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夢は引き継がれる「坂本龍馬」の存在

2019-01-07 08:47:26 | 歴史から学ぶ

@「坂本龍馬」が一般の人々に知れ渡ったのは坂崎紫瀾著「汗血千里駒」だと言う。(明治16年)その後明治皇后の夢の中に龍馬が現れたと言うニュースだとある。龍馬と言う人物は「剣豪」「志士」「商人」、今風で言うならば「起業家・アントレプレナー」的存在だったのだろうか、または政界とのブロカー的存在を生かした「政党政務家」だったのか。 惜しくも新しい政治体制・明治新政府を見る前に暗殺され夢にある「世界商社(人)」には成れなかったが、品川弥太郎(三菱創始者)がそれを成し遂げた。共に苦労した品川が夢を実現させたかのようだが、「もし」の歴史があるとしたら、坂本龍馬はどうしていただろうか。政治家となって四民平等・戦争の無い世を作り出し、明治の時代に日本を世界に羽ばたかせたに違いない。 19才にして龍馬の好奇心は人生を変えた。それは今の若者にも勇気を与える。この龍馬のような夢実現の為「身を呈して飛び込んでいく勇気と決断力」は学ぶところが多い。

『商人龍馬』津本陽

  • 「経済立国」を目指した龍馬。その「起業家精神」が日本を変えた。 大転換の時代を見抜き、開国日本の前途を構想。海外交易で雄飛することを志した悲壮の風雲児。今再び脚光を浴びる謎多き英傑の、真の正体に迫った傑作小説。
  • 坂本龍馬は外国勢力の渡来により開国を迫られ封建制度を捨て、近代国家位に急速に変化しなければならなくなった激動する幕末期に生きて、力のかぎり活動した男。土佐藩の郷士、高知城下の裕福な家に生まれた剣士であったが、19歳での江戸での武芸修行で出会ったことが龍馬を変えることになる。その出来事とは
  •             大都市の江戸・千葉道場での修行
  •             黒船来航・ペリー来航で開国を迫った江戸幕府の動き
  •             恩師勝海舟との出会い・世界の広さと文化の違い(武器・戦艦)
  •             米国を見た万次郎との出会い・米国の政治と商船貿易
  •             武市半平太の土佐勤王党への加盟と脱藩
  •             下関・グラバー邸での五島との出会い・武器商人
  •             土佐藩後藤象二郎との出会い・朝廷との接点
  •             海援隊創設・陸奥源次郎「船中八策」・長岡謙吉「大政奉還建白書草案」
  • 坂本龍馬「剣豪龍馬」「志士龍馬」から「商人龍馬」と出した小説になっている。それは近代国家を夢見た幕末期の動きに瞬時に行動し、仲間を巻き込み解決へと導いてきた。
  • 龍馬の父の後妻伊与が龍馬に言った3か条の信条
  •             相手にやられたらやり返せ
  •             自分から進んで手を出すな
  •             男は強く優しくあれ
  • 江戸旗本8万騎とは実際弓1張り、鉄砲1丁、槍2本の武装だけ、軍備は5万石で騎馬70騎、従者人足入れて1千人。(戦闘部隊は総数の半数)鉄砲も時代遅れの火縄銃、大筒の2km飛ぶだけで江戸には40門しかなかった
  • 龍馬の言葉「俺は才谷屋や下田屋のように回漕をやりたい。時勢が金で動くことは江戸でわかった。アメリカでは四民平等というが銭がものをいう世の中だ。そんな時勢に働き者は下等人民の秀才だ。上士に西洋の学問をする根気はない。難しい勉強をして我が才を頼りにして下から這い上がっていくのは下士、百姓、町人だ。乱世にはそうなると「史記」にもあり、我は這い上がっていきたいのだ」(標準語に訳)
  • 龍馬の姉乙女の言葉「男が大事をやるつもりなら大きな場所へ出にあいかん。」で龍馬は「俺はやっぱり我が力のかぎりを試したいがじゃ。高知でちんまりと暮らしていとうはない。一人で動くじゃ。志を達するために危ない橋は渡らにゃいかんこともある」
  • 龍馬の初仕事は2万両で買い入れた生糸を上海に運び銃器を購入して薩摩に戻り、大阪で米を仕入れ上海で売却することだった。諸経費等を除いでも仕入れの2倍に余る純利益が出た。グラバーは日本の大判小判の金(上海との金の価値)で大儲けした。「イギリスを見てみいや。日本と似てちんまい島国じゃけんど世界一金持ちになっていようが。社中の力を伸ばすためにはだれとでも手を組んだらえい」として長州の鉄砲調達を、薩摩力を借りて実現させた。
  • 土佐藩のいろは丸と紀州藩の明光丸との沈没事件でも、実際はいろは丸の過失だったが賠償請求で龍馬は莫大な費用請求を果たした。当初1万両だったものが合計八万三千五百二十六両とした。
  • 大政奉還に先立ち、岩倉具視等は大久保と品川で錦旗を密かに制作して職制を勝手に設け熾仁親王、知太政官事・入道純仁親王などを征夷大将軍とした。
  • 徳川慶喜は後藤象二郎等からの大政奉還の草案に関して受け入れた。それは小松帯刀の「政権をご返上あそばされたとて、昨今の朝廷には大政を行う人物がおりません。すべてこれまでの通り委任をお受けください。」
  • 大政奉還後の大久保等からの偽勅書には「逆賊徳川慶喜を殄戮せよ」が出された
  • 武力倒幕派の中岡慎太郎は岩倉具視の身辺警護役をしていた。また龍馬とは激論になったこともあった。その後龍馬は刺殺されるが当初の諸説では京都見廻組の今井信郎であったが検察・弁護・証拠の記録が一切ない。
  • 龍馬の妻お龍はヒステリー病だった



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