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知恵は日頃からの創意工夫『知恵伊豆と呼ばれた男』

2019-06-03 07:34:40 | 歴史から学ぶ

@企業での知恵袋(参謀)は必須であり、この時代の松平信綱は正に3代将軍等からの突飛な命でも冷静に考え、判断、実行した人物だと言える。できた理由は「平常心」とある。日頃、知恵・知識を蓄え、応用できる能力が無いとできないが、それを何に対しても上手くこなせる工夫能力は素晴らしい。「御奉公」一筋に、日夜考えていたからこそできた知恵では無いかと思う。それは現代で言う、日頃からどのようにしたら会社・仕事・事業が伸びるのか臨機応変に試行錯誤することでは無いかと思う。それは上司にとっても評価が高くなり、給与アップに繋がると信じたい。  信綱の功績として武家諸法度の見直しがあるが、初期の武家法度(長男継承=改易・長男がいなければお家取りつぶし・殉死=主人・藩主の死を追い切腹する重鎮)など厳しい掟ものと大名・旗本は従っていた。 たまたま最近明治大学の歴史博物館を訪問した際に撮って武家法度がある。(下記写真添付)

『知恵伊豆と呼ばれた男』中村彰彦

  • 老中松平信綱の生涯—江戸初期の武蔵川越藩主松平伊豆守信綱の俗称「知恵伊豆」—徳川将軍2代秀忠、3代家光、4代家綱に仕えた。1596年、武蔵國高麗郡代官大河内久綱にて出生、養父松平正綱に養子、8歳から徳川秀忠の小姓に採用され、9歳で秀忠の長子竹千代(家光)付きとなる。23歳結婚、28歳で家光の小姓組番頭、松平伊豆守信綱と名乗る。38歳6人衆の一人に抜擢(老中の補佐)、41歳妻病死。42歳天草・島原の乱追討使となり43歳原城陥落。44歳武蔵川越6万石。52歳川越藩松平家7万5千石となる。56歳家光48歳病死、由井正雪らの慶安事件、承応事件処理、57歳玉川上水開削、60歳川越藩野火止用水開削。62歳明暦の大火にて天守閣、二の丸、三の丸を消失、2年後城の再建、ただし天守閣は再建せず。67歳病床、1662年3月16日逝去
  • 「知恵伊豆の知恵」
  • 小姓時代、竹千代(家光)の小座敷で足を戸につけて仮眠する       
  •             竹千代が部屋から出ることが察しできる
  • 養父の正綱は 24年間で日光杉並木の植樹をしていた
  • 家光の灸による治療で藁ゴミが必要だった
  •             新しい畳を切り機材て藁ゴミを作った
  • 殿舎に蚊が発生し駆除したい
  •             栢ノ木を焚かせた(碁盤を壊し利用)
  • 番割りの書面を即座に作り旗本等に渡すように指示
  •             長い番割りを切り裂き、数十名の祐筆にコピーさせた
  • 家光の意表をつく命、庭に白い土壁を築け
  •             他の壁土を剥がして持ってくる
  • 二の丸にある大岩を取り除けとの命
  •             岩の下を掘り、沈めた。
  • 馬場を1日で作らせる命
  •             場内にあった木材を束ね、表面を木舞で覆い、その上に芝
  • 大名と旗本との違いで旗本が愚痴を言う
  •             旗本「大名は国を配し安楽に暮らすが、旗本は常にご奉公」
  •             信綱「大名は太刀、旗本は脇差である」(太刀は一度の御用に使われるがまず抜くことはない。対して脇差は日夜重宝するもの)
  • 「拷問は奉行の恥なり」詮議が不十分で吟味が行き届かないと拷問する奉行は恥である。奉行に才智がないからだ。
  • 地震の大きさを居間の前に水を入れた樽を置いた
  •             水が溢れるほどの揺れかどうかで瞬時に登城するか判断する
  • 雨模様を脇差の鞘ぐるみで知る
  •             脇差を外気に触れさせ、室内で灯火に近ずける
  • 天倉・島原の乱での戦略
  •             籠城した捕虜の死体を検分、特に胃物で食糧不足を知る
  •             落城の報告を江戸に「落城」と結果を上に改組得たことで途中飛脚を止めて聞くものがなかった
  • 家光の毒み(味が少々おかしい)
  •             信綱も賞味して1日置いて報告。料理人への咎めは無かった。
  •             (信綱自身で1日待つことで毒がないことを証明)
  • 物価を安定させる方法(明暦の大火)
  •             江戸に人を入れないように制限する(大名を帰国させる)
  •             米を高めで購入、米の値段を固定化させた
  •             江戸に食物資を運び込ませた
  • 秀忠の時代取り潰された大名は39家、家光は49家4百万石となっていた。その原因は長子がいない。それは参勤交代等で江戸の人質(妻)によるものが多かった。
  • 「功績」
  •             玉川上水・野火止用水開削
  •             明暦の大火への処理(幕府の町人・農民支援優先)
  •             武家諸法度の改正(殉死を禁止)
  •             江戸人質を解放(参勤交代の見直し)
  • 信綱は勤めて恒心を保とうとしていた(平常心)