吹けば飛ぶような

2018年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 藤井聡太。この春、高校1年生になる15歳の少年。
 私たちは私たちの日常の中で、人と現実に一対一で対峙する場面に遭遇することなど、滅多にあるものではありません。ましてや、そこで優劣を競い、勝敗を決するために同じ人と間近に座り合い、5時間も6時間も対峙するなどということはないのです。
 プロの将棋の世界で記録づくめの対戦成績を残している少年の、その内心はともかく、ネクタイをしたスーツ姿で、眩しそうに、恥ずかしそうに、そして少しかったるそうに、やや伏し目がちに対戦会場に入ってくる様子から、将棋の持つそうした独特の空間と時間に、少年はよく馴染んでいるように見えます。険しい表情を見せるでもなく、精神を集中させて、しかも 淡々とそこにある空間と時間に入っていくように思えます。
 そして、対戦後のコメントの語り口と語る内容から受ける印象は、私たちの知らないところでの、彼の孤独な戦いの量の多さと質の高さを感じさせます。それは生半可な量と質ではないと思われます。
 この15歳の少年にとってコンピューターの存在は何なのでしょうか。将棋に殊更の興味と関心を持つ少年少女がコンピューターを相手に孤独な修練を続ければ、第2、第3の藤井聡太は生まれてくるのでしょうか。
 藤井聡太。プロ将棋棋士六段。尖ったところを見せないところがいい。

  吹けば飛ぶような 将棋の駒に 懸けた命を 笑わば笑え ……  (「王将」村田英雄)

 少年にはこんな昭和の悲壮感など、どこにもないのです。
 すでに時代は平成さえも超えていこうとしています。


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