星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

年輪

2014-12-29 | NO SMOKING
 「バームクーヘンは薄く切った方が美味しい」


ついその場のノリで生まれた言葉が、真実になることがある。
かつて体育祭の後の打ち上げホームルームに、担任の先生が、ユーハイムのバームクーヘントゥルムを3本持ってきて、ナイフで切って生徒達と分け合って食べた。全員に、薄いのと厚いのと2枚ずつ。その時、誰かが言った「薄い方が美味しい」と。負け惜しみのようなその言葉に皆が笑った。でもそれは本当だった。あれから長い時が経ったけど、それ以来ずっと、本当にバームクーヘンは薄く切った方が美味しいと感じる。楽しいあの時間中に、集団催眠にかかったのかもしれない。

10月に芦屋市立美術博物館で、谷川俊太郎さんの「朗読とお話」会があった。83才の谷川さんは、子ども達のために、「いちねんせい」(和田誠絵 小学館 1988)所収の、楽しい詩を朗読して下さった。「どんなとき、詩が生まれるのですか?」という質問にこんな答えが返ってきた。

「人生は年輪のようなものだと思う。
 中心に幼い自分を抱えている。時々それが噴出することがある。」

年輪を重ねるように年をとっていく、というのは、よく聞く言葉。でも、今まで、考えたことなかった。「年輪」も「コレステロール」とかと同様に、ある一定の年齢になって初めて、考える言葉なのかもしれない。そして、谷川さんの言葉に「あれ?」とひっかかるものがあった。私はなぜかこれまでずっと、樹木は、木の中の部分の方が新しいのだと思っていたのだ。

年輪について調べてみると、確かに外側が新しい。
~樹木は、外側の樹皮との境目に形成層があって、形成層は細胞分裂を起こしながら内側に木質部を生産し、外側に樹皮を生産する。生命体として樹木をみた場合、活発に細胞増殖を行っているのは主に形成層であり、木質部と樹皮の多くは死んだ細胞から出来ている。~(山形大学農学部のサイトより)

ならば、バームクーヘンの作り方と同じだ。生地をつけた芯を、火のそばで回しながら、焼き目をつけ、また生地をつけて焼き、外側に次々新しい層を作っていく。

「人生は年輪のようなもの」というのは、過去が積み重なって今の自分ができているけれど、生命体として常に細胞増殖を行っている存在であるということ。外から見えるのは、今の自分だけど、常に真ん中には幼い自分が存在していて、詩人や絵描きさんは、時々、真ん中の幼い自分が飛び出してきて作品を作ったりするのだ。

私も2013年の外側に、2014年のわっこが重なった。意識せずとも幹は確実に太くなっていく。
…そしていつか、枯れる。

樹の足は大地に向かい手は空に自ら古い樹皮破る
    
コメント (2)
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円形劇場

2014-12-29 | 劇空間
安藤忠雄設計の兵庫県立美術館は、3つの四角いコンクリートの箱にガラスの箱をかぶせたような、直線的な建物である。中は打ちっ放しコンクリートの壁、御影石の外壁が現代の要塞のように立っている。所々、壁をくり抜いた四角い窓が、動く風景画のように現れる。建物の直線によって、様々な形に切り取られた青空は、美しい。

         

その直線の中に、2カ所だけ、円形のものがある。棟と棟の間にあって地下駐車場につながる円形階段と、南東隅の小さな円形劇場。
2014年11月、2002年美術館のオープン以来ほとんど使われていなかった円形劇場が、素敵な空間に生まれ変わった。元具体美術協会の作家・向井修二さん監修による記号アートインスタレーション。多くの人々が記号を描いた。




しかし、最初「意味のない記号を描きましょう」と言われて困った。
それは、思いつかないものを描きなさい、と言われるに等しく、難しい。
そもそも「記号」は、表象と意味とが結合したもの。意味がなくては記号ではない。
ただ、意味が意味無く集まれば、当初の意味は、意味を持たなくなる。

(~どこにあるでしょう?)

この完成した円形劇場、階段に座ると、落ち着かない。どちらかというと、中央のフロアに立って、何かしたくなる。
ここで、演じるなら「詩のボクシング」か、港に沈む夕陽に向かって吹くサックスがいいなぁ♪


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