goo blog サービス終了のお知らせ 

院長のひとりごと

私、竹村院長が食べ物から健康まで基本的にノンジャンルでかきつづります。

「よくわかる心理学。」

2007年04月14日 07時03分39秒 | ノンジャンル
人が何か習慣的に行動するときに大事な概念として「嗜癖」という言葉があります。

「依存」とも近いニュアンスの言葉なので、そう言った方がピンと来るでしょう。


例えばアルコールやギャンブル、買い物や仕事などで、それらに依存して

思考がそればっかりに支配されている状態で、そのこと自体が反社会的なことである場合

それが問題となります。


他人に危害を加えるほどの飲酒、財産を食いつぶすほどのギャンブルや買い物依存、

これらの依存は客観的にその人やその家族を不幸にします。

だから「依存」という言葉はイメージがあまりよくないように思いますが、

実は誰にも「依存」はあるはずなんです。



昔、保健体育で、人間の欲求には「食欲・性欲・睡眠欲」といった

本能的・生物的な欲求があるとともに、人間にしかない高次元の欲求、つまり

「自己尊厳欲」というものがある、と習ったはずです。{そのさらに上が「自己実現欲」}


その時は「ふ~ん」くらいにしか思ってなかったこの「自己尊厳欲」が

人のいろんな行動の理解にすっごく大事なんです。



「保健体育は寝ていた」という人のために。

自己尊厳欲とはわかりやすくいうと「人から認められたい」という欲求であって

その奥には「自分の存在価値」や「生きている意味」を確かめたいという欲求があります。


自分という人間が実在しているという実感は誰もが欲しているものであり

それを満たそうと、その人なりにそれは様々なことをするわけです。

で、たいていは「自分がいる意味」というのを「他人との関係」のなかで確かめるので

ここが満たされているというのはすごく幸せなことで、人はここに抗えません。


このことで世のだめんずと呼ばれる女性の不可解な性質が簡単に理解できます。

金にだらしなく、女にだらしなく、仕事もろくにしない、一般的に「だめ男」と呼ばれる

人だけど、自分を好きだと言ってくれた、お前は頑張ってると言ってくれた、

疲れてるときに優しい言葉を掛けてくれた・・・でも普段は基本的にダメ男


そんなのとばっかり付き合ってしまう女性を見て、「だまされてるよ」と周りは助言するかもしれません

でもその女の人にとっては、人から(ウソでも)認められたという経験が強烈な幸せとして

心に焼きつきます。

社会的に、常識的に考えるとしょーも無い男ですが、その女性にとっては、

自分を(ウソでも)認めてくれる、それはそれはかけがえの無い男なんです。


「人から認められていない」という渇きは、その本人のステータスとは関係がありません。

だから誰もがエリートと思ってるような人生を歩んできた人にも「人に認められたい」

「人からすごいと言われたい」という欲求があるのも全然不思議ではないのです。



仕事で「人から必要とされている」と実感できている人は、給料が安くても

仕事自体がきつくてもその仕事を辞めません。

人間関係に疲れようが、「この仕事においては、自分の代わりはおらず、自分は

みんなから必要とされている。」という実感は何にも換えがたい快感なのです。


このように人は自分以外の他者との関係の中で、常に自分の存在意義を無意識に

確かめようとしているのです。

このことはすごく大事です。


実際に生活を送っていて、どんなときに強い幸福感を感じるか?


院長の場合は人に飯を作って食わせ、「美味い!」と言ってもらうことがまさに

それなんです。

「依存」です。


毎週のようにあちこちに出かけては料理を担当し、全力で飯を作り、

皆からの賞賛を渇望する。

「依存」です。


アルコールや買い物と同じ「依存」なんですが、院長の場合は誰も不幸になっていない

という点が幸いです。

幸いですが本質的には同じ「依存」なんだと思います。


あなたは何に「依存」してるでしょう?

子育て?自分磨き?何々の会の集まり?町内会の雑務?ケータイ?


たまにはふと、そんなことをじっくり考えてみるのもいいものです。