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遺文で蘇る恨み『田沼の置文』

2019-01-28 08:11:35 | 歴史から学ぶ

@「田沼の置文」は田沼意次が遺した過去の過ちを詳細に綴った文であった。それを世代が変わった元田沼の家臣が恨みを果たそうとする小説だ。 世代が変わっても人の恨みは継続して残る、現在の韓国・朝鮮の日本に対しての戦中の出来事が正にこの事に繋がっているかのようだ。 既に遠い過去でありながらその次の世代でもこう言った恨みを持ち続けていることは正直残念であり、公的な和解が出来ているにも関わらず、政治不信が続くと何処からか盛り上げる者がいることだ。韓国の政治家にモラルが無いのか、無知な者はいつまでも無知のままでいられる神経が解らない。歴史的背景のみならず、日本も含め民族の違い、教育の違いがこう言った場面で露出するのは恥ずかしい限りかもしれない。モラルがない理由の一つは国の歴代の大統領・幹部が次々に逮捕され投獄される国も珍しく、悲しい。国民への情報開示が徹底していないのか、これだけ情報化社会で優を行く韓国でそう言った事件・行為が度々起きるのは不思議でならない。因みに、日本も世界の報道の自由度順位ではなんと67番目となっているのも悲しい。https://ecodb.net/ranking/pfi.html

『田沼の置文』藤井邦夫

  • 築地の采女ケ原馬場で中年の浪人が殺された。南町奉行所隠密廻りの乾蔵人は吟味方与力の秋山久蔵から命令を受け探索を始めた。事件の背後に浮かんできたのは、将軍家の関わるとされる一通の置文の存在だった。書いたのは老中田沼意次。文に書かれていた中味とはそして文を巡る暗闘の結末は。
  • 「娘生き人形」
  •             14・15歳の娘を大名に差し出す大店。そこに献残屋という店が怪しく吟味方与力の秋山久蔵の命で隠密廻り同心乾蔵人が動いた。それは川津藩山科伊賀守が若年寄への栄達をのぞみ老中や上様側近に献上したことが判明。川津藩の留守役小田久左エ門に頼まれ店の女将が手配した長屋暮らしで身売りし、金をもらいたいと願った娘だった。小田に脅迫された女将は奉行しに自首、娘は難を避けることが出来た。
  • 「酔いどれ女」
  •             小料理屋で飲んだくれの女が、狙われた。それは夫が以前呉服屋の主人から脅かされ偽りの片棒を担がされ追われていた。女は、夫は既に亡くなったと言っていたが実は生きており呉服屋の主人がその証拠を掴み、暴露される前に夫を殺害しようと試みる。呉服屋からの浪人が女を餌食に夫を殺す企てをするが、蔵人が罠を見抜き、女を助けるが夫は身代わりに重傷を負った。
  • 「田沼の置文」
  •             田沼意次が亡くなって30数年後に、田沼家の元家臣から意次の置文がある事の噂を流すと、その家臣が次々に何者かの配下に居る忍びの者に刺殺された。それは11代将軍家斉の時に失脚した際、田沼も失脚5万7千石から1万石に減地され、数年後に田沼意次も亡くなった。その元家臣がその時の恨みを晴らすべく噂を立て陰謀を企てた。それは当時の老中白河藩松平定信が田沼意次を恨んで失脚させた事にあり、その置文が世にでる事を避けるべく「楽翁」(定信の隠居後の号)が忍びに仕掛けた事件であった。置文には安永8年10代将軍家治の世子家基が鷹狩りの途中で俄に発病して死んだのは茶の器に仕込んだ毒だったとあった。元田沼家の家臣は次々と刺殺されたのは「楽翁」の仕業だと分かり乗り込むことに。それを引き受けたのが元家臣と飲み仲間だと言った蔵人が「置文」を買取らせる偽装をして「楽翁」の下屋敷に乗り込む。蔵人は殺害を企てた全ての忍者を始末、その後「楽翁」は病気となり元家臣は文を永久に伏せることで「お家断絶」を避け事件は闇に消された。

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