親亡きあとの現実

2011年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム

成年後見制度において、成年後見人は本人(言うところの事理弁識能力を欠く状態にあり、意思能力がないとされる人、つまり後見を受ける被後見人)の財産を管理するための権限や義務を法により与えられます。しかし、当然ながら財産を「管理する」ことと、財産を「有効に使う」ことは同じではありません。

成年後見人にとって本人の財産を管理することは大事な任務の一つです。ところが、通常の生活を超えて、被後見人の生活をより豊かに、より幸せにするために有効と思われる行為や物のためにその財産を費やすこと、その反対の、財産を殖やすなどという利殖行為、これらについてはいずれも任務外のこととなっています。法はそれらの行為を認めてはいません。成年後見人はただひたすら本人の財産を「管理する」ための権限や義務を負っているだけなのです。

とすれば、順番からいけば自分が先に亡くなるからと、親亡きあとを心配して知的障害者の親が一生懸命にその子名義の預貯金を残したとしても、多くの場合、それは通常の生活を維持するために消費する以外に使い道はなく、子の死亡と同時に、結局大半の預貯金は親族に遺産相続されて終わり、ということになるだけではないでしょうか。それは親の望んだことでしょうか。大いに疑問です。

親亡きあとでも、財産があればある程、我が子は幸せに暮らせるのだと信じるから、親は本人名義の預貯金を殖やそうとするのでしょう。けれど、親亡きあと、いったいだれがその思いを現実場面で実践し保障してくれるというのでしょう。親亡きあとの本人の人生や生活が豊かで幸せであってほしいと願った親の思いは、いったい誰が達成してくれるのでしょうか。

親も亡くなり、そして身寄りもなくなったとしても、親の思いのこもったそれらの財産が本人が生きている間に本人のために有効に使われるようにするには、どうすればよいのでしょうか。どうすれば、ひたすら知的障害の子の幸せを願う親の、親亡きあとへの切実な思いを実現することができるのでしょうか。現在の成年後見制度ではそれは叶いそうにありません。

しかし、それでもなお親は親亡きあとの子の人生や生活を案ずるものでしょう。ならば、親に残されたことはどんなに逆説的に聞こえようとも、子と生きる「今」を大事に、そして一生懸命に生きるほか、親には成す術がないということかもしれません。

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