フェルナンド・イエロのインタビュー(El Paisより)
3年まえにオフィスにやってきて、スペイン代表の最も素晴らしいサイクルを楽しんできた。フェルナンド・イエロは、かつてなかった「最高のタレント世代」と彼のオフィスでの仕事から導き出された、近年の代表の成功を心に思い浮かべている。
フェルナンド・イエロ(1968年マラガのベレス生)に子供たちがサインを求めるのは、彼が以前、レアル・マドリーとスペイン代表で時代を刻んだフットボール選手であったためだ。2008年初めから、彼はスペインサッカー協会でスポーツ・ディレクターとして仕事をし、その期間、スペインはEUROとW杯を制覇した。6月30日の翌日には、彼はその職を離れ、新たな展望を捜し求める。
Q:振り返ってみて、最初に思い出されることは?
A:スペインのフットボールを代表する際に必要であった大きな責任のことだ。
Q:この職をオファーされたときのことを覚えていますか?
A:もちろん、はっきりと。私は監督のコースにいたが、私のためのポジションがあると伝えられた。多くのことを話す必要はなかった。給与の交渉すらしなかったよ。
Q:あなたが最初にしたことは?
A:レアル・マドリーのユニフォームをはずして、スペイン代表のユニフォームを飾ったこと。皆のチームのユニフォームだ。
Q:協会の中でわかったことは?
A:非常に良い人たちで、非常によく働く人たち、すぐに私のアイディアを受け入れてくれた。私はいつでも、非常にはっきりと、チームでの仕事を行ってきた。たくさんの話を聞き、たくさんの提案をし、それから私の責任で私が決めた。しかし大きな決断は、いつでも役員会にかけていた、そうすべきなんだ。
Q:彼らはあなたの提案を受け入れましたか? それともあなたは彼らと戦わなければならなかった?
A:いや、言い争うことはなかった。通常彼らはいつも私をサポートしてくれた。
Q:あなたがイニャキ・サエスやサンティステバンを解任した時でも…
A:私はその考えを説明したし、彼らは完全に理解してくれたと考えている。気分の良いことではなかったが、そうしなければならないと考えた。そういう時だった。
Q:あなたにはオフィスワークの経験がありませんでした。それが障害になったことは?
A:14シーズンをマドリーで過ごし、13シーズンをスペイン代表で過ごした。4回のワールドカップを戦い、イングランドでも、カタールでもプレイした……私はフットボール人間ではあるが、持っている資格はスポーツディレクターと監督のものだけで、実業経験がなかった、それは真実だ。
Q:スペインサッカー協会は、やや古臭い体質だと思われていますが…
A:私が思うのは、それは我々がたくさん話をせず、多くのニュースを出さず、黙っているからで、何かを阻んでいるためではない…この点について私はもっと批判的だったが、しかし最終的には、それは問題ではないと理解した。人が自分のことを説明するとき、互いのことを理解したいと思う人が多いのではないのだ。思い出してほしい。バルセロナが欧州を制覇した際、私は良識を持つこと、一つになったチームを守ること、バルサとマドリーの間の競争関係を見つけるのをやめること、それを大多数に広めることを呼びかけた。私たちをサポートしてほしい、ポジティブであってほしいと…結局皆が注目したのは、私が一息つくことを欲しているので辞めるつもりだ、ということだけだった。我々は現代的で活動的な協会だが、しばしば、そう見てもらえないし、そう見たいと思われていない。
Q:あなたがスポーツ・ディレクターになったとき、ルイス・アラゴネスの反応はどうでしたか?
A:私は夜を徹して理解して、それからやって来た、突然に…ルイスとは、互いによく知り合っている。何試合も対戦したし、カフェで偶然出会ったこともある。しかし8ヶ月いっしょにやってきて、彼は完全な自治権を持っていたと私は思っている。それで我々の関係は常に敬意のあるものだった。私とルイス、私とデル・ボスケの関係は、プロフェッショナルのレベルではまったく同じものだった。私とトップとのぶつかり合いは、常にフル代表のではなくより低いカテゴリーレベルについてのものだった。しかし明らかに、デル・ボスケとの関係は特別なものだ。彼は私の兄のようなんだ。私はより直情的だが、彼は落ち着いて穏やかだ。彼の傍で働くのは、大学にいるようなものだ。以前はすべてに飛び込んでいた、今私は違いを理解して、水が流れるようにする方法を学んだんだ。
Q:あなたの素晴らしい成功は、すべてのカテゴリーに一つのアイデンティティを与えてきたことですか?
A:すべてが同じようにプレイすることはメリットではない。それは目標であり、標準なんだ。2008年に、我々は方法を見つけた。私はそれが我々を定義するものになったと思っている。我々は、ラ・ロハにスタンプを押してきたが、スペインの各クラブが行っている仕事を生かすことが、スペクタクルなのだ。
Q:2008年に答えを見つけたのですか?
A:我々は、恐れを取り除いた。恐れを小さくすることで、勝てたのだとわかった。我々はいつも、190cmもあるドイツを恐れていたんだ。スペインのフットボール選手たちは、快適に感じていて、何よりもプレイしたがっている。楽しんでいるんだ。この点で、ルイスは彼のやり方を見出し、我々は彼のおかげだと思っている。例えば私は、ある日ビセンテと話していたことを思い出すよ。私は彼に、EUROを勝ち取ったばかりのチームを引き継ぐことの責任に耐えるのは、大変なことだとはっきりわかっていると話したんだ。すると彼は私にこう言った。「私はむしろその方がいいよ。何も勝ち取っていないネガティブな流れよりも、今の幸福でいる方がね。」 ウィーン(EURO)で、我々はコンプレックスをなくした。もしルイスがいなかったら、我々は今居るところにはいないだろう。
Q:なぜルイスと契約更新をしなかったのですか?
A:それは、そういう時だと思ったから、サイクルの終わりだと思ったからだ。私は短いサイクルを考えていて、物事が常に敗北によって終わるということを考えていないからだ。私は、他のカテゴリーでもそうしたように、変化の計画を立てて提案をした。
Q:あなたがたの関係に影響はありましたか?
A:いや、影響があったとは思わない。
Q:デル・ボスケの代わりが誰となるか選んでいますか?
A:私はわからないよ。私はいないだろう。
Q:少なくとも現時点で、ビジャールはあなたの後継を見つけていないようですが?
A:スポーツ・ディレクターは置かないといけないだろう。絶対に必要なものだと思っている。しかし代表監督の名前を挙げるときのように、私は提案をすることはできる。でも選択する責任は私のものではない。私はまだ誰もビジャールに推薦していない。この職を置き続けるべきだとはアドバイスしたが、でもそれはもう私のものではない。
Q:デル・ボスケは、その職(スポーツ・ディレクター)に完璧だと思いますか?
A:デル・ボスケは、どんな職でも得ることができる。なんであっても。ビセンテは、オーストリアから今に至るまでの変遷で、素晴らしい効果をもたらしている。一見なにも触っていないように見える。でも現代表の40%は彼の選択だ。ペドロ、ピケ、ハビ・マルティネス、ジョレンテ、ブスケツ、マタ……彼には勇気と知性がある。本当にごく自然とそうしてきたからだ。私にとって、彼は本当に得るものの大きい存在なんだ。私がカバーしているポジションについて質問があると、聞いてくる。「フェル、U-21はどうしようか?」 それは彼が我々のベースとなる仕事、最高の努力を尽くして捧げてきた仕事に価値を見出しているということだ。
Q:過ごしてきた中で最悪の時は?
A:U-17の世界選手権で勝ちあがれなくて、それで子供たちの見込みについて考えたことやスイス戦の夜(W杯初戦)。この経験は、世界選手権の最初の試合で勝つことは重大なことだと私に教えてくれた。彼らは我々にとっての優勝候補だった。
Q:そうしたことはよく起こりましたか?
A:いや、勝ち進んでいくと我々は夢を見て、我々にはできるんだと思うようになる。しかしこの場合、我々は外からも注目され、そうなるだけの理由があった。あらゆる点で優勝候補だったんだ。スイス戦では、ぎこちなさが感じられた。その夜は、私はずいぶん苦しんだよ。しかしチームは成熟しているところを見せてくれたし、デル・ボスケの大きな人となりが見られた。ビセンテは再び、穏やかさのレッスンを見せてくれたんだ。何にも触ることなく、決断を下した。ブスケツをそのままに起き、大きなプレッシャーに耐えた。彼の決断は最も信頼のおけるものだった。
Q:では選手たちは何をしたのですか?
A:疑いを持つなと伝えた。「疑うな。疑ったら、我々は終わりだ、列車を乗り逃がしてしまう。お前たちは欧州のチャンピオンだ、忘れるな」と。私は4回のワールドカップを戦った。疑いは自分たちを殺してしまうものだとわかっていた。
Q:チームのリーダーは誰ですか?
A:リーダーシップを、経験のある選手たちでシェアしていると思っている。イケル・カシージャス、チャビ、マルチェナ、プジ(ョル)……素晴らしいキャリアを持った奴らだ。それからペペ・レイナ、シャビ・アロンソ、カプデビラ、セルヒオ(ラモス?)…そして若い選手たちもその一部を担っている。ペドロ、ブシ(ブスケツ)、ピケ、ジョレンテのフレッシュさ。我々はスペインフットボールの、才能の最高の世代に直面しているんだ。この選手たちのチームを楽しみ続けるという機会を逃すのは寂しいことだろうし、このきわめて素晴らしい花をどう見ていったものかわからない。我々は皆を大切にしていかなければいけないんだ。
Q:クアトロ・クラシコの後は、少し色がさめたようですが。
A:いや、何も危機を知らせるようなものは、最近見ていないよ。もしそうなら、我々は仲裁に入っただろう。しかしそんな必要はなかった。スペインの旗がボストンで掲げられていたのを見たかい? 我々は、世界標準になっている。我々は、ブラジルがそうであったようなものになっているんだ。現時点でのフットボールの標準だ。人々は我々のプレイを見たがる。なぜならこの代表はスペクタクルを見せるからだ。我々は道筋を見出したし、そこから離れるわけにはいかない。
Q:イニエスタについて話していませんね。
A:もしスペインのフットボールが顔を持つなら、アンドレスだ。しばしば、我々がそういうことについて話をするとき、我々は彼を例に挙げる。イニエスタ自身が、我々の戦いの価値だと、才能、ハードワーク、誠実、謙虚、仲間意識。
Q:いつか、なぜあなたが辞めたかについて説明するでしょうか?
A:理由は、そういう時だということ、私の人生におけるその期間が終わったということ。協会のスポーツマネジメントは、40歳が負う職ではない。私は、人生で私がするものを見てみたいと思っている。
Q:マドリーでフロレンティーノ・ペレスと仕事をしますか?
A:一日中そんな話ばかりだが、まったくなにもない。私がそう言うよ。
Q:協会の中でし残したことは何かありますか?
A:U-21の子たちが、ロンドン五輪に勝ち上がるのを見たいね。そうなったら嬉しいよ。
3年まえにオフィスにやってきて、スペイン代表の最も素晴らしいサイクルを楽しんできた。フェルナンド・イエロは、かつてなかった「最高のタレント世代」と彼のオフィスでの仕事から導き出された、近年の代表の成功を心に思い浮かべている。
フェルナンド・イエロ(1968年マラガのベレス生)に子供たちがサインを求めるのは、彼が以前、レアル・マドリーとスペイン代表で時代を刻んだフットボール選手であったためだ。2008年初めから、彼はスペインサッカー協会でスポーツ・ディレクターとして仕事をし、その期間、スペインはEUROとW杯を制覇した。6月30日の翌日には、彼はその職を離れ、新たな展望を捜し求める。
Q:振り返ってみて、最初に思い出されることは?
A:スペインのフットボールを代表する際に必要であった大きな責任のことだ。
Q:この職をオファーされたときのことを覚えていますか?
A:もちろん、はっきりと。私は監督のコースにいたが、私のためのポジションがあると伝えられた。多くのことを話す必要はなかった。給与の交渉すらしなかったよ。
Q:あなたが最初にしたことは?
A:レアル・マドリーのユニフォームをはずして、スペイン代表のユニフォームを飾ったこと。皆のチームのユニフォームだ。
Q:協会の中でわかったことは?
A:非常に良い人たちで、非常によく働く人たち、すぐに私のアイディアを受け入れてくれた。私はいつでも、非常にはっきりと、チームでの仕事を行ってきた。たくさんの話を聞き、たくさんの提案をし、それから私の責任で私が決めた。しかし大きな決断は、いつでも役員会にかけていた、そうすべきなんだ。
Q:彼らはあなたの提案を受け入れましたか? それともあなたは彼らと戦わなければならなかった?
A:いや、言い争うことはなかった。通常彼らはいつも私をサポートしてくれた。
Q:あなたがイニャキ・サエスやサンティステバンを解任した時でも…
A:私はその考えを説明したし、彼らは完全に理解してくれたと考えている。気分の良いことではなかったが、そうしなければならないと考えた。そういう時だった。
Q:あなたにはオフィスワークの経験がありませんでした。それが障害になったことは?
A:14シーズンをマドリーで過ごし、13シーズンをスペイン代表で過ごした。4回のワールドカップを戦い、イングランドでも、カタールでもプレイした……私はフットボール人間ではあるが、持っている資格はスポーツディレクターと監督のものだけで、実業経験がなかった、それは真実だ。
Q:スペインサッカー協会は、やや古臭い体質だと思われていますが…
A:私が思うのは、それは我々がたくさん話をせず、多くのニュースを出さず、黙っているからで、何かを阻んでいるためではない…この点について私はもっと批判的だったが、しかし最終的には、それは問題ではないと理解した。人が自分のことを説明するとき、互いのことを理解したいと思う人が多いのではないのだ。思い出してほしい。バルセロナが欧州を制覇した際、私は良識を持つこと、一つになったチームを守ること、バルサとマドリーの間の競争関係を見つけるのをやめること、それを大多数に広めることを呼びかけた。私たちをサポートしてほしい、ポジティブであってほしいと…結局皆が注目したのは、私が一息つくことを欲しているので辞めるつもりだ、ということだけだった。我々は現代的で活動的な協会だが、しばしば、そう見てもらえないし、そう見たいと思われていない。
Q:あなたがスポーツ・ディレクターになったとき、ルイス・アラゴネスの反応はどうでしたか?
A:私は夜を徹して理解して、それからやって来た、突然に…ルイスとは、互いによく知り合っている。何試合も対戦したし、カフェで偶然出会ったこともある。しかし8ヶ月いっしょにやってきて、彼は完全な自治権を持っていたと私は思っている。それで我々の関係は常に敬意のあるものだった。私とルイス、私とデル・ボスケの関係は、プロフェッショナルのレベルではまったく同じものだった。私とトップとのぶつかり合いは、常にフル代表のではなくより低いカテゴリーレベルについてのものだった。しかし明らかに、デル・ボスケとの関係は特別なものだ。彼は私の兄のようなんだ。私はより直情的だが、彼は落ち着いて穏やかだ。彼の傍で働くのは、大学にいるようなものだ。以前はすべてに飛び込んでいた、今私は違いを理解して、水が流れるようにする方法を学んだんだ。
Q:あなたの素晴らしい成功は、すべてのカテゴリーに一つのアイデンティティを与えてきたことですか?
A:すべてが同じようにプレイすることはメリットではない。それは目標であり、標準なんだ。2008年に、我々は方法を見つけた。私はそれが我々を定義するものになったと思っている。我々は、ラ・ロハにスタンプを押してきたが、スペインの各クラブが行っている仕事を生かすことが、スペクタクルなのだ。
Q:2008年に答えを見つけたのですか?
A:我々は、恐れを取り除いた。恐れを小さくすることで、勝てたのだとわかった。我々はいつも、190cmもあるドイツを恐れていたんだ。スペインのフットボール選手たちは、快適に感じていて、何よりもプレイしたがっている。楽しんでいるんだ。この点で、ルイスは彼のやり方を見出し、我々は彼のおかげだと思っている。例えば私は、ある日ビセンテと話していたことを思い出すよ。私は彼に、EUROを勝ち取ったばかりのチームを引き継ぐことの責任に耐えるのは、大変なことだとはっきりわかっていると話したんだ。すると彼は私にこう言った。「私はむしろその方がいいよ。何も勝ち取っていないネガティブな流れよりも、今の幸福でいる方がね。」 ウィーン(EURO)で、我々はコンプレックスをなくした。もしルイスがいなかったら、我々は今居るところにはいないだろう。
Q:なぜルイスと契約更新をしなかったのですか?
A:それは、そういう時だと思ったから、サイクルの終わりだと思ったからだ。私は短いサイクルを考えていて、物事が常に敗北によって終わるということを考えていないからだ。私は、他のカテゴリーでもそうしたように、変化の計画を立てて提案をした。
Q:あなたがたの関係に影響はありましたか?
A:いや、影響があったとは思わない。
Q:デル・ボスケの代わりが誰となるか選んでいますか?
A:私はわからないよ。私はいないだろう。
Q:少なくとも現時点で、ビジャールはあなたの後継を見つけていないようですが?
A:スポーツ・ディレクターは置かないといけないだろう。絶対に必要なものだと思っている。しかし代表監督の名前を挙げるときのように、私は提案をすることはできる。でも選択する責任は私のものではない。私はまだ誰もビジャールに推薦していない。この職を置き続けるべきだとはアドバイスしたが、でもそれはもう私のものではない。
Q:デル・ボスケは、その職(スポーツ・ディレクター)に完璧だと思いますか?
A:デル・ボスケは、どんな職でも得ることができる。なんであっても。ビセンテは、オーストリアから今に至るまでの変遷で、素晴らしい効果をもたらしている。一見なにも触っていないように見える。でも現代表の40%は彼の選択だ。ペドロ、ピケ、ハビ・マルティネス、ジョレンテ、ブスケツ、マタ……彼には勇気と知性がある。本当にごく自然とそうしてきたからだ。私にとって、彼は本当に得るものの大きい存在なんだ。私がカバーしているポジションについて質問があると、聞いてくる。「フェル、U-21はどうしようか?」 それは彼が我々のベースとなる仕事、最高の努力を尽くして捧げてきた仕事に価値を見出しているということだ。
Q:過ごしてきた中で最悪の時は?
A:U-17の世界選手権で勝ちあがれなくて、それで子供たちの見込みについて考えたことやスイス戦の夜(W杯初戦)。この経験は、世界選手権の最初の試合で勝つことは重大なことだと私に教えてくれた。彼らは我々にとっての優勝候補だった。
Q:そうしたことはよく起こりましたか?
A:いや、勝ち進んでいくと我々は夢を見て、我々にはできるんだと思うようになる。しかしこの場合、我々は外からも注目され、そうなるだけの理由があった。あらゆる点で優勝候補だったんだ。スイス戦では、ぎこちなさが感じられた。その夜は、私はずいぶん苦しんだよ。しかしチームは成熟しているところを見せてくれたし、デル・ボスケの大きな人となりが見られた。ビセンテは再び、穏やかさのレッスンを見せてくれたんだ。何にも触ることなく、決断を下した。ブスケツをそのままに起き、大きなプレッシャーに耐えた。彼の決断は最も信頼のおけるものだった。
Q:では選手たちは何をしたのですか?
A:疑いを持つなと伝えた。「疑うな。疑ったら、我々は終わりだ、列車を乗り逃がしてしまう。お前たちは欧州のチャンピオンだ、忘れるな」と。私は4回のワールドカップを戦った。疑いは自分たちを殺してしまうものだとわかっていた。
Q:チームのリーダーは誰ですか?
A:リーダーシップを、経験のある選手たちでシェアしていると思っている。イケル・カシージャス、チャビ、マルチェナ、プジ(ョル)……素晴らしいキャリアを持った奴らだ。それからペペ・レイナ、シャビ・アロンソ、カプデビラ、セルヒオ(ラモス?)…そして若い選手たちもその一部を担っている。ペドロ、ブシ(ブスケツ)、ピケ、ジョレンテのフレッシュさ。我々はスペインフットボールの、才能の最高の世代に直面しているんだ。この選手たちのチームを楽しみ続けるという機会を逃すのは寂しいことだろうし、このきわめて素晴らしい花をどう見ていったものかわからない。我々は皆を大切にしていかなければいけないんだ。
Q:クアトロ・クラシコの後は、少し色がさめたようですが。
A:いや、何も危機を知らせるようなものは、最近見ていないよ。もしそうなら、我々は仲裁に入っただろう。しかしそんな必要はなかった。スペインの旗がボストンで掲げられていたのを見たかい? 我々は、世界標準になっている。我々は、ブラジルがそうであったようなものになっているんだ。現時点でのフットボールの標準だ。人々は我々のプレイを見たがる。なぜならこの代表はスペクタクルを見せるからだ。我々は道筋を見出したし、そこから離れるわけにはいかない。
Q:イニエスタについて話していませんね。
A:もしスペインのフットボールが顔を持つなら、アンドレスだ。しばしば、我々がそういうことについて話をするとき、我々は彼を例に挙げる。イニエスタ自身が、我々の戦いの価値だと、才能、ハードワーク、誠実、謙虚、仲間意識。
Q:いつか、なぜあなたが辞めたかについて説明するでしょうか?
A:理由は、そういう時だということ、私の人生におけるその期間が終わったということ。協会のスポーツマネジメントは、40歳が負う職ではない。私は、人生で私がするものを見てみたいと思っている。
Q:マドリーでフロレンティーノ・ペレスと仕事をしますか?
A:一日中そんな話ばかりだが、まったくなにもない。私がそう言うよ。
Q:協会の中でし残したことは何かありますか?
A:U-21の子たちが、ロンドン五輪に勝ち上がるのを見たいね。そうなったら嬉しいよ。