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「老い」に打ち勝つ

2018-01-14 11:08:06 | 歴史から学ぶ

@戦国時代、江戸・明治時代に著名人で当時では超が付くほど長寿を全うした成功者が多い。大器晩成型、現代風の会社組織で言うならば、長年の経験値と知識・情報から思いっきりやる度胸と勇気(リスク)を持った人なのか。武士の「勇気」=上司・経営者の「リスク」(責任)。 やたらと多い社内会議と決議にリスクの取れない上司・経営者、新規事業・新規投資に長時間かけ結果を出せない上司・経営者など、多くの日本の企業が迷い始めている環境である。「仕事・業績効率の悪さ」=最悪の「老い」、多くが陥りやすい「安定=不変・不動」を求めることに将来はあるのか。最良の「老い」を求める企業に未来あり。

  • 『老い』とは何か
  •             定命は人間が変えられるものではない。生きている間、どのように行動するかを考えている人は、概ね死を恐れない。病や死を忘れるほどに強い行動欲に取り憑かれているからである。盛運の勢いを増していく人物は「考える人」である。
  • 「徳川家康」大器晩成の人生、75歳
  •             「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に欲を起こらば、困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え。勝つ事ばかり知って、負ける事を知らざれば、害その身にいたる。己を責めて、人をせむるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり。」
  •             「家訓は2番手か3番手につける」という教え。トップに出ればあとは落ちるしかない。
  •             「勝者に自分を高く売込めれば負けるが勝ちという戦法もある」
  •             「欲せよ、さらば与えられる」
  •             経験を知恵にできる洞察力、「一升の器には一升の水、一合の器には一合の水」
  • 「是川銀蔵」79歳にして最後の相場師、95歳
  •             「儂の道は7転び8起きどころではない。10転び11起き、いやもっと浮き沈みした」
  •             「冷静に世の中を読めば、これから何が上がって何が下がるかがはっきりと分かる」(新聞の読破と短波ラジオで分析)
  •             「学問で説かれるような決まりきった形の変動は実際にはない。一つとして同じ形の変動はない。」
  •             79歳で初めて経済変動のうねりともいうべき基本的な運動をつかんだ。
  • 「毛利元就」自らの器を知る事にあり、75歳
  •             75歳までの生きた武将、4千余りの兵力で2万余りの陶晴賢を厳島合戦でやぶり、4、5万石から120万石に所領を増やした
  •             「戦いに計略を企まない者は、以ての外である。武芸も操兵の要領も何もかも要らない。ただ一つ武略、計略、調略のみである。謀りごと多き者は勝ち、少なき者は必ず負ける。」
  •             「人は退屈するほどの余裕ができたとき、初めて我が身の幸、不幸に気づくものである。」
  • 「親鸞」ねじ伏せた不屈の精神力90歳
  •             63歳から膨大な書物を著し、90歳まで続けた
  •             阿弥陀仏第18願「私が仏となれば、すべての人々が浄土に生まれようと信じ願い、十念して願いが叶えられる。そうでなければ仏の生覚を得ていないのだ」
  • 「北条早雲」先見の明と行動力、88歳
  •             58歳の時に1万石の所領を得、家来200人だった
  •             88歳までに伊豆・相模と関東3百万石の大領主となる
  •             農民を労わり年貢の他の諸税は無し、年貢も5分の1に減らす
  •             国主と農民は水と魚のように和合すべきであると
  •             「若い頃は得てして目先の利益を欲しがるもので、ただ生きている間のこと、日の照っている世界のことだけを考えがちである。しかし老境に入ると、この先が見えてくる。自身の半生を振り返り、先々の歩みに見当がついてくる。人間というものは変遷を重ねていくものだが、だからこそ経験が生きてくる。」
  •             「人間は何歳になっても前途に希望の輝きを見つめているべきだ」
  • 「柳生石舟斎」勇を追い続けた剣豪、78歳
  •             刀法「仕掛けることを無形にして風の如く、転化、変動の自由なることを水の如し」
  •             無刀取り、無刀勢(組み合って制圧する)、無手勢(両椀を使わず制圧する)=無刀3位の変化技を持った
  •             「空とは敵の心である。心は太刀を握る手に現れる。手の動きが現れない前に、心の動きを察すれば必ず勝つ。しかし空を読むには我心の執着を捨てねばならない。捨てれば空が読めてくる」
  •             「男の価値は勇気にある。地位、財産を守ることに執心するようになれば男は牡のたてがみを失った臆病者に転落する」
  • 「大久保彦左衛門」心の強さと頑固さ、80歳
  •             徳川の旗本で数々の武功をあげる
  •             戦国時代の武士道は「武勇と廉恥」       
  •             「三河物語」彦左衛門の不満(知行)皮肉(待遇)を暴露する
  •             「地獄があることを忘れず、忠義に努めよ。召し使われようが粗末でもあると申してもそれは前世の生まれ合わせだから、因果と諦めよ。良きことをしても悪しき報いとなることもあり、悪しきことをしても末孫まで栄えるごとき良き報いとなることもある。」
  •             「君子は良いことを一つした者でも、百の過ちを犯しても見捨てない。百の善行をした者が、一度過ちを犯せばそれを恨んで見捨てる。長年召し使った者の過失は、できるだけ見逃してやるがよい」
  • 「松下幸之助」天才起業家、94歳
  •             事業に成功した晩年、自らの苦心の体験を巧みな比喩によって聞く者に伝え、深い印象を与える弁舌の才能を表した
  •             「 雨が降れば傘をさすという自然の摂理に従い、理屈を悟り、人間関係には無理をしないこと」が商売、経営に大切と伝える
  •             お客の声を多く聞き、真実を訴える商品を作ること
  •             「運が95%」だと晩年幸之助はいう、それは「周りの人たちからの援助があった」からだと。
  •             商売戦術30か条
  •                         「商売は世のため人のための奉仕にして、利益はその当然の報酬なり」「売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永久の客を作る」「無理に売るな、客の好むものも売るな。客のためとなるものを売れ」
  •             幸之助の最後ことば「内の連中は皆幸せやと思いながら働いているやろか」であった
  •             「今日私がこうしていることが仮に成功だとするならば、私は失敗を多くしておって成功しているということになる。だからこの成功というものは初めから決まっておったのだ、という見方をした」
  • 「東郷重位」自らを鍛錬、83歳
  •             戦国時代の薩摩剣豪、東郷平八郎は孫にあたる
  •             「勝敗は無心の境地、無心の時身中の攻撃精神は研ぎ澄まされ、敵を攻める好機を無意識の内に感じ取り、僅かにみせた敵の好きに吸い込まれるように打ち込むことができる」
  •         「実年齢以上に大切なのは幾つになっても自ら選んだ道を深めていくことである、刺激を受け続けることである」(破邪顕正)
  • 「勝海舟」信念と度胸、77歳
  •             50歳で海軍大輔、66歳で伯爵、枢密顧問
  •             戦争をして人を殺せば、必ず恨まれ仕返しされるから人を殺めないことを理想としていた(無血革命)
  •             外国に対応するための強力な艦隊・軍隊が必須であり、幕府の政権では諸外国に対抗できないと読んでいた
  •             「幕士官は仕事の責任を回避するのが巧みで5、6人の合議制とし、誰に権限があるのかわからないようにして、何の実勢もあげないで日を送っている。正義の論を立てる者がいると、ごもっとも、ごもっともと同意して、影から手を回し其の者を失脚させます。国家のために議論を建てる者が現れると、必ず足をすくわれます」
  •             4年間の参禅修行と朝・夜の稽古で勇気と胆力を得た
  •             西郷との交渉の裏では幕府側の切り札12隻の幕府艦隊を保持
  •             「功なし名無し」とは因習を廃止し、新たな人材を採用することであった、木戸孝允、大久保利通、西郷隆盛、坂本龍馬等
  • 「羽柴長秀」強情の武将、51歳
  •             織田信長に仕え、佐和山5万石となり越前・若狭・加賀の所領123万石を得て越前北ノ庄を居城とした。畳の上で自殺した武将。
  •             「これより腹の中の魂を取る、たとえいかなる病なりとも、儂が命を失わんとするは正しく敵に違いなし。その敵を討たずにおくものかや。こやつが儂を殺すのか、もはや思い残すこともない」といって腹の腫瘍を家臣の前で行った。
  •             情に厚い長秀は秀吉に裏切られた行為、特に織田三法師、織田信孝を自害させ、織田信雄との戦争を仕掛けた
  • 「豊臣秀吉」富に溺れた天下人、62歳
  •             66カ国、625郡、石高1860万石を支配、金銀鉱山を有し富を蓄えた
  •             「つゆとおち、つゆときえにし、我が身かな、難波の事も夢のまた夢」
  •             「立って半畳、寝て1畳、天下取っても2合半」ではなく秀吉は成功した途端に巨万の富に溺れた、舵取りを誤った経営者となる
  •             足利将軍も徳川家康も皆譜代の家来がいたが秀吉には人望にめぐまれていなかった
  • (戦国時代の家臣団とは、一門衆、譜代衆、新参衆、国衆である)