竹村整骨院

院長のひとりごと

私、竹村院長が食べ物から健康までノンジャンルでかきつづります。  
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竹村整骨院
〒197-0804
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「手作りVS市販 」

肉団子を食べたいと思ったときに、ひき肉を買ってきて、具を刻んで混ぜて・・

っていろいろやるくらいなら、出来てるやつを買ってしまったほうが

安く済む場合がある。


でもコスト的にはあまり変わらなくても、仕上がりはやはり手作りのほうが

はるかに美味い。

「これ、作るより安いじゃん!」っていうような肉団子はかなり混ざり物が多く、

まぁ、マズイわけではないんだけど、味も値段なりです。


一方の自分で作る肉団子は美味しく作るのには少々コツがいるし、

何回かは失敗するかも知れない。

でも、自分なりの作り方がしっかりと身に付き、毎回美味しい肉団子が

作れるようになったら、それは料理の腕が結構上がったと思っていいんじゃないかな。



肉団子のコツはとにかく手で良く混ぜること。

全体の色味が均一になって、手を離すと無数のひげが表面に立つくらいに

ニチャニチャになるまで良く混ぜないといけない。

結構しんどいけど、これが最大のコツです。


中身は全体量の1%弱の塩、多目の片栗粉、ごま油やらおろしショウガ、

玉ねぎ、ニンジンのミジンや「くわい」を缶詰で買って使うのもいい。

中身は好きなもの入れてくださいよ。


ひき肉でも豚の、それも脂身を含んだ豚が入っているのを使うのも

大きなポイント。

牛豚の合い挽きでも、豚のみでもいいけど、脂身がないと上手く出来ません。


表面が色づくくらいに油で揚げたら、いったん鍋から出して4分ほど放置。

余熱で中まで火を通します。

4分ほど経ったら鍋の油をまた熱くして、肉団子を投入し、表面をカラっと

仕上げる。


院長は甘酢あんが好きなので、それをからめて食べます。


甘酢あんは、醤油、砂糖、酢を大さじ3づつ、ごま油を大さじ1、スープを

150ccくらい。

それをフライパンで熱し、沸いたら水溶き片栗でとろみをつけて、

フライパンの中で肉団子とからめてしまう。






手間こそかかるが、市販品ではこうはいかない。
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「史上最濃厚カルボナーラ。」

今日のような、週の間にある休みっていいよね。

これといった予定はなかったけど、きちんと起きて、片付けやら鍋磨きやらで

充実した一日になった。


ランチでは、コッテリしたものが食べたかったので珍しく「カルボナーラ」。

以前、男子ごはんでやっていたように、生クリーム、パルメザンチーズの他に

コクを出し濃厚に仕上げるための別のチーズを入れるという手法を真似してみた。


院長史上最も濃厚で非常に旨いカルボナーラになったが、コストも高いね

今回はパルメザンチーズもブロックで買っておろしで擦ったし、コクだし用に

ゴーダチーズを買って使った。

生クリームもいつも使う安いやつじゃなくタカナシの本物の生クリームを使用。

あ、生クリームは今、100cc入りなんて小さいのもあるんだね。

迷わずそれにしましたよ。

それでも200円ほどするんだけど・・


ハムが余ってたので、なんだっけあのベーコンじゃなくて高いやつ、肉の。

それは買わなかった。

だから今回のカルボの肉はハム。



それじゃあ、レシピ。


1、全卵1個とパルメザンチーズを大さじ4ほどボールでよく混ぜておく。

  パルメザンは奮発して、ブロックを買っておろしで擦ったほうが良いです。


2、ニンニクのミジン切りとハム(ベーコンなど)をたっぷりのオリーブオイルで 

  じっくり炒め香りを出す。隣でパスタを茹でる。


3、生クリーム半カップ、同量の牛乳、濃く出し用のチーズを細かく切って

  片手くらい入れる。全体をよく混ぜ、火を弱く落とす。

  軽く塩を振って薄めに味をつけておく。


4、パスタを表示時間より1分早めにあげて3のフライパンに合わせる。


5、フライパンの火を止め、1で作っておいた卵とパルメザンの混ぜたやつを合わせ

  全体にからめる。手早くね。


6、味を見て足りないようなら全体に少し塩をして味を調える。


7、皿に盛ったら、上から黒コショウをたっぷり振って完成。



カルボナーラは濃厚さが印象的ですが、そこにはしっかりと絶妙な塩加減が

決まってないと、すぐ飽きます。

コッテリさせりゃあいいってもんでもありません。





一人分あたり450円くらいかかってしまう計算。

家庭で作るパスタとしてはかなり高く感じてしまうが・・・



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「イライラしないお稽古 3」

遅めの夏休みで奈良旅行に行く前辺りの時期が院長にとっては

気分のムラが大きくとても具合の良くない時期でした。


こんな気分で旅行なんて行っても気分が不安定で、ちっとも

楽しめないかもな~なんて思ってましたが、宿やら新幹線のチケットは

予約を取っていたし、奥さんは初めて行く奈良旅行をえらく

楽しみにしていたようでしたので、黙って行くことにしました。


旅行中は心のお稽古に取り組むいい機会だと思い、

心を波立たせないよう心がけました。


具体的には、耳に聞こえる音、目に見えるもの、肌に感じる風、鼻に入る匂い、

それぞれに「今度は耳」とか「今度は目」といったように、その感覚に

集中することを旅行中は心がけた。

食事中は口に入っている食べ物の味、食感、噛んでいくうちにドロドロと

状態が変わっていく様、飲み込んだ食べ物が胃の中に落ちていくまでを

集中して感じるようにした。


寺の境内を歩いているときは砂利の音で、自分の周りに何人くらいの

人が歩いているのか当てるように注意深く耳を立てたし、

目に見える緑にも、どんな種類の緑があるのか、その時その時の

五感をフルに使って、感覚を研ぎ澄ます稽古をしていました。


そうやって五感に集中している間は、何かにイライラしたり、

何かを思い出して腹を立てたりすることが無いので、とても楽なのです。

まぁ余暇として旅行に来ているので、忙しい仕事中と比べても

そもそもイラっとするようなことが少ないのも確かなんですが。


旅行中の3日間で、今ある五感に集中し、イラっとせずに

以前は常に引火寸前のようだった状態の心がすっかりクリアになり、

そのことがなんと心地よいことだろう、と心の底から実感できました。


そうするとどうなるかというと、その心地よい状態をずっと

保っておきたい!と思うようになるのです。

イラっとすると心地よくないと実感してるし、イラッとせずに

過ごしたら心地よいのだと、自分の身をもって理解できました。


「イライラしてもいいことなんか無いよ~」なんて他人から言われたって

ダメなんです。

そんなこと理屈では誰でもわかっているし、でもイライラし始めたら

それを抑えられないし、「わかっちゃいるけど無理だよね~」となる。


イライラした時には身体にはどんな不快な反応がおきて、

それがマイナスの思考の連鎖を生み、いつまでもビリビリと強く

心の中で勝手に暴走しつづけることか。

イライラしないで穏やかにいるときはどんなに心地よく

身体が疲れないのか、それらを徹底的に味わう必要があるのです。


だから、腹が立つことがあってもぐっと歯を食いしばって

怒りを無理やりに飲み込んでしまったり、イキオイに任せて

爆発させてしまったりするのはどちらも仏道的には好ましい方法では

ありません。

「怒っている自分」とカギカッコをつけて客観視し、その時に

起きている身体の反応、不快感をじっと味わいつくすのです。

相手の不愉快な言動や態度を何度も思い出すのではなく、

お腹の中のモヤモヤ、胸の息苦しさ、手足の冷感、浅くなった呼吸

そういった身体の変化をじっくりと観察する。


院長は休みを終え、仕事に戻った後も自分の心の監視を続けました。


引火寸前のガス風船のような心ではなくなったので、イラっとする

ことは圧倒的に少なくなって、それだけでもメチャクチャ楽なんですが

それでも数日に一度くらいは「チリっ」と心が粟立つことがあります。

決して反芻することなく、「イラッとしてるね~」と自分を客観視し

身体に起きている不快な反応をじっくり味わうようにします。


その都度、そういう観察を続けていると、イラっとすることが

いかにタメにならないか、上手く情動を飼いならして心を穏やかに

保っておけたらどんなに楽でいられるのかをしっかりと身をもって

深く理解出来るようになります。

しかも取り組んでから結構早い段階で。

それを仏道では「智慧」と呼びます。


その智慧をつける為の修行法に「八正道」とか「十善戒」とか

あるのですが、まぁそのへんは知りたければググってください。



今までの話をまとめると2つです。


1、日頃から五感に集中し、雑念を払うクセをつけることで、すぐに何か

  不快なことを見つけ、イライラするクセが治ってくる。


2、イラッとしても、その火種を反芻せずに身体に起こっている

  不快感だけをしっかりと感じ取り、「これは良くない反応だ」と

  しっかり知り、理解することで情動をコントロール出来るようになる。



もしも普段の心の不安定さや、すぐに些細なことで怒ってしまう

ようなことに心当たりがあるなら、まずは1、を心がけて

心が穏やかになっていくことの心地よさを体感してみてはどうでしょう?

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「イライラしないお稽古 2」

前回は頭の中であーだこーだ考えてもいいことなんてないのだから

その、ノイズとすら言える「思考」をやめましょう。

そんなことを書きました。


「えーじゃあ何にも考えないでアホみたいにボーっとしてればいいの?」と

疑問がわいてくるでしょう。

やめるべきは、雑念です。

例えば、今日一日の仕事のスケジュールを頭の中で組み立て、効率よく

こなす準備をするのは雑念ではないです。


ただ、その際に「これは明日納期だから最優先だな」まではいいのですが

「そもそも、こんなギリッギリの仕事を営業が取ってきやがったせいで

こっちは死ぬ思いしてんのに、空気も読まねーあいつらがエラソーに

してんのがマジムカツクよな~」なんて考え始めたらそれは雑念。

そこからは営業の人への怒りがフツフツと燃え出し、納期を明日に控えた

目の前の仕事に取り組んでる最中も、頭の中は営業への怒りで一杯に

なっているかもしれません。

何度も何度もリフレインしてね。


忘年会の幹事を任されたら、日程決め、参加者集め、会場設定、予算設定

案内状作り、そういったやることのリストをすぐ作り、リストの上から淡々と

こなして消していけばいいのですが、「つーか、俺、幹事2回目なんですけどっ!」

「俺が2回目なのにまだ1回も幹事をやったことがない奴がいるって、

マジ意味わかんねーんスけど」とか考え始めるともう、ノイズが止まらない・・


納期を明日に控えた仕事に取り組む、忘年会の幹事の仕事をこなす、

そこに余計な思考のノイズが混じってしまっては、その作業の疲労度は

恐らく数倍にもなるでしょう。

こういった怒りのノイズはとても刺激的であるので、それが本人にとって

いかに邪魔で毒なものであっても、心が勝手に求めてしまうのです。

困りますね~


もうそれは、そういう流れが出来てしまっているのです。

日常に溢れる理不尽で不愉快なことを探しては

その不愉快な出来事を何度も反芻し、心にビリビリと

刺激を与え続けてしまう。

それが心にとっては心地よいからです。

不愉快でも刺激は刺激。

心は我々が不幸か否かは問題にせず、ただ刺激を求める。


まずはそう理解するのがファーストステップです。


でも日常で不愉快な、理不尽なことにその都度、反応を示すのが

人が人らしく生きる姿勢じゃないの!?


「あーーイラつくーー!!」とか

「くっっやしーーーーッ!」とか

「さびしいよーーー!」とか

「ーーぃよっっしゃーーーっ!」とか

そういう、情動の触れ幅があるからこそ「今、生きているっ!」と

実感出来るので、それを求めてしまうし、そういう情動の波が

無くなって人形みたいになったら、それは人としては「死」なんじゃないか。


少なくても院長はそう思いました。


でも同時に、自分の情動の触れ幅の大きさに手を焼いていたのも

事実だし、それにより疲れきって様々な問題を抱え、

困っていたというのも、このあいだ書きました。


そういう時にこういった仏道的取り組みを知り、時期的にも

タケコツが10月のあたまに遅めの夏休みを取り、奈良旅行へ行くのと

ちょうど重なりました。

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「イライラしないお稽古。」

※以下は小池僧侶の大方全ての著書、サイト内での言葉に一通り

目を通した上、院長の言葉で説明していますが、あくまでも

お釈迦様の言葉を小池龍之介というお坊さんが

わかりやすく解説したものを伝聞というカタチで書いているだけです。


普段、私たちを苦しめて疲れさせるものは欲とか怒りなどの

「煩悩(ぼんのう)」という毒です。毒。


「こんなにつまらない仕事をどっさり振られて超ブルー」とか

「金ねーけど、あの新作腕時計が欲しくてたまらない」とか

「あいつはメールの返事がいっつも遅いんだよな~、何様?」とか

「つーかこっちは仕事中なのにオメーは、なに雑誌なんか読んでんだよ」とか

「あーあー、なんっで中央線はまた遅れてんだよ!」とか

「確かにこっちのミスではあるけど、じゃあアンタはミスったこと

 ないんですかっつう話なんですけど」とか

「いつも仕事仕事って、ウチらこれで付き合ってるって言えるワケ!?」とか



日々、こんな言葉が頭の中を駆け巡ったりしてるわけです。

仕事をしていても、食事をしていても電車に乗っていても、歩いていても

何をしていても、常にこういった思考のノイズが目まぐるしく沸いては消え

再び沸いては消え、そんなことを繰り返します。


こういう怒りや欲といった感情は心にとって、とても刺激的であるため、

自分の意思とは関係なく何度も繰り返し味わってしまうような習慣が

出来てしまっているのです。

自分の意思とは関係なくです。2回言ったよ。

その刺激がその人にとって不幸な内容であろうと、気持ちのいい内容であろうと、

心にとっては関係がないのです。

みんな同じで刺激は刺激。

こういったことって身に覚えがあるはずなんです。


あいつのとった不愉快な態度を思い返すだけでも腹が立って仕方ないから

もう考えたくないのに、気づくとそのことばっかりを考えて、

いつまでもイライライライラしてしまう。


そんな時に、よーく身体の感覚を観察してみると、お腹の奥が

なんともいえずモヤモヤと気持ちが悪かったり、胸に圧迫感みたいな

ものを感じたり、手先が冷たくじんわりと痺れていたり、

呼吸が浅く速くなっていたり、おおよそ身体に悪そうな反応が

起きてるものです。


ただイライラしているときは頭の中がそれで一杯になっているでしょうから

自分の身体感覚を客観視して見つめるなんて習慣はないかと思います。


この自分の身体感覚なり、情動の動きを常に客観視するというのが

「仏道」においてはとーっても大事なのです。


一度湧き上がった「ムカツク」とか「悲しい」とか「寂しい」とか

「嬉しい」とか「悔しい」とか、そういった情動を今までのように

反芻して心の中で大きく膨れ上がらせるのではなく、そういった情動が

沸き起こったら、すぐにそれを発見し、鎮火に努めるのです。


「ぐぐっ、我慢我慢、こらえろこらえろ!」とその情動にフタをして

押さえ込むのではなく、ただ自分の情動を客観視するのです。

例えばイラっときたらすぐに「イラっとしている」と自分の情動に

カギカッコを付けてしまう。

あくまでもイラっとしている自分を遠くからもう一人の自分が

「あぁ、イラっとしているねぇ」と客観的にそれを見ているという具合です。


もちろんそんな簡単にイラっが消えるハズもないのですが、

それならば消えるまで「イラっとしている」と繰り返し繰り返し

心の中で唱え、そのイラっが消え去るまで情動を観察し続けます。


腹の立つ相手の言動や態度を頭の中で繰り返すのではなく

あくまでも、それにイライラと怒っている自分の心を

集中して見つめ続けるのです。

今までは数時間とか半日とかイライラしてたことは数分で

収まってしまうかもしれません。

数分もかからないかも。


少なくとも我を忘れて情動の火を心の中でゴウゴウと

燃やしてしまうよりもはるかに楽になるでしょう。


日常においても、我々は「今」を生きているはずなのに

そのほとんどは、頭の中で様々な考えを巡らせ、

「まさに今っ!この時」を感じる、その感度がとても低下してしまっています。


食事をしながらテレビを見れば、その食への感度が落ちるでしょうし

仲間や恋人と話をしているときに考え事をしていれば、相手の

話していることが耳に届かないかもしれません。

イライラと心の中に怒りをたぎらせながら仕事をすれば

能率は落ちるでしょうしミスも増えるかもしれない。

何より、とても疲れてしまいます。


誰でも何かの物事に集中して取り組んだら、あっという間に

時間がたっていたとか、全然疲れなかったというような経験は

あると思います。

ただ、頭の中が雑念で一杯の状態が慢性化すると、目の前の仕事が

苦痛で仕方なくなるでしょうし、そんな状態で無理やり

心に鞭打って頑張り続けるとある時、急に無気力に襲われることもあります。


日常の生活、仕事、趣味、遊びにおいて余計な雑念に脳内のメモリーを

食われてしまうと、その人の能力は低下するし、無駄に疲れるし、

いいことが無いので、考えるのをやめましょう!

っていうのが仏道における幸せな生き方の第一歩です。


「え~、でもさ~」という声が聞こえてきそうですので、次回に続きましょう。




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「今年の転機。」

早いもので2010年もあとわずかです。

今年もおおむね大した変化無く過ぎるかな~と思っていましたが

院長にとって2010年の10月はなんというか、とても大きな変化の月になったようです。

「人生を変える本」との出会いと言うと、なんだか安っぽい自分語りのように

みえてしまうんですが、そんな本があったのです。


本のタイトルは「考えない練習」

CMでも流れてたことがありますが、お坊さんの書いた本です。

著者の小池龍之介氏は仏教を、「心を鍛錬し穏やかに幸せに生きるための手習い」

としての理論体系だと述べています。

宗教としてではなくお稽古の手引きとしての仏教。

そのため文中では「茶道」とか「書道」のように「仏道」という書き方をしています。

お釈迦様の言ったことを頭のいい小池龍之介という僧侶が、現代語に翻訳し、

誰でもわかるように伝えている本です。


で、何でこの本がとても意味あるものになったかというと、

今まで大変に頭を悩ませていた院長の悩みがほぼスッキリなくなったから。


普段でもそうなんだが、仕事中は特に自分でも何でなんだろう?

と思うくらい、とにかくイライラしていることが多かった。

イライラするんだけど、患者に当たるわけにはいかないので、

矛先は必然的に受付の奥さんに向かってしまう。

仕事中の指示の語調がどんどんキツくなってしまうわけです。

指示への反応が遅かったり、出した指示を聞き直されたり、まぁ

その都度イラッとしてカリカリしていました。


そんな状態が続けば奥さんも萎縮するし、ミスは増えるし、

それにまた院長はイライラするし・・

このままではイカンということで、あるとき二人で話し合いをした。

奥さんはずっと院長が仕事中イライラして今後も自分に当たるようなら

受付として続けていけないと訴えるし、院長は仕事中の

どういうときにイラッとしてしまうのか、自分で振り返って

こういう状況でこう動いてくれないとイラッとする・・

奥さんは奥さんで、院長は忙しくなってくると指示する声が

ボソボソ低くなってくるから聞こえにくいとか、

そんなことをお互いたくさん挙げてみた。


そんなことは以前にも何度かあったのだが

「じゃあ次からイライラしないように気をつける」と院長はどうしても言えなかったのです。

というのも、自分がイライラしているときは、それを抑えようとする意識も

飛んでしまっており、そんな事態の時のことを冷静な状態の自分が反省して

次回から気をつけます、とするのは根本の解決につながらず、

奥さんに対しても本当の意味で誠実な対応ではないと強く思っていたのです。


酔っ払うと、酒の席で失敗をする人が「もう次は絶対気をつける」というのと同じ。

ギャンブルでの失敗を繰り返す人が「もう、ギャンブルはやめる」というのと同じ。

その場限りの思いつきのような反省は問題の解決につながらないと

思っていたけど、では何をどうしたらいいのか、心底悩んでました。


そんな時にCMで見かけたこの本を試しに図書館で借りて読んでみましたらば、

なるほど、説得力のあることが書いてありました。

人がイライラする仕組み、理由、仏道的な取り組み方・・

そんなことが書いてありましたが、試しに実践してみたら

その威力に驚愕しました。


普段はもちろん仕事中もほっとんどの時間は心が凪(なぎ)のように

全くざわつきません。

心が平静というのはこんなにも楽なのか・・と。

逆に言うと今まで忙しい仕事が終わってぐったりと疲れきっていたのは

自分で勝手に疲れていただけなんだと理解した。


イライラするのが習慣化しているというのは、自分の中に引火性の

ガスが充満している状態だと思うとわかりやすいかな。

公共の場で誰かの携帯がなるだけで「切っとけよっ!」とイライラするし

信号が青になっても気づいていない前の車に「あっおだよ!早く出ろよ!」

と悪態つくし、前の人が自動改札でキーンコーンと詰まっているだけで

「じゃっまなんだよ!」とイライラするし・・


問題は公共の場で携帯をマナーモードにしていない人でも、

青信号になっても気づかずにすぐ発進しない人でも、

スイカの残額をきちんと確認していなかった人でもないのです。

問題はそれらの些細なことに、「自分の怒りは正しい」という

大義をかさになんのためらいも無く、いちいち怒るサイクルみたいな

ものが出来上がってしまっていることです。


怒りや恐れ、不安等といった情動が湧き上がるのはある程度仕方のない

ことですが、それを心の中で何度も反芻(はんすう)するように

繰り返し味わうようなクセが人間にはあるようです。

大昔には一度痛い目にあったらば、それを忘れないように繰り返し

頭の中に焼き付けておくような人が長生き出来たでしょうけど、

そんなメカニズムが現代を生きる我々にはとっても大きな足かせとなってしまう。


しなくていい心配を常にしてしまったり、不愉快に思ったことを

何度も頭の中で繰り返し、怒りの度合いを高めていく。


不安や不愉快、怒りといった情動を自分の中で膨れ上がらせてしまうのは

あくまでも自分の問題であって、それらの情動が大きく

燃え上がらないうちに鎮火させてしまえばいいのです。


って難しそうでしょ?

それが案外簡単なのです。

案外簡単で、それが出来たら日常の疲れは半分から1/4くらいになる印象です。


疲れは数値化できないので表現は難しいけど、たとえば院長が

仕事中にイラっとしてしまったのは先月ひとつきで5回は無いです。

今までは1日で数十回もイラついていたと思うけど。

1日が終わって「あー疲れた」と感じた日はゼロです。

開業以来の最高来院数の日もあった月でしたが。


人が不幸せになるのは勝手になっているだけ。

自分が快適に過ごせるよう周りの人間を変えていこうとあがくのではなく

自分の心を鍛える稽古を続けて、イラつかない人になることのほうが

よっぽど楽だし、絶対幸せ。


次回からはその具体的な方法を少し紹介していきましょう。

 


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「ポテトピザ」

院長がよく行く小作の居酒屋にポテトピザとかいうメニューがあります。

あ、久々の更新だけど院長は元気ですんで。


そのポテトピザは美味しいので、毎回頼むけど家でも出来そうなので作ってみました。


なんとなくこんな感じか?と作ってみたら、まぁ、うまいのうまくないのって。

うまいほうね。


そのレシピをのっけましょう。


1)ジャガイモを剥いて、輪切りのスライスにして5分ほど茹でる。

2)その横で、玉ねぎのスライス、ハムを切ったものをオリーブオイルで炒める。

3)塩コショウで味をつけたら、ケチャップを大さじ3ほど入れる。

4)3)のフライパンに茹でたじゃがいもを加えてざっくり混ぜる。


↓こんな感じでケチャップとジャガイモを和えるように混ぜるだけです。

炒めすぎないで。





↑これを耐熱グラタン皿に盛って、ピザ用チーズをたっぷり入れてオーブンで

5分ほど焼く。

そしたら一旦オーブンから取り出し、マヨネーズを細くかけて2分ほどさらに

オーブンへ。


あとはパプリカでもコショウでもパセリでもオリーブオイルでも好きなものを

プラスでかければよろしい。





これだけでご飯はいらないね。


んめっちゃ美味いよ、コレ。
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「曲紹介」

院長の友人けいじがやっている、絵本を奏でる音楽ユニット「黒猫カムパネルラ」の

新曲PVができあがりました。

主観抜きで聴いてもいい曲だと思いました。

それでは聴いてください。

黒猫カムパネルラで  「ハナ」
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