々はどう感じたのだろう?
僕は怖いもの見たさに尋ねて回りたかった。
それは舞台の後片付けに忙殺されて叶わなかったのだが。

あんたにはテクニックが致命的に足りないんだ。

人生に於いてやらなくては為らなかった事柄を、避けて通り過ぎてきた僕自身の生き方そのものだ。

 修行しろ。

緑のビール瓶を振りながら師匠が云う。

地に足を着けた人生。

生き方。


死に様。







 
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チムチム・チェリー

2009-09-12 | 音楽
何を弾こうかと、楽譜をひっくり返した。
映画音楽がいい。
映画音楽には物語りがあるので、感情移入しやすい。
 
  できるなら白黒映画が良い。

「チムチム・チェリー」のメロディーが好きだ。
哀しいような明るいような不思議な曲だ。映画「メリー・ポピンズ」は残念ながらまだ観ていない。でも、この曲には何故か不思議と惹かれたのだ。
思うに、こういう映画音楽はギターにすごく相性がいい。
いつか年老いて、何処かに住むことになったら、僕は映画音楽を中庭で煙草を吹かしながら弾いてみたいのだ。
この曲は単純な曲だけれど、とても素敵だ。
だいたい難しければ良い曲、とばかりは云えないだろう。
単純明快なメロディーは普遍的だ。夢心地。酒のつまみには最高だ。
「マルセリーノのテーマ」と、どっちにしようかと少しく考えたけれど、タイトルの可愛い響きで「チムチム・チェリー」を弾くことにした。

最近は、ギターは酒のつまみだ。
 でも、自分で弾きながら例えばワインをちびりちびりやると、生きててよかった~、なんて思うんだ。
 おおげさかな?

  でも音楽にずいぶん救われたんだ。

   いいよね。
    音楽。


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芸術

2009-05-12 | 音楽
某高名なギタリスト(まわりの先生達がそうおっしゃっていた)のリサイタルが終わって打ち上げにお邪魔することになりました。
本当ははやく帰りたかった、リサイタルを聴いてすこし気分がすぐれなくって顔が青ざめていたからだ。愛想笑いもひきつっていたはずです。某高名なギタリストの演奏は僕にはどうしても合わなかったようです。
打ち上げでは、いろんな音楽家の名前が飛び交っていた。神様と崇められる人や伝説のミュージシャンとの交友の話。そして、芸術とは、と話が続く。
一分間に五度も芸術、という言葉がでてきた。僕の顔はさらに青ざめていたはずだ。怖かった。どうしてこの先生達は芸術という言葉をなんの躊躇もなく軽く口にできるのだろう?言葉で語るよりも、なによりその方の音楽がすべてを物語っていたはずです。そして、その演奏は少なくとも僕にはとうてい、芸術なんてものにはキコエナカッタなあ。
芸術。
芸術ってなんだ?
ある90代のおばあさんが、毎朝庭に水をまく。そして時期がきて育った野菜を愛おしそうに眺める、まるで確かな眼をもつ絵描きのように。
おばあさんの野菜は、確かに芸術だ。でもおばあさんは野菜を高々と掲げて、芸術だ、とはけっしていわない。僕はおばあさんの野菜を愛す。



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「グリーンスリーブス」

2009-05-04 | 音楽
「イリュージョン」、という小説がある。
まだ10代だった頃僕はこの本をいつでも持ち歩いていた。
こんなシーンがある。大好きな場面だ。
救世主であることに嫌気のさした救世主、ただの飛行気乗りになった彼が、立ち寄った部品屋で何気なしにギターを手に取る。いままで一度もギターを触ったことのない彼は、流暢にギターを弾いてみせる。
「いつのまに練習したんだい?ギターが弾けるなんて全然知らなかったよ。」
そう云った相棒に、彼はいたずらっぽく笑ってみせる。
救世主なんだ。ギターくらい練習しなくても弾ける。問題はギターを弾ける自分を想像すること。

     「イマジン、想像せよ。
      世界は美しく完璧であると。」

そのときに弾いてみせた曲が「グリーンスリーブス」。
なぜか不思議と心にのこった。もちろん僕は凡人で救世主ではないので(とてもありがたいことに)、この曲が弾けるようになるまでかなりの練習をした。たどたどしく憶えたてのギターを手にし、ビール片手にいいあんばいの僕を当時よく部屋に遊びに来ていた猫氏は、つまらなそうに聴きながらあくびをしていた。

それから10年。

たまにこの曲を弾いてみる。
本棚からこの本が消えている。
5年前の引越しのどたばたにまぎれてしまったのだろう。
はじめて曲を聴いてくれた猫氏、野良猫トミーの行方ももちろんわからない。そういえば、あの街を出るとき彼に挨拶もしていなかったことを思い出した。
いろいろ変わったよ、街も人も。古い友達が電話越しにつぶやく。いちばん変わったのは俺たちだろう?口にはせずに、そうだな、と答える。

なんか作り話みたいだ、でも本当のことだ。

記憶が枯葉のにおいをしてきた。
もしまた大好きな人に出会えたら、この曲をきいてもらおう。

指が曲を憶えているあいだはまだ想像できる。
たぶんね。



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