フェルナンド・ガゴ
「コパ・アメリカのあと、モウリーニョと話すつもりでいる」
Q:レアル・マドリーでプレイしていくつもりですか?
A:現時点では、イエス。話されているようなことは何もない。
Q:あなたの代理人、マルセロ・ロンビージャは、クラブを出て行く選択肢が4つか5つほどあると言っています。アルゼンチンでは、ボカ・ジュニオルスの名前が出ています。あなたには、いつも、ボカや何か感傷的なものに誘惑されるところがあるのでは?
A:それは難しいことだよ…ボカは、僕が8歳から育ったクラブ、僕の2つ目の故郷だ。ボカではすごく快適に感じられる。すべてを知っているからね。アルゼンチンに戻りたいと熱望する気持ちもある、ヨーロッパで1人でいるのは簡単なことではないから。スポーツ的な面を分析しなければいけない、それでヨーロッパで続けていくことが適切なんだ。アルゼンチンに戻りたい気持ちは、ボカのユニフォームは素晴らしいものだし、そこで僕が感じていたことを説明するのは難しい。これは僕だけの決断ではなくて、マドリーが何を言うか次第の部分が大きい。
Q:あなたがボカに行くのにフリーになるだろうという噂話がささやかれていました。それはマドリーに対する敬意を欠いているのでは?
A:奇妙な話だったね。僕の周りでは、その当時でアルゼンチン最高額の移籍だと言われていたのに、マドリーがフリーで僕を行かせるなんて奇妙な話だ。いずれにしても、マドリーが僕を売りたいという話は推測だ。なぜなら、誰とも話をしていないし、コパ・アメリカが終わるまでは話をすることはないだろうから。それから、監督や会長と話をしてわかるだろう。
Q:もし彼らが、あなたがマドリーで続けることを許さないとしたら、ヨーロッパの他の国に行くでしょうか?
A:わからないな…イングランドやイタリアはとても強い。(スペインの)他の2つの主要なリーグだ。
Q:レアル・マドリーの人間でいるというのはどういうものですか?
A:僕はいつでも自分の生活の習慣に従ってきている…マドリーの組織は非常に素晴らしいし、世界中に知られている。
Q:今シーズンはどうでしたか?
A:怪我と、膝の負傷が3度も再発したのは、僕にとって本当に長いものになった。チームが集合していても、プレイできなかったんだ。
Q:クアトロ・クラシコを経て、バルサとの争いはどうなっていくのでしょうか?
A:この戦いは、来シーズン非常にハードなものになるだろう。歴史上最高のチームの1つと対しているんだ。僕たちは、非常に良い戦いをしてコパを勝ち取った。それからチャンピオンズでも、同じように良い戦いをした。レフェリーについて言われていることがあったとしてもね…。ファイナルに到達できなかったのは僕たちにはつらいことだった。
Q:今はアルゼンチン代表にいるわけですが、アルゼンチンにとってのコパ・アメリカの持つ意味とは?
A:長い間手にしていない、勝ち取りたいものだ。戦って優勝したいね。
Q:あなたにとっては、ワールド杯に行けないという落胆を経ての復帰ですが…
A:僕にとって、アルゼンチン代表は最高のものだ。代表を外れたのは本当に最後のことだったけど、責任を探してはいけない。つらいことだったけど、もう終わったこと。次のステージに移るんだ。
昨シーズンは199分間のみ…
インタビューの中でガゴは、今シーズンの彼にとって災いとなり、190日間の離脱の原因となった数多くの負傷について、さりげなく触れた。ガゴの試練は、8月24日のトロフェオ・ベルナベウから始まった。左膝の靭帯を捻挫し、31日間の離脱。10月7日に再発させてさらに31日間の離脱となり、また復帰しようとする頃になって同部位にさらなるアクシデントが発生した。傷の付近に浮腫が生じ、55日間活動できなかった。最後に起こったのは3月4日の内転筋の負傷で、73日間の離脱。この試練は、心理的にも深く影響を与えるものとなった。この結果、ガゴはこのシーズン、わずか7試合で199分間出場という結果になった。
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移籍になるのかなあ…。今シーズンは負傷、再発の連鎖だったのも確かですし、負傷がなかったとしてモウリーニョのファーストチョイスだったろうか、と言われるとイエスとは言い切れないけど、でもガツガツ中盤で当たりに行く仕事とか、ガゴ向きじゃないかと。マルセロ、イグアインと同時期にマドリーに来た若手南米組の1人として、というのもありますし。在籍暦でいったら、半月か1ヶ月くらいの差で、マルセロの次(イグアインとどっちがどっちかはわかりませんが)。
ただ気になるのは、最後の3月の内転筋負傷がもともと全治3週間程度だったはずなのに、最後まで出てこられなかったこと。完治しなかったのかもしれないけど、でも、アルゼンチン代表には(少し遅れてだけど)普通に招集された。実際はどうだったのか、ちょっとひっかかる。
あと気になるといえば、だいぶ前にざっと読んだ記事なので出処が思い出せないのですが、試合に出場できないと家に帰って泣く事もあった…という記述を読んだ事があり、どうもナイーブなところがあるような…ま、底抜けに明るいラテンの人という感じじゃないのは確かですが。
懲りてないのか…
イビサ島でバカンスを楽しんでいたベンゼマさんは、水曜深夜(明け方?)にブルーのポルシェを無謀運転したため、同様の行為をした友人と共に現地警察に捕まり、250ユーロの罰金を支払ったそうです。
なんでも目撃情報によると、ベンゼマさんは、暴走したりドリフトしたり……。
運転席にいるのがとっ捕まったベンゼマさんの模様
おまけ
「コパ・アメリカのあと、モウリーニョと話すつもりでいる」
Q:レアル・マドリーでプレイしていくつもりですか?
A:現時点では、イエス。話されているようなことは何もない。
Q:あなたの代理人、マルセロ・ロンビージャは、クラブを出て行く選択肢が4つか5つほどあると言っています。アルゼンチンでは、ボカ・ジュニオルスの名前が出ています。あなたには、いつも、ボカや何か感傷的なものに誘惑されるところがあるのでは?
A:それは難しいことだよ…ボカは、僕が8歳から育ったクラブ、僕の2つ目の故郷だ。ボカではすごく快適に感じられる。すべてを知っているからね。アルゼンチンに戻りたいと熱望する気持ちもある、ヨーロッパで1人でいるのは簡単なことではないから。スポーツ的な面を分析しなければいけない、それでヨーロッパで続けていくことが適切なんだ。アルゼンチンに戻りたい気持ちは、ボカのユニフォームは素晴らしいものだし、そこで僕が感じていたことを説明するのは難しい。これは僕だけの決断ではなくて、マドリーが何を言うか次第の部分が大きい。
Q:あなたがボカに行くのにフリーになるだろうという噂話がささやかれていました。それはマドリーに対する敬意を欠いているのでは?
A:奇妙な話だったね。僕の周りでは、その当時でアルゼンチン最高額の移籍だと言われていたのに、マドリーがフリーで僕を行かせるなんて奇妙な話だ。いずれにしても、マドリーが僕を売りたいという話は推測だ。なぜなら、誰とも話をしていないし、コパ・アメリカが終わるまでは話をすることはないだろうから。それから、監督や会長と話をしてわかるだろう。
Q:もし彼らが、あなたがマドリーで続けることを許さないとしたら、ヨーロッパの他の国に行くでしょうか?
A:わからないな…イングランドやイタリアはとても強い。(スペインの)他の2つの主要なリーグだ。
Q:レアル・マドリーの人間でいるというのはどういうものですか?
A:僕はいつでも自分の生活の習慣に従ってきている…マドリーの組織は非常に素晴らしいし、世界中に知られている。
Q:今シーズンはどうでしたか?
A:怪我と、膝の負傷が3度も再発したのは、僕にとって本当に長いものになった。チームが集合していても、プレイできなかったんだ。
Q:クアトロ・クラシコを経て、バルサとの争いはどうなっていくのでしょうか?
A:この戦いは、来シーズン非常にハードなものになるだろう。歴史上最高のチームの1つと対しているんだ。僕たちは、非常に良い戦いをしてコパを勝ち取った。それからチャンピオンズでも、同じように良い戦いをした。レフェリーについて言われていることがあったとしてもね…。ファイナルに到達できなかったのは僕たちにはつらいことだった。
Q:今はアルゼンチン代表にいるわけですが、アルゼンチンにとってのコパ・アメリカの持つ意味とは?
A:長い間手にしていない、勝ち取りたいものだ。戦って優勝したいね。
Q:あなたにとっては、ワールド杯に行けないという落胆を経ての復帰ですが…
A:僕にとって、アルゼンチン代表は最高のものだ。代表を外れたのは本当に最後のことだったけど、責任を探してはいけない。つらいことだったけど、もう終わったこと。次のステージに移るんだ。
昨シーズンは199分間のみ…
インタビューの中でガゴは、今シーズンの彼にとって災いとなり、190日間の離脱の原因となった数多くの負傷について、さりげなく触れた。ガゴの試練は、8月24日のトロフェオ・ベルナベウから始まった。左膝の靭帯を捻挫し、31日間の離脱。10月7日に再発させてさらに31日間の離脱となり、また復帰しようとする頃になって同部位にさらなるアクシデントが発生した。傷の付近に浮腫が生じ、55日間活動できなかった。最後に起こったのは3月4日の内転筋の負傷で、73日間の離脱。この試練は、心理的にも深く影響を与えるものとなった。この結果、ガゴはこのシーズン、わずか7試合で199分間出場という結果になった。
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移籍になるのかなあ…。今シーズンは負傷、再発の連鎖だったのも確かですし、負傷がなかったとしてモウリーニョのファーストチョイスだったろうか、と言われるとイエスとは言い切れないけど、でもガツガツ中盤で当たりに行く仕事とか、ガゴ向きじゃないかと。マルセロ、イグアインと同時期にマドリーに来た若手南米組の1人として、というのもありますし。在籍暦でいったら、半月か1ヶ月くらいの差で、マルセロの次(イグアインとどっちがどっちかはわかりませんが)。
ただ気になるのは、最後の3月の内転筋負傷がもともと全治3週間程度だったはずなのに、最後まで出てこられなかったこと。完治しなかったのかもしれないけど、でも、アルゼンチン代表には(少し遅れてだけど)普通に招集された。実際はどうだったのか、ちょっとひっかかる。
あと気になるといえば、だいぶ前にざっと読んだ記事なので出処が思い出せないのですが、試合に出場できないと家に帰って泣く事もあった…という記述を読んだ事があり、どうもナイーブなところがあるような…ま、底抜けに明るいラテンの人という感じじゃないのは確かですが。
懲りてないのか…
イビサ島でバカンスを楽しんでいたベンゼマさんは、水曜深夜(明け方?)にブルーのポルシェを無謀運転したため、同様の行為をした友人と共に現地警察に捕まり、250ユーロの罰金を支払ったそうです。
なんでも目撃情報によると、ベンゼマさんは、暴走したりドリフトしたり……。
運転席にいるのがとっ捕まったベンゼマさんの模様
おまけ