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権力の存命はいつまで続く『裏太平記』

2020-03-10 07:57:21 | 歴史から学ぶ
「太平記」、天皇の即位争いに下で支えた公卿たちの陰謀が見え隠れする。武家社会も同じ、現代社会に置いても同じような現象を多々見受ける。国内の大手家具系でみた子が親を見下す継承事にも見られたように、戦国時代の子が親を殺すのは家臣・部下との信頼関係と個々の貪欲さで大きく左右される。 往々にして権力の立ち振舞いは過去の歴史でも長続きはしない。 周りを人徳で引き寄せる工夫が必要だ。

『裏太平記』半村良
『徒然草』の兼好法師には裏の顔があった! 皇位をめぐる争い、下克上を求め動めく民衆の異様な動きの影で兼好の画策する陰謀とは。伝奇小説の巨匠が大胆な推理を元に描く本当の太平記の世界。
  • 兼好法師が日陰一族の創始者(影法師)と言われ、当時の貨幣経済が拡大するその富の集まる集団をまとめた。密教と浄土宗、その他の宗派と対立させるべく活動し、有力寺院の僧兵など、その武力集団の一つが楠正成だった。兼好法師の終焉は伊賀で忍者等を後々創出した集団である。
  • 兼好法師の基本理念「権力は肥大すると腐る」、当時持明院統と大覚寺統の両派に分かれた天皇即位順位が公家、公卿等で乱れ始める。それを早くから見抜き「下克上」を招こうと行動した無名法師等を抱き込み後の後醍醐天皇の王政復興、倒幕へと動きを取る。好法師の興味は天皇家が所有する「天領地」で、「悪党」盗賊・武力を持った豪族が動き出した時代。そこで兼好法師の言う「世は武士が争いをする、公家、公卿は種を撒く人じゃ」と。それはまた言う「乱世の始まりは、荘園の米が銭で買われる様になり、銭は権力を養う糧となったこと。銭は力となり、力は銭を呼ぶ。貴賤は問わず力のあるものが上に立つ下克上を招いた」「下克上は万民平等の第一歩じゃ」また「融通無碍に生きることを勧める」
  • 無名法師の仲間で円真、文観等は寄進寄付(お布施)で富裕層(石見銀山)を狙い呪い、遂には天皇家にも近づき、次期天皇(邦良親王・病弱を利用)を祈祷をしながら毒殺させ、後醍醐天皇を推挙する。当時毒薬(柱毒)は主に公家、公卿等が買取、利用していた。
  • 後醍醐天皇(31歳で即位)は単なる飾り物ではなく過去を断ち切る破壊的な思想で王政復古を標榜し、密教を復興、幕府討伐する動きをするが失敗、気鋭の宗学者日野俊基、日野資朝などを六波羅奉行により失くす。過去院政を行ったのは後白河法皇である。後醍醐天皇は将来剛健な体質で公妃18名、皇子18名、皇女18名と言う精力盛んな天皇だった。
  • 陸の悪党が楠木正成、海の悪党が名和長年、武藤なる姓は、武蔵の藤原ではなく、武士の藤原である
  • 酒屋・土倉(鎌倉時代)はその当時「酒屋」と「高利貸し金融業者」(消費者金融:無尽銭=貸付金、出挙=貸付)としての役割を持ち裕福な商人だった
  • 柿色は人外魔境の者の色で、俗界から超越した人間と認識されていた。 柿色とは柿の実の色で渋色の赤茶色やベンガラに少し黒を入れた色


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